第一話 ハラペコなハジマリ
一人の少年が空を見上げている。年のころは16歳くらいだろうか。中肉中背の、黒髪黒目、ごくごく平凡な顔立ちの少年だ。
少年の着る濃紺の甚平が爆風で揺れる。
ぼんやりとした表情で、彼は大小様々な爆発の起きる空を見上げ、呟いた。
「腹へった」
「あんた達ぃぃぃ!即座に戦闘中止!!さっさと降りて来なさぁぁい!!!」
金髪の美少女が、必死の形相で空を飛ぶ二つの影に吼えた。
「えー。なによ、紫。良い所だったのにぃ」
「そうよ。折角、面白いところだったのにぃ」
ぶーぶー文句を言いながら空から降りてきたのは背中に虫のような羽を持つ妖精だった。
「いいから、黙りなさい。ハジメ様がいらしてるのよ!」
「「げっ!!」」
相変わらずぼんやりした表情で突っ立ってる少年を視界に入れ、思わず呻く妖精二人に、紫と呼ばれた少女は苦い表情で伝える。
「文に言って、第三次緊急措置をとってもらって頂戴。ハジメ様は空腹でらっしゃるから、弾幕合戦は三日間全面禁止よ」
「「ひぃぃぃぃ?!」」
悲鳴を上げて飛び去る妖精二人に、紫は疲れたような表情をしながら、少年、ハジメに向き直る。
「ハジメ様。美味しいうどん屋がありますので、そちらにご案内します。ですから、少々我慢してください」
「……それは良いけど、別に俺にそんなに気を使う必要は無いぞ。適当にパクリといけばそれで腹は膨れ――」
「いえ!是非ともそのうどんをハジメ様に食べていただきたいんです!ええ、是非!」
「……そうか。それならそのうどんを頂こうかな」
ハジメの了承に一先ず安堵し、金髪の美少女、スキマ妖怪八雲紫は空間にスキマを作る。
「では、ハジメ様。うどん屋へお連れしますので、こちらへどうぞ」
「わかった」
* *
ずずず~。
音を立てて、ハジメはうどんをすする。
なるほど。紫が勧めるのも分かるぐらい美味い。
ずずず~。
正直腹は膨れないが、かなりの満足感が感じられた。これならお八つの時間まで余裕でもつ。
ごくごくごく。
ハジメは汁まで綺麗に飲み干すと、「ご馳走様でした」と手を合わせた。
その様子を見ていた紫は尋ねる。
「ご満足いただけましたか?」
「ああ。美味かった。お八つの時間が楽しみだ」
それを聞いた紫の口元が一瞬引き攣るが、瞬く間にそれを綺麗な笑顔で覆い隠した。
(……不味い。お八つは最近藍任せだったわ)
藍は閻魔の元へお使いにやっていて、閻魔に接触したくない紫は藍に聞くという選択肢を一番最後に回した。
内心、大量に冷や汗を流しながら、それでも笑みを浮かべて「楽しみにしていてください」と嘯く紫は、必死になってお菓子屋を脳裏にピックアップしていく。果たして、幻想郷内で自分がハジメを連れて行かなかったお菓子屋は有っただろうか。
そんな紫の内心を知らないハジメは、満足そうにお茶をすすりながら、過去に思いを馳せていた。
そういえば、あの日も空腹だったなあ、と。
* *
それは、ハジメにとって一番古い記憶。
その記憶は、ハジメの死という事実だった。
何故死んだのか。自分が何者であったのか。知識はあるのに、ハジメ自身の事は何も覚えてはいなかった。ただ一つ、ハジメという自分の名前の音だけを除いて。
ハジメの始まりは、死という事実と、不思議な世界でのまどろみだった。
あの世に行くのでも、輪廻転生でもいいからさっさとして欲しいと思ったのは、どれくらい経ってからだったろうか。いい加減、まどろみの中を漂っているのも飽きてしまった頃、ハジメは一つ身じろぎした。だが、上手く動けないように感じた。死んで、体を失ったのに、何かに拘束されているように感じたのだ。
不愉快だった。
だから、ハジメはもがいた。もがいて、身じろいで、抵抗した。
もがき始めて、どれくらい経ったのかは分からない。ハジメがようやく満足に動けるようになったと感じた頃には、ハジメは自分の『体』を手に入れていた。到底、信じられないような『体』を。
