第五話:TO sit on the stone for 『TEN』 LONG years. (石の上にも『十』年)夢を、見ていた。まだ、『ぼく』で居られた頃の夢。父さんと一緒の旅は、大変だったけど、辛くはなかった。あの暖かな手は、もう無い。あの優しい声は、もう聞けない。『父さん』を殺した魔物、『ゲマ』への憎悪で心が染まってから、『ぼく』は、《俺》の記憶を取り戻して、『俺』になった。……もう、十年は前の、話、か。開いた目に映るのは、石を切り出して作られた洞窟の天井と、ボロボロの服をまとった、緑の髪の男だった。「よっ、ジャギ。やっと目が覚めたようだな。 随分うなされてたようだけど、またムチで打たれる夢でも見たんだろ」「そんなんじゃねえよ」右手を軽く上げて、覗きこむ顔に軽く一発。「っつー、お前、相変わらず手が出るのが早えなあ。 十年前の、おどおどしてた頃とは大違いじゃねえか」ヘンリーが、額をさすりながら文句を言ってくるが、その口元は笑っている。ここじゃあ、俺と話す以外の娯楽なんて、あとはメシと寝るくらいしかねえからな。「そんなんだから、反抗的で奴隷になりきれないヤツだーって、言われて、 毎日毎日ムチで打たれちまうんだよ。 その点、俺なんか素直になったと自分でも思うよ、わっはっはっ」あっけらかんと、笑ってのけるコイツは、確かに十年前のワガママ王子っぷりはすっかり鳴りを潜めている。「……もっとも、オレが素直になったのは、 お前の親父さんの死がこたえたのもあるけどさ……」「その話は止めろつってんだろ。俺達が馬鹿だっただけの話だ。 ……この傷のことも、含めてよ」身を起こすと、俺はしっかりと顔のボロ布の結び目を固く結び直す。ここに来てしばらくした頃に、俺は看守に逆らって、ムチ打たれた。日常茶飯事だったが、たまたま当たり所が悪かったらしい。よろめいた俺の左の顔には、切り出された石材の角が迫っていた。……で、そこでぐっさりやっちまって、二度と見られない顔になった、ってわけだ。ったく。まさか、見せられない顔になるとこまで、《俺》と同じなるなんて、な。「悪ぃ……でも、その傷は……」「うっせえなあ、寝起きの大声は傷に響くんだから、静かにしてくれよ」まだ何か言いたげなヘンリーを残して、俺は外に出た。看守共がじろじろとこちらを睨んでくるのも、仕方ねえ話だ。何しろ俺は、奴隷共の中じゃあ、一番、いや、唯一反抗的な存在だ。「……《拳》さえ使えりゃあ、テメエらなんかブチのめして、 こんなとことは、とっととおさらばすんのによぉ……」口の中で小さく、聞こえないように呟く。《俺》の記憶を取り戻した俺が、真っ先に行ったのは、《北斗神拳》を使いこなそうとすることだった。……結論からいやあ、使えなかったんだがな。体に刻んでいたはずの型も、秘孔の位置も、何一つ、《俺》の記憶の中からは、出てきてはくれなかった。「くそったれ……」その理由なんぞ、ちいとも解りゃしねえ。一度死んだはずの《俺》が、『俺』として、この世界に存在してる理由と同じくらいに。俺に文字を教えてくれた、学者下がりのジジイに、こっそりそういう奴が他にも居やしねえか、ついでに理由を知らないか聞いた。ジジイは、そういう奴が居るとは聞いたことがあるが、理由については、『神のお導き』だと抜かしやがった。つまり、よくわかんねえってことじゃねえか。階段を昇って外に出れば、空気が薄い。見下ろす眼下に雲があるからには、ここは相当高いどっかの山の上なんだろうな。……こりゃ、脱出するにしたって一苦労だな、と何度目だか知らないが考える。「よっ、と」切り出された岩を、いつものように運び上げる。朝から晩まで強制的に肉体労働させられてりゃあ、自然、ある程度の筋力はつくし、一日の終わりに毎度毎度ベホイミかけりゃ、体を壊しちまうこともねえしな。北斗神拳は使えねえが、こっちの世界での呪文が覚えておけて何よりだったぜ。こうやって、体を作っていきゃ、いつかこっから出る機会も来るだろ。