第十六話:THE Beast That Goes Always NEVER Wants BLOWS. (犬も歩けば棒に当たる)ほとぼりが冷めるまで、俺たちは三日アルカパに逗留した。死の火山までの片道と大体同じだけの日にちだ。呪文で瞬時に好きな場所へ飛んでいける、なんてのがバレるのが嫌だったしな。こんな便利なもん、他の奴になんか絶対教えてやんねえ。「あ」別に、そのまま戻ってもよかったのか。帰り道だけなら、キメラの翼を使った、ってことにすりゃ誰も不思議がらねえんだから。むしろ、とっとと戻った方が、俺が炎のリングを手に入れたって知る奴もいなくて、騒ぎにならなかったんじゃないだろうか。「……なんで、アルカパに戻って来ちまったんだろうな?」ベッドに寝転がった俺は、視線をゲレゲレに向ける。ゲレゲレは、鼻を一つ鳴らして『そんなことも解らないのか』と言いたげだった。どういうことだよ、と思いながら天井をぼんやりと見上げる。ふっと、そこに金色の髪をした女の姿が、浮かんで消えて、自分でも驚いた。多分、結婚しなきゃいけないかもしれない、って人生の岐路に立たされて、俺が、今までで唯一、まあ、その、好意を、抱いた?女のことを、ついつい、思い出して、その、面影を、探して、来ちまった、ってことか?「だあああああああ! ビアンカに会いたくて、かよぉおおおお! 馬鹿じゃねえのか、俺ええええ!」何恥ずかしいこと考えてんだ俺は! もうとっととリング渡して、天空の盾だけもらってとんずらしよう、そうしよう。俺が結婚するなんて、そんなこと有るわきゃねえんだから!そうと決めたら、早速ここを起とう、うん。がばり、とベッドから起き上がって、俺は気がついた。この部屋に泊っていたのが、自分だけじゃなかったことに。「そろそろ、ぷふっ、行くのかね、ぶふぅ、ジャギ」ピエールが、あからさまに笑いをこらえていた。「どっから見てた?」「どこからも、何もっ、私達はずっとここに居たよ……ぷーっ」こらえきれずに噴き出した、ピエール。仮面の下の顔が、かぁっと熱くなるのが解る。「……そっ、そこになおりやがれええええ!!」思わず親父の剣をとって、ピエールに向かって勢いよく打ち込む。「はっ、ははは、すまない、ジャギ ただ、君もちゃんと年頃の男なんだな、と、ぶふーっ、思っただけで」「黙れええええ!」一々笑いながら逃げるピエールを、追いかける俺。スラリンが首を傾げ、ゲレゲレはやれやれ、といった調子で鼻を鳴らした。結局、俺たちの出発は、このくだらねえ鬼ごっこが終わってからのことになるのだった。サラボナへ戻ると、町の奴らがじろじろとこっちを見てくる。どうやら、俺がリングを手に入れたことは既に知れ渡っているらしい。ま、だったら俺からリングを奪おうとする奴もいねえだろ。とりあえず炎のリングを渡して、水のリングのありかについて話を聞くか。知らねえ、って言われるこたねえだろ、多分。特に誰に話すでもなし、真っ直ぐにルドマンの屋敷を目指した。中に入ると、噂を既に聞いていたらしいジジイが、俺を見て嬉しそうに笑った。「おお、ジャギとやら、炎のリングを無事に手に入れたらしいな」「ああ、まあな」「それでは、炎のリングは私が預かっておこう。よいな?」自分で持ってた方がとんずらしやすいんだが、騙すためには、ここで渡しておいた方がいいだろうな。後で盗めば済む話だ。俺は、袋から取り出したリングをジジイに手渡した。「ふむ、残りは水のリングだが、水のリングというからには、 水に囲まれた場所にあるのかもしれんな」ちょっと待て、なんだその適当な説明は。知らないのかよ、場所。それなのに探しに行かせるなんて、やっぱこのジジイ、娘を結婚させたくねえに違いない。「よし、町の外に私の船を泊めておくから、自由に使うがいい」「は? ……今、なんて?」「私の船を自由に使えばいい、と。炎のリングをとってきたのだから、 君には見どころがある! 悪いことには使わないだろう!」わっはっは、と笑いながら、ジジイはばしばしと親しげに俺の体を叩く。……あー、このジジイ、度量が広いのかタダの馬鹿なのか想像がつかねえ。「あら、あんた」俺が戸惑っている間に、笑い声を聞きつけたのか、あいつが降りてきた。「げ……」「何よ、マヌケな声ね。私の美貌に見とれるのはいいけど、 そんなマヌケな声、出さないでもらえないかしら」見とれてねえよ、確かに美人だけど! って、何考えてんだ俺は!