第五話 箱庭
澄み渡った青い空。穏やかな風。
小鳥が囀り、ひらりひらりと蝶が舞う。
そんな、麗らかな午後の昼下がり。
ず、ずず~。
ハジメは『箱庭』にある自宅の縁側で茶を啜っていた
ず、ずず~。
ずずず~。
ふー、ふー、ず、ふー。
ちゅ~。
ハジメが茶を啜る音に続くように、三つの茶を啜る音が縁側に響く。
ハジメの隣には、三体の案山子が座っていた。
この三体の案山子は、ただの案山子ではない。
この案山子たちは、ハジメが『箱庭』でよりよい生活をするために作られた自動人形である。
まず初めに、麦藁帽子がトレードマークの農業用自動人形、田吾作どん。熱いお茶が大好きだ。
次に、カウボーイハットがトレードマークの酪農用自動人形、与平どん。猫舌なので、お茶はある程度冷まさないと飲めない。
そして最後に、ガスマスクがトレードマークの食品加工用自動人形、権兵衛どん。ガスマスクの隙間から器用にストローでお茶を飲んでいる。
誰もがハジメの生活に欠かせない大切な家族である。
少なくとも、庭の隅で悔しそうにハンカチを噛み千切る食事係とは比べるまでもない。
三枚目のハンカチを噛み千切ったあたりでいい加減鬱陶しくなったので、ハジメは声をかけた。
「…黎明。何のようだ」
そうすると、黎明は輝かんばかりの笑顔を浮かべ、忠犬さながらの態度で駆け寄ってきた。
「今月分の『食糧』です」
黎明が取り出したのは、色とりどりの飴玉のようなものが入った瓶だ。その大きさは大きなジャム瓶位だろうか。
これは通称『輪廻丸』といい、死んだ生物達の魂に蓄積された経験を輪廻転生の際に取り出し、エネルギーに変えたハジメ専用の『食糧』である。
「ご苦労さん」
「いいえ、とんでも御座いません!私、こうしてハジメ様の食事係として生を受けたからには、ハジメ様の食事係としての責務を全うする事こそ我が幸せ!!嗚呼、ハジメ様!私は、わたくしわぁぁぁぁ!!!」
「やかましい」
ハジメはエキサイトする黎明を放り投げ、それを田吾作どんがレシーブ、与平どんがトス、権兵衛どんがアタックをかました。素晴らしい連携プレーだ。
そうして、黎明は恍惚とした表情で空の彼方へ消えていったのだった。
「相変わらず残念な奴だな」
それに田吾作どん達は頷いて同意を示した。
第二階級神 黎明。
絶世の美貌を持ち、ハジメの食事係として生み出された、天界でも有数の力の持ち主である。しかし、その実態は、ハジメから自分に向けられる反応(それこそ善意から悪意あるものまで)を至上の喜びと感じている変態である。
冷めてしまった茶を淹れ直し、茶菓子を齧りながら再び縁側で寛ぐ四人。
今日も『箱庭』は平和である。
* *
絵に描いたような平和な『箱庭』に、客人が訪れたのは夕暮れ時の事だった。
「御免下さい。どなたかいらっしゃいませんか?」
訪ねてきたのは老齢の翁だった。
「おや、宝石の翁じゃないか。久しいな」
「ご無沙汰しております、ハジメ様。ご健勝そうで何よりですな」
「まあ、立ち話もなんだ。上がるといい」
「すみません、お邪魔致します」
訪問客は宝石の翁、もとい、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。万華鏡の二つ名を持つ『魔法使い』と名高い魔導元帥だった。
「それで、わざわざこんな所まで来るなんて、何の用だ?」
翁に茶を勧めつつ、ハジメは尋ねる。
「もしかして、アレか?ついに俺を平行世界へ連れて行く気になったのか?なら、すぐ行こう。今すぐ行こう。気が変わらないうちに、さっさと行こう。準備は万端だ」
ハジメはノンブレスで捲くし立てると、どすん、と音を立てて、何処から取り出したのか巨大な風呂敷包みを卓袱台の上に置いた。風呂敷包みの中は、全て食料である。
さあ、行こう。やれ、行こう。雄弁にそう語るハジメの目に苦笑しつつ、翁は否定した。
「違いますよ。ハジメ様を連れて行く気は無いと、何度も申し上げているではありませんか」
口をへの字に歪めつつ、ハジメは物凄く残念そうに風呂敷包みをしまった。
「じゃあ、何の用なんだ?」
「実は、聖杯戦争が近々行われる事になりまして」
「ふむ。もうそんな時期か」
正直、ハジメにとって聖杯戦争は物凄く迷惑なものだった。何故なら聖杯戦争は、いや、聖杯自体が、やたらとハジメを必要とし、その身を削る。つまり、物凄く腹が減るのだ。
ちなみに、その空腹の原因を喰ってやろうと儀式に乗り込んだのが、この宝石の翁との出会いだった。
「つまり、あれか。平行世界に連れて行けないから、聖杯を喰って良いと――」
