<107>
帰る前にする事があった。
『はい? 誰? どこでこの番号知ったのよ。』
「あ、僕です。覚えてます?」
前に現世に戻った時に電車で会ったお姉さんの桃色も解かねばなるまい。
『あ、あああああッ! 覚えているわよ! 当たり前じゃない! 用事は何!? あ、別に用事がないといけないんじゃないって言うか……』
「え、えと一度会って欲しいんですけど……」
『キタァ――――――――――!』
「!?」
『あ、なんでもないです。大口の注文が入りまして少々興奮を。申し訳ありません。はい。はい。』
お姉さんは電話の向こうで怒られているようだった。ていうか職場なんだ。
『もう、坊やが待たせるから興奮しちゃったじゃない。それで何処に行けばいいの?』
「え、えと大学の図書館の……」
図書館に来た。ここにも桃色の犠牲者が居る。
「お、王子!?」
「違います。……ごめんなさいね。」
シュッとスプレーをかけると、司書さんは頭を抱えてのた打ち回った。
「ほうあ―――――! なんですかこの喪失感はぁ――――! 大事な何かが消えていくぅ……! 王子ぃ――――!」
≪尋常ではない精神力です。まさか、創造主様のアイテムに対して抵抗するなんて……≫
この人の苦しみは、桃色のせいか。
早く楽になって欲しい。
という訳でシュッ。
「ゲハッ!」
お姉さんは白目を剥いて倒れてしまった。すげえ罪悪感が……。
「ごめんなさいね。この子何時も変なの。最近は特に。悪い娘じゃないから許してあげて頂戴ねオホホ。」
そしてお姉さんは同僚の司書さんに回収されていった。
こういうのを見ると、桃色の罪深さを感じるなァ……。
外に出ると、お姉さんが擦り寄ってきた。
胸が零れ落ちそうな格好をしている。
「ふふん、私を2分も待たせるなんて放置プレイのつもり?」
何故そんな扇情的な格好を……!
ハルマサは眼を逸らしつつ話しかける。
「ええと、取りあえずお姉さん。手を。」
「舐めればいいのかしら?」
「なぜ!?」
取りあえず手首を出してもらい、桃色解除薬を吹きかける。
「……あら?」
「これで、僕の用事は終わりです。すいません。お仕事抜けてきてもらっちゃって。」
「??????」
「それじゃ。」
そんな感じで、他の連絡先を聞いていた人たちの桃色を解除して回った。
思った以上に、寂しい作業だった。
我が家のドアを開けると母さんがまた布団を干しているところであった。
「お、おお! やっと帰ってきたか少年! ソワソワして布団を干してしまったではないか!」
「うん。ただいま。……母さん。」
「おおぅ、本物だな! お弁当が無くなっていた時は、嬉しくて仕方なかったぞ。よく帰ってきたな少年。」
母さんが頭を撫でてくれたので、僕の沈んでいた心が随分と軽くなったのだった。
それからご飯の用意をした。
冷蔵庫に沢山あった食材は、僕のためのものだったらしい。
「ふふ、私が自棄食いでもしていると思ったのか? 甘い! 甘いぞ少年! 少年の自慢の母となるよう、プロポーションの管理は欠かしていないのだ!」
「確かに母さんは綺麗だよね。」
そうだろう、と母さんは胸を張る。
「あと、美人だといろいろ良い事があってだな。」
「そうなの?」
「うむ。電話するだけで今日の勤務を代わってもらえたりするのだ!」
「それは働きすぎだからじゃ……?」
「そうなのか?」
「聞かれても困るけど……」
無理しないで欲しいな。息子としては。
「む、思い出した。実は突然ハルマサが帰ってきても良いように、色々用意したものがあるのだ!」
昔から母さんの贈り物のセンスは良かった。僕が選ぶよりもよっぽどかっこいいコーディネートをしてくれたし。
期待が高まるね!
「ふふ、期待しているな少年! だがそれはご飯の後なのだ―――! よって速やかにご飯を作る! なにやら大変手際の良くなったハルマサよ! フライは君に任せるぞ!」
「了解です母さん。」
「大佐と呼べ一等兵! あ、嘘だ! やはり母と呼んで欲しい! 寧ろ鼻歌交じりに連呼してくれ!」
それはちょっと恥ずかしいかな。
食卓に料理を並べ、「いただきます」をする。
明らかに量が多いが、それでも全部食べることは出来るだろう。
満腹度が凄く上昇しそうだけど。
「ハルマサが作ったフライ……ウマい! 何だこれは! 海老が口の中でプリプリと……!」
「母さんの奴も美味しいよ?」
「当然だ! 愛情がたっぷりだからな! しこたま食べて、愛で太るのだ少年!」
「ふふ、いっぱい食べるよ。」
いくらでも入るぜ!