ハジメは一つの銀河になっていた。
ハジメは『体』を手に入れてからは、自分の知識に基づいて小さな『箱庭』を作ることにした。ハジメは自分の知識から、自分は『人間』であったのだろうと推測した。それ故に、『人間』らしい生活をしてみようと思ったのだ。
ハジメは『箱庭』で慎ましやかな生活を開始する。その生活の中で、『料理』という趣味を持ち、自給自足の生活を謳歌していた。
そんなハジメを余所に、世界は律動する。
ハジメが『箱庭』でのんびり生活しているうちに、何時の間にやら『神』と呼ばれる存在が誕生し、その『神』が大地を作り、生物を作り出した。
だが、それはハジメにとって、とても些細なことで、これっぽっちも気にしていなかったのだが、しばらくするとそうも言っていられなくなった。
ハジメは、とても腹が減っていた。
ハジメにとって、『体』を手に入れてから初めての経験だった。
神々がどういう世界の作り方をしたかは知らないが、作り、失われたものがハジメの中に帰ってこないのだ。
ハジメは気の長いほうだったが、空腹は人を苛立たせる。いい加減我慢できなくなった頃、ハジメは『喰う』ことにした。
その行動は素早く行われた。
神々は確かにそれを目にした。
たった一瞬の出来事だった。
小さな空間の歪みを感じ、見た、その一瞬。
大地ごと、ほぼ九割の生物が消滅したのだ。
残ったものは小さな大地と、生物達。そして、夜空に輝く月のみ。
驚きもあらわに、神々は消滅の原因を調査し、その原因に辿り着いた。そして、とんでもない存在を目にすることになった。
それは世界の根源。森羅万象そのもの。
神々は、見つけたその存在に膝を突いた。
――我等が根源。我等が絶対者よ。どうか、お怒りを御沈め下さい。
神々の主神がそう頭を下げ、懇願した。
対するハジメの言葉は、神々にとって予想外のものだった。
――別に怒ってはいない。ただ、腹が減っていただけだ。あと、月を適当に喰えば空腹は収まる。腹八分目位が丁度良いからな。
神々は慌てた。このうえ、月まで食べられてしまっては、と。
神々はハジメの空腹に即座に対策を立てなければいけなくなった。
神々は考え、相談し、時にハジメに意見を伺い、世界のシステムを練り直す。
そうして出来たのが、輪廻転生のシステムだった。
生きとし生ける者の経験を魂に貯蓄させ、死後、その経験をハジメの食事にするのだ。そして、経験を抜かれてまっさらになった魂を再び現世に還し、経験を積ませる。
ただひたすらそれを繰り返させ、ハジメの腹を満たす。
それでもハジメにとっては満腹には程遠いものだったが、再び大地の九割を喰う程でも、ましてや月に手を出す程でもなくなったので、それで手を打つことにした。…まあ、たまにつまみ食いをしているようだが。
世界はそうして、ハジメという大きな歯車を加えて再び回りだした。
それが、ハジメにとっても、世界にとっても、とても古い記憶だ。
そして、ハジメがようやくある事に気付いたのは、その数千年後だった。
* *
ハジメがある事に気が付いたのは、周期的に訪れる空腹の所為だった。
輪廻転生のシステムだけではハジメの空腹は満たされず、数百年に一度、ハジメは力のある存在をつまみ喰いするのだ。ただ、その際には神々が煩いので、生物は喰わないように気をつけてはいるのだが。
そして今回もまた、ハジメは空腹を少しでもマシにするために、大地に降り立った。
ハジメが降り立った地は、最近妙に力ある存在、妖怪、鬼神、霊能力者、他にも様々な力在るものが多く集まる地だった。
ここなら、まあ、何かあるだろう。
ついでに、こんなに数があるのだから、一つくらい無くなったってバレやしないだろう。
どこの犯罪者の、いや、むしろ子供の思考だと突っこまれそうな事をハジメは考え、力のある存在を探り、そちらに足を向ける。
ハジメがやってきたのは神社だった。名は『博霊神社』というらしい。
ハジメは首を傾げた。
はて?何処かで聞いたような……?
