第二十四話:Walls have ears. (壁に耳あり障子に目あり)「ん……あぁ……」ベッドの上で身を起こし、背筋を伸ばす。ばきばき、と体の節々が鳴る。結婚が決まってからは、この別邸で飯食ったり寝たりしている。ルドマンとしては、一緒に食べたいらしいが、俺はまだあくまでも婚約者で、あいつらの本当の家族になった訳じゃないから、とテキトーこいて遠慮している。実際は、食事のマナーなんざこれっぽっちも知らねえし、これから先覚える気もさらさらねえから、それについてとやかく言われるのが面倒なだけだ。旅に出ちまえば、マナーについてなんざ言われないだろう、多分。……どうだかな。あいつのことだから、恥をかかせるな、って一々教え込んできそうな予感がするが、ま、考えるのはやめておこう。こうやって先延ばしに出来るのも、後三日のことだがな。後三日で、俺は結婚する。我がことながら未だに信じられん。俺に、家族が出来る。《俺》が捨てたもの、『俺』が無くして、探し続けてるもの。ああ、何か実感が湧かない。「夢、見てるみてえだ」「なら永眠させてやろうか」感傷に浸る余裕さえ与えず、俺の傍らから不機嫌な声がした。「へえへえ」指に魔力を込めるピエールの言葉を、適当に聞き流す。ようやく理解したが、別に何も本気で俺を爆殺したいわけではないらしい。ピエールなりの、ウィットに富んだジョークだ、と、スラリンが言っていた。「あー、そうだ。テメエら今日はちょっと馬車の方で待機してろ」傍らに置かれたポットから水をグラスに注いで呷る。「なになにー? ジャギ、デボラと子供作るのー?」「ぶーっ」盛大に水を噴き出した。勿体ない、などと思う余地もない。「ななななっ、何言ってやがんだスラリンテメエエエエエ!!」体が勝手に動いていた。足元で跳ねていたスラリンを掴み、思い切り壁に叩きつける。「わわっ、どうして怒るんだよぉ、ジャギ」受け身を取り、くるりと一回転したスラリンが不思議そうな声を出す。「……おいピエール、テメエスラリンに何教えてんだ」ぼきぼきと指を鳴らし、がしり、と元凶に相違ない奴の兜を鷲掴みにする。掴んだ兜はみしみし音を立てる。「わ、私はただ、結婚とは何か、と聞かれたから答えただけだ?」「ほぉ? 何て言ったのか言ってみろ」「に、人間のオスとメスが番になる儀式だ、と」「……成程、間違っちゃねえな」再び足元に寄ってきたスラリンが、ピョコピョコ跳ねながら主張する。「番になるってことは、子供作るってことでしょー。それくらい、僕も知ってるんだからね」人間だったら、多分胸を張ってんだろうな。「成程、よぉく、解った」窓へ近づき、開ける。吹いてくる風が爽やかな良い朝だ。俺は、にこり、と笑みを保ったまま、スラリンとピエールを掴んだ。「だが許さん」大きく振りかぶり、勢いをつけて、全力で、窓の外まで投げ飛ばした。ぼちゃん、ぼちゃん、と二つの水音を聞きながら、ふう、と息を吐く。傍らでじっと黙っていたゲレゲレの頭を撫でる。「結婚式でいる衣装の採寸をしに仕立屋が来るそうだ。 魔物に慣れてないといけないからな、テメエらは外。そう伝えておけ」俺だって、流石にいつもの旅装で式を挙げないくらいの常識はある。つうか、どう考えたってこんなボロ服じゃ駄目だろう。これで結婚式を挙げる奴は、相当時間が無いか相当阿呆だ。「がる」扉に手をかけて、のそりと外へ出ていく。ばたりと閉めた窓の向こうには、池から這い上がるピエールの姿が見えた。スラリンは……まあ、スライムは元々水棲生物だというし、大丈夫だろう。少し遅い朝飯をとった後で、仕立屋は来た。……何故かデボラも一緒だ。「何でテメエが居んだよ」「あら、小魚がどんな風になるか見ものじゃない。昔から言うでしょ馬子にも衣装って」椅子に座り込んで、じっとこちらを見上げるデボラ。反論しようと思ったが、別に見られて困るもんでもねえだろ。《俺》だった頃はむしろ積極的に見せてたしな胸。……今、俺は何も考えなかった。なんか馬鹿げたこととか考えなかったぞ、うん。