第二十一話:Marriage is made in heaven. (縁は異なもの味なもの)夜が更けるまで、俺は宿で時間を潰すことにした。厳密に言えば、宿以外で時間が潰せない。一歩街の外に出れば、街の奴らがジロジロと俺を見ちゃ、ヒソヒソ話をするんで、鬱陶しくてしょうがねえからな。流石に部屋の中に入ってきて、どっちを選ぶのか、と、聞いてくるような不躾な奴は居ねえ。「つっても、やることもないんだがな」ベッドにゴロリと転がったまま、息を吐く。一応、誰かが来る可能性を考えて、顔は布で覆ったままだ。《昔》は、暇つぶしに何をやってたか。そう考えて苦笑する。食料を奪う、女を攫う、その女を抱く、訳もなく誰かを殺す。それくらいしか、して来なかった。そういうことを知る前のことは……、考えるのをやめとこう。《昔》のこと、特に、ガキの頃のことを考えたり思い出したりすると、気分が悪くなる。気分だけなら良いんだが、頭痛だとか、足がすくんだりとか、ロクなことにならねえ。盗みに入るのに、体調が整ってないのは致命的だからな。「……酒でも飲みに行くか」目を覚ましたのは昼過ぎで、夕飯が終わって、少し腹も減った。酒場は、丁度宿の上にあるし、景気付けだ。しばらく酒場なんぞに行く余裕もなくなりそうだしよ。「よっ、と」ベッドから身を起こす。ここの酒場は武器持ち込みが禁止らしいので、荷物は部屋に置いていく。ま、金の入った袋だけありゃいいだろ。武器が必要になるような事態にはならねえだろうしな、多分。……またこないだみてえな喧嘩になったら、アイツが止めに来るんだろうか。って、何考えてんだか、俺は。がちゃり、と部屋を出る。宿から直接酒場に繋がってりゃいいんだが、あいにくそうはなっておらず、一旦外に出る必要がある。「兄さん、眠れないのかい?」「おう、まあ、そんなとこだ」宿の親父が声をかけてくる。「ま、そりゃそうだわな。散歩して、教会でお祈りでもして、ゆっくり決めなよ」どうやら、親父は俺が誰を選ぶかで悩んでると思ってるらしい。違うんだが、否定すると怪しまれるから、何も言わずに外に出る。人影はまばらだが、全く無い、ってわけじゃねえ。俺が姿を見せた途端、予想通りヒソヒソと話し出す。話の中身に興味はないので、無視して、とっとと酒場へ向かう。……しかし、少し考えりゃ分かりそうなもんだったな。三日も寝てたせいで頭が役立たずだったらしい。酒場に入った途端、俺に向かって話しかけてくる酔っ払い共に、頭を抱えながら俺はそんなことを思った。「結婚したら盾がもらえるし、ゆくゆくはあの家の財産もものに出来るからフローラだ」という奴もいれば、「だが、あのビアンカという女性も優しそうな人だしなあ」と、唸っている奴もいる。娯楽に飢えてんのか。勝手なことばっか言いやがって。俺に話しかけてきたのは最初だけで、後は客共が好き勝手言い放題だ。まあ、おかげでそれなりに静かに飲めるわけだが。「お客さんも大変ですねえ」酒場の店主の苦笑いに、俺も苦笑いを返す。こいつら、俺が盾盗んで逃げたらどんな顔をするんだろうか。それを考えると、ちぃと楽しいかもしれんな。他の奴だったら、ここまでお膳立てされたらどっちかを選ぶんだろうが、俺は違う。「大変ですね、あなたも」空いていた隣の席に座った奴が声をかけてきて、俺の思考は中断させられる。「あ?」「まだお若いのに、こんな形で結婚の相手を決めるなんて」俺が怪訝な声を上げたのを、男は気にしない。俺が置いてたグラスに、男が自分の瓶から酒を注ぐ。もらえるんならもらっておこう。「貴方も、旅の方のようですな。私も子供を連れて旅をしているものです」子連れで旅。そう聞いたら、話を聞きたくなった。どうせ、暇つぶしに酒を飲みに来たんだ。「ほお?」「本当は、数年前までは一人で旅をしていたんですがね」「んじゃ、何で今は子連れなんだ? 女房に逃げられたか?」からかい混じりに問う。男は、寂しげな顔で首を振った。「……旅をしている間に、妻は、魔物に襲われたのです」その言葉に、酒を飲んでいた手を止める。「あんなことになるんだったら、一緒に、旅をすればよかった。 傍に居て、守ってやればよかった」「傍に居たって、守れるかどうかなんて、わかんねえぞ」目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは、あの洞窟でのことだ。あれだけ傍に居たのに、俺は、あいつを死なせるところだった。