第四十二話:魔塔上へ、上へ、上へ。塔の上から漂う悪鬼の気配を追うように。石畳の床を駆け抜け、苔むした階段を二段跳ばし。悪魔の塔(デモンズタワー)とか呼ばれている高い塔をひたすら昇る。その高さを以って俺の道行きを妨げることが腹立たしい。「ジャギ、待て、ジャギ! 少しペースをっ」追走してくるピエールの声が遠い。待っていられるか。ぐずぐずしていられるか。スライムの身では進みにくかろうという事実に構ってはいられない。一刻も早く、辿りつかねばならんのだ。「ジャギ……ッ、下だ!」聞き流していた声が不意に耳に飛び込んできた。そこに滲む警戒心を感じ取ったせいか。咄嗟に止めた爪先。かすめて突き出したのは身の丈を超す程の大杭。床から伸びて道を阻むそれは、俺を嘲笑うかのようだ。その様に、遠い日の既視感。「これは……どうやら特定のルートを通らねば階段まで辿りつけ無さそうだな」杭の向こう、上階へと繋がる階段を見やってピエールが呟く。「慎重に行こう。急がば回れ、という言葉もある」だから少し落ち着け、というその言葉に――反吐が出る。「何故、俺があいつらの罠にかかってやらねばならん」むんずと掴んだ大杭は、錆びた色合いをしているのに酷く頑丈だ。力を込めても、表面に僅かにヒビが入るばかり。「……言いたいことはわかる。だが、この槍を全て壊しながら進むのは、現実的とは言えん」ピエールが賢しらぶる。何を勘違いしているのだ、こいつは。俺はただこれの丈夫さを確認しただけだ。見上げた天井は俺の身長の倍以上。これなら問題あるまい。記憶の彼方から引きずり出すのは、二つのコツ。「テメエらは後から来い。ここらのやつに負ける程柔じゃねえだろ」魔力を一か所に集める術を、ザオリクの時に会得した。それを使う。「俺は、勝手に行く。――スカラ」身の守りを高める魔力を、両足へ。ただの石畳と罠を見分けんと睨みつける。ここだ、と予測した床へ駆ける。読み通り、足元から突き上げる感触。その穂先は魔力に阻まれて俺の足を貫きはしない。「な、なんて無茶を!」ピエールたちを悲鳴ごと置き去りにしていく。次から次へと突き出る杭を爪先で、踵で、トンと踏みつけ跳ねる。それを繰り返せば、最短距離で階段まで辿り着く。記憶の彼方から引き出したのは、《鍛錬》の一つ。指先だけで針山を登ったことがあった。それに比べれば余程容易い!火を噴く竜の石像が道を阻む。これを蹴り砕く。跳ね橋の向こうに倒れた人影。デボラではないので近寄ることもせず。召喚陣から現れた多腕の獅子を切り飛ばす。蛇腹の怪鳥と二足歩行の大猪が何やら騒ぎ立てる。耳など傾けない。追いついてきたピエールたちと共に、切り伏せ捻じ伏せる。構っている暇はない。屋上に辿り付いた俺の目が捉えたのは二つの影だったのだから。一つは薄い光の檻の向こうの姿。俺がここへ来た意味。一つは怪物。二足で立つ大馬。こちらを見てニヤニヤと笑っている。覚えがある。覚えている。忘れてはならなかった。薄暗い遺跡の光景が甦る。あの声が嘲ったのは、あの頃の俺の一番大切なもの『僕』から、奪っていったやつ。「返せ」俺の喉が搾り出せた意味のある言葉は、それだけだった。デボラが俺を見て何か叫んでいる。怪我はなさそうで安堵する心が酷く遠い。「アアアアアァッ!」怒声と共に振りかぶった剣は、しかし妙な手応えしかない。まるで巨大な壁をぶっ叩いたような違和感。「わっはっは! オレは不死身だ! 誰もこのオレ様をキズつけることはできまい!」高笑う馬頭の化け物。俺は知っている。こいつの名を知っている。あの古びた遺跡の中で聞いた、不快な名だ。「グルゥ……ガァ!」吼え立てて跳びかかるゲレゲレ。その体も弾き飛ばされる。身軽く一回転して着地し、警戒心と憎悪を露わに唸る。こいつも覚えている。俺の記憶違いではないらしい。「む? ははは、そうか貴様らあの時のガキとキラーパンサーか! 野たれ死んでおれば、よかったものを! 無駄に生き永らえたな!」怒りで顔が熱くなるのが解る。いや、顔だけではない、全身だ。