第七話:Facts are stubborn things. (事実は曲げられないものである)修道院を出て、北へ向かって、途中で休みながら一日半。俺達は賑やかな町にたどり着いた。門を入った正面にギラギラ輝くネオンが眩しい。とてもじゃねえが、日がとっぷり暮れた夜中だとは思えねえ。「ここがオラクルベリーの町かぁーで、あれがカジノだな?」建物を見上げながら、ヘンリーの目も同じくらいに輝いてる。ご丁寧に、『CASINO』と書かれてるからな、見ただけで解るってもんだ。しかし、ルーン文字もアルファベットも使うって、この世界の文字体系はどうなってやがんだ。俺が覚えるのにどんだけ苦労したことか。「おい、ジャギ。何ボーッとしてんだよ、早く行こうぜ!」「待て」走り出したヘンリーの首の後ろを、ひょいと摘む。「俺達の目的はカジノじゃねえだろ」「なんだよつれねえなー。いいじゃねえか、人なら集まってるぜ」「……その前に、やることがあるだろ」ぎろり、と睨んでやれば、見る間に表情が暗くなっていく。「そうだよ、な。悪ィ。オレ達は遊んでるわけじゃないんだった」解ったらいいんだ、解ったら。ヘンリーを掴んで、そのままズルズルと歩き出した。幸い、目的の場所が門から入ったすぐ側で助かったぜ。。「いらっしゃいませ、夜道を歩いてお疲れでしょう」「ああ、男二人、ベッドは二つで頼む」「宿屋かよ!」ヘンリーが声を荒げるが、気にしてられるか。「ヘンリー。道中、わらいぶくろにメダパニくらって、 モンスターに説教しようとして殴られたのは、何処のどいつだ?」「……オレです」「そんなことしてたせいで、攻撃避け損ねたお前の体力を回復するのに、 魔力を消費したのは?」「……ジャギです」「文句は?」「……ない……」うむ、こいつも大分物分りがよくなったな。子供時代のワガママ王子っぷりがすっかりナリを潜めてやがるぜ。「この町にゃ、情報収集のために何日かは居る予定だからよ、 ま、その内カジノに行く機会もあるだろ」「本当か?!」おーおー、まるでガキみてえにはしゃぎやがって。って、そりゃそうか。ガキの時分から、十年も世間と隔離されてきたんだ、まだガキっぽい部分があって当然に決まってらあな。元は、所謂箱入り息子って奴だったし、こういうとこに来て浮かれるのも解らんでもない。オラクルベリーに滞在してから一週間経った頃、俺とヘンリーは一路北に向かって旅を進めていた。占い師のババアは俺の顔を見て、何やらとてつもない運命だとかってのを見出したらしく、タダで占ってくれた。その結果が、北へ行け、だ。北、と言われて地図を開けば、そこに懐かしい地名を見つけて、俺たちは当初の目標をそこに据えることにした。「なあ、サンタローズってお前の故郷なんだろ? どんな村なんだ?」安く買い叩いた馬車と歩きながら、ヘンリーが問う。「どんな、ってなあ。何にもねえ、普通の村だよ。 ラインハットと比べりゃ、田舎だ」「……ラインハット、か」ヘンリーの顔が曇る。オラクルベリーで聞いた噂の中に、とある王国が兵を集めて戦争を起こそうとしている、ってのがあった。そのために、国の奴らが大勢苦しんでいる、とも。コイツは、その国がラインハットではないか、と悩んでやがんだ。けっ。そんなに気になるんだったら、とっとと様子見に行きゃいいもんをよ、『今さら俺が現れても迷惑なだけだろ』なんて抜かして、行くつもりはさらさらねえらしい。「さあてと、確かこの辺りのはずだがな」目を凝らせば、山と森に囲まれた、小さな村が見えてきた。けど、なんか様子がおかしいような気がする。遠目に見ても解るくらいに、建物の数が随分減ってねえ、か?妙な予感がして、俺は足を早めた。「あ、おいジャギ待てよ、どうしたんだ」「村の様子が変だ! 