第三十二話:再会 洞窟を抜けた先、足元は土ではなく石畳が敷き詰められている。両脇に並ぶ彫像に、なんとなく見覚えがあるような気がした。「それに、こりゃあ」地面に刻まれた鳥の印を、俺はよく知っていた。背負った剣の柄に刻まれたのと同じ印だ。「おんや、それはグランバニアの印でねえか。おめさ、その剣どうしただ?」ここまで道案内をしたババアはめざとくそれを見つけて問うてくる。「……親父の形見だ」「そっだか。あの国はいい国だでな。そこにいたんなら、おめさの親父さんもいい人だ」そんなことは。「言われねえでも、わかってる」『俺』の親父には勿体ないくらい、いい人だった。 「へー、おじさんのお父さんあの国の兵士だったの?」ガキが首を傾げる。「それがわかんないから、今からグランバニアに行くのよ」デボラがガキの頭を撫でる。……こいつはこんなに子供に優しかったか?「ふーん。気をつけてね、おじさんときれいなおねえちゃん」「おじさんじゃねえつってんだろ」『俺』はまだ十代だと言うに。「だって最初に会ったとき仮面被ってたでしょ?」「それが何だってんだ」チゾットで倒れて以降、俺は鉄仮面を外している。こんだけ高い山であの仮面を被っていると酸素不足に陥りやすいらしい。あの時倒れたのはどうやら高山病の症状でもあったそうだ。「顔見えないから、おじさんだと思ったんだ。まるで何十年も生きてたみたいだったもん」「なに?」「この子は、ちぃとばっかし見えすぎる子での」ババアがガキを抱き寄せてこちらを見上げてくる。「そんな怖い顔すんでねえ」「え?」ババアの言葉にデボラが視線をガキから俺に移し、口をへの字に曲げる。ぐに、と頬に指が押し当てられた。「何怖い顔してんのよ、小魚のクセに」「……すまん」 どんな顔になっちまってたのかはわからんが、ガキの言葉に《俺》の存在を見透かされたように思えて、きっとひでえ顔をしていんだろう。 ババアとガキとは山道で別れ、森の中の道を行く。しばらく人が通ってはいないようだが、それでも均された道は随分通りやすい。山の上とは温度やら何やらが違うのだろう、雪が少ないのも手伝ってマシに歩ける。「しかし、なんというか、この辺りは心地いいな」何の脈絡もなくピエールが突然そんなことを言う。「あらそうかしら? 寒いしだるいしやんなっちゃうけど」馬車の中からデボラがそう返事を返す。「うんとね、ここなんていうのかな、あったかいのー」「うんうん。他のとこはね、ちょっとだけ『ココニいちゃダメ』って空気があるんだ!」ベホマンとスラリンがピエールに続く。「がう」ゲレゲレも同意……してるんだろう、恐らく。「先ほどの洞窟から感じていたがな、この国の空気は、とても、あーとても、だな」ピエールは相応しい言葉を捜すように宙空を見つめる。「あー、うん。私達のように、邪心の抜けたモンスターには心地いいんだ」「邪心、ねえ。そんなもんがあったのか?」「ジャシン? ってなんなのーピエールー」ふよふよと触手をうごめかしながらベホマンが問う。「誰かを傷つけたい気持ち、だ。ジャギの仲間になる前にはあっただろう?」「あ、わかるわかる! ボクもジャギの目を見るまでそんな気持ちになってた!」ぴょんぴょんとスラリンが跳ねる。「へぇー。目、ねえ」ちょいちょいとデボラが手招きする。「なんだよ」「そんなに変わった目かしら?」両の手を俺の頬に当て、目をデボラがじっと目を覗き込む。「う、あ……」あんま見るんじゃねえ、こっ恥ずかしい。頬に熱が集まっていく。静まれ俺の鼓動。「な、何照れてんのよっ、こっちまで恥ずかしくなるでしょ!」そのまま思い切り頬を打たれた。理不尽だ。 かくてたどりついた城の前で俺たちは呆然としていた。「城、だよな」「城だな」「お城ねえ」目の前にそびえ立つ城は石壁に囲まれ、街のようなものは一切見当たらない。「城下町とかはないのかしら……流石にいきなりお城に入るのはちょっとねえ」「だが他に道はねえぞ?」どうしたものか、と途方に暮れているとくい、と服の裾が引かれた。「がう」「ゲレゲレ? どうしたんだ?」「がうがう」くいくいとゲレゲレが裾を引っ張る。こいつの鼻に何か引っかかったようだ。「ついてってみましょうか」「そうだな」「がう」城の裏手へと続いているらしい道を、ゲレゲレに続いて歩く。角を曲がるとそこに一軒の家が見えた。「まさかあそこにしか人がいない、ってことはないわよね?」「さあな」煙突からは煙が出てるから、誰かが居るのは間違いねえだろうが。「おっ、言った傍から誰かが出て来」俺の言葉はそこで止まった。 