第十九話:All that is alike is not the same. (瑠璃も玻璃も照らせば光る)金の髪が揺れる。柔らかな金色が、俺の目の前から、消える。手の届く距離なのに。体が、動かなくて、救えない。目がかすむ。頭が痛む。自分が何処に立っているのか分からなくなる。「キアリク!」ピエールが唱えた麻痺の治癒呪文に意識が引き戻された。瞬間、目に入る、道の端にしがみつく、細い指先。「……アン……っ、ビアンカッ!」足、動け、動けっ、もつれるんじゃねえ!叱咤しながら、駆け寄る。ビアンカは、崖の縁にぶら下がっていた。「ジャギ……ッ」細い片手で、己の体を必死に支えている。あぁ、よかった。俺はてっきり、また、守れなかったのかと、思った。「待ってろ、今引き上げる!」地面に膝を突き、腕を伸ばす。二の腕に触れ、その柔らかさに一瞬戸惑いながらも、掴む。そうして、ぐいと力を込めて引き上げようとして。「ジャギ、後ろ!」ビアンカの青い瞳が、俺の背後に何かを捉えて悲鳴を上げた。「がっ」途端、背中に走る鋭い痛み。聞こえてくるヘビコウモリの声。けど、今はそんなもんになんか、構ってられねえ。今、手を離したら、こいつが落ちちまう。そんなことは、出来ない。きっと、《俺》だったら、離してたんだろうが。今は、『俺』だから、この手を離さない。「ぬ、お、りゃあああ!」一気に力を込めて引っ張り上げ、反対側へすっ飛んでいかないよう、勢いを殺すために、胸の中に抱きとめた。「……アン……、ビアンカ、無事で、よかった」「ジャ、ジャギ」腕の中でビアンカは震えている。やっぱ、怖かったんだろうな。こんな所から落ちたら、絶対に命は無い、はずだ。……俺だったら助かるかもしれねえけど、ビアンカは無理だろう。そう思うと、ホント、助けられて、よかった。「何時までもぼーっとしていてはいい的だぞ」ざしゅり、と肉を断つような音と、呆れたような声が耳に届く。「のわっ!?」って、今の俺の状況無茶苦茶恥ずかしいじゃねえか!飛び退くようにして、ビアンカを胸の中から解放する。腕は、落ちないように掴んだままだが。恥ずかしくて顔を見られなくて、ふい、とそらした視線の先では、ピエールが剣から血を拭いとっていた。足元に転がるヘビコウモリ共のもんだろう。「……間に合ってよかったよ」そのピエールは、こちらを見てホッと一息吐いた。「ボク達じゃ、手、掴めないからねー」剣ではなくブーメランで応戦していたスラリンも、ピョンピョン跳ねてビアンカの無事を喜んでいる。あぁ、全くだ。間に合って、本当に、良かったぜ。「え、と、あの、ジャギ」「ん?」ビアンカが、困ったような声を上げる。何だ?「う、腕が痛いんだけど」「あ、悪ィ」確かに、少々強く握り過ぎてたかもしんねえな。アザとか残らないといいが。腕を離せば、そこに感じていた体温が、なくなる。……名残惜しい、な。って、何を考えてんだか、俺は。打ち消すように首を横に振る。「さ、先を急ぎましょうか。ここじゃ、足場が不安定で危ないわね」「お、おう。ほら、真ん中歩け。落ちたら危ないだろ」ビアンカに真ん中を歩かせながら、先程抱きしめた体の、その柔らかさを思い出す。柔らかくて、細くて、あっという間に、壊れちまいそうな体だった。思わず、最悪の想像が脳裏に浮かんで、身震いがする。ぐしゃりと弾けた人間の体に、なまじ見覚えがあるせいで、ありありと浮かんでしまう。「ジャギ、どうかしたか」ピエールが、ビアンカに聞こえぬよう小声で尋ねる。「何でもねえ、よ」返す声は、明らかに震えていた。くそ、分かりやすい反応しやがって、俺の体。「余り強がるなよ。考えすぎると、動けなくなるぞ」何処か諭すようなピエールの声。俺の恐怖を見透かし、宥めるような、声音。反論しようか、と考えたが、やめた。『次は守れるか分からない』だなんてこと、口に出すのも嫌だ。……にしても、コイツのことだから、ビアンカを抱きしめたことに関して、からかってくるかと思ったんだがな。存外、空気は読めるらしい。「ところで、ジャギ。ビアンカさんの胸は柔らかかったか?」前言撤回。やっぱコイツは馬鹿だ。ごん、と鈍い音一つ響かせる。「……やはり、こうでなくてはジャギらしくない」兜越しに頭を抑えながら漏らしているのは、笑いを隠しきれない声。癪なので、聞かなかったことにする。少し進むと、また岩の中を進むような構造になっていた。滝の水が流れ込んでるのか、水浸しだ。ま、深いとこを良ければ普通に通れそうではあるな。