傍に居たって、守れるとは限らねえだろ。「傍に居ないよりは、守れるでしょう」湿っぽい話になりました、すいません、と男が酒を煽る気配。目を閉じたまま、考えちまう。ああ、そうだ。《あの時》に、《アイツ》の傍に居たら、きっと、守れた。あの後、殺して回れたような奴らだ。俺が居たら、きっと。……俺は、何をしていた。死に損ない共を嘲って、調子に乗って、力だけが求められる世界になった、と笑っていた。結果、どうなった。《アイツ》は、どうなっちまった。「クソッ」がしゃん、と音がした。握りしめたグラスが割れていた。一気に、辺りがしんとなる。どうやら、騒いでることに対して、俺が怒ったと勘違いしたらしい。酔っ払い共が恐る恐るこっちを見ている。ああもう、これじゃロクに酒も飲めやしねえ。「親父、勘定だ」袋から金貨を取り出し、カウンターの上に置いて椅子から立ち上がる。手から流れてる血は、ホイミを唱えて止める。傷は塞がり、痛みはなくなる。魔法ってのはつくづく便利だ。北斗神拳も相当便利だったが、これも大概だ。「……チッ」顔の左側がずきり、と痛むのは、思い出すな、という警告か。思い出すな、なんて無理に決まってんだろうが。『俺』は、《俺》なんだから。予定より少し早いが、俺はルドマンの家へ行くことにした。宿に預けてある荷物は、ルーラの時に意識すりゃ持ってこられるだろ。最悪、ピエールにでも取りにやらせればいい。石橋を渡った先を見上げる。本宅の方は、家の灯りは消えている。ついてたとしても、せいぜいベッドランプくらいだから、盗みに入る分には問題なさそうだ。「問題は、あっちだな」地面に、俺の影を映し出す光。その出所は、別宅の方だ。窓のところに、見慣れた人影がある。……あいつをどうにかしねえと、盗みに入った後、逃げ出すのが難しくなりそうだ。追いかけてこられちゃ、かなわねえしな。……それに、きっとこれが最後になる。俺はお尋ね者になって、こっちの大陸には戻って来ないだろう。だから、これで最後だ。俺は、別宅へと向かう。窓から外を眺めているあいつはぼんやりしてて、気づいてないらしい。ドアの側へと回り込み、開ける。ノックをするような躾けは生憎受けてない。開けた途端、微妙に乱れたベッドが目に入る。眠れなくて、何度も寝がえりを打つと丁度こういう感じになるか。くそっ、なんか見てらんねえ。「……ジャギ?」流石に気付いたのか、階段の上からビアンカが声をかけてきた。「おう」とんとん、と階段を上がって、隣に行く。見慣れた旅装束じゃなくて、寝間着姿だ。……微妙に目のやりどころに困る。「大変なことになっちゃったわね」窓の外を見たまま、こっちを見ずにビアンカは笑った。「ったく、とんでもねえ話だ。あのおっさん人の言うこと聞きゃしねえ」俺が考えてることは、もっととんでもねえけどな。「でも悩むことないわ。フローラさんかデボラさん、好きな方を選べばいいじゃない」その声が震えてるような気がするのは、気のせいだと思わせてもらおう。「私なら大丈夫よ、今までだって、一人でやってこられたんだし」一人じゃねえだろ、とは言わない。それは、俺が言うべきことじゃねえからだ。「それにね、ジャギ」突然、ビアンカが俺を見上げてきた。「な、何、だよ」真っ直ぐに、それでも寂しそうに、ビアンカが俺を見つめる。「私、気づいてた」気づいてた?「何に、だ?」「……ジャギが見てるの、『私』じゃない、よね?」「ッ!?」うろたえて後じさる俺に、やっぱり寂しそうに笑いかけながら、ビアンカは、言葉を続ける。「ジャギ、さ。私を呼ぶ時に、よく、一瞬、別の人を呼ぼうとしてるんだもん」「そう、だったか?」「やだ、ジャギったら、自分で分かってなかったの?」言われるまで、気が付かなかった。ビアンカは、目を丸くした後で、細めて、語りかける。「その人が誰で、どうなったのかは、聞かないよ」そうしてもらえると助かる。聞かれても、答えられない。「だって、ジャギ、そういう時、今みたいに、凄く悲しそうな顔をするもの」だから聞かない、とビアンカは言って、笑う。「……寂しいな。なんかジャギ、私の知らない所で、色んなことがあったんだもの。 弟が成長して、手が離れちゃったような気分だよ」「……悪ぃ、ビアンカ」「謝らないでいいよ。ほら、ジャギはまだ疲れてるんだから、もう寝ないと」ビアンカの笑顔が、痛い。ああ、ちきしょう。そうだよ。