第十七話:Nurture is above Nature. (氏より育ち)「ね、今日はウチで休んでいってよ、色々と話も聞きたいもの」ビアンカが笑いながら、俺の手を握る。伝わってくる温もり。そういや、こんな風に誰かに触られるのなんて、どれくらいぶりだろう。最近の他の人間との接触なんて、殴るか殴られるかくらいだった。「え、あ。ご、ごめん、急に手なんか握ったりして」ぼんやりとしていたのを、手を取られて困ってると考えたらしい。顔を真っ赤にして、首をぶんぶんと振った。「き、気にすんなよ。その申し出は、ありがたく受けるぜ」声がうっかり上ずる。くそっ、さっきまで気にならなかったのに、一瞬目を丸くした彼女は、またすぐに笑った。「そ、よかった。そっちの、変わったお友達も一緒ね?」「あ」そういや、スラリンとピエールも連れて来てたんだった。また会えた衝撃で、すっかり忘れてちまってた。「ああ、この娘が例の」「あー、こないだ話してた」スラリンとピエールは、うんうんと頷いている。向ける眼差しが、例によって例の如く生温い。「うっせえ、ちょっと黙ってろ」小声で呟いて、ごん、とそれぞれを軽く蹴り飛ばす。「ジャギって、昔からなんか不思議な感じがしたけど、魔物使いになってるなんてね。 ……これも、私がゲレゲレを譲ってあげたおかげかしら」鈴を転がした時のような、耳に心地の良い笑い声。その笑顔が、あの頃と変わっていないように見えて、ほっとする。『俺』が変わってしまった。サンタローズが、変わってしまっていた。あの頃を思わせるものは、今まで全部、変わってしまっていた。だから、ビアンカが変わっていなくて、凄く、嬉しい。「さ、行きましょ」そう告げてから、ちょっとはにかんだ顔で、また俺の手をとった。訂正。全然変わってないわけじゃねえ。指先は、少し荒れてるが、女らしいほっそりとした指になっている。意識して見れば、体つきも、すらりとして、なおかつ出るとこは出てる。『女の子』じゃなくて、『女』になってるのだ、と思うと、驚くような、寂しいような、釈然としない心持ちだ。俺の戸惑いも知らずに、ビアンカは手を引いて村の一番奥に立つ家に向かう。高床式になってるその家の下から、のっそりと姿を見せた男が一人。ビアンカを見つけて笑みを見せたそいつは、俺を認めた途端に、顔を強張らせた。「び、ビアンカさん、そいつは?」「あ、カイトさん。ほら、ジャギよ。よく話してたでしょ、幼馴染の!」視線が険しいことにも気づかぬまま、ビアンカは俺を紹介する。俺を引き寄せた拍子に、腕を組むような形になってるんだが。具体的に言うと、当たってるんだが。仮面のせいで、俺の困惑は判ってもらえない。男の口元がひくひくと引きつる。「そうか、あんたがっ、ビアンカさんの『幼馴染』のっ、『友達』っ、だなっ!」「お、おう」念を押すような声を出されるのも、致し方あるまい。そんなことより腕に当たる柔らかな感触の方が気になって、答えは曖昧になる。「今日はウチに泊ってもらおうと思ってるの。色々と募る話もあるしね。 それじゃあね、カイトさん。いつもありがとう」俺を引きずるようにして、ビアンカは階段を昇っていく。どうやら、あれだけ判りやすい感情を向けられていて、気づいてないらしい。妙なところで鈍感なんだな、ビアンカ。「ただいまー!」喜びを隠しきれない声を上げながら、扉を開ける。「どうしたんだね、ビアンカ。そんなに嬉しそうな声で」咳き込みながら姿を現したおっさんは、ビアンカの父親だろう。あの頃は風邪をひいてたから、中々顔を会わせなかったので覚えてねえし、それより小さい頃の記憶なんて、もっと無い。「お父さん、ジャギよ! パパスおじさまの息子のジャギが生きてたのよ!」「え? 