全身が憤怒のあまりに震えている。「ここで死ねぇいっ!」「っ、スカラっ!」見た目からは想像できない俊敏さで、蹄が俺の腹へ打ちこまれてくる。咄嗟に防護の術を唱えるも衝撃までは無くせない。「ぐがっ」いとも簡単に床に転がされちまう。スカラがなきゃ肋が折れていたかもしれない。「バカ! なんで助けに来たのよ、コイツらの目的は、アンタを亡きものにすることで……」「惚れた女ぁ助けるのに理由なんざ要るかぁ!」薄光の檻に囚われたままのデボラが悲鳴を上げたのへ、声を張る。……そして寸の間を経て、この化け物の目的に気付く。問いかけるような独りごとは、冷たい声をしていた。「奪う、気か。また。俺から、俺のものを」「ははは、その通り! 貴様を亡きものにした後はオレがあの国の王よ!」ぶつり。何かが切れる音。虎の尾を踏んだ。逆鱗に触れた。「『父さん》を、『父さんから継いだもの》を、『惚れた女》を、『俺から奪う》、だと?」頭痛がする。視界が赤く染まる。殴られた拍子に血でも出たのか。開けた空の下。灯台の炎がじかじかと眩しい。誰の声も遠くなる。握る得物に力が入る。「殺す。テメエは殺す。絶対に、確実に、殺す、殺してやらぁあああ!」胸の内から湧き出るのは汚泥じみた熱。それに突き動かされて、俺はがむしゃらに剣を振り上げた。先程と同じように、不可視の壁に阻まれて届かない。はずだった。――ぴしり。何かがひび割れる音。焦る声。「ば、バカな、無敵のバリアが! ミルドラース様に授かった不死身の力が!?」ぴしり、ぴしり、ぱりん。「や、奴を覆っていた見えない壁が消えた!……イオっ!」ピエールが後方から爆発呪文を唱える。「ぐわぁ!」顔面に爆破をぶち当てられて馬頭は仰け反った。「ジャギ!」呼びかけられ視線を向ける。すぐ傍に、デボラが居た。「デボ、ラ」その全身が淡く光を放っている。その光を、俺はつい最近どこかで見た。「お、おのれぇ! まさか、貴様、天空の末裔か!」「私が、天空の末裔……?」顔面を焼け爛れさせたまま、その巨大な腕を振りかぶるのを黙って見てはいない。「グルゥウウ!」ここにいるのは俺だけではない。ゲレゲレがその大腕に牙を立てる。「ぎゃあっ! お、おのれキラーパンサー風情が……!」「おっと、私を忘れてはいないかい? イオ!」ゲレゲレを引き剥がそうとした腕に、再び爆発が叩き込まれる。「下がってろ、デボラ、こいつは、俺がやる。俺が倒す。――父さんの、仇なんだ」「! 解ったわ、やっちゃいなさい、ジャギ!」デボラの声を背負って、俺は剣を振りかぶる。ふと思う。俺はこの剣筋を何処で覚えたんだろう。無意識のうちに瞬き一つ。目蓋の裏に浮かぶ日に焼けた大きな背中。「アアアアアアっ!」裂帛。一閃。袈裟掛けに切り裂いた怪物が、どう、と背中から倒れ伏す。この太刀筋を知っている。覚えている。思い出した。「……父さん……」俺が知っている、世界で一番強い剣使いの、技だ。「ジャギ!」とん、と背中に感触。温かで、柔らかい。「……服、汚れんぞ」「帰ったら着替えるわよ。バカ、助けに来るとは思ってたけど、バカ」「……遅くなって、悪かったな」けど、今度は、「間に合ったわよ、バカ」「っ、デボラ!」こいつはどうして俺が欲しかった言葉をくれるんだろう。間に合った。今度は間に合った。今度は大丈夫だ。今度こそは。『父さん』から継いだ『技』で、俺は『大事なもの』を守れた。それを教えてくれる言葉と、温もりだ。ああ、こんなとこにもう一分一秒とていたくはない。帰ろう。俺たちの家に。あいつらも、待ってる。そう告げようとした俺の喉が引きつった。「ほっほっほっほっ。まさかこんなところに天空の末裔がいるとは」視界の端でぐにゃりと空間が歪む。そこに現れた姿に、消えたはずの憤怒と憎悪が再び湧き上がっていく。「ゲ、マぁあああああああ!」ローブを纏った不気味なこの男もまた、怨敵。―――――――――――――――――――――――――――――――――――――劇場版とネタが被る前に完結させちゃわないと。