どうせ俺は、金の髪をしてて、幼馴染だって、ただそれだけで、お前にあいつを重ねちまうような、どうしようもねえ男だよ。「ビアンカも、体が冷える前に、寝ろよ」窓を閉める。今から俺がやることを、見られたくなくて。ビアンカが知る、子供だったジャギのイメージを、台無しにしたくなくて。《ジャギ》だったことを思い出す前の、『ジャギ』のことを、ビアンカには、覚えていて欲しくて。「うん……、おやすみ、ジャギ、また明日」「……おやすみ」また明日、は、ねえけど。ビアンカとの別れは、済んだ。最後にビアンカが笑っていたから、少し救われた。とにかく、これで後は、盗るもん盗ってとんずらこくだけだ。それで、この一連の訳の分からない騒動は終わりだ。ルドマンの家の扉は、あっけなく開いた。いっそ閉まってて欲しかったなんて、考えるのは、どうかしてる。目当てのものは、自分がこれから盗まれるなんてことも知らずに、堂々と応接室に鎮座している。ご丁寧に、指輪はテーブルの上に二つ並んで置かれている。これを盗って、玄関へ出て、ルーラ。それで、終わりだ。宝箱に、そろそろと、手を伸ばした。「何やってんのよ」心臓が喉から飛び出かけた。何時の間にか、階段のすぐ隣に、デボラが立っている。「何、って……盾盗んで逃げようとしてるんだが」何故か、ぽろりと口から漏れた。「……何でよ」室内用の小さなランプを手に、つかつかと歩み寄ってくる。ランプはテーブルの上に置かれ、部屋の中を照らす。暗闇に、ゆらゆらと揺れる、二つの影。「こうでもしねえと、盾が手に入らねえだろ。 これは、俺の探しもんの、手掛かりなんだ」「結婚したらアンタのもんだ、ってパパ言ってたじゃない」デボラが渋い表情を見せる。「結婚なんざ、めんどくせえこと出来るかよ」ゆらり、とランプの中の炎が揺れた拍子に、デボラの顔が影になった。その一瞬に、辛い顔をしていたように見えた。「ちょ、ちょっと、私の顔に泥を塗るつもりなの? 婚約者候補に逃げられた、なんて冗談じゃないわよ!」だが、その陰はすぐに消えて、声を荒げて、睨みつけてくる。その目尻で何かが光っているが、化粧だろうか。「ああもう、うっせえな! こんな顔の相手と、結婚出来るっていうのかよ!」こうなりゃヤケだ。顔に巻いていた布を取って、傷跡を晒す。照らし出された俺の顔を見て、デボラが息を飲むのが分かる。「その、傷、なによ」分かりやすい反応だ。そりゃあそうだよな。「ハッ。ビビったか? ビビったよなあ。こんな、二目と見られない傷! この傷を見て、吐いたりわめいたりする奴が、今までに大勢居た!」《あの頃》も、それが嫌で、寝る時は顔に布をかけていた。ぎゃあぎゃあわめいた奴は、不快だったから、殺した。きっと、こいつも悲鳴を上げるだろう。そう思っていたが。「え……?」返ってきた声に含まれるのは、明らかに、恐怖じゃなくて、困惑だった。その反応に、逆に俺が戸惑う。「言う程、ひどい傷には思えないわ」「ッ、んなわけねえだろ!」どんだけ世間知らずなんだこいつは!「何処に目ェつけてんだ! 調子に乗って、親死なせて、 その挙句、こんな醜い顔になってんだぞ!? そんな俺と、結婚したい奴なんざ」「ジャギ、私の目を見なさい」居るわけねえ、という言葉が、遮られる。デボラの、白魚みてえな細い指が、がっちりと俺の顔を捉えている。「何しやがんだ」「目を見なさい、って言ってんのよ」その指が、左の眼の横を、つ、となぞる。「ここに、一本傷があるだけ」「……は?」何を言われているのか、理解できず、間抜けな声が出た。「あんたには、あんたが思ってる程、醜い傷なんて、無い」「んなワケ、ねえだろ。だって、いつも、醜い顔が、水とか、鏡に、映って、見えて」「あんたの顔を見て、醜い、って言った奴が本当に居た?」デボラの言葉に、雷に打たれたような、衝撃を受けた。「……居な、い」ヘンリーも、ビアンカも、傷が、としか言わなかった。その傷が醜いとか、酷いとか、そんなことは、言わなかった。「私の目に映ってる顔を見なさい。ただの、小魚みたいな顔よ」ちらちらと揺れる火影に照らされた、青い瞳の中。そこに居たのは、『父さん』によく似た、傷が一本あるだけの、男だった。「……はは、なんだ、そりゃ」体から力が抜ける。立ってられなくて、テーブルに寄りかかる。「幻、だったってのかよ、あの顔は」俺が馬鹿だから、俺のせいで、『父さん』が死んだから。だから、俺は傷を負ってなきゃいけなかった。