王宮での『虚無』事件から4ヶ月後、国内の騒動はほぼ完全に鎮静していた。
ヴァリエール派が消滅した訳ではなかったが、貴族達も落ち着き、事件以前の機能をすっかり回復していた。
そんな時期のモンモランシ伯爵の執務室に、またグラムは訪れていた。
「そろそろ杖剣を頼んでから3ヶ月経ちますけど、もうすぐできそうですか?」
グラムは伯爵から、杖剣ができるまでは大体3カ月かかると聞かされていた。
なので3カ月たった今、伯爵に完成具合を聞きに来ていた。
「あぁ、あと2週間ほどで家に届くらしい」
「そうですか」
伯爵の答えにグラムは嬉しそうに顔を綻ばせた。
つい先日グラムは7歳になっていた。少し遅いが誕生日プレゼントと言うことになる。
伯爵の起こした清掃事業は、企画してから始動するまで約2カ月はかかったものの、ここ一カ月で街の貧困層の待遇がある程度改善されていた。
フラン街に治療活動に出てみると、前はこの世の全てに絶望したかのような顔をして汚い裏路地にたむろしていた人達が、今は道のあちこちでゴミを拾ったり、掃除をしたりしながら、どこか充実した笑顔で自分達に挨拶をしてくれる。
街もかなり綺麗になってきていて、一部の住民から『街が綺麗になってからなんだか体が軽くなった』などという報告も受けている。
実の所、グラムとしては前世で読んだ小説にありがちな政策を提案しただけだったのだが、ここまで効果があるというのは予想外だった。
事業を始めてすぐの頃は、街中でゴミ拾いをする貧困層の人達を見下す平民達もいたのだが、グラムが率先して彼らを労わっているとそのような事もすぐになくなった。
他の町村でも貧困層の人達が同じような目に遭っているかも知れないので、グラムは近い内に他の町村へも治療活動に出てみようと考えている。
ここ二年程で、グラムとモンモランシーの名前は領内に知れ渡り、平民達からの信頼の程は貴族の子女にしては異常に高かった。
“癒しの双子”と言う名前がフラン街の外にも広がって行き、わざわざフラン街まで見に来る人もいるくらいだ。
更にどこから漏れたのか、清掃事業を提案したのがグラムであるという噂が最近知広まってしまい、グラムと、ついでにモンモランシーの人気が天井を突き破る勢いとなっていた。
「杖剣はお前でも使えるように小振りにしてあるが、その代わり杖剣技師で名のある職人に頼んだからな。最高級の物が出来上がると期待しておいてくれ」
「はい、ありがとうございます」
グラムとしてはそこまで高級な剣を作ってくれなくても良かったのだが、これも貴族であり父親である伯爵の見栄だろうと受け入れていた。
また、領地開拓の経費を崩せるというのもあっての事だったが。
その時、執務室のドアがノックもなしにバタンっと勢い良く開き、執事のトクナガが焦った様子で走りこんできた。
「旦那様! 大変でございます!」
「どうした急に」
親子水入らずの対談に割り込まれた伯爵は、少し憮然とした様子で顔から汗を垂れ流すトクナガにそう言ったが、次のトクナガの言葉にグラムも含めその顔が驚愕に歪んだ。
「ヴァリエール公爵様がトリステイン国王として名乗りを上げられました!」
「なんだと!?」
伯爵が普段出さない程大きな声が執務室に響き渡った。
「で、ではヴァリエール家が王家になろうとしているという事か!?」
「いえ、公爵様はあくまで“公爵家当主”として王位に就くつもりの様です。ヴァリエール家は、依然王家に忠誠を誓った一貴族家の体制をとるとの事で……」
「ど、どうしてそんな突然……」
グラムも呆けたように口を開けたままやっとそれだけ呟いた。
今ヴァリエール公爵がそのような事をしたら、ようやく鎮静してきたヴァリエール派の運動が再燃する事は自分にさえ容易に想像がついた。
これが、ルイズが『虚無』に目覚める以前の事なら話は別だった。王家と所縁(ゆかり)のある公爵が王位に着く事は何ら問題にはならない。むしろ太后と王女が王位に就かないのならばそれが自然の流れだ。
しかしヴァリエール公爵も、あくまで一貴族として即位を拒否していたのだ。なぜ今なのだと思うのは無理もないだろう。
「しかも、2週間後の虚無の曜日に、ヴァリエール公爵邸で即位記念パーティーを開催されるとか!」
「はぁ?!」
トクナガの言葉にグラムはあんぐりと口を開けた。
こんな状況でパーティーなど開けば『暗殺してくれ』と言っているような物じゃないか!
