第三十五話:憧憬 グランバニアの城の人々に伝えられて曰く。『パパス前国王の忠臣であったサンチョの知人夫婦』『夫のほうは偶然、たまたま、不思議なことに、王子と同じ名前』『王に謁見していたところ、夫人が倒れ、ついでに妊娠が発覚』『人の良い王様は彼女の体調を考えて、居室を一つ貸し出した』――よくもまあ、こんな話をこの城の奴らは信じたものだ。「ちぃと腑抜けというか間抜けというか……」ため息を一つこぼして、俺はブチブチと雑草を引き抜いていく。「ジャギー」「なんだードリスー」城に来てから既に一月。最初の頃は遠慮や警戒もあったドリスだが、今はピエール達とどっこいどっこいくらいに気軽に対応出来る。「アンタさー、本当に街の人たちがその話を信じてると思ってんの?」同じようにしゃがみこんで雑草を抜いているので顔は見えないが、なんだか呆れたような声音なのは俺の気のせいだろうか?「信じるも何も事実じゃねーか」この一月のことを思い出す。ピエール達にデボラの妊娠とここへ滞在する旨を伝えに行ったところを、ガキんちょが一人、見ていたんだそうだ。そのガキんちょがたまたま宿屋の息子で、しかもとんだお喋りだったもんだから、俺が『魔物使い』であることが一気に広まり、街の奴らは何かと話しかけてくるようになった。「毎日毎日、『マーサ様はどんな人だった』『パパス様はこんな人だった』 『王子様が帰ってきたら、とても嬉しい』ってことを聞かされまくったっつーの」「聞かされるのが面倒になって、ここに逃げてきてんだもんね?」「そりゃあよぉ、母さんがガキに優しかったとか、父さんがどんだけ強かったとか、 そーいう話聞いて嫌な気はしないけど、毎日聞かされっとな……」「そうだね。毎日毎日、誰も彼もがアンタにパパス様とマーサ様の思い出を教えてくれたね?」「ああ。ったく、見ず知らずの人間に前国王夫妻の自慢話なんざ、 この城の奴らはどんだけ暇でお人よしなんだよ……」偶然、俺がその前国王夫妻の息子だから喜んで聞いたが、他の奴らだったらこの城の奴らは頭おかしいと思うんじゃねえだろうか。「……うん、ジャギがそう思ってんだったら、アタシはもう何も言わないよ、うん」呆れを通り越して悟りの境地にいるような声に聞こえる。今の俺の言葉の中に、そんな声になるような要素は見当たらないはずだが。「じャ、ぎー」「ん?」妙に甲高い声を出して、後ろから迫ってくる気配。青い体をぷるぷると揺らしながら、いつも以上に満面の笑みを浮かべているのはスラリンだ。「おっ、スラぼう、お前ようやく喋れるようになったのか」ドリスは草をむしる手を止め、俺の足元に寄って来たスラリンを撫でる。「やった! ボク今、ちゃんとジャギの名前呼べてたんだ!?」スラリンは俺に向き直ると、嬉しさを隠し切れない様子で体を弾ませる。「はは、また鳴き声に戻ってるぞ」「アレレ……?」無い首を傾げるスラリンを抱えて、ドリスはケタケタと笑っている。こいつは最近、人間の言葉を覚えることにお熱だ。この城には母さんの友達だったという、一匹のスライムが居り、そいつは訓練の末に人間の言葉を習得したのだそうだ。で、それを聞いたスラリンも『ジャギの子供とお喋りしたい!』からと、意気揚々とそいつに人間の言葉を習っているらしい。こいつが喋れるようになったら、余計なことしか言わなそうだが、本スライムがやる気なので、俺が止めるわけにもいかない。「ジャギ、デボラについていなくていいのかい?」「……役に立たねえ男は邪魔なんだそーだ」最初の三日は、日がな一日デボラの傍についていた。が、あいつが少しでも具合悪そうな顔をするたび、「何かしてやれることはねぇか」、とうろたえてばかり居たのが良くなかったらしい。「大丈夫だから、街にも出てろ」とケツを蹴り飛ばされ、街に出たら出たでしつこい自慢話を聞かされて、流れ流れて俺はここにいる。「しかしまぁ……似合わないなぁ、その格好」「うるせえ、自覚はしてる」今の俺は旅装束ではなく、ごく普通の布の服を着ている。その上からさらに絹製なんぞではない安物のエプロンをつけ、手には雑草。ヘンリーが見たら、腹を抱えて三日三晩は笑い転げる。間違いなく。「草むしってる間は何も考えないでいいけどよー、土いじりって楽しいか?」「ん? 楽しいわよ。でなきゃやってないし」一しきりスラリンを撫で、というかこねくり回して満足したのかドリスは如雨露から水を撒いている。「それにこの花。これがこの一月で急に元気になってきてんのよねー」「あー、確かデボラが言ってたな。