第十四話:Even a chance acquaintance is decreed by destiny. (躓く石も縁の端)宿に一泊して、薄暗くてカビ臭い洞窟を、出てくるモンスターをなぎ倒しながら抜けて。川の向こうに、ようやく目的の場所が見えてきた。「あれが、サラボナだな」手元の地図と示し合わせて、一息付く。「隣に立ってる塔はなんなんだろうねー、お家かなー」「塔の上に住むなんざ、めんどくせえだけだろ。 うっかり足を滑らせたりしたら洒落にならねえし」「となると、モンスターの襲撃を見張るもの、か?」ちらり、とピエールがこちらに目配せをしてくる。言いたいことは、判っている。「かもな。つーわけで、モンスター連れだと警戒されるかもしんねえから、 お前ら馬車ん中に引っ込んでてくれ」「了解した」「はーい」「ガル」うむ、いい返事だ。素直な奴は嫌いじゃない。はぁー、しっかしあれだよなあ。モンスターだから警戒して、人間だから警戒する度合いが低い、ってのもおかしな話だ。人間に化けるモンスターなんざいくらでもいるだろうし、モンスターより性質の悪い人間だってごろごろしてそうなもんだが。「わんわんわん」「あ?」こっちに向かって突っ込んでくる、犬。俺の足元までくると、いきなり唸り声を上げだした。「ああ?」モンスターの臭いがするからか、警戒してるらしい。、唸られっぱなしじゃナメられてるみてえで気にくわねえ。ぎろり、と睨みつけてやると、顔こそ見えねえが気配を察したのか、きゃいん、と小さく鳴き声をあげて、その場に硬直した。「リリアン!」飼い主らしい、金持ちそうな女が一人こっちに走り寄ってくる。そいつに抱きかかえられて正気を取り戻したらしい犬コロは、再び俺に向かって警戒心を露わにした。「テメエの犬か?」「え、あ、はい。すいません、リリアンは私以外に懐かなくて」「気にしちゃいねえよ。こんな格好だからな」鉄仮面にボロい旅装束の男を警戒しない犬の方が、むしろ不自然だろ。「本当にすいません……」ぺこぺこと頭を下げて、怯えるみてえに走り去る女。あの青い髪、どっかで見たような気もすんだけど、思い出せねえ。《俺》じゃなくて、『俺』の記憶の中にあるような気がするんだけどな。「あーあ、兄さん、今の様子じゃ結婚は無理そうだねえ」「は?」通りすがりのババアにそう声をかけられた。何故そうなる。唖然としている俺を見て、ババアは首を傾げた。「おや、兄さんは知らないのかい? 今のは、世界に名だたる富豪、ルドマンさんのお嬢さんのフローラさんだよ。 今日は、あのフローラさんの婿を決めるってんで、近隣の町からも 人が大勢集まって来てるんだ」兄さんもその類だと思ったんだけどねえ、という声は、遠い。ルドマン、フローラ、と名前を聞いて思い出した。まだ、『ぼく』だった頃に乗った、あの船に、居た。親父に抱きかかえられて船に乗った、あの子供がそんな名前だった。話題に出なかった、ということはあの時の姉の方、そう、確か『デボラ』、あいつは、もう結婚しちまったんだろうか。……なんか、それを考えると、すげえもやもやする。ん? なんで俺がもやもやしなきゃなんねえんだ。「で、お婿さんには家宝の盾を与えるって話だよ。 なんでも、世界を救った勇者様が使ってたものらしいねえ」「はあっ?!」おいおいおい、ここまで来て、何処の馬の骨とも知らねえ男に、伝説の盾が渡っちまうなんて、冗談じゃねえぞ。とりあえず、盾の話だけでも聞きに行かなきゃなんねえ!俺は、その町で一番デカくて、騒がしい建物へと足を向けた。おそらく、それがルドマンの屋敷だろうと見切りをつけて。屋敷に入ると、人でごった返していた。ざわめきを聞く限り、全員フローラと結婚したい奴ららしい。俺はただ、盾の話が聞きたいだけだってのに、そいつらと一緒に部屋に押し込められた。やがて、部屋の奥の階段から、のっそりと一人のおっさんが現れた。微かに見覚えがある。あれが、確かルドマンのはずだ。「皆さん、ようこそ。私がこの家の主人、ルドマンです」ルドマンは、集まった奴らにフローラとの結婚には条件があると言い出した。条件を述べ始めようとした、その時。かつかつ、と耳にハイヒールの音が聞こえてくる。上階から降りてきた、一人の、女。「うるさいわねー、何の騒ぎ?」黒い髪を、アップにして整えて。「また、私と付き合いたいって男が来てるわけ?」薄手で短い、ピンクのハデな服を着て。「悪いけど、私は今の生活がいいの。