「それでは、とりあえず上を脱いでください」「おう」普段着ている服を脱ぐ。恥ずかしがるような柄じゃねえ。「……ちょっと、あんた何よそれ」「あ?」声に振り向くと、デボラが目を丸くしている。「それ、ってどれだよ」「その体の、傷」「……ああ」そういやすっかり忘れてた。俺の体中には、奴隷時代に鞭打たれたり、蹴り飛ばされたりした傷が、所狭しと残ってるんだったな。流石に、こっちは幻だった、ってわけにもいかないか。「色々、あったんだよ」「……後で聞かせなさいよ。これは命令だからね」「へえへえ」会話の最中も、淡々と採寸する仕立屋。こういう言い争いとかには慣れてんだろうか。手早く済ませていく。その間、俺はさてどう説明したもんか、としばし無言だった。「終わりました。少々大き目ですが、これくらいなら既製品の手直しで十分です」手元の帳面に、カリカリと寸法を書きつける。それを覗き込みながら、デボラは残念そうにため息をついた。「もう少し時間があったら既製品じゃなくて、私がデザインした オリジナルの服を着せてやったのに。残念ね」「遠慮する」こいつがデザインしたら、恐らく部屋にあるような羽やら小さい宝石やらがごちゃごちゃ付いたとんでもない服になるに違いない。そんな服を着る趣味は生憎俺にはない。何処ぞの妖星やら殉星やらなら着るかもしれないが。「それでは、式には間に合わせますので」ぺこり、と一礼して出て行く仕立屋。「で、聞かせなさいよ、傷のこと」「あんまり、楽しい話じゃねえぞ」ベッドに座った俺の前まで歩み寄ってくる。何をするつもりだ?「馬鹿ね」ぴん、と額が指で弾かれる。「んだと?」「夫婦なんだから、隠しごとはなしに決まってるじゃない。だって、家族なのよ」「いや、それは無理だろ」家族の間に隠し事はない、なんて馬鹿げた考えだ。《親父》は、北斗神拳伝承者なことを、養子をもらうことを隠していた。『父さん』だって、母さんが生きていて、勇者を探すことを隠していた。『俺』だって、《俺》の記憶があることを、父さんに隠していた。「そんなの、無理に決まってる」それだけ告げて、俯いた。「そうね、無理かもね。でも、傷のことは話しなさい」顎をぐい、と掴まれて、無理やり上を向かされる。「傷のことだけじゃないわ。あんたのこと、全部話しなさい」少し動けばぶつかってしまいそうな程に近づけられる顔。こちらを覗き込む。青い瞳から、目をそらせない。「親を死なせたってことも、そんな傷を負った理由も、全部受け止めてあげるわ」「何、で」「私が、あんたの妻になるからよ」はっきりきっぱりと言われた言葉に、胸がざわつく。心臓が早鐘を鳴らす。顔に熱が集まる。「私は器が大きいからね。あんたの抱えてるもん、一緒に抱えてあげるわよ」「あ……」その言葉に、ふっと合点が行く。こいつの前で、言わなくても良いことを言っちまうのは、俺が……こいつになら、全てを話せる、そう、思ってるから、だ。「ほら、話しなさい」真剣な眼差し。しかし、口元はニヤリと吊り上がっている。この自信満々な態度に、俺はどうも弱い。「少し、長くなるかもしれない」「良いわよ」捕らえていた手を離して、俺の隣に座る。ぎぃ、とベッドが軋んだ。青い瞳は、じっ、と俺から逸らされることはない。「……俺は、ガキの頃から、親父に連れられて、旅をしてた」だから、吐き出した。『親父』と一緒に旅をしていたこと。親父に認めて欲しくて、洞窟を探検したり、オバケ退治に行ったり、妖精の国を救ったこと。その親父は、俺が油断してたせいで、力が足りなかったせいで、俺をかばって、モンスターに殺されてしまったこと。それから、ヘンリーと一緒に掴まって、奴隷にされたこと。背中の傷と、顔の傷はその時に鞭打たれたりして出来た傷であること。十年経ってようやく、その場所から逃げ出したこと。故郷が滅ぼされていて、悲しかったこと。親父の遺志を知って、母親を取り戻すために勇者を探す決意をしたこと。兄より優れた弟は居ないのに、うじうじしてるヘンリーの尻を蹴飛ばして、ラインハットを取り戻す手伝いをしたこと。