第八話:Old sins breed new shame. (古傷は痛みやすい)サンタローズから西へ。小さな森に囲まれたアルカパの村は、あの頃と変わらぬ穏やかさだった。入ってすぐ正面にある宿屋が、ビアンカの家だったよな。「な、行かないのか?」「あー、その、まあな」会いたくなって来てみたものの、いざとなると何だか気恥ずかしい。十年、か。年頃のいい女に育ってんだろーなー。髪の毛も伸びてんだろうか。結構活発な娘だったから、肩くらいで切り揃えてると似合うかもしんねえ。……違う。落ち着け、俺。《ガキの頃世話になった》《金の髪を肩まで切り揃えた女》は、もう、いねえだろ。ああいけねえ、どうも、《あいつ》を重ねちまう。「どしたんだよジャギ。……ははーん、照れてんな」ヘンリーがニヤニヤと口元に笑みを浮かべている。「ジャギったら、そのビアンカって女の子のこと好きなのー?」スラリンも、何のためらいもなくそう聞いてくる。「テメエら黙れ」とりあえず、ヘンリーは殴って、スラリンは踏みつけた。「げふっ」「ぴきっ」「……行くぞ」何処かしら緊張感を持ったまま、俺は宿へと向かった。庭を見れば、あの頃植えられたばかりだったブドウ棚には、たわわに実がなっている。こういうとこ見ると、十年という年月の重さを、改めて思い知らされるな。さて、いよいよご対面、になるかな。扉に、恐る恐る手をかけて、開く。「いらっしゃい」「……あ?」受付に座っていたのは、全く見覚えのないおっさんだった。ダンカンだかっていう、ビアンカの親父じゃねえ。「あー、ちょっと聞きたいんだけどよ」「はい?」「ここに、ビアンカって娘はいねえか? 俺と同じくらいの……」受付の男は、首を傾げている。じわり、と背に嫌な汗がつたった。「あー、そういやあ、ここの前の持ち主の娘さんが、 そんな名前だったよなあ、お前」「そうだったかねえ」男は、部屋の奥に居るらしい嫁にそう問いかけていた。「前の持ち主、だぁ?」「そうだよ。七年くらい前だったかねえ、ここの奥さんが急に倒れて亡くなって、 旦那さんも病気になっちまって、海の向こうの山奥の村へ引越しちまったんだ」その答えに、俺はほっと息を吐いた。会えなかったのは残念だが、死んじまったわけじゃねえ。どうせ、世界を回んなきゃなんねえだ、縁がありゃまた会えるだろ。「そうか。ああ、じゃあとりあえず一晩頼む」「はい、承りました」「……モンスター付きだけどいいか?」思い出したように問いかけると、男は少し目を丸くしたようだったが、すぐにニコリと笑みを見せた。「こいつは珍しい。魔物使いかね」「ああ、まあ、そんなとこだ」まだ一匹だけど、その内増える、のか?……モンスター共を従えた自分の姿を想像してみた。ぎんぎら輝くドラゴン共を従えた俺。うむ、悪くねえな。「ジャギー、顔がにやけてるよー?」声をかけられて、足元を見て、ため息一つ。今はまだ、コイツだけか。正直、頼りねえにも程がある。ブーメラン使いこなせる分マシだが。「……お前、頑張れよ」「何で今急に応援したの? 頑張るけど? 頑張るけどね?」「おーがんばれがんばれ」ぴょんぴょんと跳ねるスラリンに適当に言葉をかけた。町であれこれ話を聞いた後、宿で一番いい部屋に泊まった、その夜。ふと、俺は夜中に目を覚ました。人の気配に目をやれば、ヘンリーがベッドに座ってぼけーっとした面をさらしてやがった。「何してやがんだ」「あ、起きたのか、ジャギ。いや、ちょっと城のことを思い出しててな……」「……死んでたんだってな、テメエの親父」この町で聞いたラインハットの評判は、正直悪い。