「なんだデボラか。失礼なことを言うんじゃない。 彼は、お前の義弟(おとうと)になるのかもしれないんだぞ」このジジイ、やっぱり馬鹿だ。いや、事情を知らねえから、仕方ないかもしれないが、俺の前で、『おとうと』なんて言葉、出すんじゃねえよ。心臓が、嫌な感じに重くなって、頭が割れるように痛む。その場に膝をついて、痛みをやり過ごそうを意識を集中させる。落ち着け、考えるな、思い出すな。忘れろ、忘れちまえ、いや、忘れられるわけがねえ。今までは、こんな、単語一つで、気分悪くなっちまう程じゃ、なかっただろう。ああ、何で、急に。固く瞑った瞼の下に、金の髪をした女の姿が映る。小さな子供と、亡骸とが、ぐるぐると闇の中で回る。「ねえ、ちょっとあんた、大丈夫?」遠のきかけていた意識が声をかけられてこちらに戻ってくる。目をこじ開けて、仮面の下から見やれば、思ってもみなかった程優しげな目で、デボラが、俺の方を見ている。「あんたもアンディみたいに火傷でもしたんじゃないでしょうね?」飾り立てられた爪を持つ白い指が、仮面に這わされた。その手は、仮面を外そうとしている。「さ、触るなっ!」背中をぞくりとしたものが走って、振り払った。「きゃっ。な、何よ、このアタシが折角心配してやったってのに」形のいい唇を尖らせるデボラ。目に浮かんでいた心配は不満に摩り替っている。「うるせえ……ちょっと、放っておいてくれ」そのやりとりで、少しは頭痛が緩和した。俺はふらふらと立ちあがる。ジジイは、俺が膝をついた時からおろおろとしているばかりで、俺達の会話には入って来なかった。何も聞かれずに済んで、都合がいい。「船は、外、だったな。借り、てくぞ」水のリングを手に入れて、こんな奴らとは早く縁を切っちまおう。おとうとだとか、そういうことを、考えたくない。デボラが、まだ何か言いたそうだったが、俺はその視線を無視した。客船程ではないが、馬車が載るには十分なだけの船。それに乗った俺は、町の傍らに流れる川を遡るよう指示を出した後、船室に備え付けられたベッドに寝転がっていた。ピエール達は別の部屋だ。どうにか、頭痛は和らいでいる。何で、急に単語一つであそこまで過敏に反応しちまったのか。何度考えても分からないから、俺はもう考えるのをやめた。ひょっとしたら、疲れてたのかもしれない。疲れてると、嫌なことを考えちまうもんだからな。そりゃあ所々で休んでるとはいえ、ほとんど当ても無い旅だ。ここらで疲れちまったとしても、何にもおかしいことはねえ。「今そんなこと考えてもしょうがねえか……」先のことを考えるなんざ、俺がこの世界に慣れた証拠だろうな、と思う。《あの頃》は、明日のことなんざ考えられなかった。明日のことを考えるより、今日を生き延びることで手一杯。これからのことを、考えられるってのは、ここがなんだかんだで平和だからだ。「で、肝心のこれから、だが」水のリングを見つけたとして、だ。まさかその日に式ってことはないだろう。金持ちというのは、得てして見栄っ張りだ。客を呼んだり、式場の準備をしたり、と二、三日は忙しくなるに違いねえ。だったら、その間に娘婿候補が家に来て、家宝を手にして行方をくらましても、上手くいけば、誰にも見とがめられずに済む。多少の追手なら、最悪、殺せばいいだけだ。世界を救うための尊い犠牲になってもらおう。あー、でもお尋ね者扱いされちまったら、海を越えてもちょっとヤバいかもな。金品を目的にした奴らに、一々襲われるのも鬱陶しい。「かといっても、結婚する気はさらさらねえしな」結婚ってのがどんなものなのか、想像できやしねえ。ヘンリーはまあ、幸せそうだったけど、《俺》の周りじゃ、結婚してた奴なんて居なかったからな……。一応、《あいつ》と《あの女》は、婚約してたようだが、世界が焼かれたのと、《あの男》が《あの女》をさらったせいで、うやむやになっちまったし。……浚わせたのは《俺》だから、他人事みたいに言うことじゃねえんだろうけど仕方ない。《あの男》のことを考えると、尋常じゃない程頭が痛む。今にも、弾けちまいそうな錯覚がする。だから、名指しさえ出来ない。「おーい、兄さん、すまねぇがちょいと来てくれ」「あ?」ベッドに横になっていたら、いつの間にか眠っちまってたらしい。船員の声に起こされて、不承不承部屋から出る。湖の上、行く手を遮るように水門が設置されたいた。「何だぁ、こりゃあ」「どうやら、水が溢れないよう調整する水門らしいんだが……」眉を顰めて黙りこむ船員。