そしてお待ちかねの「母さんが用意してくれた物」の披露である。
「ふむ。君の趣味をあらゆる角度から分析し調達した、珠玉の一冊!」
母さんはパラパラッパラ~!と言いつつ、紙袋から本を取り出し、頭上に掲げた。
「すなわちエロ本だ――ッ!」
「何で!?」
表紙に、扇情的な姿をした女性が載っている写真集である。
「私は少年の収集していた本を頭の中で反芻するうち、ある傾向を見つけてしまってな。居ても立っても居られず、ついつい書店に走ってしまったというわけだ!」
「ついついやってしまう行為ではないよね。」
「仕事着のまま行ってしまったのは失敗だったがな。もちろん休憩中だぞ?」
何やってんの母さん……
「む? 不服そうだな。しかし、中身を見れば恐らく感動するだろう! 雑食改め、『姉萌え』の少年ハルマサよ!」
「な、何故それを……!」
「ふふふ、母の愛に不可能はないのだ! さぁ読め!」
「いや、流石に母さんの前ではきついよ?」
僕がどんだけ変態でも難しい。
「ダメか……?」
「上目遣いされても……そうだ。代わりじゃないけど、母さんの桃色を解いて置くよ。このスプレーで解けるんだ。」
「ふふ、全く変わらない母の愛を見せてやろう!」
マジで全く変わりませんでした。
「こんなに晴れているのだ! 公園に行こうではないか息子よ!」
そう母さんが言ったので、公園にやってきた。
そこにはベンチがあり、滑り台があり、ブランコがあり、つまりは児童公園だった。
なんで児童公園かは、母さんの次のセリフで解決した。
「さぁ、遊ぶぞぉ!」
遊ぶ気満々だった。
テンション高いね母さん……。遊んでた小学生が帰っちゃったよ。
「ほらハルマサ! 母はブランコに座るから背中を押して……なにぃ!? ブランコにお尻が入らないだと……!」
「まぁ子供用だから……」
「しかたない。私は我慢しよう。ハルマサ君が座りなさい。」
「ええ!?」
「何か不満か―――――!」
「そうじゃないけど……母さんテンション高くない?」
そういうと母さんは、しかられた子どものようにふて腐れる。
「全く……少しでも君との時間を盛り上げようとする母になんてことを言うのだ……。ノリが悪いぞ少年。」
「僕、母さんと一緒に居れたら満足なんだ。いつでも十分楽しいよ?」
僕がそう言うと、母さんは「はぅ」と言いつつフラリと倒れそうになる。
慌てて掴んだ手を母さんは強く握ってきた。
「……いい! 今のいいな! もう一度言ってくれないか息子よ!」
「や、やだ。恥ずかしいよ……。」
「ダメだッ! 言うまで離さ―――ん!」
「ほら、さっきの小学生たちがすげえ興味津々に見てるし、ね?」
「言わなければ、君の耳をねぶる!」
言いました。
何故か小学生たちが拍手してくれたぜ!
「感動した」「俺も母ちゃん大事にしよう」とか言ってたけど、本当に意味分かってたのかなあの子たち。
「うむ。やはり家が一番だな。」
「そうだね……。」
たった数時間で色々なところを回って、少々ハルマサは疲れていた。
でも、その数倍は楽しかった。
「しかし、あと12時間しかない……。辛いな。君とどんどん離れたくなくなるよ。」
母さんが時計を見つつ呟いたことは、その時のハルマサの気持ちを代弁しているものでもあった。
「…………。」
キュウ、と胸が締め付けられるようだ。
「む、泣きたいのか? 無理をせずとも、母の胸はいつでも開いてるぞ?」
「母さんこそ。僕の包容力は抜群の成長を見せているよ?」
僕がそう言うと、母さんはきょとんとした顔をし、しかし申し訳なさそうに笑って、そして涙を零した。
「……じゃあ、お願いしようかな。…………ふ、う…」
母さんは唸るように、悔しそうに、泣いたのだった。
きっと僕も同じだったんじゃないかな。
腕の中の母さんは、思っていた以上に小さく、そして愛しく感じた。
「そうだ、母さん。」
「む、なんだ?」
「何時まで僕の腹筋をなぞってるのか知らないけど、そろそろお風呂に入りたいなァって。」
「ふむ? 一緒に入るのは中学校で卒業だと少年は宣言したはずだが?」
「一緒に入ろうとか言ってないよ!?」
「まぁ母は問題ないがな! さぁ行くぞ!」
「いや、うん。後にしようか。」
「さぁ!」
「……聞いてる?」
「そういえば、町で少し無茶して道路壊しちゃったんだよ。賠償を求められたらこの金貨で払っておいて欲しいんだ。」
「ほう、如何にも高価そうな金貨だな!」
「純金なんだって。」
「ふふ、もう自らの失態を拭えるほどの財力を手に入れたか! もうなんだ! 超自慢の息子だな!」
「そうでもないよ。」
「筋肉も凄いしな!」
「母さん筋肉好きだよね……。」
愛しい時間は瞬く間に過ぎる。
もうあと数分。
「次は何時になるんだろうな。」
母さんは寂しそうに言う。
「なるべく早く戻ってくるよ。」
「絶対だぞ? 早く帰ってこないと泣いてしまうぞ?」
「それはやっぱりイヤだね。」
「頑張って来い。私の自慢の息子。」
ハルマサは、母に別れを言い、母はハルマサ額へ幸運を祈るキスを落とし、二人は分かれた。
<つづく>