記憶の隅に、何か引っかかるものを感じながらも、ハジメは神社に足を踏み入れる。
どこか清涼な空気が満ちつつも、神の気配は感じられない。
神社なのに主神が留守なのか。いや、むしろ居ないのか。はてさて。
まあ、自分には関係の無い事と見切りをつけ、ハジメは歩を進める。
何やら自分の後を付けているものがいるようだが気にしない。何故なら、とても腹が減っているからだ。
ここ数百年の間に妙に腹のすき具合が加速していた。ハジメとしては、つまみ喰いをする時は限界一歩手前なのだ。故に、目の前に腹の膨れそうなモノがあれば、脇目などふってはいられない。
嗚呼、きっと今なら問答無用で月を丸呑みできる。
神々が聞いたら泣いて懇願しそうな事を考えながら、最後の理性でもってつまみ喰いを敢行する。
何だか、あとを付けてきた人物に色々攻撃されているようだが気にしない。今は月を丸呑みせんばかりの空腹を如何にかするのが先決である。
故に、ハジメは神器とよばれる何某かの勾玉を口に含み、噛み砕き、咀嚼した。
とりあえず、歯ごたえは飴玉より硬く、味は今ひとつで、それなりに腹は膨れた。
最近歯ごたえというものに興味を持ち出したハジメは、そんな感想を胸中に抱きながら食事の余韻にひたっていた。
その光景を呆然と見つめる巫女服姿の少女の事を気にもせずに……。
その後、騒動を聞きつけてスキマから顔を出した紫により、ここが『幻想郷』であることを知らされ、ハジメはこの時ようやくこの世界の成り立ちを知る事になる。
この世界は、生前のハジメの知識を元に構成されていた。
* *
紫は非常に困っていた。
幻想郷存続の危機である。
現在、紫が居るのは、とあるうどん屋の店内である。
何故紫がここに居るかというと、それは目の前に座る少年、ハジメの所為であった。
このハジメという少年、見た目は何処にでもいるような、ごく平凡な少年だが、その実態は、世界の根源、生命の生まれる場所であり、還る場所。正に、森羅万象そのものであるという、とんでもない存在なのだ。
紫は頭を悩ませながら、思い出す。この目の前の御仁との出会いを。
* *
あれは、まだ幻想郷が外界と明確な区切りが無かった頃。
紫は、いつもと特に代わり映えしない日を送っていた。
暇だ、つまらない。
そんな事を思っていたときに、聞こえてきた爆音。凝縮された力の気配。
気配は『博霊神社』の方からだ。恐らく博霊の巫女が戦っているのだろう。
暇を持て余していた紫は、野次馬根性でスキマへ飛び込み、現場に顔を出した。
今でも紫はその時の自分の軽率な行動を悔やんでいる。
あの時顔を出さなければ、少なくともハジメ様の『食事係』なんて任命されなかったのに!
* *
興味本位でスキマから顔を出した紫を出迎えたのは、呆然と立つ竦む巫女と、何かを反芻するような面持ちで佇む黒髪の少年だった。
「はぁい。博霊の巫女。何してたの?」
「……ゆ、紫」
「ん?何?」
「……を…れた」
「え?何?聞こえなかったから、もう一度――」
「だから、……を食…られ…」
「今、肝心なところが聞こえな――」
「だから、神器を喰われたって言ってるのよぉぉぉぉ!!!」
「……は?」
意表を付く返答に、紫は思わず間抜けな声を出した。
博霊の巫女は、そんな紫の様子を特に気にせず、言葉を吐き出す。
「急に気配も無くやってきたと思ったら、神器の所へ行こうとするし、警告しても無視されて、攻撃してもちっとも効いちゃいなくて……」
「え?それで、神器、食べられちゃったの?」
「………」
「嘘ぉ……」
「……嘘じゃないわよ!むしろ、嘘であって欲しいわよ!?」
紫は、怒り狂い、興奮する巫女を眺めつつ(宥めたりはしない)、視線を黒髪黒目の、人間に見える少年に向ける。そして、少年はその視線に気付いたのか、こちらに向かい歩いてきた。
巫女はすぐさま気を静め、臨戦状態に入る……が。
「お嬢さん方。少々尋ねるが、この辺りに美味い飯屋はあるかい?」
「あんた、一体何なのよぉぉぉぉぉ!?」
少年の気の抜けた言葉に、全て台無しにされたのだった。
飯屋の場所を尋ねる神器を喰った少年、かたや神器の守人たる、怒り狂った神社の巫女。そして、それを傍観するスキマ妖怪。
なんとも、混沌としたその状況を打破したのは、何と、意外なことに『神』だった。
「もしもし、すいません。ちょっとよろしいですか?」
なんとも、腰の低い神ではあったが。
「はじめまして。私、こういうもので御座います」
そう言って名詞を差し出す様は、どこぞのサラリーマンの様だが、目がつぶれるような神々しさやら、押し潰されそうな力の奔流は間違いなく『神』のものだった。
「ご……丁寧…に、ど…も……」
あまりの神々しさに直視できず、尚且つ、溢れる強大な力の前につぶれた蛙の様に地面に這い蹲りながら、紫と巫女は何とか名刺を受け取る。地上で会った事のある神の力とはケタが違う。一体どのような身分の神なのだろうか?