あのずんぐりむっくりな体にも、憔悴しきった顔にも覚えがある。前はもう少し若かったし、もっと元気そうだったが。そいつもこっちの気配に気が付いたのか、ぼんやり顔をこちらに向ける。足元のゲレゲレに警戒するような素振りを見せながらも、こちらへと歩み寄ってくる。「旅の方ですかな?」近づいてくる姿は記憶にあるものより小さい。俺がデカくなったのか、こいつが縮んだのか。――多分、両方、なんだろう。「ええ。ここ、グランバニアよね?」「はい。ああ……初めていらしたんですか? それではさぞかし驚かれたでしょう」口元に浮かべた笑みはあの頃と違って少し寂しげで。「サン、チョ?」喉から出た声は、震えていた。 「え……あ、ああ、まさか!」そいつは俺の顔を見ると驚きに目を丸くした。「ぼっちゃん!」「ぶふー」隣でデボラが噴き出したが、それを気にかけようとは思えなかった。「サンチョ……、サンチョ、アンタ、生きてたんだな、サンチョ……」『ぼく』だった頃、『俺』が《俺》を思い出して染まりきる前の穏やかで温かな時間。無くしちまったその時間の欠片の一つが、目の前のコイツだ。「ぼっちゃん、よかったご無事で……」「サンチョ……、サンチョぉ……」体の力が抜ける。地面に膝をつくようにしてサンチョに寄りかかった。「はい、はい。サンチョはここにおりますよ」 歪む視界の中で、サンチョはあの頃と同じ穏やかな笑みのまま、泣きじゃくる俺を優しく撫でていた。 ――と、いうのが昨日の話だ。 「ジャギ、恥ずかしかったのは解るがそろそろ布団から出てはどうかね」「……バギ」肩をすくめたピエールを竜巻で部屋の外に追い出す。 散々泣きじゃくった俺はそのまま疲れて眠ってしまったため、サンチョの家で一晩世話になったそうだ。本人にそれを聞かされて、今は布団を被っている。いくら懐かしくて嬉しかったからって、泣き疲れて寝るなんざ、ガキの所業だ。「うごぉおおお」「いつまでうめいてんのよ」ベッド脇に来たデボラが呆れを隠さずに声をかけてくる。「うるせぇ……」「……じゃあ、サンチョさんが作った朝ごはん、あんたの分まで食べちゃおうかしら」「っ、させるかっ!」昨日もサンチョの飯食えてねえんだぞ。 「ふふっ。改めておはようございます、ぼっちゃん」「あー、うん。おはよう、サンチョ」椅子から立ち上がり、俺に挨拶をかけてくるサンチョの姿にほっとした。目が覚めたら、また居なくなってるんじゃねえかと思ったのは杞憂で済んだらしい。「それにしても、ぼっちゃんがこんな綺麗なお嫁さんを連れていらっしゃるなんて……」俺の隣に座ったデボラを見ながら、ほう、と息を吐く。「そんな本当のこと言われても何も出ないわよ」とは言ってるが、こいつ喜んでやがる。「……本当に、パパス様にもマーサ様にも、お見せしとうございました」「サンチョ」「あっ、すいませんぼっちゃん。出過ぎたことを」「親父……、父さんには無理だけどよ。母さんにはまだ見せられるだろうが」「は?」「母さんは死んでない。今もどっかで生きてる」ニッ、と歯を剥いて笑った。「必ず助け出して、こいつの顔を見てもらう」「……はい、そうですね、ぼっ」サンチョがふ、と何かに思い当ったかのように言葉を中途で止める。前掛けを外して改めて俺に向き直り、床に膝を突く。「いえ。――グランバニア王太子、ジャギ様」「ん、やっぱそっか」 騎士の礼と思しき動作でそう告げるサンチョに、考えが当たっていたようだ、とため息が出た。「俺が王子ねえ。想像もつきゃしねえ」「そうねえ。ガサツだし、口悪いし、王子様って感じじゃないわ」「おい」「あら、本当のことじゃない」それはそうだが、言い方ってもんがあるんじゃねえのか。野性的だとか、庶民的だとか。偉ぶってない、は微妙なトコだが。「……本当に、デボラさんがぼっちゃんの隣に居てくださってよかった」「? なんか言ったかサンチョ」「いいえ。さあ、まずは朝ごはんにしましょうか」「やったー! サンチョのごはんおいしいんだよね!」スラリンが喜びも露わに跳ねる。「昨日もたっぷり食べてたものねスラリン。私も食べすぎちゃいそう」デボラも椅子に座りなおす。「なんだか安心したら凄くお腹空いちゃったし」腹に手を宛てて不思議そうに首を傾げる。「いいじゃねえか。めーし、めーし、サンチョのごっはんー」「マナーがなってないわよ」ぺしり、と頭を叩かれた。――? なんか、おかしくなかったか?────────────────────────サブタイトルは今度から漢字二文字縛りにする。かもしれない。予定は未定。当初の予定じゃ半年くらいで終わらせるはずだったんや……。