「おぎゃあ」今聞こえるこれはなんだ?――声だ。赤ん坊の泣き声だ。「おぎゃあ」「おぎゃあ」二重に聞こえる声の出所を探して、俺は首をゆっくりと巡らせる。ベッドの脇で顔を青ざめさせている女。その腕に抱かれた、二つの固まり。「……ラ、カン、と、リ、リ……?」思考がようやく動き始める。「……ギ様、ジャギ様ッ!」「ジャギ、おい、大丈夫か、ジャギッ!」途端に耳に響いてくる声。サンチョとピエールが肩を掴んで叫んでいた。部屋の中にはいつの間にか明かりが灯され、惨劇をまざまざと照らし出している。「……どん、くらい、だ?」「ジャギ、やっと気付……」「ピエール。俺がここにきてから、どんくらい経った?」「ま、まだそんなに経っていないがそれがどうしたと」「どうしたもこうしたもあるかァッ!」しん、と部屋が水を打ったように静まりかえる中、俺はふらふらと立ち上がった。幽鬼じみた足取りで女――デボラの母親へと近寄る。「ここで、なにが、あった。デボラは、何処へ、行った」「あ……あの、子は、部屋の明かりが消えたと、同時に、私とこの子たちを、寝台の下へ押し込んでっ」曰く。その直後に扉を破壊して魔物がやってきた。曰く。デボラは即座に戦闘に移り、二、三の魔物を倒したが何やら呪文をかけられ意識を失った。曰く。そんなあいつを連れて、魔物たちは去っていった。そうしてそれは、俺が目を覚ますほんの少し前の出来事だったという。「……俺は、また」間に合わなかった。あと少し早く目を覚ましていれば。そうすれば、こんなことには。「ああ!何ということだ、これでは『あの時』と同じではないか!」そうだ。《あの時》と同じだ。俺がいい気分出いる間に《アイツ》は。ただの冷たい肉塊に成り果て、て、「おぎゃあ」「おぎゃあ」「ッ!」沈みそうになった意識は赤子の泣き声で引き戻される。「……大丈夫。大丈夫だ」泣きじゃくる赤ん坊の頬に触れる。ぴたりと泣きやんだ二人の青い瞳がじっとこちらを見上げてくる。ああ、こんなちっこいのに俺が、父親が判るのか。よくできてる。「お前たちはきっと、デボラに似たんだな」「ジャギ殿……」心配そうに呟く女の前で俺は呟く。「心配すんな。すぐ、連れて帰ってきてやる」「そ、そうですとも! あの時の二の舞にしてはなりません! すぐに対策を!」サンチョがバタバタと部屋を出ていく。俺もすぐにそれを追った。後悔させてやる。今の俺からよりにもよってデボラを奪ったことを。思い知らせてやる。それがどれだけ罪深いことか、死を以て味あわせてやる。「……やはりな」主立った奴らが集まったはずの会議場。そこに大臣の姿がない。「ジャギ、やはり、とはどういうことじゃ?」「あのクソッタレの大臣は今回の件で、糸引いてやがったんだよ」「な、なんですとー!?」驚くサンチョや居並ぶ奴ら。ああちきしょう。この国の奴らは本当にお人好しだ。――急に態度が変わった大臣を疑いもしなかった、俺含めて。「あの野郎、酒に薬仕込んだんだろうよ。でなけりゃ、あんな一斉に寝入るもんか」「そ、それは確かに……」「誰でもいい。あのクソ野郎が何か怪しい動きを見せたのを見た奴ァ居ねぇか?」全員が顔を見合わせ、不安げにひそひそと言葉を交わしている。「あるんなら言え!俺ァ気が立ってるんだッ!」勢いよく降りおろした拳が鈍い音を立てる。木製のテーブルは一部がえぐれ、ヒビが広がった。「……大臣が北の方へ飛んでいくのを見たよ」「北へ飛んだぁ?」「ああ。見間違いだと思ったんだけど、どうやらそうじゃあなかったらしい」腰掛けていた椅子から立ち上がると、ドリスは俺を手招いた。「普通の人間が空を飛べるわけもない。ガサ入れと行こうか」「……おう」俺も続けて腰を上げるとサンチョが慌てて立ちふさがった。「お、お待ちください、ジャギ様ッ! よもや、デボラ様を探しに行かれるおつもりかッ!?」「当たり前だ。テメェの女房をテメェで探しに行ってなにが」「な、なりませぬ!」裏がえらんばかりの勢いでサンチョが叫ぶ。「ラカン様とリリ様をどうなさるおつもりですか!」「ちょっと行って、ぶん殴って取り戻してくるだけだ。そんな時間はかからん」「ですが……ですが……ッ」言葉に詰まるなら、止めるな。