『天界・ハジメ様食事係課担当
第二階級神 黎明』
受け取った名刺を見て、二人は疑問符を浮かべる。
ハジメ様って誰だ。それ以前に食事係って何だ。
「嗚呼、疑問に思うのも無理はありません。ですが、このハジメ様の食事係というのは、とても重要且つ、大変な仕事なのです。一度間違えば、大地の半分は消失してしまうかもしれない程の、とても責任ある仕事なのです」
重々しい口調で神は語るが、実態は食事係。どうしても、神が語る言葉を重く受け止めることが出来ない。
「ふ、疑ってらっしゃいますね。ならば、ハジメ様の空腹記をここに紐解――」
「嗚呼、腹が減ったな。今なら竜宮城を丸呑み出来る」
「ハジメ様!少々、お待ちください!!すぐにご飯の支度を致します!そこの娘達、何を這い蹲っているのです!早くハジメ様に食事を!!」
誰の所為だと思いながらも、圧力をかけるのを止めた神の要請を呑み、紫はスキマから店に出向いて、とりあえずは蕎麦を四人前頼んだ。
ずるずるずる。
蕎麦を啜るハジメを横目に、神は再び説明を始めた。
曰く、この目の前で蕎麦を啜っている一見凡庸な少年は世界の根源であり、森羅万象そのものであること。
曰く、様々な存在がこの世に存在することによりハジメ自身の身が削られ、常に空腹状態であること。
曰く、空腹に耐えかねて数百年に一度、生物を覗く力在る存在をつまみ喰いすること。
曰く、人間達が食べる料理を食すと、腹は膨れないが気分が満足するため、つまみ喰い予防策として有効であること。
曰く、予防策や、その時々の対応を間違えると、力ある土地や、力ある存在が集まる地を生物ごと喰われてしまうということ。
曰く、一度世界の殆どをハジメに喰われたことがあるということ。
聞けば聞くほど危険な御仁である。
神なら何とかしろよ、と視線で語れば、天界も喰われかけた事があるらしい。どんだけヤバイ御仁なんだ。
神の『ハジメ様空腹記』と、『ハジメ様空腹予防策』を呆気にとられながら聞いていると、神はとんでもないことを言い出した。
「ところで、貴女はスキマ妖怪という大変便利な能力を持った妖怪なのですね」
「え、まあ。そうだけど…」
便利って何だ。便利だけどさ。
「つまり、ハジメ様の食べたいものを比較的早く手に入れられる、と」
「………」
嫌な予感がした。
「光栄に思いなさい。ハジメ様の『食事係』を任命します!」
居丈高に下された指令に、紫は絶望した。
* *
神の身勝手な決定に紫は当然反発したが、その反発の仕方がいけなかった。うっかり、ハジメの蕎麦をひっくり返してしまったのだ。
神が青ざめ、巫女が見守るなか、ハジメはゆらり、と立ち上がり、紫をその黒い瞳に写し――。
その後の事は、聞かないで欲しい。ただ、強いて言うなら、幻想郷ごと喰われかけた、とだけ言っておこう。ちなみに、今でも当時の惨事は語り草で、ハジメの名は災害と同等以上の意味を持ち、注意が促されている。
まあ、なんだかんだで紫は責任をとり、ハジメの『食事係り』という任を負っている。
そして、現在。
『食事係』の紫は考える。
お八つ。何か、何かないか……。
考え、一つ思い出した。
――今日のお八つは、南堂のお饅頭です。最近美味しいと評判なんだそうですよ。戸棚に入れておきますね。
藍が、そう言っていたではないか。
一縷の望みを見出し、紫は即座に行動に移した。
「ハジメ様。我が家にお饅頭が御座います。最近美味しいと評判のお饅頭で御座います」
「そうか。楽しみだ」
にっこりと微笑み、交わされる和やかな会話だが、その裏には幻想郷の存続がかかっている。
紫はハジメをスキマへ誘い、我が家に出る。
「では、ハジメ様。少々お待ち下さい」
頷き、ちゃぶ台の前に大人しく座るハジメを確認して、紫は藍がお饅頭を仕舞っていた棚へ向かう。
そして、紫はあるものを目にすることになった。
「……幽々子。なに、してるの………?」
「ふぐぅ?」
そこには、口いっぱいに何かを詰め込んでいる西行寺幽々子の姿があった。
紫は分かっていた。けれど、認めたくなかった。故に、聞いた。
「…幽々子。貴女、何を食べてるの?」
「………」
幽々子は視線をさ迷わせながらも、ある一点を気にしていた。そう、藍がお饅頭を仕舞っていったあの棚を。
「っこの、大馬鹿者ー!!それは、ハジメ様にお出しするお饅頭よ!?」
「ふぎゅぅっ!?」
流石の幽々子もハジメの名を聞いて慌てだすが、口いっぱいのお饅頭が喉に詰まったらしく、呼吸困難で目を白黒させている。
紫はそんな幽々子には、自業自得と構わず、これからの事に思考を回らし始めた、その瞬間。
「饅頭、無いのか……」
ハジメの声が、背後から聞こえた。
壊れたブリキの玩具よろしく、ギ、ギ、ギ、と後ろを振り向けば、ハジメは切なそうな顔をして、遠くを見つめていた。
そして、一言。
「幻想郷ごと、パクリと――」
「イヤァァァァァァ?!」
やはり短すぎたようなので、一話にまとめました。ご意見有難う御座います。