第十八話:What is learned in the cradle is carried to the grave. (三つ子の魂百まで)食事と旅の準備を終えたビアンカは、意気揚々と俺を連れて家から出た。出た途端に、昨日の大工――確かカイトといったか――と遭遇する。「ビアンカさん! 出かけるのかい?」「ええ、ジャギと一緒にね!」ニコニコと笑みを浮かべながら告げる。カイトの顔が途端に険しくなる。あからさまに敵意を向けられても、俺だって困っているのだから反応に困る。「あんまり遠出をして、お父さんに迷惑かけねえようにな?」「も~、心配性なんだから。大丈夫よ、ジャギが居るんだから!」「がう」ビアンカの足元で、ゲレゲレが不満そうに鼻を鳴らす。「あー、ごめん。ゲレゲレちゃんも居たわね」よしよし、と頭を撫でれば、満足そうだ。「もちろん、ピエールちゃんもスラリンちゃんもね。頼りにしてるわよ」そのまま流れで、ピエールとスラリンの頭も撫でる。……スラリンはともかく、ピエールにまで『ちゃん』を付けて呼ぶのは、どうなんだ。「……怪我なんかさせたら、お……、あー、村の人らが、黙ってねえからな」「分かってる分かってる」なお一層表情を険しくするそいつの言葉を、右から左に流す。ビアンカに怪我をさせたくないのは、俺も同じだ。「さ、早く行きましょ、ジャギ! きっと、お化け退治より簡単よ」そんなわけはないが、笑いながら言われると逆らえない。十年以上前から、体に染みついちまってるらしい。やれやれ、とため息を一つ溢して、俺達は足早に村を出た。旅のための保存食なんかは、船にたっぷりと積まれているからわざわざ買う必要もない。「再会して早々にジャギと旅が出来るなんて」ビアンカはさくさくと山道を歩いていく。馬車に乗るか、と聞いてみたが、このくらいは平気だ、と言われた。子供の頃は、旅慣れた俺と違って、平坦な野原でも、歩くのがしんどそうだったのにな。「ジャギも、随分成長したみたいだし、今度はどんな冒険が出来るか楽しみね」「成長したのは、俺だけじゃねえさ。昔は、山道なんざ歩けなかっただろ」「うふふ、まあね。七年もあの村に住んでたら、山歩きも得意になるわよ」それから、少しばかり顔色が沈む。……なんか、マズいことでも言ったか?「昨日、さ。ジャギのお母さんが生きてる、って話、聞いたじゃない」「ああ……、多分、だけどな」「お母さん、っていいわよ。優しくて、暖かくって、……思い出しちゃって、さ」目元で光った何かを、ビアンカが慌てて拭う。……俺は覚えてないが、母親、というのはそういうものなのだろうか。『ぼく』は覚えてないし、《俺》なんか、もっとそうだ。確かに、何時か夢に見た、『俺』を抱いてた『母さん』が、そんな感じだった気はする。けれど、実感は、湧かない。だからこそ、会ってみたい。そのために、俺は伝説の勇者が使った武具を探しているのだ。「大変な旅だけど、寂しくはない?」「いいや、別に」「そうよね。ゲレゲレちゃんもスラリンちゃんもピエールちゃんも居るものね」傍らのゲレゲレと、先頭にたって辺りを警戒しているピエールを見て笑う。「あのよ、ビアンカ」「なあに?」「……ピエール、俺より年上だからな」そう告げると、目を丸くして驚いた。「そうなの?」「だから、ちゃん付けは正直、ない」「いやいや。私としては、ビアンカさんのような美しい女性にお呼びいただけるなら、 ちゃん付けだろうがなんだろうが、ご自由に、とお伝えください」こちらの話を聞いていたらしいピエールが、慌てて否定する。その声はすっかりのぼせあがっている。この女好きめ。「……と、思ってたが、ピエールとしてはちゃん付けでも構わんそうだ」「あらよかった。うふふ、よろしくねピエールちゃん」「こちらこそ、ビアンカさん」鼻の下を伸ばしたような声をしていることは、せめてもの情けで黙っておいてやろう。「ここをこうして、っと」船に乗った俺達は、ビアンカの指示の下で水門へと近づく。ビアンカが船から身を乗り出して、水門の鍵を開けた。