第十五話 吸血鬼の求婚
「で、これは一体どういう状況なんだ?」
ハジメは辺りを漂う紅い妖霧を掴み、綿飴のようにむしって食べる。
なかなかのお味です。
さて、本日ハジメは幻想郷に遊びに来たのだが、丁度良く、とでも言うべきか、幻想郷では異変の真っ最中だった。
紅い霧ときたら『紅霧異変』だろうが、どうにも妖霧の質が想像していたものとは少し違う。この霧はやたらと甘いのだ。
尋ねられた紫は思わず、という風に吹き出し、吸血鬼のカルロは憮然とした表情で腕を組んで沈黙を貫いた。その隣では、霊夢がつまらなさそうに欠伸をしている。
ハジメは袖口からそっと金粒を取り出し、無言で霊夢に渡した。
「紅魔館に住む吸血鬼の姉妹の姉がカルロに一目惚れして、現在求婚の真っ最中です!」
霊夢はつまらなさそうな態度を一変させ、さくっと歯切れよく言い放った。素晴らしい守銭奴っぷりだ。面白い。
力の篭っていない金や宝石に価値を見出せないハジメは、時々こうやって霊夢で遊ぶ。
霊夢にしてみればハジメは良いカモだった。
実は霊夢は、ハジメが目の前に居るという事だけで命や博麗神社存続の危機、むしろ幻想郷の危機なのだという事を未だに理解し切れていない。
若いって命知らずの代名詞ね、というのは古参妖怪の紫の言葉である。
博麗神社にはハジメにとってご馳走ともいえる『陰陽玉』があるのだ。現在ミッドチルダという食糧庫があるので、しばらくの間は大丈夫だろうが、もし不測の事態でハジメの腹が急激に減るような事でもあれば、近場の『陰陽玉』が喰われる可能性が高い。霊夢は気付いちゃ居ないが、紫の苦労を笑えない立場に居るのだ。
その事に霊夢が気付くのは数年後の事だが、そんな未来の事など今は思いもよらず、霊夢は金粒をいそいそと懐に仕舞った。
「ほー、求婚か。どうしてそういう事になったんだ?」
ハジメはカルロに視線を移し、問う。
カルロは、渋い顔をして沈黙を返した。
「紫?」
カルロからの返答は期待できそうに無いと判断したハジメは、紫に視線を向ける。
「ふふ、あのですね。本当に可愛らしい、ベタな話なんですよ」
紫は楽しそうに話し出す。
それは、半月ほど前の話だそうだ。
* *
その日、カルロは蝙蝠傘をさして日中の散歩を楽しんでいた。
吸血鬼にとって日中は苦手とする時間帯ではあるが、カルロは太陽の光は嫌いではなかった。もし誰かに喧嘩を売られたとしても、たとえ日中であろうと、それを跳ね返すくらいの実力は有していた。
『吸血鬼異変』の後、夜に紫とカルロが正面から戦り合い、引き分けた事を知る者は意外と少ない。
そんな幻想郷でも上位に数えられる実力者であるカルロだったが、スペルカードが出来てからというもの、暇を持て余していた。
カルロはあまりスペルカードが好きではなかった。
幻想郷のルールだから従ってはいるものの、やはりスペルカードを間に挟んで戦り合うよりも、自分の手で直接力を放ち、叩き込みたいのだ。
半ばバトルジャンキーのような思考ではあるが、本来残虐性を持つ妖怪であるなら、当然の事とも言えた。
とりあえずはルールに従ってはいるが、どうしても我慢できなくなったら幻想郷を出て行けば良いのだ。幸いなことに、自分は同族の者とは違い、人肉を好むというだけで、必ず食べなければいけないという訳ではなく、人の血だけでも生きていける。これなら、外の人の世にも紛れ込みやすいだろう。
幻想郷内の吸血鬼のトップにあるまじき考えをつらつらとカルロが思い描いていると、前方に日傘をさした小さな人影が見えた。
どうやら自分と同じ吸血鬼らしい。
見たことのない顔であった為、最近来た『紅魔館』の吸血鬼だろう。
カルロはそうあたりをつけると、にこやかに挨拶をした。
「こんにちは、お嬢さん。君は『紅魔館』の子かい?」
外見年齢は十歳にも満たない小さな少女は、スカートをつまみ、ちょこりと膝を曲げて淑女の礼でカルロに答える。
「こんにちは、ミスタ。私は『紅魔館』の主、レミリア・スカーレットですわ」
レミリアの丁寧な返答に、おや、とカルロは思い、微笑みを浮かべて礼を返す。
「ご丁寧にありがとう、レディ。私の名はカルロ・ド・ブラドー。よろしく」
レミリアはカルロの名を聞いて、ぎょっとして目を見開く。
「では、この幻想郷の吸血鬼のトップというのは……」
「ああ、私の事だろうな」
カルロがそう言った瞬間、カルロの足元が爆ぜた。
ッガァァァン!!
