まだまだ厳しい寒さの続くハガルの月。
あらかた誘拐事件のゴタゴタも片付いてきた、ヘイムダルの週の虚無の曜日。
私とロッテは、珍しく二人揃って、ケルンの市街へ買い出しに出かけていた。
「あ~、すっげぇ寒いわぁ。……さっさと済ませて帰りましょうか」
本日は晴天、とは言え、風が異常に冷たいせいか、休みの日だというのにメインストリートはそれほど混んでいなかった。
これならば、すぐに用事を終わらせてしまうことも可能だろう。
「いや、それは駄目じゃ」
「はぁ?」
「劇場で新演目が公演されておってな。ほれ、劇の作家が交代したじゃろ?これが中々に評判がいいようでの。これを見ずに帰るなどあり得んわ」
「私はパス。お金と時間の浪費よ、そんなもの」
「はぁ、主は芸術を愛でる美しい心を失ってしまったのじゃなぁ……。その年で金の亡者とは哀れなヤツよ」
道端で干からびた蛙の死骸を見るような目で私を見るロッテ。
ふ、私がそんな安い挑発に乗るとでも思っているのかい?
「別にあんたが行くのは止めないわよ?一人で行ってきたらいいじゃない」
「……それが、一人はちょっと、のう」
「何でよ」
「いや……その演目が、“イーヴァルディの勇者”での」
「丸っきり子供向けの演目じゃないの」
「んむ。だからの、主もきっと楽しめると思うのじゃ」
「なるほどぉ?お子様向けの劇を一人で見に行くのは気恥ずかしいから、私の付き添いという形にしたいわけだ」
「うぐ」
図星を突かれて悔しげな表情を見せるロッテ。
“イーヴァルディの勇者”は、ハルケギニアの桃太郎のようなもの。
幼子の寝物語に聞かせるような御伽話なのだ。いい年してその劇を見に行くのは確かに恥ずかしいだろう。
それにしてもどこまで人間臭いんだ、こいつは。
「のぅ、一回だけ、一回だけ付き合ってくれればいいのじゃ」
「だから一人で行きなさいって」
「おっ、“5000エキューの美貌姉妹”じゃないか」
意図を見抜かれても、なお食い下がるロッテをいなしながら歩いていると、店先でフリカデルを焼いていた肉屋の店主が、ちょっと黄ばんだ歯を見せて声を掛けてきた。
“5000エキューの美貌姉妹”と言うのは、誘拐事件以来の、私達の通り名のようなもの(ケルン限定だけど)。
ロッテの美貌にちなんでつけられたものだろうが、私まで美人なような気分になれるので、ちょっと気に入っていたりする。
あの事件の後、1週間くらいは仕事そっちのけで、ケルン中の小さな個人商店から大きな商会までをくまなく訪ね、迷惑を掛けたお詫びをして回ったこともあり、私達はケルンではちょっとした有名人になっているのだ。
あまり有名になるのも考えものなのだけれど(吸血鬼的な意味で)、商人としては、顔が売れるのは悪い事ではないだろう。
ま、怪我の功名ってヤツだね。
ただ、ロッテが凄腕のメイジ殺しであるという情報(嘘)はあの場に居た5人以外には秘密という事にし、ツェルプストー伯が単独で事件を解決した、という事になった。
これは私の提案。下手にロッテの強さが知れ渡ると厄介な事になる。
吸血鬼だという事がバレなかったとしても、荒事に巻き込まれる事は避けられまいという事で、そのように取り計らってくれるように辺境伯にお願いしたのだった。
「こんにちは」
「どうだい、寄って行かないかい?安くしとくよ」
「うぅ~ん」
フリカデルの焼ける香ばしい匂いが私を誘惑する。
あ、フリカデルと言うのは、馬肉をミンチにしたものに小麦粉のツナギを合わせて、それを丸めて焼くという、ゲルマニアの名物料理。
美味いんだよ、これ。
「おぉ、焼き立てか。暖まれそうじゃの。買おう、すぐ買おうぞ」
ロッテは涎を垂らさんばかりの物欲しげな表情で催促する。
姉妹共有の財布の紐を握っているのは私の方なのだ。
「……いくらですか?」
「おうっ、1個6スゥだぜ」
「ちょっと、キツイわね。2つ買うから、もう少しオマケしてくれません?」
「そう言うと思ったよ……2つで11でどうだ?」
「もう一声下げて10で」
「しゃあねえ、色々と大変なんだろうし、これくらいは協力してやらねえとな」
「ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げてヴァン・スウ銀貨(20スゥ銀貨)を手渡し、アツアツの包みを2つ受け取る。
色々と大変、とは、私に借金ができてしまった、という事を指している。
まぁ、実はそれほど大変な額ではないのだけれども。