「よいしょ、っと。ふぅ。ここから先は、私にもどうなってるか分からないわよ」「こっから先に行った奴は居ないのか?」俺の問いかけに、ビアンカが何かを思い出すように首を傾げた。「ああ、そういえば。よろず屋のおじさんが、湖の先の滝の裏に、 洞窟を見つけたことがある、って言ってたわ」「洞窟の先の滝……、あー、そういや、ルラフェンの先に滝があったな」ばさり、と地図を広げてチェックする。ルラムーン草を取るために昇った崖。あそこんとこに、確かにデカい滝があった。「んじゃ、とりあえずはそこを目指すよう船長に行ってくれ」「アイアイサー!」船員は、その指示を伝えるべく船長の元まですっとんでいく。「……なんか、凄いね、ジャギ」「あ?」「昨日はさ、変わってない、って言ったでしょ?」風に金の髪を揺らしながら、ビアンカが呟く。ゆっくりと動き出した船が、波を切る音が聞こえる。「ちょっと言葉づかいは乱暴になってたけど、それだけだと、思ってた」「……十年だ、変わるさ」「うん。……ジャギ、もうすっかり一人前の男の人だ」「え」俺はてっきり、幻滅されたのかと思ったが、そういうことじゃ、ねえらしい。「自分の目標のために、どんな困難にも立ち向かえる、素敵な男の人だよ」「……そんなんじゃ、ねえよ」「謙遜なんてしなくって良いってば」ビアンカは笑いながらそう告げると、船の舳先から湖を眺め始める。俺は、そんなビアンカの姿を見るのが嫌で、船室へと戻った。ベッドの上に、どさり、と体を投げ出す。「ビアンカが思ってるような男じゃねえよ、俺は」誰にも聞かれてないのを確認してから、独りごちる。リング探しだって、結婚目的じゃあない。油断させて、盾をかっぱらって逃げるためのもんだ。それなのに、ビアンカは俺を凄い、と言う。いたたまれない。ビアンカが知ってる『ぼく』も、確かに『俺』なのだけれど、《俺》としての記憶が、今の『俺』の大半を形作っている。目を閉じる。暗闇に、金の髪の少女が浮かぶ。彼女は、ジャギ、と俺の名前を呼ぶ。「ジャギ」目を開いて、呟いてみる。「ジャギ。俺は、ジャギ」仮面越しに見る手が、真っ赤に染まっているような錯覚。これが、俺の手。《俺》を背負って生きる、『俺』の手。こんな手で、あいつの傍に居て、良いんだろうか。ずぎりずぎりと頭が痛む。ついでに、無いはずの胸の傷が痛む。それから逃れるように固く目を閉じた。寝て起きたら、痛みもひいてるだろう。滝へ着いた頃には夕方になっていた。近くに船を泊めて、滝を確認してみる。確かに、船で入り込めそうな洞窟があるのが見えた。「あそこにあるといいね、水のリング」「ああ……」ビアンカの言葉に頷く。船長に相談すると、恐らく入っても問題ない、とのことだった。それでも、大事をとって一泊して、翌朝。「うおおおおおおおお!」今まで見たこともないような光景に、俺は思わず声を上げる。滝の裏にあるだけあって、洞窟の中は水で満たされていた。「こんな広い空洞があるなんて! 岩の割れ目から明かりが漏れて暗くないし……。 レヌール城の時とは大違いね、うふふ」俺と同じように歓声をあげながら、ビアンカが降りてくる。……ん?「えーっと、何でビアンカが馬車ひいてんだ?」「あら。まさかここまでの案内で冒険を終わらせるつもりだったの?」……どうやら、洞窟の奥まで一緒に着いてくるつもり満々らしい。「しゃあねえなあ。スラリンかゲレゲレ、ちょっと留守番しててくれ」「がうるるる」「ゲレゲレが毛皮濡れるの嫌だから留守番するってー」「ん、じゃゲレゲレが留守番な」ぴょんぴょんと跳ねるスラリンを殿に据える。「あら、ゲレゲレちゃんお留守番なの」ビアンカはちょっと名残惜しげに、その頭を撫でていた。この冒険が終われば、また離れ離れになっちまうから、寂しいんだろう。とにかく、俺を先頭にしてピエール、ビアンカ、スラリンの順で慎重に奥へと進む。道が整備されているのは助かるが、何のためにそうなってんだろうな。だが、それより目を引くのは何といっても豊満に湛えられた水だろう。