第七話 苦行
四つ目のジュエルシードを無事に封印したその翌日。なのはは数日前に出会った少年の事を考えていた。
あの人は一体何者なんだろう?
突然現れて、ジュエルシードを簡単に回収し、それを食べてしまった。そして、瞬間移動みたいに、目の前から消えてしまった人。
ユーノ君は魔方陣が出なかったから、魔法使いじゃないかもしれない、って言ってたけど……。
魔法使いじゃなかったら、一体何だというのだろうか。魔法使い以外でそんな事が可能とは思えない。
本当に、何者なんだろう。
ぼんやりと、そんな事を考えていたなのはは、なのはの体調を心配したユーノに休暇をすすめられ、父がオーナー兼コーチを勤めるサッカーチーム『翠屋JFC』の応援に行くことになった。
* *
さて。そんな、なのはのお探しの人物ハジメだが……。
――ガリガリガリ。
眉間にしわを寄せながら、コップの中の氷を噛み砕いていた。
嗚呼!まさか、ただ待つだけというのが、こんなにも苦しいだけだなんて!
そうやって苛立つハジメが居るのは、なんと『翠屋』の店内であった。
先日なのは達と会い、傍観を決めたハジメだったが、いざそれを始めると、それがとんでもない苦行となっていた。
なのは達がジュエルシードを封印するたびに感知される強い力。それは、ハジメの空腹を実によく刺激してくれるのだ。
くぅぅ。ご馳走が目の前にあるのに、喰えないこのもどかしさ!
増す苛立ちと共にハジメが氷を噛み砕く速度が速くなる。
――ガリ、ガガガガガガ。
もはや何処の工事現場だと言わんばかりの音だ。
だが、そんなハジメを気にする様な人物は現在店内には居なかった。
――はふぅ。
ハジメが入店して、何度目かの桃色な吐息が漏れた。
現在『翠屋』店内は、女性達の熱い眼差しによる桃色空間となっている。
原因はハジメの目の前に座る男、絶世の美貌を持つ神族、黎明である。
今回、黎明は人間界用に、何処のモデルだとでも言いたくなるようなスタイリッシュな格好をしており、女性達の視線を集めている。
そして、黎明に視線を向けているのは女性達だけではなかった。
女性達の連れと思われる男性達からも、殺気の篭った視線を集めていたのである。まあ、黎明はちっとも気にしていないようだが。
「ハジメ様。そろそろお時間ではないでしょうか?」
「ああ……」
そろそろ、なのはが帰ってくる時間だ。
ハジメと黎明は会計を済まし、店を出て行く。
さっさと店を出るハジメに対し、黎明は店内を振り返り、一つ微笑んでから店を出た。
その後、黄色い悲鳴と殺気の篭ったどす黒いオーラが店内に溢れたという。
* *
なのは達は『翠屋JFC』の勝利を祝い、『翠屋』で食事会を開いた。
アリサ達にユーノが普通のフェレットとは違うと突っ込まれたが、それをどうにか誤魔化したなのは達は安堵の溜息をついた。
その時だった。
(あれ?今の感じって……)
なのはが視線を向けた先に居たのは、マネージャーの少女に駆け寄っていくキーパーの少年の姿。
「気のせい、だよね?」
魔法の、ジュエルシードの気配らしきものを感じたのだが、なのはは二人をそのまま見送った。
見送ってしまったのだった。
* *
さて、ハジメが『翠屋』を出て移動した先は、街中にある甘味屋である。
つまり甘味屋のハシゴをしたわけであるが、この店でも黎明は視線を集めていた。
女性達から桃色の熱視線を。
男性達からどす黒い殺気の篭った視線を。
そして、何故か一部の男性から桃色の灼熱の視線を。
黎明は鳥肌を立てながら、そ知らぬふりで紅茶を飲んでいる。
そんな黎明のことなど委細構わず、ハジメはその店のチャレンジメニュー『ビッグパフェ・FUJIYAMA』の攻略にかかっていた。
ふ。この程度で俺を圧倒出来る筈がないだろう。
意気込みも新たに、ハジメはスプーンを振りかざし、アイスの山につきたてた。
そんな、物凄い勢いでパフェをかっ喰らうハジメと、鳥肌を立てる黎明を悲劇が襲うのは、その数分後のことである。
* *
なのは達がジュエルシードの反応に気付き現場に向かったときには、すでに街は巨大樹木に侵食され、酷い状態になっていた。
すぐにジュエルシードを回収しようとしたなのはだったが、次の瞬間、巨大樹木は消滅し、輝くジュエルシードと、核となった二人、マネージャーの少女とゴールキーパーの少年が姿を現した。
巨大樹木が突然消えた事に驚くなのは達の目に、ジュエルシードに近付く一つの人影が映った。
「あ、あの人は…!」
なのは達の前に現れたのは、神社で出会った少年だった。
* *
それが起きたのは、ハジメがビッグパフェの最後の一口を食べようとした瞬間であった。
壁を突き破り、植物の根が生えてきたのである。
その根は勢いよく伸び、ハジメの持つスプーンを弾き飛ばした。
宙を舞うスプーン。
高く飛び上がったアイス。
青ざめる黎明。
ベチャリ。
悲しい音を立てて、アイスは地面に着地した。
恐怖のあまり小刻みに震えながらも、懸命に言葉を紡ごうとする黎明の前で、ハジメは痛ましい姿をした最後の一口をしばし見つめ、呟いた。
「マルカジリ」
そう呟いた瞬間、巨大樹木は消滅し、核となった二人と、ジュエルシードが姿を現す。
ハジメはゆっくりと歩き出した。
ジュエルシードが、まるで怯えるように輝きを増すが、残念ながら軽々とハジメの手に収まってしまった。
暗い目でハジメは手の中のジュエルシード見つめる。少々力を込めすぎて、ミシミシいっているが気にしない。ヒビが入ったとしても、どうせ今からする事には関係がないのだから。
「マルカジリ」
――ガリン。ガリガリガリ。ガガガガガ。ゾーリゾーリ。ごっくん。
躊躇い無くハジメはジュエルシードを齧り、噛み砕き、すり潰し、咀嚼した。
そして、晴れやかな顔をしたハジメは、青白い顔色で、両手に某有名な高いカップアイスを大量に抱えた黎明を回収し、現場を後にしたのであった。
* *
事件の後、なのはは夕暮れの中、ひとり落ち込んでいた。
割れた大地に、壊れかけた街。赤いサイレン。誰かの泣き声。
それらは全て、なのはが阻止できたかもしれない事なのだ。
なのはは決意する。
「自分の精一杯」ではなく、本当の全力でジュエルシードを集めることを。二度と、こんな事を起こさない事を。
決意を新たにしたなのはは、再び現れた少年のことを思い出す。
ジュエルシードの暴走をいとも簡単に押さえ込み、食べてしまった少年。
一体何者なのだろうか。
次に会ったら、お話ししてみよう。
なのははもう一つ決意を固め、オレンジ色の空を見上げたのだった。
* *
その頃、『箱庭』では。
「黎明、まだかー?」
「もう少々お待ちください」
まさか『OHANASHI』フラグが立っているなど露知らず、ハジメは某有名アイスを使った黎明作『ビックパフェ・リターン』を喰わんとスプーンを片手に卓袱台の前で行儀良く座っていたのだった。
「ハヤクシナイト オマエゴト マルカジリ」
「ひぃぃぃ?!」