<43・改定(というより最早別物)>
二時間目は数学Ⅲ。
太った数学教師が額の汗を拭きつつ、黒板にカシカシと数式を書いていく。
北海道の初夏といえど、40人ほどの人間が一堂に会したこの空間は結構暑い。彼が汗を書くのも頷ける。
この授業はみんな真面目に受けているみたいだ。
僕は今さら真面目に受けても何言ってるかチンプンカンプンなので、母さんへの言い訳を考えることにした。
突然居なくなってしまうのは心配をかけすぎる。
旅に出たい、と言うのは……意外といけるかもしれない。
ちょっと考えたんだけど、母さんってそんなに堅物ではないし、無理に高校に行かなくても良いって言っていた。
まぁ行って欲しそうではあったから僕は高校に行くことにしたんだけど、正直世界を巡って来たいとか言えば、何とかなるかも知れない。
でも、直ぐに音信不通。
誰かに頼んで、定期的に手紙を出してもらうか?
騙すことはイヤだけど、それで母さんが傷つかないならば、騙すのがいやだと言う心は僕の弱さだと思う。
そんな弱さは捨てることはできる。
でも最終的に、ばれたとしたら?
僕の頭で、絶対にばれないような仕掛けが作れるとは思えない。僕は自分の知能が全く信用できない。
僕が何時の間にか死んでいたら、母さんはきっと泣く。
母さんを傷つけたくは無いなぁ……
それだったら、今、母さんの目の前に居るうちに全てを打ち明けた方が良い気がする。
母さんの気持ちを受け止めて、あと数回は帰ってこられることを打ち明けて、徐々に理解してもらおう。
母さんが一人で泣くより、余程良い。
うん、帰ったら、母さんに聞いてもらおう。
僕が変なことになっていて、でもそれは生きていた時よりも余程充実していることを。
死んでるように生きていた時より、死にそうになりながらも生き抜いている今の方が、楽しいことを。
母さんはやっぱり泣いちゃうかな。
タケミちゃんがチラチラとこちらを見ていたが、話しかけては来ないようで、それを有難く思った。
無事授業も終わり、次は体育だー! とテンションが上がったり下がったりしているクラスメイトの中、僕はコソッと教室を出る。
こそっとどころか透明になって、だけど。
なんか先に行って置きたいと言う、安いプライドって奴かな。
ていうか、完全にウインクでとんでいたドリルさんが手紙に気付けたのだろうか。
待ちぼうけとか実に悲しいね。僕らしくはあるけど。
と、思っていると足音がする。
ちゃんと手紙を読んでくれていたようだった。
「あ、来てくれたんだ。」
「な、何!? 何処にいるの!?」
ドリルさんが狼狽するのを見て、僕は「暗殺術」を発動したままだったことに気付いた。
あんな疲れるスキルを発動したまんまだということに気付かないなんて、実は僕も緊張しているのだろうか。
「ごめんごめん。ココです。」
「うひぃ!」
ドリルさんは顔を引きつらせて盛大に叫んだ。
そりゃいきなり目の前に浮かび上がるように出てこられたら驚くかもしれないけど……ウヒィて。
さて、今まで知らなかったドリルさんのコミカルな表情もなかなか興味深いけど、時間も惜しいしさっさと本題に入ろう。
「あのね森川さん。」
「な、なによ! 仕返しするって言うの!?」
報復はさっき図らずしも行ってしまったのです。
「違う違う。僕をいじめるのやめて欲しいなって思って。」
「め、面と向かって言うなんて度胸あるじゃない!」
チートのお陰でその辺はバッチリです。
「でも、だめよ! 止めるわけにはいかないわ!」
「そこを何とか。」
「な、何よ! 近づかないで! か、肩つかまないでぇッ!」
もう速攻で決めたいから、遠慮なくパチパチ良くとしよう。
ドリルさんにまたブリッジされたり、一回転されたりしたら対応に困るので、もう、思いっきり方を掴んで容赦なく行きます。
ドリルさんは異常に狼狽しているけど、知ったことかぁ! といった心境ですね。
「お願い、ネ?」
パチン!
バキュ―――ン!
「だふぉ!」
ドリルさんはアッパーを食らったボクサーみたいに仰け反り、僕の手にホールドされているのでカクンとこっちに頭が戻ってくる。
これは首の骨を痛めそうだね。
……顔を挟んで持とうか。
「どうしてもだめ?」
「……はッ! って、近いッ!? で、でもやめるわけにはぁ……」
ウインクに対してやや耐性のついてきたドリルさんは、直ぐに意識を取り戻し、しかし至近距離の僕に狼狽し、しかし強情に拒んでくる。
おかしいな、桃色効いてないのかな?
「さ、佐藤君に悪いけど、私にだって事情が」
あるらしい。
顔を手で挟まれているドリルさんは、僕から視線を逸らしつつモソモソ言っている。
事情ってどんなだろ。
あんた呼ばわりだったのに何時の間にか君づけだから、桃色効いてるはずなのにそれでも拒むって相当だよね。
脅されて僕をいじめてたの?
明らかに楽しんでたと思うけど……まぁ過去はどうでもいいや。
とにかく、今いじめをやめられないのはそのせいなんだね。
「森川さん。」
「は、はひ。」
ドリルさんはもう顔真っ赤だし。手とか意味もなくワタワタしてるし、生まれたてのバンビのように膝も震えているし、完全に魅了されてると思うんだよね。
やめられる事情さえあれば止めてくれそうな感じ。
「僕、君に酷い事されるの辛いんだ。」
「わ、私だってやりたいわけじゃ」
湯気とか出てるんじゃないかってくらい紅潮しているドリルさんに言う。
「僕の目を見て。」
「ひ、」
「事情話して、ね?」
「あふん。」
駄目押しのウインクで彼女は落ちました。
<つづけ>