いや、公爵の味方だと確信できる人のみ招待するのかも知れない。
確認の為にグラムは聞いてみることにした。
「そのパーティーには、その、身内や味方だけを呼んでのパーティーですよね?」
「い、いえ、先程ここにも招待状が届いたのですが、王党派の人物もヴァリエール派と同じ位招待するのだとか」
……狂気の沙汰ほど面白いってのはア○ギだけにしとけよモノクルおじさん、とグラムは誰にも聞こえないように呟いた。
一方伯爵は話の途中から口を限界まで開けたまま石像の様に固まっていた。
その日の夕食、事の次第を聞かされた伯爵夫人とフレイも眼を見開いて驚愕した。
モンモランシーはまだ事の重大さが分からないらしく、「モノクルおじさんが王様になるの、お兄様?」などとグラムに呑気に聞いていた。
「とにかく、今回は前に招待された時とは訳が違う。出ていって恥ずかしくないようにせねばなるまい。私達は“虚無事件”の当事者でもあるからな。公爵殿もそれについて私と話がしたいらしい」
「あらあら、なんだか大変なことになりましたね」
夫人がさっきの驚き顔はどこへやら、といった感じでのんびりとそう言った。
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「やれやれ、いつ見てもこの家は規格外だな」
二週間後の虚無の曜日。
2年ぶりに目にした城塞を目の前にして、グラムはため息をついてかぶりを振った。
日光に照らされたヴァリエール城は、まるで新築の家のように光り輝いていた。おそらく念入りに“固定化”がかけられているのだろう。
メイジでもない限り手入れが出来そうもないような所までもが曇り一つなく、周囲にその荘厳とした雰囲気を惜しみ無くばら撒いている様子は、王宮もかくやと思わせる。
これ程の家の当主ならば、やはりこの国の王になっても何ら問題はないような気がしてくる。
それを感じた時、あぁそう言う事か、と公爵が反ヴァリエール派までも招待した事にグラムは納得した。
百聞は一見に如かず。公爵の即位に文句を付ける輩に、今一度公爵家の権威を見せつけるつもりなのだろう。
即位記念パーティーとはよく言った物だ。家の格式を示す為には恰好の材料じゃないか。
今回は混雑が予想されたので竜籠を使わず、普通に馬車でヴァリエールに来ていた。
公爵邸に続く橋の上で馬車に揺られながら、グラムはふとこの家に居るであろうルイズに思いを馳せた。
彼女は今どのような心境なのだろうか。いきなり自分が伝説の系統に目覚めて、その所為か定かではないが父親が国王に即位する事になった。
周りから祝福され、幸福であるならまだ良いが、現実はそんなに甘くはないだろう。
王宮でその力の片鱗を見せてしまったルイズは、多くの貴族からその力を狙われるかもしれない。ヴァリエール派を良く思わない連中からその命までも狙われるかもしれない。しかも、それはトリステイン国内に限った事ではないだろう。
数千年の時を経て復活した『虚無』の系統。その噂は既にハルケギニア中に広まってしまっている。
世界中からその力や命を狙われる生活が待っているかもしれない。
……自分の存在で狂ってしまった世界の中で、ルイズは原作よりも過酷な人生を送る事になってしまうのではないだろうか。
ただ、それだけが気掛かりだった。
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ヴァリエール邸の大ホールで行われたパーティーには、数年に一度あるかないかの顔ぶれが集まっていた。
マリアンヌ太后にアンリエッタ姫、アルビオン王ジェームズ一世、ガリア王にロマリア教皇と、始祖に連なる王家の代表がハルケギニア中からこの公爵家に足を運んでいた。
通常公爵が王位に即位したとしても、それからたった二週間後のパーティーにこれ程の面々が全員揃って出席できる事は少ない。
しかし今回は話は別だ。数千年振りに復活した『虚無』の担い手を一目見ようとハルケギニア中のトップが足を運んで来ていた。
王族以外の貴族の顔ぶれも凄まじい物だった。
子爵以下は、公爵家の身内や王宮の重役でもない限り出席が許されていないという事実も、その事をよく物語っていた。
そんな雲の上で開催されている様なパーティーの中、グラムは子供用に設けられた小さめの椅子に座って、居心地が悪そうにテーブルの上から取った料理を食べていた。
その隣ではモンモランシーが顔を綻ばせながら、美味しそうにハムハムとクックベリーパイを頬張っている。