何故、私が若い美空で借金を背負ってしまったのかと言うと、その原因は、辺境伯が商人の情報網を活用するためのカンフル剤として使った、ガリア産の高級宝飾細工一式である。
その代金、5000エキューがカシミール商会に請求された時は、私の目の前は真っ暗になり、その場でぱたん、と気を失った。
ちと恥ずかしいが、それも仕方のない事だと思う。5000エキューとか、私が何年働けば返せるんだ。というか、下働きじゃ一生返せないっての。
そうなったら独立どころではなく、賤民に逆戻りではないか。
実は5000エキューでもかなり割り引いてくれた方らしいけども。何せ、競売にかければ、トリを飾る事もあって、その2割、3割増しに釣り上がってもおかしくはなかったらしいから。
さて、それで結局どうやって底辺に逆戻りする事を免れたのかと言うと。
商会に属する支店同士には、“損害分散”という制度が存在する。
これは一体どういう制度かというと、ある一つの店が“どうにもならない理由で”大きな損害をカブった場合、商会に属する他の店にも損害をノんでもらい、大きなリスクを回避する、というもの。
天災や事故の度に、支店が一つ減ったりしてしまっては、商会全体の利益を保っていくことは難しい。
そんなリスクを避けるために考え出された制度が“損害分散”なのだ。
ただ、それは飽くまで“どうにもならない理由”に限られ、買付の失敗などの経営上のミスや、不注意による物品の破損などの人的ミスには用いられることはない。
今回はそれが即時に適用された最も大きな理由は、カシミール商店の親分である、フッガー家の三男、フーゴが一緒に誘拐されていた事が大きい。
フッガー家の一員を助けるために仕方なく被った損害、として、商会全体で損害をノむ事が承諾されたのだ。
それを親方から聞いた時、貴族の坊ちゃんに下働きをさせている事を実家にばらしてしまって大丈夫なの?という疑問が湧いた。
当然の疑問だろう。平民が貴族の息子を扱き使っている、などと知られれば、フツーはかなりヤバイ。
その疑問を親方にそれとなくぶつけてみると、フーゴがカシミール商店で下働きしている事はフッガー家の方では最初から把握済み、とこっそり教えてくれた。
何でも、将来のための勉強になるから、なるべく厳しく躾けてやってくれ、と頼まれているらしい。
ただ、夫人、つまりフーゴの実母だけは、その事に納得していないらしいのだが……。
きっと私のアレとは違って、子煩悩な母親なんだろうなあ。
フーゴとしては家を飛び出して、好き勝手にやっているつもりらしいが、実はお釈迦様の掌の上のお猿さんって所ね。
ま、とにかく、その制度によって、ゲルマニア国内外に存在する、フッガー商会の資本の入った10の店舗に損害をノんでもらって、実際にカシミール商店で払うのは500エキューとなった。
そのうち、「半分は俺の監督責任だ」と親方が半分を負担し、残り250エキューをフーゴと私で2等分し、私の借金は125エキューとなったわけだ。
これくらいならば、独立資金が少し増えてしまったと考えれば問題ない。
色々と手を回してくれた親方にマジ感謝です。
ちなみに、5000エキュー相当のお宝を手に入れたのは、血眼になって情報をかき集めていた一線級の商人達ではなく、ケルンの北のはずれで生活雑貨の小売店を細々と営んでいた老夫婦だった。
何でも、老夫婦が日課の散歩をしていた所、偶然にも人相の悪い大男がぐったりとした子供二人を抱えて北の森へ入って行くのを目撃し、これは大変だ、と役人に報告しに来たらしい。
目撃情報に与えられる報償など一切知らなかったそうで、訳も分からず手渡されたその報償の価値を聞くや否や、二人揃って泡を噴いて卒倒したそうだ。
まさに無欲の勝利、と言ったところだろうか。う~ん、無欲、なんてのは私には到底無理な境地だなぁ。
「んむ、美味いの」
「はぁ、結局誘惑に抗えなかったわ……」
ケルンのメインストリートを二人並んで歩きながら、フリカデルをはぐはぐ、と行儀悪く貪る私達。
心なしか道行く人達の好奇の視線を感じるが、まぁ、こういうのもたまにはいいだろう。
「これ、食べ終わったら劇場じゃぞ」
「まだ、言ってるわけ?ま、私ももう少し大人向けの演目なら付き合ってあげてもいいんだけどさ。どうせあんたが稼いだお金だしねぇ」
「なんと、濡れ場がなければ駄目と申すか、このマセ餓鬼め」
「誰もそこに限定はしていないんだけど……」
大人向け=エロという思考が、もう、人として(吸血鬼だとしても)駄目だと思うよ?
