悪い事をしたら天罰が下る。
母に言われた言葉だ。
神様はいつも空から自分たちの事を見ていて、悪い事をする人間には罰を与えると。
幼い頭ではまだ善悪の判断が出来なくて、「悪い事ってなに?」と尋ねたら、人を悲しませる事だと母は言った。
悲しませる事は悪い事。
じゃあ、自分をいつも一人にする母も悪い人なのだろうか。
自分を一人にして寂しく、悲しく、惨めな思いをさせる母は悪い人で、いつか神様からの天罰が下るのだろうか。
そう考えると堪らないほど怖くなって、母に抱きつき叫んだ。
悲しくない。悲しくない。独りだって平気だ。悲しくない。
僕は、悲しくない。
春という季節は人々に新たな世界の幕開けを予感させる。
身の回りのほとんどが新たに入れ替わる事もざらで、例えばクラス替えなどがそれに当たる。
新しい学年、新しい教室、新しい担任、新しいクラスメイト。
これから学んでいく勉強ですら新鮮に感じるのだろう。
しかし、柔沢ジュウはむしろ億劫さを感じていた。
自分にとって新しい環境は面倒事の塊だ。
元よりジュウは、交友関係が皆無なため、入れ替わったクラスメイトなどの名前を覚えるのも面倒である。
クラスメイト達もジュウに対して何ら接触してこようとはしない。
それも当然のことである。
髪を金に染め上げ、背は高く体格もそれなりで、面立ちはいかにも喧嘩が好きそうなジュウ。
そんなジュウも、いまや最高学年に進級した。
もはや自分に反抗する学生などいない。二年の時ですら、先輩連中はジュウを避けていたのだ。
自他共に認める不良であるジュウは、世間から拒絶されるのが常だった。
昨年の春までは、だが。
ジュウは自分の隣に座る、前髪が鬱陶しい少女を見る。
漆黒の髪を長く背に流している小柄な少女、堕花雨。
彼女は昨年の夏前、突然、自分はジュウの前世での忠実なる下僕である、とのたまったのだ。
その後、しつこく纏わり付かれた。
はじめはこの電波な少女を排除しようとしていたが、幾つかの事件を経たのち、何となく自分の横に居るのが当たり前になっていた。
『新入生入場』
アナウンスが響き渡る。
最初に入って来たのは目鼻立ちの整った少年。
誇らしげに新入生の先頭を歩いてゆく。
巻き起こる拍手。この学校に関わる者たちからの祝福の音だ。
今日は私立桜霧高校の入学式。
ジュウたち在校生は体育館に詰め込まれ、新入生の歓迎を義務付けられている。
雨とはたまたま隣のクラスとなり、今回たまたま隣に座っている。
背筋をぴんと伸ばし、律儀に拍手を送っている少女を見てふと思った事を尋ねてみる。
「なあ雨」
「はい。なんでしょうかジュウ様」
「お前はなんでこの高校に進学したんだ?」
「ジュウ様が居られるからです」
「……お前は俺がこの高校に行く事を入学前から知ってたのか?」
これにそうだ、と答えたらどういう反応を返せばいいのだろうか。
少々、寒気を感じながら質問すると、雨は申し訳なさそうに顔を曇らせた。
「いいえ。お恥ずかしい話ですが、ジュウ様がこの学校に居られるのを知ったのは
入学後の事です」
「じゃあ、俺がいるからここに来たってのは違うんじゃないか?」
「そんなことはありません。わたしとジュウ様の絆は前世から繋がっています。ジュウ様との再会が果たせた今、この高校に進学した理由はジュウ様に会うため以外にありません。その他の理由は副次的なものです」
自信満々に言ってのける雨を見て、ジュウは溜め息をついた。
この少女はジュウとは比べ物にならない頭脳と回転の速さを持っているのだが、同時に常人とは違う周波数も持っているらしい。
すでに慣れた物となりつつあるのだが、正直、疲れを感じずにはいられない。
「……ちなみに、副次的な理由は?」
「実家から近いからです」
実にノーマルな回答だ。
「今生の肉体では起床時、早い時間帯に十分な行動が取れません。機能回復に時間が掛かる以上、距離的な問題を解決する必要があります。加えて、学校に一定以上のレベルがあることを考えると、条件に最も適合したのがこの学校だったのです」
「つまり、朝に弱いから近場が良い、ということか」
「要点を挙げれば、そういうことです」
耳を仄かに朱に染めて頷く雨を見て、ジュウは笑いが漏れた。
安心したのだ。
行動や言動が何処となく機械的な少女の根幹に、こうした人間らしさがある事に。
「ジュウ様はどうしてこの学校へ?」
問われ、少し考える。
理由としては、母である柔沢紅香が喜ぶだろうと思ってのことだが、中学を出て働くより進学した方が楽だからというのもある。
桜霧高校にしたのは、まあ、適当に決めた事だ。
ジュウは逡巡した後、言った。
「前世の絆だ」
瞬間、首まで真っ赤に染まった雨を見て、冗談もたまには良いものだと思った。