なんつー名前だったか」「リリの花。成長させるの、割と大変なんだけどね」ドリスの視線がこちらに向く。口ぶりから感じ取れるのは不満と喜びという相反する感情。「やっぱり、ちゃんとご主人様がわかってんのかしら」「んだそりゃ」突然何を言い出すんだ、こいつは。「……この花はね、マーサ様が、ジャギの妊娠が解った時に植えた花なの」「そうなのか」「そうなのよ。この花は、あなたを迎えるための花。だからきっと今、咲こうとしてるんだわ」「……信じらんねぇな」花に意志がある、とでも言うんだろうか。大体俺は、花自体そんなに好きではない。《あの世界》には花を愛でる余裕なんざ……《ここ、私のお気に入りの場所なんだ》――なくはなかったが、あまり思い出したいもんでも、ない。「信じられないついでに、私の乳母から聞いた話でもさせてもらうわね」拒否権すらもらえなかった。女ってのはどうしてこんなお喋りが好きなのか。「乳母はマーサ様のお世話係もやってた人でね。妊娠が解ったばかりのマーサ様は、 こんな夢の話をしたんだそうよ」/////////////////////////////////////////////////////////////////どことも知れぬ、暗いような明るいような不思議な空間。マーサ様はそこに一人佇んでいた。何かないか、と辺りを見回すと、一頭の巨大なドラゴンが倒れていたんだそうよ。紫色をした巨大なドラゴン。翼も体もボロボロで、今にも死んでしまいそう。マーサ様は勿論ドラゴンに呼びかけたわ。「どうしたのですか、そんなに酷い怪我をして」と。ドラゴンはマーサ様の呼びかけに、薄く目を見開いたわ。そうして、腕の中に抱えていた、小さな光る塊をマーサ様に押し付けたそうなの。「頼む」とドラゴンは息も絶え絶えに告げた。マーサ様が腕に抱えた塊を見ると、いつの間にかそれは小さな子供の姿に変わっていたそうよ。マーサ様は、その子供のことも、ドラゴンのことも何一つ聞かなかった。ただ、この子供を守らなくてはいけない、と思った。「解りました。お預かりします」と、答えたら、ドラゴンは安心したように笑って、一人のお爺さんの姿になって――/////////////////////////////////////////////////////////////////「……くだらねぇ! そんな御伽噺信じられるかよ!」口から出た声は意図していたよりも遥かに大きくて、我がことながらぎょっとする。「いいじゃない。ひょっとしたら、マスタードラゴンかもしれないし? ロマンチックだわ。竜に託された子供だなんて、さ」「馬鹿馬鹿しい……そーいうののご加護があるような人生送ってねえよ」地面に叩きつけるようにエプロンを脱ぎ捨てる。足早に庭を抜け出し、石畳、絨毯、と変遷していく足元だけを眺めていく。「夢だ。母さんが見た、ただの夢だ」そう思いながらも、まるで《実際に体験したかのように』脳裏に浮かぶ光景がある。//////////////////////////////////////////////////////////////////////////どことも知れぬ、暗黒の闇の中。泥水の中に浮かんでいたような感覚。けれどその感覚はひどく曖昧で、肉体の存在を確認できない。ただ、このまま沈んでしまうのだ、とばかり思っていたその身を、掬い上げた巨大な爪。紫色のでっかいトカゲは、俺を抱えて空へ飛び上がった。けれど長くは飛べず、力尽きて落ちたそこで、一人の女に出会った。そのトカゲは俺をその女に渡す。女は俺を抱き締めた。そうして、安心しきった顔でトカゲは――見慣れた《ジジイ》の姿に戻って、闇に溶けた。//////////////////////////////////////////////////////////////////////////「馬鹿馬鹿しい」母さんが見た夢が本当なら、俺の脳裏に浮かんだ光景が真実なら。《あのジジイ》が俺を、暗くて冷たいところから、助け出したことになるではないか。俺に何も与えず、騙し、死なせた男が、そんなことをするはずがない。だからそれはきっと母さんの見た夢で、浮かんだ光景は―― きぃ、と音を立てて扉を開く。嫌なことがあると、結局ここへ来ちまう。「なーに辛気臭い面してんの?」「ちょっと考え事をな。具合は大丈夫か?」「平気よ。食欲も戻ったしね。ちょっと好き嫌いは増えたけど」「まぁ、こればかりは仕方ないらしいですわ」随分と顔色がよくなったデボラの隣、その母親もコロコロと笑っている。