「!」
カルロはそれを飛んで回避するが、真紅の閃光弾がカルロを襲おう。
だが、それもカルロは避ける。
次々と攻撃が仕掛けられるなか、カルロはレミリアに尋ねる。
「レミリア、といったな。何故こんな事をするんだい?それに、現在、幻想郷ではスペルカード以外の決闘は禁じられている」
その問いにレミリアは攻撃の手を緩めずに答える。
「簡単な事よ!あんたを倒して、私が吸血鬼達のトップに立つの!!」
体面を気にし、上昇志向もあるらしいレミリアは、それを叶えられるだけの実力はあった。
日中だというのに、次々に作られる紅い光弾。
空気を切り裂き、恐ろしいスピードでカルロに襲い掛かる。
が、カルロもまた、伊達に灰汁の強い吸血鬼達のトップを張ってはいなかった。
ゆらり…。
レミリアには、カルロが溶けて消えたように見えた。
そして、カルロの姿を見失った瞬間。
ズガガガガガガガガガガガ!!!
おびただしい数の赤黒い光刃がレミリアに降り注いだ。
これには、レミリアも慌てた。
もちろん避け、直撃は避けたものの、致命的な事に日傘が破けてしまったのだ。
「あああああああああ!!!」
光が体に触れた先から、体が気化していく。
襲い来る痛みに、レミリアは悲鳴を上げた。
この光景に驚いたのは、カルロだった。
カルロは、まさかレミリアが光にあたると気化するなどと思いもしなかったのだ。
カルロの引き連れる吸血鬼達は、カルロも含め、光に当たっても精々大火傷を負うぐらいで、レミリアのように一瞬で生命の危機に陥ることは無い。
「くそっ!」
カルロにしては珍しい言葉を吐き捨て、急いで自分の持っていた蝙蝠傘をレミリアにさしかける。
ジュウゥ……。
光にあたり、身が焼けるが、レミリアのような同属の子供を見捨てる気にはなれなかった。
レミリアの気化は幸いなことにすぐに収まり、随分と顔色が悪く、ぐったりとして気を失っているが、命に別状はなさそうだった。
カルロはレミリアを抱え、急いで木陰に入る。
カルロは顔に酷い火傷を負ったが、吸血鬼の生命力をもってすれば、この程度であれば数日のうちに跡形も無く直るだろう。
木陰の向こうは燦々と太陽の光が降り注ぎ、壊れた日傘が転がっている。
このままレミリアを放って帰るのも気がとがめ、カルロはレミリアが目を覚ますのを待つことにした。
そして、レミリアは程なくして目を覚まし、自分の隣に座るカルロの惨状に目を剥いた。
「あなた、その顔……」
「ああ、少々ヘマをしてな。それで、具合はどうだ」
カルロは明言することを避けたが、レミリアは覚えていた。気化する自分に、身が焼けるにも関わらず、カルロが傘をさしかけてくれたのだ。
「……あ、あり…が…と……具合は、最悪。けど、大丈夫よ」
もにょもにょと口の中で礼を言い、レミリアはカルロに無事を告げた。
「そうか。では、悪いが君の日傘は私が壊してしまった。だから、まあ、せめてもの御詫びとして家まで送らせてはもらえないかな?」
微笑むカルロの顔は、正直見るに耐えない酷い大火傷を負い、グロテスクな様だったが、レミリアの胸はどきどきと飛び跳ねた。
「い、いいわ。送らせてあげる!」
青白いのに、頬を赤く染めるという芸当をこなしてレミリアは答えた。
カルロはレミリアの微笑ましいツンデレな答えを聞き、レミリアに断ってからその身を抱き上げた。
身長の関係上、カルロの足元に居たのではレミリアに光があたってしまうからだ。
「見苦しい顔が側にあって申し訳ないが、少しの間我慢してくれ」
カルロの言葉に、レミリアは素直に頷きつつも、一言告げた。
「私は、見苦しいとは思わないわ」
レミリアの言葉を聞いて、カルロは笑みを深め、『紅魔館』に向かって歩き出した。
その翌日、お見舞いと称してレミリアがカルロの元を訪れ、カルロの顔に傷をつけた責任を取って、カルロの嫁になると言い出した。
流石に年齢差が吸血鬼といえどもありすぎるし、カルロにそっちの趣味は無い。
よって、カルロはレミリアを傷つけないようにやんわりと断ったのだが、レミリアは引かなかった。
そうして、本気であることを証明すると言い出し、『紅霧異変』が始まったのである。
* *
とりあえず、一言。
「このロリコン!」
「なっ?!」
「ハジメ様、最初に言う言葉がそれですか」
ハジメの非難にカルロが絶句し、紫が呆れる。
「まあ、今回の騒動は子供の可愛い初恋が原因ですから、そう酷いこともしたくないんですよね」
面白いし、と言って紫は笑う。
そして、意中の人であるカルロは憔悴した様子だ。恐らくこの求婚騒ぎは幻想郷中に知れ渡っているのだろう。正に、心中お察しする、という状態だ。
「じゃあ、とりあえず、この霧は喰っても良いんだな」
聞く前から、むしっては食べ、を繰り返しているが、ハジメはとりあえず紫に尋ねた。
「ええ、問題ありません。この霧はレミリアが吸血鬼のカルロと自分が過ごしやすくする為に作り出したものですから。一部の人間を除き、後の人間は耐えられないようですし」
「そうか」
なら遠慮なく、と最初から遠慮などしていないくせに、心にも無い事を言って、ハジメは霧を喰いだす。
むしっては食べ、むしっては食べ、それを繰り返していく度にどんどん霧は薄くなり、太陽の光が幻想郷に降り注ぐ。
そして、カルロが蝙蝠傘をさすころに、それはやってきた。
「誰よ!私の霧を掃ったのは?!」
肩を怒らせて飛んできたのは、レミリアだった。
「さては、あんたね!」
霧をもりもり食べるハジメをレミリアは指差し、怒鳴る。
ま、まずい!!