ここから溢れた水が湖になっているのか、それとも湖から流れ込んでいるのか分からねえが、道じゃないところはほとんど水、それも飲んでも大丈夫そうな綺麗な水だ。それが日光を反射してきらきらと輝き、揺れる水面は美しい、と柄にもないことを思う。「うふふ」そんなことを考えていた俺の耳に、突然ビアンカの笑い声が聞こえてきた。「な、何だぁ? 何笑ってんだよ」「だって、ジャギ、さっきっから水にばっかり目が行ってるんだもの」「う」つい水を贔屓してしまうのは、《あの世界》の記憶によるものだから、仕方ねえだろ、と思うがまさかビアンカにそうも言えまい。押し黙った俺に気づかず、ビアンカが語り出す。「ジャギってね、昔っから水辺が好きだったのよ」「そう……だったか?」「ええ。サンタローズでは川を眺めてるうちに落っこちたり、井戸に潜ったりしてたわ。 アルカパでは、宿の池を覗いてるうちに落っこちたり、宿でのかくれんぼでは、 いっつもお風呂場に隠れてたり……」……覚えてねえけど、ガキの頃から水がそんなに好きだったのか、俺。思わず頭を抱えてしまう。ビアンカはそんな俺を見てまたくすくすと笑う。「ほんと、凄く懐かしい。うん、やっぱりジャギは、私の知ってるジャギだ」「……ちっ」妙に気恥かしくて、ビアンカから意識をそらす。と、ゴーッという音が聞こえてきた。「あら、何かしらこの音」ビアンカも気づいたらしい。その音は、ほぼ一本道になっている道の先から聞こえてきた。「うわぁ……」開けた空間に出ると、その音の正体が分かった。天井近くから下まで流れ落ちる、巨大な滝だった。「綺麗……こんな風に、景色に見とれるなんて何年ぶりかしら」そんなことを呟くビアンカの姿は、寂しげだった。「ね、ジャギ。人の未来なんて、分からないことばかりだね」全くだ。《ぼく》だった頃には、《俺》になっちまう未来なんて、知らなかった。それから、『ぼく』になっちまうことも、『俺』になっちまうことも。何一つ分からなかった。……分からなくて、よかったと思う。《父さん》に見捨てられる未来を知っていたら、きっと、もっと早く、壊れていた。「……ごめんなさい、ジャギ」「何謝ってんだよ」「なんか、辛そう、だったから……顔は見えないけど、何となく分かるの」ビアンカのその気遣いが、痛い。「いつまでも景色にみとれてねえぜ、行くぞ」だから、つい、少しぶっきらぼうな言葉遣いになってしまった。「ええ。落ちないように、気を付けて……」「ジャギ、敵だ! 上から来るぞ、気をつけろ!」ピエールが叫ぶ。俺は咄嗟に見上げた。反射する光に紛れて、蛇と蝙蝠の合成獣がこっちへ突っ込んでくる。モンスターの中には、自然に生まれたものじゃねえ、上位種によって合成させられた奴らってのが居る。このヘビコウモリもその一体だ。「シャアアアアア!」「うおりゃ!」最初の一体を切りつけるが、致命傷には至らない。「えいっ!」だが、ビアンカの放った茨の鞭に絡めとられて、地面に落ちる。そこを再度切りつけてやれば、今度こそ完全に息絶えた。「やったわね!」「キシャアアア!」ビアンカの喜びも束の間。さらに三体がこちら目がけて飛んでくる。その内の一体が、こちらへ向かって息を吐きかけた。「……ッ?!」なんだ、こりゃあ。全身が灼けつくように痛む。体が、上手く動かない。くそっ、神経性の麻痺毒か! 動けねえ!「ジャギ!」俺の異変に気づいたビアンカが、俺の方に視線を向ける。馬鹿野郎! 俺は良いから、敵を見てろ、という言葉が喉から出ることはない。その隙を狙って、ヘビコウモリは、ビアンカに向かって飛びかかる。「っ、きゃあ! この、離れ、なさい!」ビアンカの体に取りつき、カギ爪を突きたてるヘビコウモリ。それをどうにか引き剥がそうと、身を捩っている。足元は、湿った、地面。嫌な汗が背中を伝う。ずるり、とビアンカが足元の水たまりで足を滑らせた。「え……」その拍子に、ビアンカの体が滝の方へと傾ぐのを、俺はただ、動けぬまま、眺めることしかできなかった。