それもこれも、王子が行方不明になった心労から、王が死んで、その後をまだ若い弟王子が継いで、太后が後見したことによるもんらしい。「ちょっとだけ、帰ってみるかな……、ラインハットは、こっから東、だよな」ちらりとこっちを見て来る。「ヘンリー、俺はあの国が大嫌いだ」俺がそう言うと、酷く暗い目で、こっちを見てきた。「ああ、そうだよな。……お前の故郷も、親父さんも」ラインハットが、と続ける声を遮った。「それもある。それもあるが、一番気にくわねえのは、な」ギィ、とベッドを軋ませて、勢いよく立ち上がった。ずかずかとヘンリーの前に立ち、指を突きつける。「弟に王位を奪われて、のうのうとしてるマヌケな王子だ」「う、奪われて、って、俺は別に王位が欲しくて言ってるわけじゃ……」うろたえてるコイツに構わず、言葉を続ける。「テメエには、執念が足りねえ」「ジャギ、お前何を……」「テメエが言ったんだぞ。『オレは王様の次に偉い』んだ、って。 その王様がもう居ねえ。なら、話は簡単じゃねえか。 あの国はテメエのもんだ。何故諦める必要がある?」本当にイライラする。諦めちまうなんて、どうかしてる。国だぞ、国。そんなドデケエもんを、『弟』に奪われて、めちゃくちゃにされちまって、まだ、動けないなんて。「テメエのもんくらい、テメエで取り返しやがれ!! ちょっとだけ帰ってみる、どころか、あのババアと あのガキ殴り飛ばして、テメエのもんにしてみろ!!」ガッと胸倉を掴んで、その目玉を覗き込む。未だ困惑に揺れているヘンリーの目に、俺が映る。《弟》に何もかも奪われて、芯まで壊れた、馬鹿な男が。あの頃の《俺》に良く似た『俺』が映る。ああ、ちきしょう。らしくねえ。他人に手を貸すなんざ、俺の流儀じゃねえんだがな。「第一、あの国がマトモにならねえと、他の大陸への船も出ねえんだよ。 いいか? 俺はテメエに手を貸して、国をマトモにする。 テメエは、俺に手を貸して、船を出すようにする。 それだけだ。分かったら、とっとと寝ろ。明日は、早いぞ」どん、とベッドへ突き飛ばして、俺もベッドに戻る。「……ありがとな、ジャギ。俺、頑張ってみるよ」「けっ」ここまで言わなきゃ動けねえなんて、とんだグズだ。明日っからもあのグズと一緒かと思うと、ため息が出るぜ。ぼすり、と顔を枕に埋めると、ちょっといい匂いがした。あ、こりゃあれか。ビアンカのお袋が植えたブドウの匂いか、悪くねえ。その匂いは、俺を夢の中へと運ぶ。激昂した頭に浮かんだ、憎い面影さえも、消し去って、心を落ち着かせてくれた。数日かけて向かった川辺に立ってた関所には、一人の見張りの兵士が居た。「ここから先はラインハットの国だ。 太后さまの命令で、許可証のないよそ者は通すわけにいかぬぞ!」……川に流しちまえば、死体の処分には困らねえか。そう思った俺が、得物を構える前に、ヘンリーが飛び蹴りを食らわせていた。「よくやったヘンリー! 今のウチに行くぞ!「いやいや待て待て」パトリシア――馬車をひいてる馬だ――の手綱を引いて、強行突破しようとした俺を、ヘンリーが引き止める。「あいたた、タンコブが……。無礼な奴、何者だっ!?」「おい、ちゃんとトドメはさせよ」「ジャギ、黙ってろ」口を尖らせる俺を黙らせて、ヘンリーは兵士に向き直った。「随分と偉そうだなあ、トム! 相変わらずカエルは苦手なのか?」兵士の顔が、硬直した。「ベッドにカエルを入れておいた時の顔が、一番傑作だったよな」「……! そ、そんな……まさか!」「そ、オレだよ、トム」兵士は、わなわなと震えて、片膝を突く。