最初は冗談だったはずの、デボラの母親が滞在するというプランは本人の初孫フィーバーにより継続中だ。妻に置いていかれて、ルドマンが涙目になった、とはデボラの談。「それにしても長いわねぇ……、あとひーふー……」出産までの日にちを指折り数える姿は、本当に幸せそうだ。「まだそんなにかかんのか」「まだそんなにかかるのよ。早く会いたいわ」大変じゃないのか、と聞こうとしたがデボラの微笑みはとろけきっている。普段のツンケンした部分は、一体何処にやった。「あっ!」「!? ど、どどどどどうした!?」「今、お腹蹴ったわ」「な、何がだ!?」「馬鹿ね、赤ちゃんに決まってるじゃない。ほら、こっち来なさいよ」手招きされるまま、デボラのすぐ側へふらふらと歩み寄る。「ほら、お腹に手をあててみなさい」「お、おう?」腹を締め付けない、緩い寝間着。身を屈めて、その上から恐る恐る手を乗せてみる。柔らかな腹からは、トン、と軽い振動が伝わってきた。「の、のわッ!?」「そんなに驚くこと?」「い、いや、本当に腹に入ってんだなって……」腹越しとはいえ、そこに確かに命を感じて、何とも言い難い感覚が胸に広がる。困惑と喜びを鍋にぶち込んで煮詰めたら、この感覚に似た何かが出来あがるだろう。確かに衝撃を感じた右手は、腹から手を離してなお、緩やかに温かい。「しっかりしてよね、お父さん」「……『お父さん』」口に出してみる。やっぱり違和感が拭えないが、生まれて来るまでに『父親の自覚』っつーもんはちゃんと俺に芽生えるんだろうか。不安だ。「はいはい、眉間に皺作ってんじゃないの」「むぅ……」そう言われて、逆に眉間の皺を深めていた俺の耳に、ノックの音と聞き慣れた声が聞こえていた。「おう、誰だー」「サンチョです、入ってよろしいですか、ぼっちゃん」「……構わんが、ぼっちゃんはやめろ」横でデボラの母親が笑いをこらえてるだろうが。もう、ぼっちゃんっていう見た目じゃねえ。「コホン、失礼しました。ジャギ様。王様がお呼びです」「おっさんがか? 解った、すぐ行く」まだ日も暮れねえうちから、呼び出すとは珍しい。夜になってからは何かと呼び出してきて、酒に付き合わされたりするけどな。 玉座の間ではなく、会議室のほうでおっさんは待ってた。「よー、おっさん何か用か」「せめて伯父上、とお呼びください!」「げっ……」おっさんだけかと思ったら大臣の野郎も居やがった。この野郎、なんとなく俺を目の仇にしてるみてぇで正直気に食わん。「ほっほ、よいよい。あー、実はなジャギ。大事な話があるんじゃ」「――母さんの手掛かりでも、見つかったのか?」俺がそう聞き返すと、おっさんは残念そうに眉を顰める。「いいや、すまんがマーサ殿についてはまだ……」「そうか……んじゃ、話ってなんだよ」デボラは大丈夫そうだし、母さんについての目新しい情報もない。それ以外に、大事な話なんかあんのだろうか。「実はな、王位をジャギに譲ろうと思うんじゃ」「なんだ、王位を俺に譲……あぁ?」今うっかり流すところだったが、さらりと何言ってんだこのジジイ。「元々、ワシは兄上とジャギが居なくなったから、王になっただけ。 ジャギが戻ってきたのなら、ワシが王である理由などあるまい」「えー、あー、いや、うん。くれるっつーんならもらうが」「お、王位はそんな簡単なものではありませんぞ!」大臣が青筋を立てる。んだよ、くれるつってんだからいいじゃねえか。「うむ。まあ大臣の言うことにも一理あっての。幾らワシがお人よしとて、 ほいほい王位を明け渡しては国民に示しがつかん、と大臣は言うんじゃ」いやー、どうだろうな。この国の奴らだったら、『オジロン様らしい』で受け入れそうだが。人が良いのは国民も国王も似た者同士だし。「それで、の。実は我が国には王位を継ぐ者に、ある試練を与えることになっておっての」「つまり、その試練って奴をクリアすりゃあ、俺が王様ってわけか」「そう。兄上の、そなたの父の後を継いで、な」その一言で背筋がぞくぞくと震える。この国の王。実際にその仕事をやれるかどうかは別として、今度こそ、『父さん』の後継者に、なれる。俺が。他の誰でもない、俺が。父親を継げる。他に誰が選ばれることもない。俺が。俺が父親を継げる。どうしようもなく喜びで溢れる心中に、ちらり、と浮かんだ【父親】が、誰の姿をしているのかを、考えることもなかった。─────────────────────────────────実験的に台詞前後に改行を付け足してみたり。ご意見お待ちしてます。続きは気長にお待ちください。