第十一話:Avoid even the appearance of evil. (李下に冠を正さず)俺達がカボチの村へたどり着いたのは、真夜中と言って差し支えない頃だった。「あー、とりあえず、今夜は宿でもとっかな……」「あるかなあ、宿屋」「あるんじゃねえのかー?」そう言い交わしながら、村へ踏み入って、その気配に気がつく。「ッ!」とっさに周囲を見回した。辺りには藁と木で作られたような家と畑しか見えない。畑の一角に、その獣は居た。がつがつと畑の作物を貪るそいつは、俺達の気配に気づいたのか、爛々と輝く瞳でこちらを睨みつける。「ガルル……」低い唸り声を上げる。そいつが四肢に力を込めるのが気配で分かる。咄嗟に、刃のブーメランを強く握り締めた。獣が、地面を蹴る。速い。投げたブーメランがかわされる。こちらへ突っ込んでくるかと身構えたが、そいつは、俺達の脇をすり抜け、走り去った。「あれが、件のバケモノでしょうか」後ろで剣を構えていたピエールが、緊張から解放されて、ホッと一息吐きながら尋ねる。「多分、な」だが、俺は考えこんでしまう。あいつを、何処かで見たような気がした。あいつも、俺を見て、少し考えこむような顔をした気がする。……あくまで、気がする、だ。一瞬のことだったから分からない。「ねー、今日は休むんじゃなかったのー? オイラもうクタクタだよー」「あー、そうだな……」今から事情を聞こうにも、村の奴らは多分寝てるだろう。田舎の奴は朝は早く起きて夜は早く寝ると相場が決まってるからな。話を聞くのは朝起きてからの方が良いだろ。こんな田舎村の宿屋にはあんまり期待できねえが、奴隷だった頃みてえに、地面に直接寝る、なんてことはねえだろうし、あれに比べりゃ、ベッドがあればマシだ。「へー、バケモノ退治にわざわざねえ、助かるよ」翌朝、宿の女将に話をすると目を丸くして驚いた。「話し合いなら、村長の家出行われてるはずだから、 そこに行けば良いんでねえかな」「村長んとこ、っつわれても分かんねえんだが」「庭に馬を放してる家だでよ。ほんと、頼むでな」その様子では、どうやら村の奴らは相当参ってるらしい。木戸を開け、外に出る。日に照らされた中で見ると、バケモノのことが無い限り、全く事件なんぞ起こらなさそうな、平穏、あるいは退屈を絵にしたような村だ。「じゃ、行ってくるから、お前ら馬車に居ろよ」「了解した。ほら、行くぞスラリン」「ぶー。何でさー」頬を尖らせたスラリンを引きずりながら、ピエールが肩をすくめる。モンスター退治の依頼受けてんのに、モンスター連れでいけるわけねえだろ。ったく、スライムの奴ら頭に何が詰まってんだ?……何も詰まってなさそうだな。どうなってんだ、コイツら。いやよそう。モンスターの生態なんぞ、考えるだけ無駄だ。聞こえて来る馬のいななきを頼りに、俺は村長の家へ向かう。「お、あんたは! やっぱり来てくれただな!」中に入ると、ポートセルミで会った男が俺を見つけて目を輝かせた。「ほう、こんたびはどんも、オラたちの頼みを引き受けてくれたそんで……。 まことに、すまんこってすだ」訛りのひどい村長の言葉に曰く、バケモノは狼のような虎のような奴らしい。何処に住んでるからは分からねえが、西の方から来てるのは確かなんだと。で、魔物のすみかを見つけて、退治して欲しい、と。「バケモノを退治してくれたら、残りの金を払うだよ」「1500ゴールドだったな。ビタ一文間違うなよ?」「勿論だで」田舎者ってのは正直なのだけが取り得だな。じゃ、とっととバケモノを退治してくるか。西に連なる山脈の麓。そこにぽっかりと口を空けた洞窟。多分そこだろう、と当たりをつける。「どうやらここみてえだな」一歩足を踏み入れたソコには、あちこちに人の骨が散らばっている。ただ、どれも苔が生えていたり欠けていたり、とここ最近のものではなさそうだ。『とつげきへい』や『まほうつかい』のものである可能性も否めねえ。「ま、どうでもいいけどな」次々と現れる泥の塊やら人魂やらを、片付けて行きながら、俺達はどんどんと洞窟の奥へ進んで行く。じめじめと湿っていて、滑らないように注意を払う。考えるのは、あの夜出会ったバケモノのことだ。どうも、何か引っかかる。何故アイツは人間を襲わないのか。人間に慣れているのか、と思ったが俺以外の魔物連れには会ったことがない。だったら、一体何故人間に慣れてやがんだ。モンスターと人間ってのは相容れないもののはずじゃねえのか。その疑問は、そいつと相対した時に解決した。「グルルルル……」「くっ、気をつけろ、地獄の殺し屋、キラーパンサーだ」ピエールが得物を構え、スラリンも身震いをしながらも睨みつける。