十年で、あんなにボロくなるとは思えねえ!」近づけば近づく程、その村の様子がおかしいのが解る。そうして、村の入り口についた時。俺は我が目を疑った。「何だ、こりゃあ……」村は、焼け落ちていた。それもつい最近のことじゃねえ。入り口近くの丘に立てられた墓は、何年か経った後だ。何だ。俺達がこの村を出てから、一体、何があったってんだよ!「どうして、こんなことに」隣で、言葉を失うヘンリー。その姿を見て、俺は、思い出しちまった。ヘンリーが誘拐された直後、城の奴らは、何て言ってた?『パパスは、誘拐犯の一味』と、そう言って、なかったか?王子がさらわれたのと時を同じくして、お守りを命じられた男も、行方知れず。城の奴らがそう考えるのだって、当然じゃねえか。「旅の方、どうかなさいましたか?」愕然としてる俺に、声がかけられた。「そんな所では体が冷えますわ。教会へどうぞ。 ……今、この村にあるのは教会と、洞窟を使った宿だけですけれど……」悲しげにそう呟いたシスターの顔に、俺は見覚えがあった。老けてるけど、間違いなく、あの頃村に居たシスターだ。俺は、未だ何を言うべきかも解らず、とりあえずシスターに付いて教会に入った。ここだけは、あの頃と変わらない。神の居場所、って奴だからか。神を焼かねえで、人を、家を焼いた、のか。……ここは、随分と穏やかな世界だと思ってたんだが、根本は、あの《世紀末》と変わらないのかも、しれねえな。そう思って、ついため息をこぼした。「驚かれたでしょう、こんな村で……」ため息を勘違いしたのか、シスターが訥々と語りだす。「その昔、ここはとても美しい村でしたのよ。 しかし、ある日ラインハットの兵士達が、村を焼き払いに来て……」「ラインハット、が?」ヘンリーの顔が、さあっと青ざめる。シスターは、気づかぬまま語り続ける。「ひどい! ひどいわ! パパスさんのせいで、王子が行方不明になったなんて! そのパパスさんを匿っているんだろう、って、兵士が言って……、 村の誰もが否定したのに、兵士達は、火を……」急に取り乱して、シスターが頭を振った。それから、ハッと頬を朱に染めて、申し訳なさそうに告げる。「あら、ごめんなさい。見ず知らずの人に、パパスさんの話をしても、 仕方なかったですわね……」「……知ってるぜ、そいつのことは」俺がそう切り出すと、弾かれたようにこちらを見返してきた。「え? パパスさんを、ご存知なのですか?」「ああ。……俺の、父親だよ」「そんな、それじゃあ、ジャギ! あの小さかったジャギなのね!?」シスターは、わなわなと震えて、顔を両手で覆った。多分、泣いてるんだろう。「こんなことって……、こんなことって……、ああ、神様!」俺が生きていてくれたのを、泣いて、喜んでくれた。運命は残酷だ、と泣きながら、それでも喜んでくれた。ただ、そんなシスターと俺を見ながら、ヘンリーは黙り込んだままだった。当然だろうな。コイツにしてみりゃ、予想だにしなかったんだろう。自分のせいで、村一つ焼かれて、人が死んだ、なんてことは。「ジャギ」「何だよ」宿屋で横になっても眠れず、ぼーっとしていた俺に、ヘンリーが声をかけた。「悪ィな、ここのこと」「寄せ。テメエに謝られても、どうにかなるもんじゃねえ」「でも……」「いいから、黙って寝ろ。起きたら、親父が洞窟の奥に隠してた、 なんかを探しに行かなきゃなんねえんだ」何だか息苦しい。俺は、ヘンリーの方とは逆へと寝返りを打った。「いいや、謝らせてくれよ。でないと、俺の気がすまねえ」だって、とヘンリーが続ける。「お前、この村についてから、凄え泣きそうな顔してんじゃねえか」「……言いてえことはそれだけか。とっとと、寝ろ」泣きそうな顔、だ? 俺が、そんな顔するわけねえだろ。