第三十三話:家族 サンチョに案内され扉をくぐる。中には街が広がっていた。「おお」話には聞いてたが実際見ると面白いもんだ。こういう時、ピエールやスラリンが居ると相当やかましかったろう。俺は奴らも城の中へ連れて来るつもりだった。だが、ピエールが「王への報告より早くこの国の王子らしい、とバレるのはまずいんじゃないか?」と主張したので魔物使いの証であるあいつらは置いてきている。ついでに、顔が見えないように鉄仮面を被ったままだ。「変わった作りだよなあ」「思ったより暗くないのね」二人できょろきょろしているとサンチョが笑いながら説明してくれた。「高い所に灯り取りの窓を付け、さらに聖なる松明で照らしていますからね」「ほぉ……魔物の侵入を防ぐための親父の提案、だったか」今朝の飯の時に聞いた、城の造りについての話を思い出す。「ええ。おかげでこの二十年ほど魔物の被害はほとんどないのです」サンチョの顔が僅かに曇る。『ほとんどない』は『全くない』と等しくはない。その例外に含まれるものが何か解っていて、敢えて問う。「ただ一人が奪われた他には、か?」俺の言葉に目を見開き、一瞬の後にうなずく。「はい」それが誰なのかは口にするまでもなかった。頑強な城壁。民を守るために作った城壁。それに囲まれながら、一番大事なものを親父は奪われたのだ。「……ジャギ、ちょっと、痛いんだけど」「へ?」間抜けな声を出した俺の前に、デボラの白い手が晒される。いつもよりももっと白くなった手。それをしっかと握りしめる俺の手。「い・た・い・ん・だ・け・ど?」一字一句力をこめて声を上げ、睨みつけてくる。……俺は一体、どれだけ力を入れていたというのか。「お、おう、悪い」力は緩めるが離しはしない。俺よりずっとずっとずっと強かった親父ですら、守れないものがあった。その事実が妙に空恐ろしくて、コイツの手を離せる気がしない。階段を昇り、上へ。ラインハットと同じように一番テッペンが王族の居所なんだろうな。やがて開けたところに出る。屋上が中庭みてえになってるのか。豪勢な扉の前へと進む。その隣に入っていた兵士が、こっちを見て目を丸くした。「これはこれはサンチョ殿! 久しぶりですな」「うむ、パピンよ久しいな」「して、今日は見知らぬお方を連れて……何用ですか?」パピン、というらしい兵士が俺達の方に視線を向ける。「王へ申し上げたいことがあって参った! 至急謁見を!」「……承りました。少々お待ちください」何かを言おうとしたらしいが、サンチョの迫力に気圧されたらしい。扉の中へと消える。「少々お待ちください、ジャギ様。今、あの者が謁見の許可をとって参りますので」「面倒な手続きが必要なんだな」今まで行った城は、ほとんど素通り出来たんだが。「……警戒を怠れないのですよ。現国王陛下と王女殿下以外、王族はおりませんので」小さく、マーサ様とジャギ様は行方知れずでしたし、と続けた。「今の王様ってどんな人なの?」「オジロン様はパパス様の弟君であらせれます」「……弟?」ずきり、と。また頭痛がした。親父がいるべき地位に、弟がいる。いるべき奴がいるべき場所に弟がいる。「そーだよっ。伯父上と比べものにならないボンクラのね!」その頭痛を弾き飛ばすような叫び。「のわっ!? だ、誰だテメエは!?」後ろからいきなり声をかけてきやがって。「アタシはドリス。そのボンクラの娘だよ」「お、王女殿下! 自分の父親をそのようにおっしゃっては」「何よ事実じゃない」ドリス、と名乗った女は肩をすくめた。「済し崩しに王位についちゃって、おかげで私は籠の鳥」女はやれやれ、と中庭らしき場所の石垣に寄りかかる。「気晴らしといえば、マーサ様がお作りになったこの庭くらい」「庭、ねえ」ひょい、と視線を向けてみるが、その良し悪しは全く解らん。確かに色んな種類の草が植えられちゃいるが、花の名なんざ知らねえ。「あら、素敵な庭じゃない。うちのと同じくらいかしら」「お、姐さん解るクチだね?」「ええ。特にあの端に生えてるの。あれリリの花でしょう?」「そうさ。上手く世話しないと何年も花が咲かないっつー……」花の話題で盛り上がり始めた。女ってのは花が好きなもんらしい。ああ、そういやこいつ、親父の弟の娘ってことは俺のイトコか。