第六話:The die is cast. (賽は投げられた)「ん……」小さく呻いて、目を開ける。いつもより広い視界には、見慣れぬ天井が映った。「あ、よかった、目を覚まされたのですね?」声のする方に顔を向ければ、シスターが一人こっちを見ていた。「もう五日も眠ってらしたんですよ、流れ着いた樽から、 人が出てきた時は、驚きましたわ……」「ここは、何処、だ?」喉から出た声が嗄れていると見るや、シスターが水差しを差し出してくれた。渇いた喉に染み渡る水が、美味い。「ここは、名もない海辺の修道院。 どうか、元気になるまでゆっくりしていってくださいね」やれやれ、どうやら助かったみてえだな。体を起こすと、バキバキと骨が鳴った。何日も樽の中に居て、五日も眠りっぱなしじゃ、こうもなるわな。「それと、その服はあなたが持っていた荷物に入っていたものです。 前の服はあまりにボロボロでしたから、着替えさせてもらいました」ふい、とシスターが視線をそらす。視界が広い理由がようやく解った。ヨシュアがいつの間にか突っ込んでおいてくれたらしい、ガキの頃使ってた袋を漁る。運よく出てきた一枚の布切れを、顔の左半分をを覆い隠すように結びつける。驚いた顔でこっちを見てるが、構いやしねえさ。醜い傷跡を晒すよりゃマシだ。……しかし、ガキの時分に使ってた服が入るってどういうことだ。そりゃあまあ、確かに少し大きめのサイズではあったがよ。「そういやあ、一緒に流れ着いた奴らは?」「ヘンリーさんもマリアさんも、ご無事ですわ」そこへ、ノックの音がした。どうぞ、ってシスターの返事に、扉を開けて入ってきたのは、ヘンリーだった。「よお、ジャギ! やっと気がついたなっ」「ああ、今、な。……しっかしテメエ、何だぁ、その格好は?」コイツは、何でか知らねえが、奴隷時代の服のままだった。「お前と違って、オレの服は処分されちまってたんだよ。 ここは女の人しか居ねえから着替えも無いし、しょうがないだろ」そりゃそうかもしれねえが、しかし、何というか相当みっともない。「ちょっと待ってろ……ああ、あった。ほらよ」袋の中を漁れば、旅人用の服が一着出てきた。ガキの頃でも少しデカかったくらいだから、今のコイツにゃ丁度良いだろ。「おっ、サンキュー、ジャギ」「きゃっ。そ、外に出てますわね」目の前で着替え始めたヘンリーを見て、シスターは小さく悲鳴を上げて、ぱたぱたと、慌てて部屋を出てった。……俺の服は着替えさせられたクセに、ヘンリーはダメってどういうことだ。やっぱ顔か。顔なのか。「おいおい、何睨んでんだよ、ジャギ」む。どうやら気づかね内に睨んでたらしいな。「それはそうと、マリアさんがこの修道院の洗礼式を受けるらしいぞ。 お前は目が覚めたばかりで、いまいちピンとこないだろうけど、 まあ、とにかく出席しようぜ」洗礼? あー、確か、神にお仕えするために身を清める儀式、だったか?その辺りの知識は、とんと記憶の彼方だぜ。第一、見ても面白いもんじゃねえだろうに。洗礼式とやらは、俺にはちっとも面白く無かったが、ヘンリーの奴は見惚れてやがった。あのマリアって女、顔は悪くねえからな。絵にはなる。「ああ、ヘンリーさん、ジャギさん!」式を終えたマリアは、俺たちに気づいて駆け寄ってきた。「やっと気が付かれましたのねっ、本当によかったですわ。 兄の願いを聞き入れ、私を連れて逃げてくださってありがとうございました」「俺が逃げるついでだついで。ったく、テメエの兄貴も考えなしだな。 危うく、海の藻屑になるとこだったじゃねえか」「おいジャギ、そういう言い方はよせよ」そりゃそうかもしれないけどさ、って小さく呟いたのは、俺には聞こえてるぞ、ヘンリー。「……それでも、こうして神のお導きで、逃げられただけ幸せですわ。 まだあそこにいる兄や、多くの奴隷の皆さんのことを思うと、 心から喜べないのですが……」そう言って祈りの印を切った。