何だって、パパスの息子の、あのジャギかい?」おっさんは、訝しげな顔でこっちを見て来る。当然だろう。何しろ、十年も会っていないし、第一、俺はまだ仮面を着けたままだ。「仮面とりてえから、ちょっとこっち見ないでもらえるか?」「あら、どうして?」何も知らないビアンカの言葉に胸が痛む。「その、ちょっと、した、事故、でな。顔に、傷、残っちまってて」「え……」顔色が青ざめる。悪いことを聞いてしまった、とバツの悪そうな顔だ。ビアンカにそんな顔させたいわけじゃないんだが、仕方ない。説明なしに、顔を隠しておくわけにもいかないからな。「テメエが、あ、いや、ビアンカがそんな顔しなくてもいいんだ。 悪いのは、ちょっとドジっちまった俺なんだから」部屋の隅を向いて仮面を外し、手早く布を巻きつける。今度からは、仮面の下に巻いたままにしておいた方が楽かもな。「うし、と」くるりと振り向く。おっさんは、俺が顔を隠してるのを見て、痛ましい表情をし、ついで、どうやら『俺』と、『ジャギ』が繋がったらしく微笑む。「驚いたよ、ジャギ、生きとったのか。いやぁ、大きくなったなあ」近寄ってきて、ぽんぽん、と俺の腕を叩く。「あの頃は、まだほんの子供でビアンカとよく遊んでたのに。 それで……、パパスは、元気かい?」今度は、俺が表情を強張らせる番だった。何と言おう。何が言える。まさか、俺をかばって魔物に殺された、など、言えない。言えるわけがない。そんなショッキングなことを、こいつらに教える義理はない。「そうか……、パパスは、もう……」「そんな、おじさまが……」俺の表情を見て、二人とも察してくれたようだ。事情を聞きたそうな顔を一瞬見せたが、すぐにそれは消えた。余り、深くは聞かない方がいいと思ってくれたのだろう。正直、ありがたい。「ジャギも、随分苦労しただろう。たった一人で、よく頑張ったな」「うちも……、母さんが亡くなってね。それから、父さんが体壊しちゃって」「アルカパに寄った時に、そんな話を町の奴から聞いた」何でもからからと笑い飛ばしちまいそうな、あの豪快なお袋さんは、嫌いじゃなかった。「……暗い顔してたって仕方ないわ。とりあえず座って。夕飯作るから」ぱんぱん、と手を叩いて、ビアンカが重くなった空気を払う。「色々積もる話を聞きたいわ。十年ぶりだもの。ゆっくりしていってね」その言葉に甘えたいところだったが、俺には、やるべきことがある。だから、泊れてせいぜい一晩、だ。はっきりと、伝えておかなきゃいけない。「いや、そうゆっくりもしてられねえんだ」「え?」「……結婚するために、水のリング、ってのを、探してる」油断させて盗んで逃げるため、というのは黙っておこう。……ビアンカに、幻滅されたくない。ビアンカが作った夕飯は、美味かった。思えば、宿以外のとこで、きちんとした飯を食うのなんて、子供の頃以来だ。食事の間の話題は、ほとんどビアンカがこの村に来てからのことだった。カイト、という男が色々と雑用をこなしてくれること。おかげで、凄く楽に暮らせていること。この村へは、ダンカンの病気に温泉が効くと聞いてやってきたこと。あの墓には、お袋さんの遺骨が埋められていること。家の片隅に猫が住み着いていること。そんな、何気ない日常の話。俺が、決して得ることのなかった時間の話。「十年間、何を、してたの?」食後にちょっと酒を飲んでる最中になってようやく、そう尋ねられた。奴隷をやってた、なんて言えねえよな。「……あちこち、旅暮らしをな。ガキ一人じゃ関所も通れなかったし」「まあ、無茶なことするのね、ジャギったら」微笑みは、ふと悲しげな表情に入れ替わる。「アルカパへ行ったってことは、サンタローズへも、行ったんでしょう?」「……ああ」「私達もびっくりしたよ。