モンモランシーはまだ純粋に子供なので、無邪気に料理を口に放り込む事が出来るのだが、なまじ精神が育っているグラムは目の前に広がる豪華絢爛な光景に肩身の狭さを感じていた。
このパーティーに呼ばれている子供は少ない。
グラムとモンモランシーにしても、“ルイズとある程度まともな面識のある数少ない友人”と言う事で招待されていた。
しかし、言ってみればそれだけの理由だ。自分達は一介の貴族子女でしかないとグラムは思っていて、自分がこの場に居るのが少々場違いなんじゃないかと感じていた。
そうやってちまちまと料理を口に運んでいると、モンモランシーが笑顔でグラムの顔を覗き込んできた。頬にパイ生地が付いている。
「お兄様、このクックベリーパイ美味しいよ? ほら、こっちのアップルパイも! こんなに美味しいパイ食べられる事なんてそうないんだから、もっと食べましょ」
そう言ってモンモランシーは自分の皿に乗っていたクックベリーパイをグラムに差し出した。
少し窮屈そうな顔をしていた自分への、彼女なりの配慮なのだと分かり、グラムは思わず苦笑してしまった。
今の自分はこのモンモランシーと同じ子供なんだ。
余計な事は考えずに楽しめばいい。
まぁ、その前にその口元に付いているパイ生地をどうにかしてやるか、と思ったグラムは、ようやく兄が笑顔になって嬉しそうにしているモンモランシーの顔に手を伸ばした。
「口にパイ生地付いてるよ」
グラムはそう言ってモンモランシーの口元からパイ生地を取って見せると、パクリと自分の口に放り込んだ。
モンモランシーは突然の事に少しの間ぽけっ、としていたが、どうした訳かみるみる内にその頬が朱色に染まって行く。
「どうしたの?」
「な、なんでもない」
グラムが問いかけてみるが、モンモランシーはそう言ってそっぽを向くだけ。
それを見たグラムは一つだけ心当たりが思い浮かんで、それを口に出した。
「あぁ、関節キスってやつか」
グラムがそう言った途端、モンモランシーの顔が耳まで真っ赤になった。
「それで赤くなっていた訳か。このおませさんめ」
ニヤニヤしつつそう言ってからかうと、モンモランシーは「うーっ」と唸って俯いてしまった。
そんな可愛い姿を見て、グラムはやっと普通の笑顔を浮かべた。だが生憎モンモランシーはグラムの顔を見られる状態ではない。
モンモランシーのお陰でリラックスできたグラムは、もう一度パーティー会場を見渡した。
今回の主役である公爵とルイズは、次から次へと押し寄せてくる貴族の波に笑顔で対応している。
双方ともにガッチリと護衛で固められており、暗殺などができる隙など見られない。
他国からやってきた教皇や国王達も、この機に他国の王に取り入ろうとする貴族に群がられていた。
グラムはアルビオン王とガリア王とは話がしたかった。
アルビオン王にはレコン・キスタに関して、ガリア王には彼の二人の息子に関して忠告をしておきたかったのだが、あの様子では子供にかまっている暇はないだろう。
第一、どう言えば信じてもらえるのか見当がつかない。どこの馬の骨とも分からぬ子供が、『数年後あなたの国が滅びる』だの『あなたの息子が狂王になる』だのと言われて信じる訳がない。
下手すれば無礼打ちだろう。
「グラムさん、モンモランシーさん、お久しぶりです」
そこへ唐突に声を掛けられて振り向くと、そこには百合の様に白いドレスを身に纏うアンリエッタがいた。
8歳にして立派にドレスを着こなしている様子は、さすが王族と言ったところだろう。
その姿を見てモンモランシーは思わず感嘆のため息をついた。
「お久しぶりです、姫様。4ヶ月ぶりと言った所ですね」
「お、お、お久しぶりでしゅっ!」
落ち着いて返事を返したグラムを見て、慌てて自分も返事をしようとしたモンモランシーは見事に噛み、またしても恥ずかしそうに真っ赤になって俯いた。
それを見たアンリエッタは口に手を当てて少しだけ笑うと、手を離してまた口を開いた。
「今日は良い日ですわ。お友達に3人も会えたんですもの」
アンリエッタはそう言うと向かいの椅子に腰かけた。
「もう僕達もお友達ですか、光栄ですね」
「当たり前です。途中で邪魔が入ってしまいましたが、私達は一緒に遊んだのですから」
「有難うございます。ルイズにはもうお会いしましたか?」
「えぇ、私が話しかけると笑顔を見せてくれました。ですが、少し疲れているようでした」
そう言ったあと、アンリエッタの表情が少し暗くなった。