結婚なんてしないわよ」キツめの目元に、泣きボクロのある、女が、そこに立った。「『デボラ』! お前には関係ない! 彼らはフローラの結婚相手だ」ルドマンが叫ぶ。女は、肩をすくめて、再び階段を上がっていった。随分とイイ女になってたが、傲慢さは、相変わらず、か。脳裏に過るのは、『自分と妹は別の人間』『比べられても気にしない』と、胸を張っていた、ガキの頃のアイツの姿。あの時は、何であんな質問をしたのか解らなかったが、今なら解る。自分より年下の『きょうだい』と比べられてたアイツを、《俺》と重ねちまってたんだ。でも、《俺》と違って、きっぱりと気にしない、と言ってのけたから、アイツが、眩しく思えたんだったな……って、何思い出してんだ、俺は。ぶんぶんと頭を振って、ルドマンの話に耳を傾ける。何でも、炎のリングと水のリング、両方を持ってきた奴に、フローラを嫁にやるらしい。途中でフローラが姿を見せて一悶着あったが、集まった奴らの中に、幼馴染だっつーアンディとかって奴を見つけて、顔を赤く染めてすごすごと引き下がった。……あの女、解りやすいなあ。炎のリングが、こっから南にある活火山にある、と知らされてからは、一目散に飛び出して行く奴、危険を冒すだけのリスクはあるか、と周りの奴らとひそひそ話をする奴、諦めてすごすご帰る奴、とまた騒がしくなった。試しにルドマンに話しかけてみるか……? いや、よそう。この状況で盾を寄越せ、なんつったら、娘は盾のオマケじゃない、ってブチキレた揚句に話も聞いてもらえなさそうだ。……とりあえず、リングを集めりゃ、話を聞いてもらえる、か?一旦屋敷を出て、俺は町の奴らにあれこれ話を聞いてみることにした。「なあ、あのデボラって娘の方は、結婚しないのか?」一番気になってるのは、このことなんだよな。普通、年上の娘の方から結婚させるもんだろ。噴水の周りにいたババア共に聞いたら、物凄く怪訝な顔をされた。ナ、何だよ。俺なんか悪いこと聞いたか?「デボラと結婚しようなんて物好きは居ないだろうよ」「あんなのと結婚したら人生の終わりだよ」「蛇みたいな女だよあの娘は」町の住人らしい奴らは、男も女も、その意見には納得してうんうん頷いている。くそっ、何でか知らねえが凄え気分が悪い。確かに、こう、ちょっと性格悪そうだってのはさっきの一瞬でも解ったが、何もそこまで言うこたあねえんじゃねえか?ああちきしょう、何だかさっきから胸の辺りが落ち着かねえ。ずかずかと、大股で歩いて、入口に止めておいた馬車へ向かう。「おい、出かけるぞ」「何処へだ?」「こっから南の活火山。そこに、炎のリングってのを取りに行く」「あ、それを伝説の盾と交換してもらうんだね?」「……まあ、そんな感じだ」言葉を濁らせると、ピエールだけが何やら聞きたげだったが、俺が睨み返せば、質問をするのを諦めたらしく、肩をすくめる。「せめて、一泊しないと、私達の体力的には辛いぞ」「あ、うん。そうだよー、ボクたちくたびれちゃった」「ガル」そう言われてようやく、俺は自分が何だかどっと疲れていることに気がついた。こんな状況で、火山なんかに突っ込んだら自滅しちまう。「……だな。今日は宿に泊まるか」目の前に、親父が探してた伝説の盾があるのに、それが簡単には手に入らないから、どうも焦っちまってんだろう。親父もな、船で会った時に、伝説の武具を探してる、の一つも言っておけば、今頃ほいほい譲ってもらえてたかもしんねえっつうのに。めんどくさいことに巻き込まれたもんだぜ、全くよう。宿に泊まったのはいいが、寝付けない。一杯やるか、と酒場へと足を運んだ。そこでの話題も、フローラの心を誰が射止めるか、ってのばかりだ。あの場に居たんなら、あいつの心はもうとっくに決ってるって、解りそうなもんだけどな。馬鹿だな、こいつら。酒を飲むのに邪魔だから、鉄仮面を外して顔に布を巻いた俺は、安酒をちびちびと呷りながら、そいつらの話を聞いていた。「ひっく。でもよぉ、デボラもあれだよなぁ。 ワガママ放題でさぁ、おかげで、婿も探してもらえねえ」「顔が良いのは確かだけどよ、あの性格じゃあ、なあ」まあ確かに傲慢っつーか高飛車で、結婚に向いてなさそうなのは確かだが、それって振り向いてもらえねえひがみじゃねえのか。「いやあ、それに比べてフローラさんと来たら、おしとやかで清楚で、 いい奥さんになると思うぜえ?」