いくら俺でも、これは壊せねえしなあ「ジャギ、あそこに看板が立っているようだ」くいくいと服の裾を引いて、ピエールが水門のすぐ脇を示す。開き方が書いてあるだろうか、と俺は船員に板をかけてもらって船から降りる。降りた先の看板を読む。えー、なになに?『無用の者 水門をあけるべからず。 用のある者はここより北東 山奥の村まで』北東、なあ。目をこらせば、確かにそっちの山間に、ぽつんと村が見える。船員をやればいいのかもしれないが、船に居るのは船を動かすのに最低でも必要な人員ギリギリだ。途中でモンスターに襲われて、欠けたら船が動かせなくなる。「仕方ねえか」一旦船に戻って、ピエール達を乗せた馬車ごと、もう一度降ろす。「戻ってくるまでここで待っててくれ」「了解しました!」船を任された奴は、威勢良く返事をした。案の定、山道ではベロゴンやヘビコウモリなんぞのモンスターが、群れをなして襲いかかってきたが、特に苦戦する相手じゃない。ただ数が多くて鬱陶しく、村へついたのは結局日が少し傾き出してからになった。村は、カボチとそう変わらないくらい田舎のようだが、あの村のような何処かピリピリとした感じはしない。「ここは名もない山奥の村だ、兄さん、何しに来なさっただかね」「ん? ああ、ちょっと水門を開けたくてな」そう答えると、声をかけてきたいかにも農民、という感じのおっさんは目を丸くした。「へー、水門を。てっきり温泉に入りに来たのかと思った」「……ああ、これは温泉の匂いか」村に入った時からわずかに鼻をついた異臭。これは硫黄の匂いだったみてえだ。「あー、水門のカギは今年の担当は誰だったかなー、悪いが、他の人に聞いてくんろ」どうやら、カギは村の奴らが持ち回りで管理してるみてえだな。絵に描いたような長閑な風景に目をやりながら、石段を上がる。温泉宿の前に立っていた男に声をかけて、水門のことを聞いた。「えーっと、今年は、村の一番奥の家の人が管理してるよ」「そうかい。言えば、貸してもらえんのか?」「多分ね。ダンカンさんは、人当たりがいいから」……なんつった。今、こいつ、何て。「七年前に、奥さんを亡くしてからこの村に引っ越してきたんだよ」『七年前に、奥さんを亡くしてねえ』アルカパの宿屋で、そう言っていた。「ほら、今あそこでお墓参りをしてるのが、ダンカンさんの娘さんで、名前は」その答えは、言われずとも解った。墓の前で、金の髪が揺れている。金の髪の女が、そこに居る。周りの音が聞こえない。俺は駆け出していた。ゲレゲレも一緒になって、その人影へと向かった。「……アン……っ、ビアンカッ!」俺が声をかけると、そいつはこちらを振り向く。青い瞳が、俺を捉えて首を傾げる。「あの……、あなたは……」「あ……」困惑しきった声に、頭から冷や水を浴びせられたような気分になった。そりゃそうか。十年も会ってねえ奴のことなんか、忘れちまうよな。「がう!」落ち込む俺の横をすり抜けて、ゲレゲレがビアンカにすり寄りながら喉を鳴らす。「え……あ、ゲレゲレ、ゲレゲレなの?」「がう」「それじゃあ……ジャギ! あなた、ジャギなの?!」驚いた様子で、ビアンカが俺を見上げて問いかける。見上げて、だ。俺は、いつの間にかビアンカよりデカくなってたらしい。あの頃は俺の方がビアンカよりも小さかったのに。「あー、お、おう」「良かった、心配してたのよ。んもう、そんな仮面被ってるから、解らなかったじゃない」くすくすと笑う笑顔は、あの頃と変わらなくて、ほっとした。……そうか、なんだ、仮面のせいか。「会いたかったわ、ジャギ」「あー……」こういう時、何を言えばいいのか、さっぱり解りゃしねえ。気のきいた台詞でも言えればいいのかもしれないが、俺にそんな語彙はない。だから、思ったことだけを、言うことにした。「俺も、その、会いたかった」被ってたせいで、気づかれるのを遅くした仮面だが、良い点もある。顔を真っ赤にしていても、気づかれない、ってとこだ。───────────────────────────※作者からのお詫び※タイトルがネタ切れを起こしました。なので今回は無題です。すいません。※追記※7月5日kyoko様のご意見により『犬も歩けば棒に当たる』とした上で、極悪ノ華のサブタイトルより、『THE Beast That Goes Always NEVER Wants BLOWS.』とさせていただきました。