けっ、他人のことまで心配するとは、本当、随分と心が清らかでいらっしゃるようだ。「それと、ジャギさん。これは兄から預かったものですが、 どうぞお役に立ててください」マリアが、俺の手にじゃらりと音を立てて袋を渡した。ずしりと重い中身を覗けば、金貨だ。1000ゴールドはあるだろう。「いやー、あんたの兄貴、いい奴だな」「お前、現金すぎるだろ」うるせー。もらうもんもらって、喜んで、何が悪い。「ふふ。元気な方ですね、ジャギさんは」いつの間に近づいてたんだか知らねえが、さっきのシスターが後ろでクスクス笑ってた。「さあ、そろそろご飯にしましょう。 余り多くは出せませんが、客人の分もご用意してありますわ」その言葉を聞いた途端、俺の腹がバイクのエンジン音みてえにけたたましく鳴った。「まあ、急がないといけませんね」「そっか、お前ここ来てから寝っ放しだったもんな。 そりゃあ、腹も鳴るよな」ヘンリーの生温い視線と微笑みが、ムカつく。「そういや、樽から出られたら殴るって言ってたよな」パキポキと、俺は指を鳴らした。「え、あ、いや、ジャギ、その、怒るな、って。な?」じりじりと後ろへ下がっていく。馬鹿め。後ろは壁だ。「ヘーンーリーィー……」ごつん、と鈍い音が、修道院の中に鳴り響いた。それから、大体一週間くらいはそこに居た。辺りの魔物なんかをちょこちょこ退治しながら、体の調子を取り戻す。いつもみたいに、狭いながらもきちんと整えられたベッドから目覚める。横で寝てるヘンリーを起こさねえように、俺はそっと修道院の外へ出た。扉を静かに閉めて、思い切り深呼吸する。海に近いからか、懐かしい潮の香りがする。やっぱ、この匂いは好きだな。「さて、と」型に袋を担いで、俺はここを後にすることにした。女ばっかのトコは、さすがにそろそろ居心地が悪い。目的は、『父さん』の、『親父』の遺言に決められている。『母さん』を、探さなきゃ、ならねえ。優しかった目元と微笑みくらいしか覚えてねえ、『母さん』。《ジャギ》の記憶に全くない、母親ってやつが、どんなもんか知りてえんだ。魔族にさらわれたって話だから、俺が探し続けてりゃ、いずれ邪魔に思う何者かが、俺に刺客を送ってくるだろ。そいつらブットバしてりゃあ、その内、あの『ゲマ』のヤローも来るに違いねえ。……俺の力で、敵うかどうかは、解らない、けどな。「何処行くんだ、ジャギ?」一歩踏み出した俺に、背後から声がかけられる。「あ?」振り向いたソコには、ヘンリーが立っていた。「旅に出るのか?」「まあな。テメエにゃ関係ねえが」「待てよ、ジャギ。お前、母親を探すんだったよな」「……何で知ってんだ」そう聞いたら、ヘンリーの野郎、随分と真剣な目でこっちを見てやがった。「俺も、あの時、お前の親父さんの遺言を、聞いてた」「……そうか。で?」「その旅に、俺も付き合わせてくれねえか」「ハァ?!」俺は思わず、ヘンリーの胸倉を掴んでいた。「誰のせいで、親父が死んだと思ってんだ。 テメエになんか助けてもらわなくってもなあ、 俺一人で、どうにかなんだよ!」怒りを露わにした俺に、しかしヘンリーはひるまない。真っ直ぐに、俺を見つめ返してくる。「……オレに、お前の親父さんへの、罪滅ぼしをさせてくれ」そんなヘンリーの顔に、思わず舌打ちして、掴んでいた手を離す。俺も、随分甘くなっちまったモンだ、と心中で呟いた。「勝手にしやがれ」「ヘヘッ、ジャギならそう言ってくれると思ったぜ。 こっから北に行けば、オラクルベリーって賑やかな町があるらしい。 まずは、そこから当たってみようぜ」人が多く集まるところには、その分情報も多く集まる。成る程、目の付け所は悪くねえな。「あと、カジノ行こうぜカジノ!」目を輝かせながら、意気揚々と歩き出したヘンリーの頭を、とりあえずどついた。俺の旅はこうして始まった。目標は、『母親』を探すことと、『親父』を殺した『ゲマ』をブットバすこと……正直、先行きは不安だが、始めちまったもんは、仕方ねえ。