「ん? あんたらもここにあるっていうお宝を探しに来たのか?」「うおっ?!」岩の陰から声をかけられて、つい変な声が出る。顔を角の付いた頭巾で覆い、口元にマスクをはめた、荒くれ者だ。このスタイルがこの世界で流行りらしい。《あちら》での、モヒカンのようなもんだろうか。……今思うと、何でモヒカンだったんだ?「へへ、だが残念だったな。女連れの奴には見つかりっこねえよ」ぐふぐふと笑いながら、男は俺達の傍へ近づいてくる。「きゃっ」ビアンカが、小さく悲鳴を上げた。両手を背中の方へ回している。顔は、あからさまに不機嫌で、男を睨みつけている。「人の連れに手ぇ出してんじゃねえ!」カッ、となって俺は男に殴りかかった。まさか殴られるとは思って居なかったらしい男の頬に、拳がめり込む。よろめいた隙に、今度は鳩尾へ一撃。ついでに、足払いをかけてスッ転ばせる。ふごふごと豚みてえな声を上げている。そのまま、腹を踏みつけ……ようとして、やめた。こんな奴に構ってる暇なんかねえんだった。「じゃ、行くか」「……ちょっとやり過ぎじゃないかしら」「手加減したんだけどな」しまった。舌打ちを溢す。俺としては十分に手心を加えたつもりだったが、ビアンカから見たらやり過ぎだったかもしれねえ。くそっ。こっちに来てからロクに人間とやり合ってねえから加減がさっぱりだ。「でも……ちょっとだけ嬉しかったわ」口元に小さく笑みを浮かべている。どうやら、幻滅はされなかったらしい。ピエールが、後ろで男にホイミをかけていた。「そんな奴放っておけって」俺が声をかけると、くつくつと笑う。「ベホイミじゃないと治らない痛みだが、ホイミをかけておいた。 中途半端に苦痛が残って、辛いだろうな」成程、確かに男はうごおおお、と醜いうめき声を上げていた。どうやら、ピエールにしても腹にすえかねていたらしい。「私だって触ってないのに、ビアンカさんの尻に触るとは!」怒る方向性が違うだろ、とは口には出さずに、その頭をど突いた。水に浸かった足はそう簡単に乾かない。慎重に足を運ぶ。俺としては、ビアンカが足を滑らせないかヒヤヒヤしたが、山歩きで足腰が鍛えられていたのと、先程の件で危機感を持ったからか、もう彼女が足を滑らせるようなことはなかった。リングがありそうな場所を巡ってあちこち探し回る。先にこっちから、と思って調べた場所がどれもこれもハズレで、己の運の無さに呆れた。……多分、ゴールドカードで使い果たしたな。最後に入ったのは、ここの入り口と同じように滝の裏側に隠された空間。明らかに人の手が入ってる。やっぱ、この指輪にはなんか意味があるのかもしれんな。でなけりゃ、火山の時と同じように、他の宝が置かれているとは思えない。「綺麗な指輪ね……」俺が手に取ったそれを見て、ビアンカが呟く。「これで、フローラさんと結婚出来るんはずよ」「あー、ああ」「ね、式には私も呼んでね?」「はっ?」何のためらいもない笑顔。俺は言葉に詰まる。「……折角の友達の結婚式なんだもの、いいでしょ?」式を挙げる前に逃げ出すつもりだ、なんて言えねえ。かといって、言い誤魔化しの言葉も浮かんでこない。「そんなに、困らないでよ」不意に、声の雰囲気が、変わる。何かを耐えるような声。本当に言いたいことを、飲み込んだ声。俺は、そんな声を何処かで聞いたような気がする。《でさ、結局お前の夢ってなんなんだよ?》《もう、言わないって言ってるじゃない》《でもよぉ》《言わないってば。秘密の場所教えてあげたんだから、それでガマンしてよ》《うー》《それに……、言っても、きっと》《え?》《な、なんでもないよ。ほら、早く帰ろっ》そうだ。あの時、あの森からの帰り道。《あいつ》は、そんな声をしていた。頭が痛い。吐き気がする。だけどビアンカに心配をかけたくない。説明が出来ない。誰にも言えない。苦しい。苦しい。苦しい。ああ、ちきしょう。体に、力が入らねえ。「……ジャギ、どうしたの?」女の声。仮面の中で響いて、何重にも聞こえる。「ジャギ、ねえ、ジャギ、ジャギってば!」顔を上げる。視界がかすんで、相手の顔がよく見えない。見えるのは、金の髪。金の髪が、揺れている。「……アン……」震える喉から、声を絞り出して、その柔らかな体を抱き締めて。俺の意識は、暗転した。俺の手の中に居るのは、誰、だろう。───────────────────────────※作者からのお詫び※私事が立て込みまして投稿が遅れました。エターナらないように頑張ります。