「フローラさんに比べりゃ、デボラなんて月とスッポン、 財産がもらえるって言われたって、あんなの嫁さんにしたくはねえよ」「違いねえや」ゲラゲラと笑う、酔っ払い共の声が耳障りだ。「おい、うっせえぞ」「あー? んだよ、人が楽しく飲んでるってのに」酔っ払い共の内の一人が、イライラしたような声をあげる。機嫌が悪いのは、こっちも同じだ。「要は、テメエらのはただの僻みじゃねえのか? ああ? あんだけイイ女だ。手ぇ出そうとしてこっぴどくやられたんだろ?」「んだとコラァ、よそもんのクセに適当言いやがって!」その反応は、図星だって言ってるようなもんだぞ。酒の勢いで、俺の口からぽんぽんと言葉が飛び出す。「大体、何が気に食わねえってなあ、妹と比べるこたねえだろうが。 デボラって奴と、フローラって奴は、姉妹だが別の人間だ」「はぁ? 何言ってんだテメエ。同じ家で育った姉妹だぞ。 比べて見たら、どう考えたって妹が優れてんだろ」「そーだそーだ。フローラさんの方が、デボラよりもずっといいって!」ぶちり、と俺の中で何かがキレた。ああ、気にくわねえ気にくわねえ気にくわねえ気にくわねえ!!!きょうだいを比べて、下の奴が優れてるなんて、そんなこと、他人ごととはいえ、聞きたくなんてねえ!!「テメエら表出ろ、ぶん殴ってやる!」「喧嘩か? 面白え! ノってやるぜ兄さんよ!」酔っ払い共の中でも、一番骨のありそうな奴が立ちあがった。酒場の店主とバニーは、うろたえながらも外へ出る俺たちを見やるばかりだ。バルコニーへ出た途端に、男が後ろから殴りかかってくる。「へへっ、先手必勝だぜ、うぉらぁ!」ぶん、と何のひねりもない一撃。こんなもん、モンスターに比べりゃ屁でもねえ。振り向いて、がしり、と片手でそれを掴んでやる。《あの頃》程じゃねえが、それなりに筋肉はついてんだ。それも、実戦の中でついた、無駄のない筋肉。やたら鍛えただけの馬鹿に、負けるような俺じゃねえ。「おらぁ!」片手で掴まれて、うろたえたままのガラ空きの腹に、思いっきり拳をぶつける。「ぐっ……この野郎、調子に乗りやがって!」そのまま、しばらく拳の応酬が続く。やろうと思えば一撃でノせるんだろうが、別に殺したいわけじゃねえし、体を動かしたかった、ってのもある、か。第一、俺が一方的にボコったら、下手すりゃとっ捕まる。あくまで、喧嘩両成敗、という体を装わねえと、盾を手に入れるのに、ややっこしいことになっちまうかもしれねからな。そんなことを考えながら殴りあってた俺の耳は、微かに、ヒールの音をとらえた。バニーが様子でも見に来たのか?「……男って馬鹿ね」聞こえてきた、凜とした声。男の攻撃を避けながら、ちらりと、出所に目をやった。闇の中でも見まごうことのない、あいつの姿がそこにあった。「私を出汁にして暴れるなんて、正直迷惑なんだけど」キラキラと飾られた爪のついた指を、こっちへ向けた。「ラリホー」「へ……?」眠りの呪文が耳に届いた途端、俺の体がぐらりと傾ぎ、意識が遠くなる。「もう夜なんだから、とっとと寝てなさい」そう吐き捨てられたのを最後に聞いて、俺の意識は闇に落ちていった。翌朝。体のあちこちがまだ痛む。宿の主人に聞いた所、俺達の喧嘩はデボラが唱えたラリホーで、共に眠らされて終わり。特におとがめもなく、俺はベッドに放り込まれたそうだ。「まさか、君が女性関係で喧嘩をするとは思わなかったよ」ピエールが、笑いをこらえた様子で声をかけてくる。「うるせえ、酔ってたんだよ」そうだ、酔ってたんだ。でなきゃ、ガキの頃に一度会ったっきりで、それ以外会ってねえ女のために、喧嘩なんざするわけがねえ。いや違う、そもそも、べ、別にあいつのためじゃねえよ。ただ、年下のきょうだいと比べられるってのが気に食わなかっただけだ。……って、俺は誰に言い訳をしてんだちきしょう。「まだ体は痛いんだろう? もう一泊するか?」「……いや、とりあえず火山に行こう」何しろ、町に一歩出た瞬間、『デボラに一目惚れして殴り合いをした男』っつー、根も葉もない噂を立てられてるのを、うっかり聞いちまったからだ。このまま、ここに居るのは正直めんどくせえ。行って戻って来る頃には、噂も多少は風化してるだろう。っていうかしてろ。「……火山で怪我を負って休みたくなったら、別の町へ行こうか」「だな、ルーラもあるし」こんなに居たたまれない気分で町を出るのは、多分初めてだ。頼むから、戻って来る頃には噂消えててくれ。「はぁああああ」鉄仮面の下で大きく息を吐いて、俺はがたごとと揺れる馬車を曳いて歩き出した。