故郷が焼かれた、くらいで、泣くわけねえじゃねえか。《俺》の世界だって、焼かれたんだぞ。あれに比べりゃあ、こっちの、焼かれたの、なんて、よっぽど、マシ、だ。そう思ってる、はずなのに。何で、こんなに胸が痛えんだ。あれだな。洞窟の中で酸素が薄いんだな。ちょっと、外の空気を吸って来っか。ごそりとベッドから起き上がると、俺は宿を出た。そういやあ、ここに居た道具屋のオッサンは、どうなったかな。岩に潰されたのは平気だったが、流石に焼かれちまったら、お陀仏か。そんなことを考えながら、俺の足は自然とある場所へ向かっていた。一番酷く焼かれた場所――俺たちの家――へと。あの騒ぎの中で、サンチョも行方知れずになっちまったらしい。死体が見つからなかったってことは、多分生きてんだろうけどな、あ、それとも油ぎった体だったから、綺麗に焼けちまったか?口元を歪めながら、俺は焼け跡を歩いた。「ん……?」ガレキを蹴飛ばせば、そこに階段が現れた。ああ、そういやあ、地下室があったっけか。何の気もなしに、そこに降りてみる。「あ……?」色のない地下室の中で、鮮烈に色を放つものがあった。俺は、それを覚えていた。妖精の村で手に入れた、サクラの花だ。妖精の世界のもんだからか、今になっても、枯れていない。恐る恐る手に取ってみりゃ、ふわり、といい匂いがした。『お部屋に飾っておきますね、ぼっちゃん』そんな、サンチョの声が聞こえてきた。『この旅が終わったら、遊んでやろう』親父の声が、聞こえてきた。『行ってらっしゃい、パパスさん!』『また戻ってきてくださいね!』『いつまでも、ここは貴方の第二の故郷ですよ!』親父を見送る、村の人たちの声が、聞こえてきた。……もう二度と、聞けねえ、優しい、声だ。「あ……、う……」膝から崩れ落ちた。地下室の床が、冷たい。「うわああああ、うっ、ぐっ、ああああああああ」地下室に響き渡るような声で、俺は、泣いた。解ってる。人を殺しまくってた、《ジャギ》が、人が死んだことで泣くなんて、間違ってる、ってのは。それでも、どうしても、涙は止まらなかった。好きだった、『俺』は、『ぼく』は、この村が、大好きだった。好きだったのに、守れなくて、失って、しまった。みっともねえくらいに泣いてる俺の頭を、誰かが小さな手で撫でてくれた気がしたが、涙で歪む視界には、そいつの姿を捉えることは出来なかった。翌朝。目元が腫れ上がらなかったことに、一息ついた。ヘンリーに泣いてたのがバレたら、情けねえからな。くっそ、いい年こいてあんなに泣いちまうなんて、どうも感傷的になっちまっていけねえ。とりあえず、親父が残したっていうもん探しに、洞窟に入るかな。入り口のジジイに声をかけたら、筏を使わせてくれた。「で、意気揚々と入り込んだのはいいもんの」はあ、と息を吐きながら、俺は手元からブーメランを振りかぶって投げる。ガキの頃使ってたのとは違って、金属で出来てて、縁が刃になってるやつだ。慣れるまでに二日かかったが、使いこなせりゃ、使い勝手はいい。スパスパと、眠りの魔法を使ってくる角のある兎やら、腐った死体やらを切り裂いていく。……切り裂くのは、南斗の方の十八番だがなーと、ぼんやりと考えちまったのは、寝不足だったせいだろうか。「はぁー、何だココ、魔物の巣じゃねえか」横で鉄の鎖を振るってるヘンリーの息は荒い。ま、奴隷やってたとは言え、あくまで一般人にゃ、ちぃとキツいか。それに、前に来た時より、モンスターが格段に強くなってやがる。あの頃と変わらねえのは、スライムとブラウニーくれえ、か?「十年の間に、一体何があったんだか……」再び目の前に現れたスライムの群れに向けて、ブーメランを投げた。このくらいだったら、一撃で倒せるから楽だ。「さってと、とっとと奥へ……」「っ、気をつけろ、ジャギ!」