「……兵は出す。それではいかんかのう、ジャギ」「あ?」オジロンのおっさんが腰掛けたまま問う。「のお、ジャギ。ワシらはさっき、真の王を取り戻したばかりじゃ」「それが、なんだって」「……兄上と同じように、また戻って来なかったらと考えると、誰もが、恐ろしいのじゃよ」「……そんだけか?」たったそれだけのことで、俺を足止めしようというのか。ふざけるんじゃねえ。俺は一瞬だって早く、アイツを助けに行かなきゃなんねえんだ。「俺ぁな、結婚する前に親父に誓いを立てた」手元に引き寄せるのは、いつでも出立できるように準備した道具袋。そこから取り出すのは親父の剣。「親父とこの剣に誓った。俺は幸福になると。惚れた女を幸福にすると」親父から継いだものも、俺が手に入れたものを両天秤にかけるようなことはしない。それは両方俺のモノだ。「だから俺は行くぞ。俺の幸福には、アイツがいなけりゃ意味がねえんだッ!」轟、と吠えれば会議場が静まり返る。ああ腹が立つ。どうしてどいつもこいつも俺を死地へ送るような顔をするんだ。俺は死なずに、必ずここへ帰ってくるつもりだと言うのに。腹を立てたまま背中を向けて、足が止まる。腰に結びつけた道具袋がざわめいていた。袋の口を開けば、中からゆったりと浮かび上がってくるものがある。「こ、これは……」サンチョには見覚えがあるらしく、光を放ち浮かび上がるそれを見て狼狽えていた。「……ああ……」星のように光輝く天空の剣が、ぼんやりと宙に鎮座する。よもや、と思って手を伸ばす。いつものように一瞬の幻。目覚めても、その重さは前と変わりはない。「……俺に持つ資格はねえが、どうやらこいつが、ここを守ってくれるみてえだ」眉をしかめ、舌打ちをする。ああ、なんて腹が立つ剣だ。父さんが見つけたモンでなきゃ、叩き折ってやりてえ。「サンチョ。俺が帰るまで、こいつは預けた」「は、はい、ジャギ様ッ!」サンチョは俺の前にひざまずき、頭を垂れる。宙に浮いた剣をひっ掴み、サンチョへと手渡すと再び背を向けた。大臣の部屋に何かしらの手がかりがあるに、違いない。すぐに行って帰る。それだけだ。それだけでいいのだ。それだけを考えよう。だから、さっき触れたときに見えたものは、忘れろ。忘れてしまえ。『この剣はここに置く。それが、正しいのだな?」緑の髪をした男が問えば、桃色の髪をした女がうなずく。『ええ。いつかふさわしいものの手に渡るはずです』『わかった』男は納得したらしく剣をそこ――巨大な樹の枝へと突き刺した。『いずれまた、世界は闇に覆われるというのか』悔しげに呟く男の声に酷く頭が痛む。やはり俺は、こいつを知っている。『人ならざる者がすむ世界故、仕方のないことでしょう』女の耳は常人とは違い尖っている。こいつもまた、人ならざる者ということなのだろう。『それでもいつか、あなたのように勇者が……救世主が、現れるはずです」ああ、腹の立つ。救世主。俺の大嫌いな言葉だ。それが俺が見つけ出さねばならぬ勇者と同一であることは、どうしても腹立たしい。『未来の勇者も、俺と同じ悲しみを背負うのだろうか』『……かも、しれませんね』『ならば俺はこの剣に祈ろう。どうか、俺と同じ愛する者を奪われる悲しみが一つでも減るように、と』男が女を抱き寄せる。女は男の名を呼ぶ。いつもなら聞こえないはずのその名が、今日に限って聞こえた。『ええ、『ケン』――あなたの祈りが通じることを、私も祈りましょう』酷く痛む頭を振って、脳裏からその記憶を追い出す。デボラ。今の俺に必要なのはアイツだ。そのことだけ考えればいい。アイツを守るという誓いについてだけ、考えろ。だから忘れてしまえ。あんなふざけた名前。《ジャギ》が世界中で誰よりも、怒り、憎しみ、嫉み、妬んだ男の名前など。ましてやその男の願いが、俺の帰る場所を守っている事実など、忘れてしまえばいい。俺はただ、力を利用するだけだ。頭痛はまた酷くなるばかりで、嘲るような幻聴さえ聞こえて来る程だった。─────────────────────────────────────この回書くために調べたら4勇者のCDシアター版の名前がレイでむせたけど私は元気です。