「そうじゃ、濡れ場で思い出した」
「何よ?」
「主、まさかとは思うが、あの小坊主とイイ仲になっていたりはせんじゃろうな?」
ぶっ。いきなり何を言うかと思えば。鼻から咀嚼中のモノが少し出てきたじゃないか……。
「念のため確認しておくが、男と付き合うのは契約違反じゃからの?」
ムカツクにやけ面をしながら私を覗きこむロッテ。
なるほど、私をからかって遊ぼうという算段か。そうはいくか。
「ご心配頂いてありがとう、姉様。でも私、そのような浮いた話には一切興味がございませんの。ごめんあそばせ」
「ち、何じゃつまらん」
「あんたこそ、辺境伯に迫られているって噂じゃない。この前スカロンさんに聞いたわよ?」
「たわけ。妾が人間と付き合う訳がなかろうが。阿呆か」
「ですよね……」
「そもそも、妾のタイプから大きく外れておるしな、あやつは。妾は無口でニヒルな男が好きなんじゃ」
「え、それ初耳」
意外だ。
あれだけ男に追わせといて、実は男を追うタイプとは。これは追っている男達、涙目の事実だわ。
「まぁ、あやつは話も上手いし、金払いもいいから、店では中々の人気者になっておるがな。……しかし、あれだけの頻繁に店に顔を出すとは、よほど暇なんじゃろうなぁ」
「いや、どう考えても暇なんてないはずだけれど……」
私の脳裏にあの執事さんが枕を濡らしている図が浮かんだ。
ツェルプストー家に仕えるのは凄まじく大変そうだなあ。
「しかし、やはり貴族という身分はお得じゃの。お主も早く貴族になって妾に楽をさせてくれ」
「いや、別に私は貴族にまでなる気はないんだけど」
「何を言っておる。成り上がると言ったからには、一国の主くらいにはなってみせい」
「そんな無茶な……」
簡単に言ってくれるわね……。
確かに、ここゲルマニアでは他国と違い、平民が貴族になる事は少なからずあるし、私にも将来的にその可能性がないわけではない。はず。
ただ、フッガー家のように、爵位と領地を得た平民はゲルマニアの歴史を紐解いても、片手で数えられるほどしかいないと聞いている。
ロッテが言う「貴族」とは、こういう上級貴族の事を指しているんだろうね。
それは無理、とは言わないけれど、かなり厳しいと思います、お姉様。
平民が貴族になるパターンで、最も多いケースは、貴族という肩書だけを国から買い受けるというもの。
その場合、爵位無しの平貴族という扱いになる。
戦功によって得られるシュバリエ(叙勲士)などとは違い、貴族年金などは一切出ない。
貴族の位を得たからと言って、ぽっと出の平貴族では社交界にデビューも出来ないし、お金が入るわけでもない。ましてや魔法が使えるようになるわけはない。
こんな阿呆臭いものを、大金を叩いてまで買う価値があるのか、と思うのだが、富豪として有名になると、国の方から貴族になれ、と打診してくるらしい。
つまり、国としては、「あなたは貴族です」と言ってやるだけで、平民の富豪達から大量の収入をせしめることができるボロい商売なのだ。
さすがにお上に貴族に成れ、と言われて断る訳にもいかない。中々にエゲつない制度である。
これって、何て“サムライ商法”?という感じだが、ま、名前だけでも貴族になれる事を有難がる人もいるので、一慨に悪徳だ、とも言えないだろう。
「貴族と言えばさ、あんたってお仲間の内ではやんごとなきお方なんだっけ?」
「その事には触れるな、と言ったはずじゃが?」
うぅん、この話の流れならポロっとこぼすかと思ったけど駄目か。