……ゲマの野郎をぶちのめすまで、死ぬわけにゃいかねえんだ、賭けに出るには、俺は手札が少なすぎる。水や食料がないわけじゃねえしな、ここでの暮らしも、慣れちまえば、下手な世紀末よりよっぽどマシだ。「なんだぁ? 随分騒がしいな」岩を運んで何往復かした時。俺の耳にざわめきが届いていた。なんだなんだと様子を見に行きゃあ、女が一人、ムチ打たれてた。あー、ありゃあいつだな。確かヘンリーが熱を上げてる、マリア、つったか、教祖の皿を割ったとかって理由で、信者から奴隷に格下げされた奴だ。けっ。どうせなら、教祖の膝の皿でも割ってやりゃあよかったのによ。「おい、ジャギ、俺はもう我慢できねえッ!」「あ? ヘンリー、お前いつの間に俺の横に……」「お前も手を貸せ!」ヘンリーの野郎、看守をぶん殴りに行きやがった。ったく、これだから惚れた腫れたは厄介なんだ。ほら見ろ。思い切り殴り返されてんじゃねえか。……惚れた女を守るため、か。「ああちきしょう、本当に馬鹿馬鹿しい!」ヘンリーにもう一撃くわえられる直前に、俺は看守の野郎の顔を思い切りぶん殴ってやった。「あべしっ」「なんだ! お前も歯向かう気だなっ!? よーし、思い知らせてやる!」「助かったぜ、ジャギ」「礼は良いからとっとと立て。最初に手を出したのはテメエだからな」馬鹿馬鹿しい。そんなヘンリーに手を貸す、俺が。「うおりゃっ」「げぶっ」北斗神拳こそ使えねえが、体重を乗せて殴りかかれば、ぶよぶよと醜い豚みてえな体をしたコイツらなんぞ、屁でもねえ。いつぞやのスライムナイトの方が、もっと歯ごたえがあんじゃねえか?「なんだなんだこの騒ぎはッ!?」ちっ、タイミングが悪ィ。兵士共が聞きつけやがった。看守の奴らをこてんぱんにのして、後は適当に山肌に投げ捨てりゃ、事件のこともバレねえだろ、と思ってたんだが。「こ、この二人が突然歯向かってきて……」「余計なこと言ってんじゃねえぞ、豚!」地面に倒れたソイツを、げしりと蹴り飛ばす。「おおふ」「何をするんだ……! ……、その二人は牢屋にぶちこんでおけ! それから、その女は手当てを!」「はっ! さあ、来るんだ!」ここで兵士共に逆らっても仕方ねえな。俺は舌打ち一つこぼして、後ろ手に縛られるのを享受した。「いやー、まさか牢屋にぶち込まれるとはなあ。 しかし、ムチで打たれるよりマシかな。あっはっは」「ま、黙ってりゃその内出してもらえるしな」牢屋の中で、俺とヘンリーはごろりと転がっていた。足枷なんざついちゃいるが、俺からしたら軽いもんだ。仕事をしねえで言い分、楽だな。「そうそう。せっかくだから、のんびりしようぜ」「おうよ」転がったまま目を閉じようとして、ふっと、自分の手を見つめた。俺の手。久しぶりに、人を殴った手。でも、全然足りねえ。この世界じゃ、やっぱ素手で誰かを倒すのは正直難しいもんがある。こっから出られたら、まず武器を調達しなきゃなんねえな。「しっかし、いつまでここに入れておく気かなあ……」「! ちょっと黙れ!」俺の耳に響いてくる足音。男が一人と、女が一人、か?「……二人とも、こちらへ来てくれ」牢の入り口に立った兵士が、辺りをはばかるように、小さな声で俺たちを呼んだ。その後ろに居んのは……さっき助けたマリアだな。「おいジャギ、行ってみようぜ」俺の意見なぞ聞かず、ヘンリーはとっとと先に男の方へ近づいている。「妹のマリアを助けてくれたそうで、本当に感謝している。 私は兄のヨシュアだ。前々から思っていたのだが、 お前達はどうも他の奴隷とは違う、生きた目をしている!」生きた目、なあ。俺の目は、相当澱んだ目をしてると思うんだが、こいつ何処に目をつけてやがんだ?「そのお前達を見込んで頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」「ああ、勿論だ。で、頼みってのは?」おい、今のは明らかに俺に聞いてただろ。何でテメエが答えんだよヘンリー。で、このヨシュアって野郎も勝手に話し出すし。こいつが聞いた話じゃ、このままじゃ奴隷は全員殺されちまうそうだ。