実感なんぞ到底わかねえ。わかねえが、こいつの笑顔は嫌いじゃない。ビアンカ、デボラに続いて、三人目だな。デボラの笑顔に感じるものより、ビアンカのものに近いような気がする。ただ、あくまで近い、であってあいつへ向けていた感情とは違う。なんなんだろうかこりゃ。「失礼します。サンチョ様、謁見の許可がとれました。そちらのお二人も、ご一緒に」「うむ。それでは参りましょう、お二人共」「お、おう」二人が盛り上がってるのを見ている間に、頭痛は消えていた。 謁見の間へ入る。仮面をとらない俺に兵士たちが訝しげな目を向けている。不満があるなら、とれ、って一言言やあいいことだろうが。逆に睨み返してやるか。「サンチョ、今日は具合がよさそうではないか」……?おい、この声は。何処だ。どっから出てる。辺りを見回す。「至急の用というのは、その者たち関することか?」「はい、そうですオジロン様!」サンチョが声の主をそう呼んだ。オジロン。確か今の王。視線を玉座に向ける。息が、止まるかと思った。「あい、わかった」男が喋るたびに心臓が跳ねる。玉座を降りたそいつが、ぼてぼてのっそりと俺の近くまで歩いてくる。「仮面を、とってはくれぬか?」「あ、ああ」手が震えた。近くで見る顔が、近くで聞く声が、俺のどっかを揺さぶる。「……ふむ」そいつは納得したらしく、二度三度頷く。「大きくなったの、ジャギ。会えて嬉しいわい」微笑んだその顔に見覚えがありすぎて、心臓が壊れちまいそうだった。「瞳は義姉上によう似ておる。そして、顔立ちは兄上に」「……あん、た、は」「ワシはオジロン。現グランバニア王にして」ぽんぽん、と労う様に肩が叩かれる。「全グランバニア王パパスの――お前の父パパスの、出来の悪い弟じゃよ」親父程の覇気はなく、体格的にもガッチリしていた親父に遥かに劣る。けれど。「その、顔と、声が、親父に、よく似て」間違いない。親父の家族だ。「あんたにも似てるわよ」デボラが笑う。「よかったわね。やっと血の繋がった家族に会えて」「待っておったぞ、よう帰って来たな」優しい声に覚えがある。《俺》を完全に自覚する前の『俺』が一番好きだった声。記憶の中に置いてきちまった、二度と聞けないはずの声だ。――正直。血の繋がった家族の存在なんか期待しちゃいなかった。居たところで、厄介者として扱われるとばかり思っていた。「お……」だから、自然と言葉が出た。「俺も、嬉、しい」今解った。さっきドリスに感じたのは、血の繋がりを感じた喜びだ。「大変であったのだろうな。その姿を見れば解るぞ」「あら、私が一緒だったから大変でも平気だったわよね?」デボラが胸を張る。否定はしないが、今言うことか?「ほお。ジャギ、紹介してくれんか。こちらの美しいお嬢さんはどなたかね?」「私はデボラ。このジャギのつ……」滲んだ視界の端で、何かが傾いだ。「あ、ら?」フラリと倒れる姿を、とっさに抱き止めた。「……デボラ……?」息を乱したまま、腕の中でぐったりしているデボラと、突然の展開に頭のついていかない俺と、どちらの顔が蒼白だっただろう。 謁見の間が一気に騒がしくなる。誰かがデボラを王族の寝室へ運ぶように叫んだ。誰かが城で医者代わりをつとめるシスターを呼びに慌てて階下へ向かった。シスターが来るまでの間、俺はベッドに横になったデボラをじっと見つめていた。顔色が悪い。砂漠や、チゾットの時よりも。握りしめた手の冷たさにゾッとする。こいつはこんなにも儚い存在だっただろうか。「……ママ……」小さな声で、デボラが小さく呟く。さっき、俺に家族が出来たことを喜んでくれたデボラ。それがどうして、こんなに消えちまいそうに見えるんだ。おかしいだろ。何でだ。何でこいつがこんなことにならなきゃいけねえ。「……旦那さん、少し席を外していただけますか?」揺さぶられ、俺は声の主に視線を向ける。どうやら呼ばれてきたシスターのようだが、その顔が強張っている。こいつの具合はそんなに悪いのか?「だ、大丈夫ですよジャギ様。彼女は腕が良いのです」その後ろから、おろおろとサンチョが声をかける。「ですから、どうぞそんな怖い顔をなさらず、彼女に任せてください」「……ああ……」言われて気付く。またとんでもねえ顔になっちまってたみてえだ。