巡った町、出会った奴ら、今までの『俺』の人生を、一気に吐き出した。「……大変だったのね、あんたも」思った以上の話だったのか、少し疲れた様子でデボラが息を吐く。「でも、中々面白かったわ。私、旅をしたことはないから」「面白い、で済まされる話でもないがな」「本当、大変だったのね」不意に、デボラの手が、俺の頭をわしわしと撫でる。「な、何してやがんだ」「今まで頑張ってきたあんたを、労ってやってんのよ」デボラの微笑みは、優しかった。「大変だったし、これからも大変だけど、私が傍に居てあげるわ」「あ……」じん、と目の奥が熱くなる。こうやって、自分がやってきたことを、誰かに認めてもらったのは……、そういえば、どんだけけぶりだ?『父さん』が死んでからは、そんなことは、全く無かった、はずだよな。「その、なんだ、」柄にも無く、感謝の言葉を述べようとして。「だから、隠し事は、なしにしなさいよ」その言葉に、凍りついた。「何、言ってんだ。俺は、全部話したぞ」『俺』のこと、は。「女の勘舐めないでよね。あんた、まだ隠し事してるんでしょ?」中身までは、知らないが、デボラは気づいている。俺が、まだ言えなかった話が存在することに。背筋を、じっとりと嫌な汗が伝った。「……悪ぃ、言えない……」《俺》のことなんざ、聞かせられる、わけがない。だから、話さない。「そう……」デボラの表情が曇る。それでも、前世の記憶が存在していることも、どうしようもねえクズだったことも、言いたくなかった。話しちまったら、きっと、こいつに嫌われる。それは、嫌だ。「でも、そう言ってくれんのは、凄く、ありがてえ」聞きたい、と、受け止める、と言ってくれたことが、嬉しいのは、確かだ。「俺、本当、お前を選んでよかった」ぽろり、と口から漏れた。……待て。今のこれ、凄く恥ずかしい。「あ、いや、その、なんだ」なんとか今の台詞を無かったことにしてもらわなきゃなんねえ。カッと熱くなった顔を、デボラに向ける。デボラも、俺と同じくらい、真っ赤だった。「なななななっ、何当たり前のこと言ってるのよ。 とっ、とーぜんじゃない! 私を選んでよかったのなんて!!」怒ったデボラが、ポカポカと殴りつけてくる。別に痛くはない。ただ、妙な考えが頭に浮かぶ。今のデボラが、とてつもなく、……可愛い。「デボラ」思わず両手を捕らえた。ちょっと手に力をこめれば、折れそうな細い腕。「な、何よ」見上げてくるその顔、頬が少し赤く染まっているのが、可愛い。衝動に突き動かされて、そのまま、顔を近づけ……「姉さん! ジャギさん! お昼の用意が」「あ」「あ」「あ」ばん、と扉が開き、威勢のいいフローラの声が聞こえてきた。途端、三者三様に間抜けな声を上げ、ヒャドの呪文でもかけられたかのように、凍りつく。「……だ、駄目ですよ、ジャギさん! 結婚前にそういう行為は! い、いえ、愛し合う二人にとっては当然の営みですけど!」フローラの顔が湯でダコみたいになる。「ちょっ、待て、そこまで考えてねえ!」流石に真昼間からやらかす程じゃねえぞ!「も、もう離しなさいよジャギ!」体から力が抜けた隙をついて、デボラが腕を引き抜く。「この馬鹿ッ!」「ぎゃあ!」ガリッ、と付け爪で思い切り頬を引っ掻かれ、悶絶。そんな俺を放置して、デボラはフローラの手を引っ張って屋敷へと戻っていく。「いやあ、いい雰囲気だったのに残念だったな」入れ違いに入ってきたピエールが、床に転がる俺の肩を叩く。「何で知ってんだ」「ドア、ちょっと開いてたよ?」スラリンが素直に答える。ひっかき傷の残る頬を抑えながら、俺はちらりと扉に目をやる。扉は、未だに開け放たれたままだ。「見てたのか、ピエール達は」「見てたし声も聞こえていた」「どの辺りからだ?」「途中からだ。仕立て屋が来た辺りから」それは、最初から、というんだ。「……バギマ」呪文一つで完成した竜巻が、出歯亀共を外へ吹き飛ばした。──────────────────────────────※作者からの差し入れ※とりあえずここに塩置いておきますね。