そんでもって、マリアを連れて逃げてくれ、だとよ。こいつを連れて行くことはともかく、こっから逃げられるんなら願ったり叶ったりだ。「俺は賛成だが、ジャギもそうだよな?」「ああ、まあな」「そうか。……それでは、こちらへ来てくれ」かちゃり、と牢の鍵が開けられ、俺たちは牢の一角にある水場へ連れていかれた。「ここは、奴隷の死体を樽に入れて流す場所なのだ。 気味が悪いかもしれないが、その樽に入っていけば、きっと脱出出来るはずだ」え?「さあ、早くその樽の中へ!」「あ、ああ、行くぞジャギ!」いやいや待て待て。樽って、樽ってお前。しかもそんなにデカくもねえぞ。戸惑う俺の手がぐいと引かれて、樽の中に入り込む。やっぱり、狭いんだが。いやどう考えても無謀だろこれ。樽の蓋が閉められる。かちゃり、と鎖が外れる音がする。どん、と揺れて、樽が流れに乗ってゆっくりと動き出した。「……やっぱ、狭いな……」「ちょっと考えれば解るだろ! せめて三人別の樽に、し、て……」おいおい、なんだこの、爆音は。ん……、ああそういや、《俺》、この音を聞いたことがあったな。道場の近くに、川と池があって、そこで、聞いた。「この音、何かしら……」マリアがぼそりと呟くが、その答えはすぐにこいつらも理解した。ぐいん、という凄まじい落下感が俺たちを襲ったからだ。「滝だあああああああ?!」ヘンリーが叫ぶ。うるさい、黙れ。考えて見ればそうだよな、あんな高い所にあったんだもな、水の流れも滝になってる可能性が高いに決まってらあ。数分だか数秒だか落ちる感覚があって、激しく水面に叩きつけられる。その拍子に、しこたま頭をぶつけた。「いてえ……」「あ、あの、ジャギさん、大丈夫ですか?」「心配ねえってマリアさん。こいつ、頑丈なのだけが取り得だからよ」「よしヘンリーお前、こっから出られたらぶん殴る」暴れて樽が壊れたら、間違いなく人生が終わるからな、今は殴らないでおいてやるぜ。「ふふ」あ? 何笑ってんだこの女。「お二人とも、何だか兄弟みたいですね」「勘弁してくれよ、マリアさん。オレ、ジャギみてえな弟いらねえよ」俺だって、兄弟なんざ金輪際、要らねえ。「……弟、か。オレな、デールっていう弟が居るんだ」「まあ……」「もう十年会ってねえけど、元気にしてるかな……」ヘンリーの野郎の顔が、寂しげなのを見て、俺は舌打ちをする。兄弟を懐かしむ気持ちなんざ、俺には到底解らねえ。そもそも、その弟が居たせいでテメエはこんな目に遭ってんだろ、何で、それでも弟のことを心配なんざ出来るんだ。「……勝手に話してろ、俺は寝るからな」ああもう、さっぱり解らねえ、と俺は目を閉じた。弟のせいで何もかも奪われたってのに、それでも弟を心配する兄貴も、妹のためなら、自分はどうなってもいいなんて思う兄貴も。何だよ、普通のきょうだいってのは、そういうもんなのかよ。『俺』には、解らねえ。《俺》の兄弟は、たった一人しか手に入れられねえものを巡って争う、《敵》でしか、なかったから。夢を見た。《俺》が、《兄者》や《ケンシロウ》と一緒に、戦う夢だった。文句を言い合いながらも、《俺》が《ケンシロウ》に手柄を譲ったり、《兄者》達の指示を聞いたりしながら、一緒に戦ってた。こんなもん、一発で夢だって解る。だってそうじゃねえか。俺達の関係をくだらぬ家族ごっこだって、言い切ったのは《ラオウ》で、《トキ》は《ケンシロウ》には優しかったが、《俺》のことなんか、蔑んでて、第一、《俺》が《ケンシロウ》に、優しくなんてするわけねえだろ。ああ、何て馬鹿馬鹿しい夢だ。馬鹿馬鹿しすぎて、涙が、出てきやがる。有り得ねえんだよ、こんなことは、絶対に。くだらない幻の闘いにうなされる俺を乗せたまま、樽は何処とも知れぬ海を流れて行った。―――――――――――――――――――――――――※作者のどうでもいい呟き※CDシアター版のキャスティングをチェックしたら、パパスの声がアニメ版ケンシロウの声で、ジャミの声が北斗無双版のジャギの声だった。つらい。そういえば、ジャギとジャミは一文字違いだ。つらい。