俺は、そいつをじっと見つめた。黄色と黒の斑点を持つ毛皮。尾の生え際までびっしり生えた赤い鬣。俺は、そいつに良く似た奴を知っていた。「グル……」そいつも、俺を見て唸り声を上げながらも、戸惑っているようだ。何かを思い出そうとしている、そんな顔。「何ボーッとしているんだ、ジャギ!」剣を上段に構えたピエールが突っ込んでいく。止めなきゃやべえ、と足を踏み出す。ぬるり、と湿った地面に足をとられた。「ってぇ」こけた拍子に、腰につけていた袋から、何かが飛び出した。黄色い、古びたリボン。確か、ビアンカが『あいつ』に着けてやったやつだ。何で俺の袋に、と思う間も無く、キラーパンサーが俺に向かって突っ込んでくる。「ジャギ!」横を擦り抜けられて、ピエールが叫ぶ。キラーパンサーは、俺を襲わずそのリボンの匂いを嗅いでいる。思い出した、とキラーパンサーがそんな顔をしたような気がした。そいつは、心底懐かしそうに喉を鳴らして、俺の顔を舐める。「はは、やっぱそうか」俺も立ち上がると、その頭を抱えて撫でてやった。「久しぶりじゃねえか、生きてたんだな、ゲレゲレ」人に慣れていたのは、俺や親父と一緒に居た記憶があったから、か。抱えた体は、少し痩せている。本来なら肉を食うはずの種族だもんな。野菜食ってたんじゃ、こんな風になるのも当たり前か。「……そうか。あの時のキラーパンサーか……」ピエールも思い出したのか、剣を下ろしている。「フニャー」ゲレゲレは一声鳴いて、するりと腕の中から抜け出した。枯れ草を積み上げて住処の奥から、ずるずると何かを引きずってくる。黒い鞘に収まった一振りの、剣。俺は、それを覚えている。「これ……、親父の」親父の、剣。鳥の形の紋章にも見覚えがある。間違いない。「……お前、ずっと、これを守って……」ゲレゲレがこくりと頷いた。剣を抜いてみる。あの頃と変わらない、輝く細身の刃。ただ、鞘の一部は焼け焦げ、取っ手には血が付いている。脳裏に浮かぶ、親父の最期。耳に響く、アイツの嘲笑。アイツの、ゲマの息の根を止める時は、この剣を使おうと決めた。「ゲレゲレ、お前も来るだろう? ……アイツを、殺すために」強く剣を握り締めながら、ゲレゲレを見つめる。「ガル」一声唸って、ゲレゲレは俺の側にぴったりと寄ってきた。「それはいいんだが、ゲレゲレのことは何と説明する気だ?」ピエールに言われて、立ち上がりかけていた俺は、はたと動きを止める。「あー……、ま、戻ってから考えよう」今までもどうにかなったし、これからも、多分どうにかなるだろ。「見ててくれよな、親父」形見になった剣を背負って、出口へと歩き出した。何だか、背中がほんのりと温かい、なんてのは、ちぃとばかし感傷的過ぎるか。「おめえさんを信じたオラ達が馬鹿だっただ」「まさか、バケモノとグルだったなんてな」「金ならやるだ。またけしかけられちゃたまんねえでな」ゲレゲレを連れて戻った俺に、村の奴らは口々に不平を言った。どうやら、奴らの空っぽの脳みその中じゃ、俺はゲレゲレとグルで、金をせしめるために村を襲わせた、ってことになってるらしい。「……慣れないことはするもんじゃねえな」危機に陥った村を助ける、なんてのはガラじゃなかったってことだ。ポートセルミへの帰路、思わず自嘲の笑みを浮かべる。「ジャギ、あまり気に病むなよ」「いや、気にしちゃいねえって」「……ごめんね、ボクたちが付いてちゃったから」「ガウ……」しょんぼりしてるこいつらに、呆れ返る。村を襲った悪人だと思われることなんざ、俺にゃ屁でもねえっつうの。《俺》だった頃にゃ、日常茶飯事だったしよ。つうか、金が欲しくて襲うんなら、もっと別のとこ狙うだろ。あんな田舎村じゃ、そんなに稼げねえしな。「金は手に入ったし、ゲレゲレともまた旅が出来んだ。 もう二度と行く可能性がねえとこの奴に嫌われよーがしったこっちゃねえよ」笑いながらそう言ってやると、少し安心したような顔になる。あー、何でモンスター相手にいちいち説明してやんなきゃいけねえかな。ま、これもモンスター使いの宿命、って奴か。「ならいいんだが……」「でもあれだな。次に金欠になったらその手を使うのも悪くねえか」「やめろ」ごん、と頭がメタルキングの剣で殴られる。ピエールめ、さては殴られてんのを根に持ってやがったな。「……本気にとるこたねえだろ、本気にとるこたあ。 八割くらいは冗談だぞ」「二割は本気なのか?! 余計タチが悪い!!」その後のピエールの説教は、聞き流した。ポートセルミで休んだら、次はルラフェンって町に行ってみっか。