「心配、しないで、いいわよ」ゆるりと立ちあがった俺の背中に、デボラが声をかける。その声に常の強さがない。それが恐ろしい。「……待ってろ、特効薬を用意して来る」背中越しにそう告げて寝室を出た。「サンチョ」「はい、ジャギ様」「少し出て来る。急に消えたことの説明は任せた」「え、あの、ぼっちゃん!?」困惑したサンチョを置き去りに、ルーラを唱えた。 見覚えのある町。俺の存在を覚えてるらしい奴らがざわついている。噴水の横を通り、橋を渡り、不用心な扉を開く。「む。誰かと思えばジャギか。どうしたのかね?」「あら、ジャギさん。お久しぶりですわね。デボラも来てるの?」居間には茶を飲んでいるルドマンと、――ここへ来た目的であるデボラの母親が居た。「デボラは、ここにはいない」そう告げると二人の顔が強張る。「旅先で倒れた」「なんと! あの風邪一つひいたことのないデボラが!」驚愕した様子のルドマン。母親の方は顔を青ざめさせている。「それで、ジャギさんはどうしてここへ?」「デボラがあんたを呼んだ。だから、デボラのとこにあんたを連れて行きたい」旅の間中、俺と一緒に居る時には一度も聞いたことのない声で、デボラは母親を呼んだ。俺が傍に居るのに俺じゃなくて母親を呼んだ。なら、今あいつの傍に必要なのは、この女なんだろう。「参りましょう」俺の言葉を聞いて、椅子から立ち上がる。「お、おい、お前。出かけるにしたって準備をせねば」身一つで行こうとする姿にルドマンがうろたえる。「そんな時間はありません」きっぱりと睨み返す姿に、どっかで覚えがある。「デボラが。私の娘が母である私を呼んでいるのですから」スカートの裾を持つと玄関へと足を向けた。「さあ、参りましょう、ジャギさん」声をかけるや否や、つかつかと外へ向かう。「あ、ああ」その背中に重なる黒髪の面影。この行動力――成程、デボラの母親だ。 デボラの母親を連れて戻る。サンチョが間抜け面でこっちを見た。「えー、えーっとぼっちゃま、そちらの方は?」どっから連れてきたんだと、未だ気の抜けた顔をしている。「デボラの母です」それだけ告げる。確かに今の状況にそれ以上の説明は必要ない。「デボラはさっきの部屋から動かしてねえな?」「は、はい」おろおろしているサンチョを横目に、さっきの部屋に戻る。ルドマンの家のものと負けず劣らずの豪奢な造りだというのに、デボラの母親はそのことを一切気にしていない様子だ。ここはどこか、何故こんなところにいるのか、と問うこともしない。デボラの肝の座り具合は母親に似たらしい。扉の前につくと、ちょうどシスターが顔を出した所だった。開いた扉の中、デボラは先程よりマシな顔色をしている。「ママ!?」声も随分いつもの調子に戻っている。やれやれ。「デボラ! ああ、デボラ! 大丈夫なの!?」部屋に駆け込むのを確認して、俺は扉を閉じる。「……んで、デボラの具合はどうなんだ」安堵のため息を一つこぼすと、振り向いてシスターに尋ねた。「あんな体で旅をするなんて、無茶をさせないでください」「……ああ、俺の落ち度だ」故郷かもしれない、と言われて浮足立ってたんだろう。砂漠でも具合が悪そうだったのに、強行軍を続けた俺のせいだ。「とにかく、しばらくゆっくりと休養させてください」「それで治るのか?」聞き返す。シスターは何故かびっくりした顔をしている。「本当に鈍感なんですね……」「あ?」何故呆れ切った顔をしているのか。「少なくとも旅はしばらく諦めなければいけませんよ」「そんなに悪ィのか?」「良い悪いではなくてですね……」シスターがアホを見るような目をしている。何だその目は。「なんですって、デボラ!」おい、なんだ今の声は。俺は即座に部屋の中へと飛び込んだ。「どうした、そんなに悪ィ病気なのか、デボラ?」一足跳びでベッドサイドに詰め寄る。いつの間に着替えたんだか知らないが、デボラは温かな寝間着を着ていた。「そんな顔しないの。あと、ママもそんなにびっくりしないで」やれやれ、という風にデボラは首を横に振り――愛しそうに、自分の腹を撫でた。「ここに、赤ちゃんが入ってるってだけの話よ」は?今なんつったこいつ? アカチャン? アカチャンってなんだ?「マヌケな顔すんじゃないのジャギ。子供が生まれる、って言ってんのよ」え?