その目からは、涙が溢れていた。「ヘンリー王子様! ま、まさか生きておられたとは……。 おなつかしゅうございます!」「悪いな、色々あってよ」ヘンリーも、ちょっと懐かしんでるらしい。隠してるつもりだろうが、声が震えてるからバレバレだぞ。「思えば、あの頃が楽しかった。今の我が国は……」「言うなよ。兵士のお前が悪口を言ったら、コレもんだろ?」スッと首を切る動作をすれば、兵士は俯いた。「通してくれるな、トム?」「はい! 喜んで!」コネってのは、作っておくもんだな。一緒にさらわれたのが、その辺のガキじゃなくて、王子で良かったぜ。……違うか。王子だから大問題になったのか。いや、今考えるのはやめとこう。「よし、ってことだから、行こうぜジャギ……」こっちを見たヘンリーが、目を丸くしてる。何だよ、どうしたんだよ。「ジャギ、お前、その手……」「へ? 何がだよ」「あ! ジャギ、どうしたの? 手から血が出てるよ!」スラリンの言葉にぎょっとして、俺は自分の手を見た。刃のブーメランを握り締めたせいか、ボタボタと、血が流れている。指摘されるまで、気づかなかった事実に、身震いがした。「うおおお、いってええええええ?!」わざと大げさなくらい驚いた声を上げて、ホイミを唱える。傷が見る間に埋まっていくが、俺の心の中では、まだ血が流れている気がした。「ったく、お前ってへんなとこヌケてるよなー、さ、行こうぜ」笑いながら、ヘンリーが歩き出したのに、慌てて追いついて、追い越す。今の俺の顔を、見られるワケには行かなかった。多分、今の俺は、傷が原因じゃなくて、ひでえ顔をしている。ヘンリーに対して、俺は、『執念が足りない』と言った。確かに、何事にも執着せず、諦めちまうよりは、執念を抱いている方がマシだろう。けど、俺は、少々その『執念』って奴が強すぎる気がする。『執念』よりも、『憎悪』と呼ぶのが相応しいその感情は、常にじくじくと俺の中で燻っていて、思ったよりも簡単なきっかけで、俺の中で燃え広がっていく。そうして、全部燃やし尽くして灰にしちまいそうになるのを、ただ、『親父』の記憶と言葉だけが、押し留めている。「『俺』は」《俺》のようにはならねえぞ、と誰にも聞こえないよう、小さく呟いた。仇をとるためなら、大事なもん取り戻すためなら、どんな汚い手も使うさ。だが、最後の最後の、根っこんところで、『俺』は、《俺》とは、違う。愛してくれた『親父』が居て、そいつに、恥じるようなことはしたくねえ。大丈夫だ、『俺』はまだ、全部を、無くしちゃいねえ。『親父』が、《親父》とは違うから、『俺』で、居られる。大丈夫だ、大丈夫だ、と心の内で呟き続けたのは、あるいは、俺自身に言い聞かせるためだったのかもしれない。関所を抜けて数日。目の前に、見覚えのある城が見えてきた。「ラインハット、だよな」「なんだわかんねえのか?」問いかけると、困ったような顔で笑う。「俺、中からしか見たことなかったから」懐かしさと寂しさの混じった声だった。「そーかよ。……ん、おいヘンリー、構えろ!」一息ついたところで、俺達の前にモンスターが現れた。現れたのは、スライムナイトとアウルベアの混じった群れだ。……そういや、前にスライムナイトと戦った時は、手ひどい目に遭わせられたな。「丁度いい。十年前の借りを返してやるぜ!」「十年前と同じ奴ってわけでもねえだろうに……」ヘンリーが呆れたように笑った。うるせえ。「どうせ、もうすぐ町なんだからガンガン行け!」俺も釣られて口元に笑みを浮かべながら、得物を投げた。