サンタローズが滅んだと聞いてね」おっさんたちは、その一報を聞いて慌ててサンタローズを訪れたらしい。そこにあったのは焼け落ちた村で、ビアンカなどショックで熱を出したそうだ。「母さんが亡くなるまでの三年間、私、毎日村の入り口を見てた。 いつか、ジャギが戻ってくるんじゃないか、って」「ビアンカは、ずっとジャギが生きてると信じてたからねえ」「……色々あって、戻れなかった、すまん」視線を合わせられない。嘘を見抜かれてしまいそうで。奴隷にさせられてた、なんてことを言えば、その顔はますます曇るだろう。想像しただけで酷く嫌な気分になるので、嘘を突き通すことにした。「ううん、いいの。こうやって、生きてまた会えたんだもの」約束したものね、とビアンカが告げる。「約束?」「あらひどい。忘れちゃったの? また一緒に冒険しよう、って、 そう約束したわよねー、ゲレゲレちゃん」ゲレゲレは『その通り』とでも言いたげに、ゴロゴロとビアンカの足元で喉を鳴らす。その頭を、よしよし、と撫でている。そんな約束も、したな。……正直、今の今まで忘れたんだが。「でもそっかー、ジャギ、結婚しちゃうのね」不意に呟かれたその言葉が、妙に寂しげで、俺の胸がどくり、と高鳴る。「あ、ああ。天空の盾を、手に入れなきゃなんねえからな」そう答えると、眉を顰められた。「ちょっと、それじゃフローラさんが可哀想だわ! 結婚っていうのは、そんな簡単なものじゃないのよ!」物凄い剣幕でまくし立てられて、仰け反る。「……ジャギったら、昔っからちょっとズレてたけど、変わらないわね」呆れたようにため息をついて、座りなおす。「ビアンカに強く言われると逆らえないのも、変わらないな」おっさんが、はっはっはと声を上げて笑う。……お化け退治以前にも、あいつの言葉に逆らえなかったりしたんだろうか。四歳前後のことなんざ、正直覚えてないぞ。何だこれ恥ずかしい。ま、そんなことよりも、俺に衝撃的だったのは。「昔と変わらない、って言ってくれたのは、ビアンカが初めてだよ」「え……」「……昔を知ってる奴も、そんなに居ないんだけどな」サンチョは行方不明。シスターも、最初は俺だと判らなかった。村は焼かれた。他に、俺を知る知り合いなんぞ、居ない。「ジャギ……」「あー、悪い。ちょっと酔っちまったみてえだ。もう休ませてもらえねえか?」「え、ええ」悲しみを、否、憐れみを浮かべたビアンカの顔を見ていられずに、俺はもう寝ることにした。「毛布と布団さえもらえりゃ床でいいんだけどな」「大丈夫よ、予備のベッドがあるわ」「二人暮らしなのにか?」「有るにこしたことはないってカイトさんが作ってくれたの」あわよくば、自分用のベッドにするつもりだったのだろうが、この調子ではもうしばらく客用ベッドのままに違いない。今頃は宿にあるという酒場で飲んだくれてそうな男に、心の中で合掌した。「……あー」しばらくぶりに穏やかな時間を過ごしたというのに、夢見が最悪だった。最悪だった、という感覚だけが残っていて、どんな夢だったのかは覚えていない。のそのそと食卓の方へ向かうと、ビアンカは起きていた。「おはよう、ジャギ。今朝食の支度をしてるとこよ」台所に向かい、こちらに背を向けたままビアンカはそう告げる。パンとか卵とかの焼けるいい匂いが、辺りには漂っている。「あー」「どうしたの、変な声出して」「いや、幸せって、こういうこと、言うの、かも、な、って」語尾が消える。いやいやいやいや、俺、何恥ずかしいこと言っちまってんだ。「あ、はは、あはははは、寝ぼけてたみてえだな」「そ、そう寝ぼけてたのね。うふ、うふふふふ」互いに向き合って、苦笑い。そして、沈黙。おいおいやめてくれよ、こういう雰囲気、どう対処していいか解んねえぞ。