「まあ、まあ! おめでとうジャギさん! あなた、お父さんになるのよ!」「俺が? 俺が、父親?」「そうよ」――そういやあ、そうか。ヤるってのは、快楽を求めたりとか、心を埋めるためだけの行為じゃなかったんだ。あれは子供を作るためにやるもんだったんだ。そんなこと、今の今まで考えたこともなかった。「俺が父親」口に出して見ても未だにしっくりこない。俺が人の親になる。その光景が一瞬たりとて浮かばない。「なんだったら、ママにはこっちに居てもらって孫の面倒見てもらおうかしら」デボラがくすくす笑う。「まあ、テメエが子育てしてるのもあんま想像つかねえしなあ」「ちょっとジャギ、それどういう意味よ」「言ったまんまの意味だよ」俺も想像出来ないがこいつが親になるのも想像出来ねえよ。子守唄歌って赤ん坊寝かしつけたり、乳をやったり、おむつ換えたりしそうには見えねえ。もしやるとしたら、いつも着てるような服じゃなく、もう少し大人しめの服を着るだろう。それから、やたら滅多付けてる付け爪も減らすだろうし、装飾品の類も減らしてもっとシンプルな姿になるだろうな。大体こいつ、化粧したり飾り立てたりしなくても十二分に美人だ。派手な格好やめて赤ん坊抱いてる姿なんざ、絵の中から飛び出してきたみたいになるんじゃねえか。「全く……。いっそ、ママにしばらくこっちに居て一緒に育ててもらおうかしら」デボラが口を尖らせる。少し言い過ぎたか。「お前を産んで育てたんだ、ま、お前よりはマシに子育て出来るだろう」しん、と突然部屋が静まり返る。? 俺はなんかおかしなことを言ったか?「……ええ、そうね。私にとって、ママは世界一の母親よ」デボラがそう口に出すと、デボラの母親がびくりと顔を上げた。「私が、まだ三歳になるかどうかの頃の話だけどね」手を膝の上で組んだまま、ぽつぽつと突然語り始める。「私は山の中に居た。腕にはまだ赤ん坊のフローラを抱えてね」子供の頃から随分破天荒だったんだな、と言おうとしたが何故か喉から出ない。「日も暮れかけてて、暗くて、寒くて、ひもじくて、怖かった」「デボラ……、あなた……」母親の声が震えている。「その内、腕に抱いてるフローラもぐったりし始めた」ざわざわと俺の何処かが嫌に騒ぐ。この話をこのまま聞いてちゃいけない気がする。「どうしていいか解らなくなって、私は泣いた。声を上げて泣いた」なのに、動けない。「あなた、覚えて……」母親の顔は青ざめている。「うん、覚えてる。ママが、私を、私とフローラを見つけてくれたあの時のこと」赤ん坊だった妹を連れだして迷子になった、とかそんな話じゃないらしい。ならどんな話か、と考えるのすら嫌だ。「綺麗なドレスが汚れるのもかまわないで、ママは私を抱きしめてくれた」組んでいた手が開かれ、母親の手をしっかと握った。「何処の誰かも知らない私を助けてくれたあの日から、私のママは世界一のママよ!」デボラが笑っている。先程死にそうだったデボラ。俺に血の繋がった家族がいたのを喜んでくれたデボラ。俺の子供を腹に宿したデボラ。俺の『家族』が笑っている。「愛してるわ、ママ」「デボラ……おお、デボラ……ええ、ええ、あなたは私の大事な娘ですとも」感極まって、母親が泣いている。『血の繋がらない親子』が、互いに愛してる、と泣いている。「……外に、出てる」耐えられない。あんなものを一瞬たりとて見ていられない。気を抜けば喉から言っちゃならん言葉が出そうで、口元を押さえて部屋を飛び出す。何処でもいい。人の居ない場所に行きたい。頭が痛い。心臓が痛い。体中が痛い。弾けちまいそうだ。これが肉体の痛みなら、ベホイミで治るのに。――魂からふつふつと湧き上がる黒い感情が呼び起こす、この痛みをどうしようもなくて俺は廊下をひた走った。どうして俺は――俺の愛してる女を『 』と思った?血の繋がらない親子が幸せそうだから、ってただそれだけで。やっぱり俺はどっかがおかしいんだ。俺は壊れてるんだ。きっと、まともな奴はこんな考えはしないはずなんだ。誰の顔も見たくない、誰のことも考えたくない。だから、俺の頭に浮かんでくるんじゃねえ、《 》 !────────────────────────別に好きなキャラの顔曇らせたいわけじゃないんだけどな。だけどな。