第十二話 第一次無限書庫戦争
無限書庫の司書は証言する。
あの忌々しい紙魚が一体何処から入ったのかは分からないが、あの日から確かに無限書庫の司書達の戦いが始まったのだ、と。
* *
昨年から無限書庫の司書を勤める男は、書庫の使いにくさに辟易していた。
「なんで、無限書庫に資料を請求するんだよ……。資料室から探せばいいじゃねえか……」
司書の男、マイク・ローレンスがそうぼやいても仕方がない。
請求された資料を探すのは、砂漠とまではいかずとも、砂浜の中から宝石を一粒探し出すのと同等な程困難なのだ。
無限書庫に収められている膨大な量の書物は、どういう仕掛けかは分からないが、日々その量を増やしていっている。しかも、それが自動なものだから、どの本棚にどの本が新しく加えられたのかなんて分からない。司書が必死になって資料を探し、さあ、次の本棚だ、と思いきや、済んだはずの本棚の内容が変わっていました、なんてザラだ。
時にそんな司書達の悲鳴が響く無限書庫なのだが、資料の請求が後を絶たない。
何故なら、無限書庫内の書物には明確な記述が成されているわけでもないが、嘘が書かれていたことはない。時間がかかってでも正確な資料が欲しいといって、無限書庫に資料の請求がくるのだ。
後を絶たない資料請求に、司書達はいっそ自分の足で調べに行け、と思ってしまう。
一つの資料を見つけるためには、恐ろしく時間がかかる。それこそ、半年、一年はザラだ。
そんなに待てるのなら、その間に自分の足で調べてきたほうが時間を有効活用できそうなものだが。
今日この時、マイクもまた、終わりの見えない作業を悪態をつきながらこなしていた。
そんな、いつもと特に代わり映えのしない日。
彼は出会った。
バリッ。むしゃむしゃ……。
「ん?何だ、この音は……?」
まるで何かを、本をちぎるような、それでいて何かを食べているような音が聞こえた。
よくよく辺りを見回せば、自分が居る所より下、書庫の深部に、人影が見えた。
目を凝らしてみれば、それは十台半ばの紺色の甚平を着た少年だと分かった。
「…誰だ、アレは。見たことの無い顔だな……」
そう呟きながら、少年を観察する。
少年は、無造作に本棚から本を取り出し、腕に抱えていく。
抱える本が十冊位になったとき、それは起こった。
「は?」
思わずマイクの口から間抜けな声がこぼれた。
少年は、腕に抱えていた本を、もりもり喰いだしたのだ。
これが後に、無限書庫の司書達の天敵となる人物とのファーストコンタクトであった。
* *
無限書庫の司書の一人、アニタ・ルーマスは仕事の合間の一服を楽しんでいた。
今日の紅茶はアップルティ。彼女のお気に入りだった。
「ああ、ホント、忙しくて嫌になっちゃう」
溜息と共に呟くも、今こうしている間にも仕事は増えていっているのだ。
「誰か、こういう作業が上手な人が入ってくれないかしら……」
無限書庫はロストロギアで、その解析が為されていれば検索ツールなどを組み込めるのだろうが、残念ながらその仕組みは未だに分かってはいない。その為、司書達は長年の経験と勘で資料を探すしかなかった。
司書達は日々資料請求に追われ、半泣きの状態だ。
けれども、今の状態は昔よりマシな方だと古参の司書は語る。
昔は現在使われている、資料の現在位置をやたらと範囲が広く大雑把ではあるが、それでも絞れる検索ツールが無かったのだ。
その昔、現状に耐え切れず、知恵を引き千切る勢いで振り絞り、現在使われている検索ツール開発した英雄が出るまでは、無限書庫は司書の墓場と呼ばれていたらしい。
それを聞いて以来、司書達の合言葉は、昔よりマシ、になった。
アニタもまた、その言葉を胸に、再び仕事に戻ることにした。
そんな時だった。
――ピー、ガガ……ちょ、やべぇ!まてこら!…あ、放送入ってる。あー、ごほん!
無限書庫では滅多に使われることの無い、館内放送だった。
――緊急事態発生!職員は直ちに管理局に連絡、第六十八層に集合!紙魚が出やがったぁぁぁ!!!
「……ええ?!」
司書達の、長きに渡る戦いの幕開けだった。
* *
ハジメはお腹を空かせていた。
異世界とハジメを繋げるのは少し力が要る作業だった。
道中ロストロギアを喰ったとはいえ、少々足りなかったようだ。
つまみ喰いをする時ほど危機的状態ではないものの、ハラヘリハラヘリと呪文のように繰り返し呟くほどには腹を空かせていた。
そして、やってきた無限書庫。
なんとこの無限書庫。書物の一つ一つが微弱ながらも魔力を帯びていた。
ハジメにとって、ここは『体外』だ。その為、『体内』に居るときのように、一瞬で派手に喰い散らかすことは出来ない。『体外』での食事の仕方は、ハジメの口から摂取することに限られた。
故に、ハジメは無限書庫を一瞬でパクリと食べられない。
ハジメに出来ることといえば、食べやすいサイズに無限書庫を砕くか、書物をもりもり貪る位である。
そして、ハジメは今回後者を選んだ。
ハジメは無限書庫に侵入し、ある程度の深部に達すると、書物を貪り始めた。
「ハラヘリハラヘリ」
もしゃもしゃと、山羊なんて目じゃない喰いっぷりだ。
食べてる途中で司書に見つかってしまったが、ハジメは気にしない。
ハジメの目には、既に食糧しか映っていなかった。
「てめ、何してやがる?!」
司書の男が怒鳴るが、ハジメは新しい本を棚から抜き出し、喰らいつく。
バリッ。むしゃむしゃ…。
「って、それ、俺が探してた本じゃねえかぁぁぁ?!」
司書の悲鳴が響く中、ハジメは本を貪り続ける。
「ちょ、だから、本を喰うなぁぁぁ?!」
司書がハジメを止めようと掴みかかるも、ハジメはひらりとそれを避ける。
司書が追いかけ、ハジメは逃げながら本を拾い、引き抜き、齧りつく。
司書はハジメを追いながら、無限書庫全体の危機と判断し、滅多に使われることの無い館内放送を流す。
――ピー、ガガ……ちょ、やべぇ!まてこら!…あ、放送入ってる。あー、ごほん!