お互いに隠し事はしないという約束はしたが、ロッテにはあまり触れられたくない所があるらしく、昔の事に関してはあまり聞くな、と釘を刺されていた。
でもちょっとくらいいと思うのよ。ね、ちょっとくらい。
だって吸血鬼の世界とか、どうなっているのか興味が湧くでしょ、普通。
「だって、気になるし……」
「そう言う主だって、正体を明かしておらんではないか。主は何かと言えば“東方”と言っておるが、それ、嘘臭いぞ?妾の目は誤魔化せんからの」
「……う」
そう、私もまだそれについては話してはいなかった。
実はロッテには『僕』の事を話してもしまってもそれほど問題はないと踏んでいるんだけどね。何て言っても吸血鬼ですから。
私が『僕』の事を隠している理由は、“異端”とされる事が怖いからであって、そうなる危険がない相手なら、別に隠すような事でもない。
ただ……。変人認定をされる覚悟がいるのよね……。
もし誰かに「前世の記憶があるの」と打ち明けられたとしたら、普通の人はどういう対応をするのだろう。
「君、頭大丈夫?」「いい医者を紹介するよ?」「天然とか流行んねぇから」「私、そういうのはちょっと……」「実は私も。前世では王子様に守られるお姫様だったの」
うわあ……。言いたくねえ。
いや、もしかした下らん嘘を吐くな、とブチ切れられて散々な目に合わされるかも……。
「こ、この話はお終いっ!気分直しに“イーヴァルディの勇者”でも見に行きましょ?」
「む、逃げたか」
「ほ、ほら、早くしないと私の気が変わっちゃうわよ?」
「よし、すぐ行くぞ」
「あででっ、ちょっと、耳引っ張らないでっ!痛いっ、痛いってばぁ」
ずるずるとロッテに引き摺られて劇場に向かう私。
あぁ、耳も痛いけれど、街の人達の視線が一番痛いよ……。
その時、私は、その視線の中に、好奇のものではない、敵意のものが混じっている事に気付けなかった。
「あれが、今回の事件の原因になった、という平民、かしら……?」
物陰からじゃれ合う姉妹の様子を見ていた、小さな女の子が、小鳥のさえずるような声で呟く。
「はい。連絡員の報告によると、あの娘に間違いありません」
その連れ合いらしき、メイドの姿をしたゴリラ、失敬、たくましい女性が憎々しげに眉間に皺を作ってそれに答える。
「そう。ふふ、見てなさい。笑っていられるのも今のうち。きちんと責任は取って貰いますわよ……」
幼女は姉妹を見つめる目に炎を宿しながら、固く握った拳をぷるぷると震わせた。
事件の火消しはもう済んだ、と思っていた。
しかし、それは、私が関知しない所にまで飛び火し、ぼうぼうと燃え盛っていたのだった。
*
そして翌日。
カシミール商店はいつもどおりの営業だ。
「それでは、良い旅を」
「あいよ、行ってくらぁ」
行商人や連絡員達の荷を造って笑顔で送り出す。これもまた、見習い業務の一つである。
「くぁ」
そうして午前中の作業が全て終わった所で、昨日の疲れを残した私は大口を開けて欠伸をする。
「アリアちゃん、この間まで大変だったんだから、あまり無理はしないでいいよ。ツラいんだったら午後は早退してもいいからね?」
そんな私を見てエンリコが声を掛けてきた。
さすがエンリコ。気遣いができる大人の男だ。
言い寄る娘は相当な数がいるらしいが、修行中だから、と全てお断りしているらしい。
そういう真面目な所もモテる一つの要因なんだろうけどね。
いや、ただ鈍いだけ、という噂もあるんだけど。
「ありがとうございます。でも、ただの遊び疲れですから。大丈夫ですよ」
「へぇ、アリアちゃんが遊び疲れなんて珍しいね」
「実は昨日、姉に散々連れ回されまして……」