ヘンリーの緊張し切った声に、俺は後ろを振り向いた。さっき倒したはずのスライムが一匹、起き上がっている。「っと、トドメを刺し損なったか……」再度得物を構える。「ひぃっ、ま、待ってえ」「……あ? ……ヘンリー、テメエ今何か言ったか?」「い、いや。どうしたんだ、ジャギ?」ヘンリーじゃねえなら、今の声は一体誰だ、ってんだよ。「ボクだよボク。目の前にいるボク」ぴょんぴょん、とスライムが跳ねている。いやいや、スライムが人間の言葉喋るとか、ありえねえだろ。「あ! やっぱり聞こえてるんだね! お兄さん、モンスターの声が分かる人なんだ!」落ち着いて考えれば、魔法がある世界なんだから、人じゃねえ生き物が喋ったところで、珍しくもない、のか?そういや、オラクルベリーで会ったジジイが言ってたっけか、俺には不思議な力があるとかなんとか。「お兄さん強いねー、ボク感心しちゃった。 ね、お兄さん、この洞窟の奥に行きたいんでしょー、案内してあげるよ!」「ほお? テメエがか?」「うん! あ、ボクスラリン! よろしくね」受け入れちまえば、モンスターが手下になるってのも、悪くねえもんだ。「よし、じゃ、早速案内しやがれ」「……ジャギ、お前やっぱり一度帰って休んだ方がいいんじゃねえか?」ヘンリー、その生温い視線は止めろ。事情があるんだ事情が。とりあえず、ヘンリーの頭を一発殴った後、スラリンに案内されつつ、説明しながら、洞窟の奥へと進んだ。辿りついたそこに在ったのは、一振りの剣と、懐かしい筆跡の手紙。ああ、親父の字だ。忘れてると思ったんだが、案外覚えてるもんだな。何処で見たかも、全然思い出せやしねえのに、はっきりと親父のだって分かる。俺は、その手紙を読み進めた。『伝説の勇者』に、『魔界』か。《俺》の世界からすりゃ、ここだって随分御伽噺みてえな世界だが、そんなここでも、また更に夢物語みてえな話だ。そんなもんが、親父の仇を討ち、母さんを見つけ出す、手がかり、か。はは、何つうか、道は遠いな、としか言い様がねえ。微妙な笑みを浮かべながら、俺は地面に刺さった剣を見やった。「ジャギ、抜いてみろよ」「言われなくても」手紙を袋にしまいこむと、俺はその剣の柄を掴んだ。そして、グッ、と引き抜こうとした。……した、が。「何だ、これっ……、めちゃくちゃ重ぇぞ……ッ!」びきり、と腕に痛みが走る。とてもじゃねえが、持ち上げられねえ。「ふっ、うおおおおおおおッ!」どうにか、両手で勢いをつけて、引き抜いた。勢い余って、地面に転ぶ。引き抜いたその剣は、伝説の通りなら相当古いもんなはずだが、刃はちっとも錆びてねえし、それどころか輝いてさえ居た。「俺、実はひょっとしたら、お前なら、って思ってたんだけどな……」ヘンリーが残念そうに呟いた。……俺だって、そう思ってた。伝説の勇者なんて、御伽噺みてえなもんだ。だから、『ずっと探してた勇者が自分の息子』なんて、そんな嘘みてえな話がありえてもいいじゃねえかと思ってた。そう上手く行く程、世界は甘くはないらしい。俺じゃあ、無かった。ああ、また、ダメなのか、とぼんやり思った。『俺』じゃあ、救世主(ゆうしゃ)には、なれねえのか。『俺』は、また、選ばれなかった。どん底まで落ち込みそうになって、目を閉じた。その目蓋の裏に、ふっ、と金の髪をした女のガキが映った。ああ、そうだ。あいつ、どうしてんだ。「ヘンリー、次の目的地は決まったぞ」天空の剣を袋に入れながら、俺は呟く。「え、何処だ?」「……アルカパに、会いてえ奴が居るんだ」そう言って立ち上がろうとして、俺はバランスを崩した。ん? そういや、この地面随分と柔らかくねえか?「……どーいーてー……」「あ」立ち上がったそこには、ぺたりと潰れたスラリンが居た。「……すまん……」