「私、ルイズのあんな作り笑顔は初めて見ました。私に見せてくれた笑顔は本物でしたが、貴族に向けていた物は自分を偽っているように感じました。ルイズが今まであんな顔をする事なんて無かったのに……」
この4ヶ月で、ルイズは社交に必要な色々な物を仕込まれたのだろう。
グラムとアンリエッタは、深く考えずともそう検討がついた。
物憂げな表情で軽く俯いたまま、アンリエッタは言葉を続ける。
「たとえ王家とヴァリエール家で国が割れようとも、ルイズは私の大事なお友達です。でも、さっき会った時、どう接していいか分からなくなってしまいました。ルイズがどこか遠くへ行ってしまった気がして、その遠くの場所で苦しんでいる様な気がして……。今、ルイズの為に何をしたらいいか全く思い浮かばないんです。自分がもどかしいわ」
「……ただ、相談に乗ってあげるだけでいいと思いますよ」
グラムの言葉に、アンリエッタは顔をあげた。
「ルイズに何かしたいのならば、まず今のルイズを知らなければなりません。だったらここで躊躇わずに思い切って話してみるのが一番だと思いますよ?」
原作を読んでいたグラムの記憶では、ルイズは色々と一人で抱え込みやすいタイプだった。
こちらから歩み出ない限り、彼女はあまり心の内を吐露してくれないだろう。
「ここで考えてるだけじゃ結果は残りませんが、行動を起こせばどこかに結果は残ります。それに、誰かに悩みを聞いてもらうだけで、心は随分と楽になるものですから」
グラムの言葉を聞いたアンリエッタは、しばらく目を瞑ってじっとしていた。
それからアンリエッタは瞳を開くと、片手を胸の前まで持ってきて握り拳を作った。
「そうですね。そうですよね! 動かなければ何も始まりません! ありがとうございますグラムさん。私どうかしてましたわ。王宮のお転婆姫と呼ばれた私がこんな事でくよくよ悩んでどうするのよ! 最悪拳で語り合ってでも話を聞かなければなりません!!」
「あのー、姫様? お姫様として拳というのはちょっと……」
「そんなのルイズとは日常茶飯事ですわ!」
両手を腰に当てて胸を張るアンリエッタ。お転婆モード全開であった。
「私も……」
「モンモランシー?」
「私も、ルイズが困ってるなら助けてあげたい。私もルイズの友達だから」
ようやく羞恥から立ち直ったモンモランシーの言葉に、グラムとアンリエッタは微笑んだ。
なんだかんだ言ってルイズはモンモランシーの初めての友達なのだ。大事にしたいと思うのは当然だろう。
「それならば早速ルイズとお話をしに行きましょう! ……あら?」
意気込んだアンリエッタはルイズを探す為にパーティー会場をキョロキョロと見回したが、やがて首を傾げて呟いた。
「ルイズはどこへ行ったのでしょう?」
「え?さっきまでは大人達と話してましたが……」
グラムも会場を見渡すが、確かにルイズの姿がない。
周りでは一部の貴族も「ミス・ルイズはどこに行かれた?」などと騒いでいる。
「も、もしかして誰かに攫われちゃったんじゃ……」
モンモランシーが不安そうにそう言ったのを聞いて、グラムはヴァリエール公爵の様子を窺った。
公爵はルイズがいなくなった今でも、別段気にすることなく他の貴族達と話をしている。
それにルイズに付いていた護衛も丸ごと居なくなっていた。
「公爵は全然焦ってないし、護衛も付いて行っているみたいだから大丈夫だと思うけど」
お手洗いか何かかな? とグラムは当たりを付けた。
「娘が目の届かない所に行ってしまったというのに、随分とあの方は余裕ですわね」
「多分使い魔にでもルイズを見張らせているのでしょう。まぁ居ないのなら仕方がないですね。戻ってくるまで待ちましょうか」
「そうですわね」
取りあえず話が一段落した所で、グラムは一度伸びをした。ずっと座っていたので、体が少し凝り固まってしまっている。
少し体を動かそうと思い、「少し夜風に当たってきます」と言ってグラムは席を立った。
ホールを出て廊下を少し歩くと、外に繋がる扉が見えてくる。
外には同じように涼んでいる人がちらほらいたが、人影はほとんどない。
開け放された扉を通り過ぎた。
次の瞬間、いきなり横から手が伸びて来て、腕を掴まれ建物の陰に引っ張り込まれてしまった。
「わっ!?」
慌てて掴まれた手に力を込めて振りほどく。
相手を確認しようとするが、闇に紛れてその人影が誰だかよくわからない。
体が強張り、体中から嫌な汗が滲み出てくるのをグラムは感じた。
2010.06.19 初回投稿
2010.06.27 文体修正