劇場で芝居を見終わってからも、あれやこれやとロッテに付き合わされたのだ。
結局、昨日、部屋に帰ったのは完全に暗くなってからだった。
自分は夕方からの仕事だと思って、いい気なものである。
「あぁ、あの美人のお姉さん。噂によると辺境伯と熱愛中って話だけど、それって本当なの?」
「話が飛躍しまくってますよ、それ。実際は酒場の客として顔を出しているってだけみたいです」
「なんだ、やっぱり噂は所詮噂かぁ。さすがに辺境伯ともあろうお方が、平民とそういう関係にはならないよね。“5000エキューの美貌姉妹”ならもしかして、と思ったんだけど」
いや、多分なりますよ、あの人は。クリスティアン・アウグストはヤりますよ。
身分制度に比較的ルーズなゲルマニア貴族の中でも特異中の特異点でしょ、あの人。
しかし、この街は噂が巡るのが早いわ。尾ひれがつくのもまた早い。
商人の街だから情報の流通がいいのかもね。
「おい、ちんちくりん。作業台の鋏、きちんと片づけとけよ。出しっぱなしだったぞ」
そうしてエンリコと楽しく談笑していると、仏頂面のフーゴがそこに割り込んできた。
何でこいつ、こんなに不機嫌なのよ……。
何か、あの事件の後、フーゴは今までにも増して、私を目の敵にしているような気がする。
う~ん、あの事件で、少しは仲良くなったかと思ったんだけど。やっぱり、巻きこんじゃったのを怒っているのかねえ。あの後、フーゴも一緒に挨拶回りさせられてたし。
「今日、私、検反なんてしてないわよ。変な言いがかりは止めてよね」
「あ、それ、僕だ。ごめん、片づけてくるよ」
検反作業とは、入ってきた布地や絹地、皮革などに、売り物に成らないような不良部分がないかどうかを調べ、あった場合はその部分を切り落としてしまうという作業だ。
非常にちまちまとした作業で、精神的苦痛が伴うため、私はあまり好きではない。
そういう作業はギーナとゴーロの領分だ。あの双子って不器用そうに見えて、手先がめっちゃ器用なのよね。
と言う事で、多分、犯人はエンリコじゃなくて双子のどっちかだと思うけど、喧嘩にならないように自分のせいにしてくれたんだろう。
まったく、いい人過ぎるぜ、エンリコさん。
「あぁ、行っちゃった。あんたが変な事言うから……」
「……何だよ、そんな残念そうな顔しやがって。お前ってさ、も、もしかして、エンリコさんみたいな人が好きなのか?」
ちらりと気まずそうに横目でこちらを窺うフーゴ。
「はぁ、何言ってんの?まぁ、あんたみたいな捻くれ者よりはエンリコさんの方が女にはモテるでしょうよ。気が利く上に美形だしねぇ」
「お、俺だって結構」
フーゴは自分の顔を指して言う。何だ、俺だってイケてるじゃねーか、とでも言いたいのか。
そういう事を自分で言うから駄目なんだよ、あんたは……。
「あんたの場合、顔は良くても性格が駄目だって言ってんの。ま、女にモテたかったら、まずは優しくすることを心掛けなさいな」
「うぐ、ぐ……。このちんちくりんめ、偉そうに」
「お、久々にやるかい?」
「へっ、望む所よ」
いつものように龍虎、いや言いすぎた。犬猿の如くフーゴと対峙する。
ごんごん。
さあ、第一ラウンド開始か、という所で、正門のノッカーを激しく叩く音が聞こえた。
「ありゃ、おかしいわね。午前中はもう終わり、って札出してるのに」
カシミール商店では、昼の休憩時には、正門は締めてしまう事になっている。
そうしないと、こちらの休憩時間などお構いなしに客がやって来てしまうので、休憩にならないのだ。