醜い顔をしてなきゃいけなかった。罰を、背負ってなきゃいけなかった。そう思いこんで、俺は、自分で醜い顔を作り出していたってのかよ。「馬鹿みてえ……、いや、馬鹿そのものじゃねえか」肩を落として呟くと、デボラからため息が聞こえた。「黙っておいてあげるから、今日はもう宿に帰りなさいよ」ぺしぺし、と俺の頬を軽く叩く。「明日まで考えて、結婚が嫌だってんなら、私からもパパに頼んであげるから」でも、と言葉が続く。「あのビアンカって子、あんたのこと好きよ。もう傷のことは気にしなくていいんだから、 明日、はっきりあんたの答えを出した方がいいと思うけどね」それだけ告げて、背を向けるデボラ。まるで、俺がもう盗んで逃げたりはしないと、信じているかのように。「なあ、テメエは、結婚する気はねえのか?」「……相手がいたら考えるわよ」階段を上がる背中から、そんな声が返った。「……そっか」小さく呟く。左の顔に手を這わす。この間まで感じていた、デコボコした傷跡の感覚がない。あれすら、錯覚だったのだろう。あるのは本当に、ただ一筋の跡だけ。「……そっか……」外に出る。空を見上げる。見慣れた星はないが、星は輝いていた。それを確認して、俺は、宿へと戻った。部屋に戻って、鏡を確認する。あの醜い顔が、一瞬だけ浮かんで、消えた。大丈夫だ、と思う。あれはきっと、悪い、夢だったのだ。そうして、俺を悪夢から引き揚げてくれた奴が、居る。翌朝。荷物を持って、宿を出る。布は、まだ巻いている。「答えは決まったかい?」「ああ」常にない晴れやかな気分で、答えて、宿を出た。昨日とは違った、後ろめたさも、イライラもない足取りで、ルドマンの家へ向かう。街の奴らの声も耳には入らない。視線も気にならない。答えは、決めている。メイドに案内され、応接間へ通される。階段の所に立つ、デボラ。テーブルの右側にビアンカ、左側にフローラ。そして、中央に座っているルドマンの前に、俺は立った。「さて、ジャギ。よく考えたかね」「ああ」「それでは、答えを教えてもらおうか」昨日の夜から考えたことを、俺は吐き出す。「正直に言う。俺は、盾が欲しいだけ。結婚なんて、する気はない」部屋の中で、全員がぎょっと目を剥いたのが分かる。それでも構わずに、俺は話し続ける。「……って、思ってたんだけどよ」しゅるり、と音を立て布を解く。「こうやって、俺が傷を晒しても、平気だ、と思わせてくれた奴がいた。 晒せるような傷だ、と教えてくれた奴が居た」話しながら、俺は階段の方へ足を進める。寂しげな顔をされたのは、見ないふりだ。「俺は、そいつと以外、結婚しよう、なんて思わない」歩みを止めて、目の前にある青い瞳を見つめた。「俺と結婚してくれ、デボラ」パチパチ、と長いまつげの生えた目が、二、三度瞬く。それから、ニヤリ、と口元に笑みが浮かんだ。「……ふつつかっぽいけど、ま、いいわよ。ちゃんと面倒見てあげるわ」了解ってことだよな、それは?「なんと! デボラと結婚しようとは、正気かね!?」「それは自分の娘に対して酷くねえか?!」一世一代の告白を終えて気が緩んだのか、即座に突っ込みを返しちまった。「むむむ、ジャギよ、見込んだ以上に勇気のある男だったようだな! よろしい、デボラとの結婚を認めよう!」ルドマンの声に、俺は今度こそ緊張の糸が切れて、力なく笑った。「おめでとうございます、デボラお姉さん」フローラが、何故かにこり、と意味ありげな視線を俺に送る。何故か顔を真っ赤にしたデボラが、ばしばしとフローラを叩く。何だってんだ?「……おめでとう、ジャギ」声をかけられて、振り向く。そこに、一瞬《アイツ》が見えた気がした。でも、錯覚だ。目の前にいるのは、《アイツ》じゃなくて、『ビアンカ』だ。「ありがとよ、ビアンカ」「幸せにしてあげるのよ?」「おう。式には出てくれよな。友達なんだから」「……ええ」「さあて、それでは早速結婚式の準備だ! 忙しくなるぞー!」はしゃいだ、ルドマンの声が、屋敷中に響き渡った。──────────────────────────────※作者からの一言二言※なんかもう各所から「それはねーわ」って声が来そうだ。だが、私は謝らない(キリッ嘘ですすいませんスライディング土下座です。というわけで、これのジャギ様は顔に傷が(ほとんど)ありません。無茶な設定ですいません。あとビアンカ派の方ハーレム派の方すいません。うちではこの設定で押し通させていただきます。