「あー、えーっと、ジャギ、父さん起こしてきてくれないかしら」ビアンカがそう言ってくれたので、これ幸いとばかりに彼女から離れる。おっさんの部屋に入るまえにちらり、とそちらを向けば。……俺より早く起きて、テーブルの影に居たピエールがニヤニヤしていた。厳密に言えば口元は見えないので、ニヤニヤしてる雰囲気なだけなんだが。何にしろ、後でぶん殴るか蹴飛ばすかしておこう。「おーい、飯だってよー」ベッドで眠ったままのおっさんを、ゆさゆさと起こす。目を開けたおっさんの顔は、やはり記憶にあるより弱々しいし、白髪も皺も増えている。十年経った重みを、なんだか急に感じちまった。「ああ、今起きるよ」のそり、と身を起こしたおっさんは、俺をじっと見つめる。「なあ、ジャギ。少し聞いてもらいたい話があるんだが、いいかね?」潜められた声。どうやら、ビアンカには言えない話らしい。「ん?」「……実はね、まだあの子には言っていないんだが……、ビアンカは、 私達夫婦の本当の娘じゃないんだよ」は?「それなのに、年頃になっても家に縛り付けておくのが不憫でね……。 私は、こんな体だからこの先どうなるか解らないし……」血の、繋がらない、親子か。はは、なんだよ、俺はそういう巡り合わせの元で生きてんのか。「ジャギが、ビアンカと一緒に暮らしてくれたら安心なんだがなあ」安心? 俺と一緒に暮らして? んなわけ、ねえだろ。「それはねえよ」「……そうだね、ジャギにはジャギの人生が」「最初に、母親が行方知れずになった。次には、父親が殺された。故郷の村が焼かれた。 そんな人生送ってきた奴に、娘を託そうとすんじゃねえ」言葉を遮り、睨みつけながら、問いかける。「それとも、何か。血の繋がらない娘だから、何処へでもやれるのか」「ち、違う! 大切な娘だから、信頼できる相手に託したいんだ!」……血の繋がらない親なんてもんは、つくづく、身勝手だ。「血が繋がらなくても、大切な子供なんだろうが。 誰かに託さずに、テメエできちんと幸せにしてやれ。 子供が好きにやれるように、支えてやれ」運命なんてもんは、他人の言葉で決めるもんじゃねえが、親にあれこれ言われちまったら、揺らいじまうのも確かだ。ビアンカはきっと、運命を変えたいと思ったら、自分から行動する。あいつがここに残ってるのは、それがあいつの望みだから、だろう。「……そうだね。はは、年をとるとつい弱気になってしまうよ。 じゃあ、とりあえず朝食にするとしようか」「ん。……安心しろ、秘密を本人にバラすほど、俺は人でなしじゃねえつもりだ」血の繋がらない親子。出来るなら、幸せになって欲しいと思ったのは。《俺》が、そうはなれなかったせいなのだろう。「ね、ジャギ。昨日あれから考えたんだけどね」もしゃもしゃとパンを齧っていた俺に、ビアンカが呼びかける。「私、ジャギに幸せになって欲しいの。だから、水のリングを探すの手伝ってあげる!」齧っていたパンが気道に入って盛大にむせた。慌てて、水で押し流す。うん、山の奥地な上に、温泉地だからかやっぱり水が美味い。じゃなくて。「び、ビアンカ今なんて」「だから、私も水のリング探しに一緒に冒険する、って言ってるの。」「ダメに決まってんだろ! どんなモンスターが出るかも解らねえのに」「あら、大丈夫よ。お化け退治とそんな変わらないでしょ」それに、とイタズラっぽく笑った。「私が行かないと、水門のカギ、開けられないわよ」……十年ぶりに会おうが、成長していようが、変わらない。俺は、なんだかんだで、ビアンカの決定には、逆らえないのだ。盛大にため息をつきながら、頭を抱えた。「やれやれ、そういう強引な所は、母さん似だねえ」おっさんは、ニコニコ笑っている。止めろよ、と言いたいところだが、子供の好きにさせてやれ、と言ったのは俺なので、何とも言えなかった。