さすがに門を締めておくと、時間を改めてくれることがほとんどだ。
たまに、こういうせっかちな人もいるんだけどね。
「まったく……空気読めよ……。はいはい、今開けますよ、っと」
いそいそと不満そうにフーゴが正門に走る。
「げ……っ」
しかし、格子状になっている門の手前まで行ったところでフーゴは蛇に睨まれた蛙のように立ち竦んだ。
「こっ、ここここ」
目を剥いて固まったフーゴは、締めた鶏のような声で鳴く。
「…………?」
不審に思い、門の外を見ると。
私と同じか、少し低いくらいの背丈の幼女と、メイドの格好をした、やたらとごつい体つきの若い女が立っていた。
女の子の方はマントを羽織り、背丈に不似合いな長いステッキを持っている事から、どうやら貴族のようだが……。
「何よ、あの人達ってあんたの知り合い?」
「いや……知らない。見たこともない人達だ。……う、俺、頭痛いから……今日、早退するわ」
そう言って、そそくさと帰り支度を始めるフーゴ。
「変ねえ……今日って、商人以外の来客予定なんてあったっけ?」
「ないっ。だからあれは無視しようぜ。どうせタカリに来た役人かなんかだよ」
「それはないでしょうよ、このケルンで……」
ケルン、というかゲルマニアの殆どで、商人に対する不当な税の取り立てが行われる事はまずない。
ゲルマニアで商人を敵に回しては生きていけない、と言われている程、商人の力が強いのだ。
上級貴族と繋がりのある商人も多いし、中には多数のメイジを用心棒にしている大商人まで存在する。
そして何よりも組合(アルテ)の横の繋がりが強い。アルテは大きな家《ファミリー》である、と定義されているのだ。
例え小さな商店が相手であろうと、木端役人なんぞが舐めた真似をしたら、次の日には、ライン川に物言わぬ躯として浮かぶハメになるだろう。
まぁ、組合組織が脆弱なトリステインあたりでは割とよくある話らしいけど……。
「あぁ、もうじれったい!ヘンネ!」
いつまでも開かない扉に業を煮やしたのか、外の幼女は従者に命令を下す。
え、何をする気だ?
「はい。お任せ下さい」
ヘンネと呼ばれたガテン系メイドはその命令に太い首を縦に振ると、おもむろにゴツイ南京錠に手を掛ける。
「むんっ」
ヘンネが気合を入れると、替えたばかりの頑丈な南京錠がべきっ、と音を立ててひん曲がった。
ちょ、握力だけで……。この従者、本当に人間か?
というか、あの幼女、メイジなら壊さずに【解錠】《アン・ロック》使いなさいよ……。
あ、幼女だから格好だけで、まだ魔法は使えないのか。
「さぁ、前進よっ、障害は全てたたき壊しなさいっ!」
「はっ、了解しました!」
幼女の命令通り、ヘンネは門を力づくでこじ開けようとする。
正門は内から掛けた鍵も開けなくては開かない、という二重のロックになっているのだ。
「いっ、今!今、開けますからちょっと待って……」
それをも無視して逃げようとするフーゴを尻目に、私は慌てて正門に駆けより、鍵を開けた。
このまま正門まで破壊されては、親方から大目玉をくらってしまう。
「開きました」
「御苦労様」
鍵を開けると同時になだれ込むようにヘンネが店に入り、その後に我が物顔で、悠々と店に侵入する幼女。
「ふん、まったく。さっさと開けなさいよ、鈍間な娘だこと」
汚いモノを見るような目で私を見下ろす幼女。
いや、背伸びしても見下ろせていないけどね。
「あ、えっと……あの、誠に申し訳ありません」
「そんなにことだから吸血鬼などにかどわかされるのですわ」
「へぇぁ?」
私の事を知っている?