――緊急事態発生!職員は直ちに管理局に連絡、第六十八層に集合!紙魚が出やがったぁぁぁ!!!
そんな放送の中、ハジメの食欲は止まる事を知らず、なおも本を貪る。
次第に追っ手が増えてきているが、ハジメの手は止まらない。
「紙魚って人間の事かよ!殺虫剤持ってきちまったじゃねえか?!」
「いや、人間なのか、アレ。本喰ってるんだけど」
「あああ?!あの本、アタシが探してた……」
「ちょっと待ってよ。もしかすると今まで食べられた中に、探してた本があったかもしれないわけ?」
「ありえるぞ。さっきも俺が探してた本を喰われた」
「……やばくね?」
司書達の間に、痛い沈黙がおりるが、その間にもハジメはもりもり本を喰っている。
「今すぐ、アレを止めろ!」
「武装隊を連れて来い!!」
「むしろ殺せ!」
「冗談じゃないわよ?!」
「これ以上残業が増えたら彼女に振られんじゃねえか?!」
「……彼女?」
「え、オマエ、カノジョ、イタノ?」
「妬ましい妬ましい妬ましい…」
「え、あの、キミタチ。ちょ、マジ、それシャレにならな――」
「彼女持ちには死を!」
「ウラギリモノニハ制裁ヲ!」
「呪呪呪呪呪呪呪…」
「やめ――」
―――アッ?!
男共の嫉妬にまみれた凄惨なる現場を尻目に、強き女達はハジメに対し、対策を考える。
「とりあえず、身動き取れなくするのが先よね」
「あんた、バインド使えるの?」
「ちょっとはね。貴女も使えるのよね?」
「まあね。じゃ、いくわよ」
――チェーンバインド!!
チェーンバインドがハジメを拘束するも、ハジメは気にすることなく本を貪る。バインドがハジメを締め上げようと拘束する力を強くするが、それはハジメの行動を制限しきれず、遂には弾け飛んでしまった。
「嘘でしょ?!」
「ホントに、アレ、人間?」
呆然とする女二人と、呪いの秘密結社の儀式さながらの様子の男達。
彼らの元に次々と応援がよこされたが、遂に武装隊が来ることはなかった。
なんでも、「内勤の皆様にも良い運動の機会が出来たようですね。なに、紙魚程度、犯罪者に比べれば可愛いものでしょう。おおっと、出撃だ。では、頑張ってくださいね」と、嫌味を言われ、拒否されたらしい。
それを聞き、キレた司書達は、今後この部隊の資料請求は一番最後に回すように心に決め、司書総出で紙魚狩りと相成った。
「くぅっ、これしきのことで負けてなるものか!」
「ぐふっ、こんな所で、終わって…たま…る……」
「ああ?!死ぬな、死ぬなジョージィィィィ!!」
「うふふ、私、生きて帰れたら、あいつに素直に好きだって言うんだ」
「うう、きっと大丈夫。生きて帰れます。大丈夫!大丈夫です!」
「しまった、皆、俺の後ろへ!」
「し、司書長ぉぉぉぉ?!」
「おのれ、司書長の仇ぃぃぃ!!」
何やら、悲喜こもごものドラマが展開されているが、ハジメはやっぱり気にしない。
正直、バインドやら、突撃やら、砲撃魔法まで繰り出され、いい加減うっとおしくなったハジメは、とりあえず撫でる程度に反撃し、司書達の意識を刈り取っていく。
そして、それなりにハジメの空腹が収まった頃には、周りは司書達の屍累々。
ハジメはそれを放置して、無限書庫を後にした。
そして、司書達は無限書庫を尋ねてきた某提督に発見されるまでそのままだったという。
その後、ハジメに完敗した司書達は反省会を開き、今後の対策を立て始めた。
ハジメが喰ったと思われる本の数は数十冊。
何たる屈辱。
もう、こんな事は無いんじゃない、という声は不思議と上がらず、彼等はその時に備えた。
そして、それは正しかったことを彼等は数ヵ月後に体感する。
こうして、ハジメこと、次元犯罪者『紙魚』との長きに渡る戦いの火蓋は切って落とされたのであった。
そして、数年後。
ユーノが無限書庫に就職するころには、ハジメとの熾烈なる戦いを生き抜いた司書という名の猛者達は、一人一人がとんでもない実力を持つようになる。
なのはがエースオブエースとして名を馳せる頃には、武装隊を片手で捻るような魔窟と化すのは、どうでも良い余談である。