その場に居たレミリアとハジメ以外は冷や汗をたらす。
「ちょっと、あの子ハジメ様を知らないの?」
「レミリアは最近幻想郷に来たうえに、あまり外部と接触してなかったみたいなのよ」
「カルロ!何で教えてあげなかったのよ?毎日会ってたんでしょう?」
「いや、まさか知らないとは思わなかったんだ。それに、最近周りが煩わしいし、断るのにも疲れてきて……」
レミリアは霧以外に、一体どのような求婚をしたというのだろうか。
ちょっと遠くを見るカルロの煤けた背に、紫と霊夢は引いた。
「ちょっと、あんた、聞いてるの!?」
怒鳴るレミリアが段々煩わしくなってきたハジメは、パチン、と指を鳴らす。
「お呼びですか、ハジメさまぁぁぁぁぁぁ!!」
ものっそい速さで爆走してこちらにやって来るのは、自転車紙芝居屋に扮した黎明である。
ハジメはレミリアを指差し、黎明に告げる。
「紙芝居の客だ」
「お任せください、ハジメ様!私、全身全霊を持ってハジメ様の空腹記を余すことなく伝えます!」
キラッキラしたイイ笑顔で張り切る黎明は、レミリアに向き直り、紙芝居を素早く設置する。
「では、始めます。なお、聞かないと気化させます」
「んなっ?!」
「レミリア、言うことを聞いたほうがいいわ。黎明って、一応神だから強いし、発光体にもなれるのよ」
「ええ?!」
「レミリア、幻想郷で暮らすなら聞いておくべきだ」
「……カルロがそう言うなら」
レミリアは承諾し、紙芝居を見る。
そして、三十分後。
レミリアは今にも気化してしまいそうだった。
そんなバケモノがこの世に居たの?
俄かに信じられなかったが、カルロが堕ちた真祖をハジメが喰ったと言い、とにかくハジメに喧嘩を売るなとしつこく注意され、ようやく信じる気になったのだ。
しかし、そうなると心配なのは妹のフランドールだ。
あの子は気がふれているところがあるから、何をするか分からない。
しかも、ハジメは愉快犯である。
暇つぶしと称して『紅魔館』に乗り込んでくる可能性が大いにあった。
心配なことだらけだわ。
深い溜息を吐くレミリアを可哀想に思ったのか、カルロが優しく頭を撫でてきた。
これだから、諦めきれないのよねぇ。
いっぱしの女のような思考で、レミリアはカルロに撫でられるまま、目を細める。
やっぱり、欲しいなぁ。
そんな事を考えながら、レミリアはとりあえず、この瞬間はこの先の不安を忘れることにしたのだった。
しばらくして霧を食べ終わったハジメが、二人のそんな様子を見て一言。
「このロリコン!」
「なっ?!違います!」
「そうよ、違うわよ。私はもう五百歳だもの!」
「まあ、ある意味では違うわね」
「あえて言うなら、光源氏計画かしら?」
「カルロ。子供に手を出したら神の怒りに触れますからね」
「このロリコン吸血鬼!」
「まあ、見た目だけならロリコンね」
「元気を出して、カルロ。たとえ貴方がロリコンでも、私達はトモダチよ」
「まあ、あと五百年は我慢しなさい」
「カルロ!私はいつでも大丈夫よ!五百年なんて待たなくてもいいわ!むしろ私が待てないわ!子供は何人が良い?私初めてなの、優しくしてね!」
「ちょ、やめなさい、レミリア!レディがそんな事を口にするんじゃありません!!」
「なんだか父親のようね」
「むしろ母親じゃない?」
「神は許しませんよ」
「このロリコンおかん吸血鬼!」
「違ぁぁぁぁぁぁぁぁぁう!!」