俺の投げたのに続いて、スラリンもブーメランをぶち当て、トドメとばかりにヘンリーがイオの呪文を唱える。「いよっし、やったか?!」「……いや、まだだ!」爆煙の向こうに目を凝らす。まだ一体、影が残っていた。ちっ、そういや、スライムナイトには爆破呪文は聞きにくいんだったか。最後の一匹から来るであろう攻撃に対して身構えるが、そのスライムナイトは予想だにしねえ行動を取りやがった。構えていた剣を、地面に下ろしたのだ。「どうやら、賞賛に値する相手、とお見受けした」「はぁ?」流暢に喋るそいつを、不信感のこもった目で見つめる。「我が名はピエール。あなた方さえよろしければ、共に行きたい」「お、何だ何だ。スラリンと似たような状況か?」「ああ、まあ、そんなとこだ」スライムナイトにゃ、あんまりいい思い出はねえんだよな。と、思ってひょいと俺は聞いてみる。「ちなみに、テメエ特技は?」「ホイミとマホトラだ」「よし、採用」「ちょっと待て説明してくれジャギ」ああ、そういやコイツには何言ってるのかわかんねえんだっけか。「コイツ、ホイミが使えるらしいんだ。正直、俺だけじゃ回復追いつかねえから助かる」「おおっ、そりゃあいいな、じゃ、今日からお前も仲間か。 よろしくな、えーっと」「ピエール、だとよ」なんか、マヌケな響きだよな、ピエール。「ピエールか、かっこいいなあ! よろしく頼むぜ、ピエール!」そう言って、ヘンリーはがっしりと握手をしていた。……あれか。《俺》の世界とここのネーミングセンスってかけ離れてんのか?親父も俺に『トンヌラ』とか付けようとしてたような記憶がある。ジャギも大概だが、トンヌラは、ない。あと、ゲレゲレも、ない。「さて、あなたはジャギ、ということでいいのか?」ピエールがくるりと俺の方を振り向く。「ん? ああ」仮面で隠された顔が何処を見てるのか良く分からないが、首が上を向いてるから、多分俺を見上げてるんだろう。「……やはり、優しい目をしている。私の目に狂いはなかった」うむうむ、と一人合点をしている。何の話だ。「もう随分と昔の話だがな、まだ若かった私は、ある人間の子供を襲った。 その子供は変わっていてな、キラーパンサーの子供を連れていたよ」ん? どっかで聞いたような話だな。「私がキラーパンサーの子供を倒すと、人間の子供は自分の身の守りよりも、 そのキラーパンサーの子供の安否を心配した。 ……変わった奴だと思い、興味深かった」やっぱ、どっかで覚えがあるぞ。「その子供を殺すには忍びなかったが仲間達の手前、切らぬわけにもいかなかった。 でな、とりあえず峰打ちで気絶させ、あの城まで運んだのだよ」くい、と親指を曲げて、ピエールはラインハットを指差す。俺は、十年前のことを思い出していた。スライムナイトに負けた自分。運んでくれた誰かの鎧の音と、ぶよぶよとした感触。それと、目の前のこいつの言葉がぴたりと繋がった。「思い出したかな、坊や?」「……坊や言うな」刃のブーメランの刃がついてない金属部分で、ガン、と頭を殴った。「何してんだ?!」「十年前に俺をボコッたスライムナイトだったらしいから、 とりあえず十年前の借りを返してる」「い、痛い痛い、ちょ、す、すまない、すまなかったってば」ピエールがうろたえて逃げ惑うが、俺は後を追っかけ回した。「何だか楽しそうだねージャギ」くすくすと笑うスラリンも、とりあえず蹴飛ばした。多分、今の俺の顔は真っ赤だ。色んな理由で。──────────────────────────────※作者のどうでもいい呟き※イオナズンコピペを思い出したら負け。