一体、誰なんだ、この偉そうな幼女は。
「ま、貴女の事は後回しでいいとして……。フーゴちゃ、いえ、フーゴはどこかしら?」
「フーゴ、ですか?はぁ、それならそこに……アレ?」
フーゴの姿は忽然と消えていた。何と逃げ足の速い奴だ。
それにしても、やはりこの幼女とフーゴは知り合いのようだ。幼馴染とか?
「どこにもいないじゃないの」
「いえ、さっきまではそこに……居たんですけど」
「はぁ、もういいわ。本当、使えない娘ね。とうとうカシミールも耄碌したのかしらね。こんな出来損ないを雇っているだなんて」
「…………ぅ」
幼女はこちらを見ることもなく、ぽこぽこと、馬鹿にしたように、手に持ったステッキで私の頭を叩く。
私は「このくそがきっ!」と、思わず出そうになる手を理性で必死に押さえていた。
ぐっ、私の右手よっ、鎮まれ……っ!
「店の者、全員集まれぇっ!」
私が必死に右手と戦っていると、ヘンネが大声を出して勝手に召集を掛け始めた。
いや、何やってんだよ、部外者だろ、あんたら……。
あれ?でもさっき親方の事を知っているようだったし、丸っきりの部外者ではないのか?
何事か、とすでに食堂の方に行っていたエンリコや双子が顔を出し、駆け足でこちらに向かって来る。
「……何事?」「……食事中、迷惑」
「それが、この方達がいきなり……」
ギーナとゴーロは食事を邪魔されたのがよほど不満なのか、珍しく不機嫌とはっきりと分かる顔で文句を言う。
「店の者はこれだけ?」
「主人や、正規の従業員はここにはおりません。しかし、失礼ですが貴女方はどちら様でしょう?もし、部外者であれば即刻立ち去っていただきたい」
エンリコは幼女の高飛車な態度にも、物怖じした様子もなく、毅然とした態度で言う。
いいぞエンリコ、かっこいい!どこかの逃げた男に見せてやりたいものだ。
「貴様、ヴェルヘルミーナ様に向かってなんたる無礼──」
その態度がカンに障ったのか、ヘンネが身を乗り出して声を荒げる。
ヴェルヘルミーナって、また、長ったらしい名前ねえ。
「よしなさい。久しぶりにフーゴの顔が見れると思って、私も少々、舞い上がっていたようです。名乗りもしなければわからなくて当然よ。ここはアウグスブルグではないのだから」
「は、出過ぎた真似を致しました……」
幼女が窘めると、ヘンネは肩を落としてすごすごと引き下がる。
それにしても、アウグスブルグ……?まさか。
「カシミール商店の皆さん、失礼を致しましたわ。私は、ヴェルヘルミーナ・アルマ・フォン・プットシュテット・フッガーと申します」
「ふ、フッガー?……と言う事は、もしかして……フーゴの妹さんっ?!」
言った後で、私はしまった、と口を押さえた。
フーゴが貴族な事は内緒だったのだ。
ごめん……フーゴ。……やっちゃった。やっちまったよぉっ!
「え、どういう事?アリアちゃん」
「……フーゴが」「……フッガー家?」
エンリコと双子は怪訝な顔で私に問う。
「えぇっと、それは──」
「本当に、失礼な小娘だ事っ!どうやったら私がそんなに幼く見えるのかしら?!」
私がしどろもどろになっていたところで、突然ヴェルヘルミーナがヒステリーを起こし始めた。
どうやら年を若く見られた事を怒っているらしい。ふむ、子供の時にはよくありがちな大人になりたい願望というやつかな。
「あの……すいません、もしかしてお姉様でしたか?」
「きぃいっ!この小娘っ!もう許さないわっ!私は今年で33歳!フッガー家正室にして、フーゴの“母”よっ!」
顔を茹でダコのように真っ赤にしてステッキを振り回すヴェルヘルミーナ。
「おっ、奥様!お気を確かにっ」
ヘンネはそんなヴェルヘルミーナをひょい、と持ちあげて制止する。
その姿はどう見ても駄々っ子をあやしているようにしか見えない。
(ひょっとして、これはギャグで言っているのか?)
反応に困った見習い達は、只々、遠い目をして立ちつくすのであった。
つづけ