「違います」
言い終わる前に即行で否定され、ハジメは残念そうに顔を歪めた。
「じゃあ、一体何の用だ」
「まあ、ハジメ様もお分かりかとは思いますが、聖杯戦争に介入しないで頂きたいのです」
え~、と不満も顕わに声を上げれば、翁は苦笑しながら懐から包みを取り出した。
「ハジメ様が聖杯戦争で大いに消耗なさるのも存じております。ですから、今回はこちらで手を打っていただきたいのです」
ハジメは翁から包みを受け取り、それを開く。
包みの中に入っていたのは、子供の握り拳大の三つの水晶だった。ただし、それはただの水晶ではない。水晶の中には魔術的な大きな力が閉じ込められていた。
「ふむ。成程。これは平行世界のものか」
その水晶の一番の特徴は、ハジメの気配がしない事だった。
ハジメを根源としているこの世界では、土も、空気も、水も、人も、動物も、全てのあらゆる物にハジメの気配は存在する。どこかの錬金術漫画のように、正に『全は一、一は全』といった状態なのだ。
「まあ、これなら大丈夫だろう」
ハジメは素直に水晶を受け取った。
「分かった。今回は大人しくしておこう」
「有難うございます」
そうして、用事を済ませた翁はハジメ宅を辞そうとするも、玄関先で出会った案山子に引き止められた。
――なんだい、もう帰るのかい。今日はステーキなんだぜ。折角だから食っていきなよ。
そう目で語るのは、クールな与平どんだ。肩に担ぐ棒の先には、何やら刺々しい牛らしき生き物が括りつけられている。何ともワイルドな光景だった。
「いえいえ、そんなご迷惑でしょう。どうぞ、私の事は気になさらないで下さい」
――なあに、一人増えたところで変わらないさ。
刺々しい牛を担ぐ案山子と、老紳士。何というシュールな光景。
「何やってんだ、お前ら……」
結局彼等の遣り取りは、翁に手土産を持たせようと和菓子の折り詰めを持ったハジメが現れるまで続いたのだった。
* *
結局、翁は夕食を食っていき、晩餐を言う名の宴会を大いに楽しんだ。
大分酒も飲んだはずなのだが、一切酔った様子を見せず、しっかりとした足取りで手土産片手に翁は帰っていった。
ハジメは宴会後の惨状を見ないふりをし、いつの間にか宴会に混ざっていた酔い潰れた黎明を蹴飛ばす。
なんだか、ぐふふ、と笑い出したキモイ黎明を放置し、ハジメは縁側に出る。
月明かりが美しい夜、初めは翁から貰った水晶を取り出し、月にかざす。
水晶の中では、オーロラがゆらゆらと輝いていた。
ハジメはしばらくそうして水晶を見た後、それを口に含んで噛み砕いた。
「純粋な『食糧』は『輪廻丸』以外では久しぶりだな……」
そうハジメは呟き、嗤う。
ハジメにとって、普段のつまみ食いや、食事は『糧』にはならない。何故なら、切り離された自分の体を粘土細工のようにくっつけ直しているだけなのだ。ハジメにとって純粋に『糧』となるものは自分の『体外』にあるものだけだ。
そう、今回翁が持ってきた平行世界の水晶のように。
「行きてえな……。平行世界」
ハジメが平行世界にこだわるのはそこにあった。ハジメは『食事』がしたいのだ。『体外』から栄養補給をする『食事』を。
ハジメは世界の根源ではあるが、消費しないわけではない。魔術の行使などの奇跡の力は、ハジメの身を削る。ハジメは無限とも思える強大さではあるが、それでも限りが有るのだ。
だからこそ、ハジメは『体外』からの『食事』がしたい。
しかし、翁はハジメを絶対に平行世界へは連れて行ってくれない。食欲魔神のハジメを平行世界へ連れて行ったら最後、世界を食い尽くされるとでも思っているのだろう。まあ、否定は出来ないのだが。
ちなみに、紫も平行世界などに行けるが、こちらもハジメを絶対に連れて行かない。理由は翁と同じである。
「良いなあ、異世界。行きてえなあ、平行世界。……ハラヘッタナァ」
ハジメは残りの水晶を食べたくなる衝動を堪え、水晶を戸棚へ仕舞う。そのかわり、『輪廻丸』を取り出し、一粒口に含んだ。
最近、黎明は『輪廻丸』に味を付けることに嵌っているらしいが――。
「あれ程臓物味はやめろと言ったのに……」
何処の魔法世界だ。
ハジメは思い切り黎明を庭へ蹴り飛ばし、ピシャリと雨戸を閉め、障子を閉める。黎明なんぞ放置だ。田吾作どんの畑の肥やしにでもされてしまえ!
宴会の片付けが面倒くさくなったハジメは、一度散らかった部屋の中のものを全部分解し、綺麗な状態で再構成する。そして食器などを食器棚の中へ片付け、風呂に入ってから床につく。ハジメには睡眠など必要ないが、気分の問題だ。
こうして、ハジメの一日は幕を下ろした。