主人であるステファニーと一緒に学院長室へ向かってノックをして入らせてもらう。
部屋に入ったところでは、重厚そうな机に腰掛けている白い口ひげと髪が特徴的な老人がいた。
そこから少し離れた部屋の隅に、緑色の髪の毛が特徴的で、眼鏡をかけている女性がいる。
一瞬その女性に気をとられかけたが、本題である衛兵になる話をステファニーから老人である学院長へきりだした。
「オスマン学院長。ステファニー・ポーラ・ラ・フェール・ド・モンモランシです。
今回、使い魔を召喚しましたら、なんとメイジを召喚してしまいました」
「うむ。アスジータだったかな。今日の春の使い魔召喚の担当教師にきいておる」
アスジータじゃなくて、コルベールじゃなかったのか?それとも、どちらかが家名なのか?
「その使い魔になったのがこのバッカスなのですが、事故で召喚されたのだそうです」
「うむ。それで」
「私の実家の境遇を聞けば、それは大変だろうと、この魔法学院の衛兵に志願してくれるというのです」
いや、そこまで俺は言ってないぞっとつっこみたいが、ここでつっこんだら、多分話が破綻するだろう。
「そういえば、ミス・モンモランシは、あのぉ、そのぉ、そういえばのぉ、学費が遅れがちだったようじゃのぉ」
「ええ、なので、食事代や居住費はかからないようにと、衛兵にメイジがいないのなら、
傭兵経験もある自分なら役にたつでしょう。そう言ってくれているのですよ」
「うむ、そうは言ってもな」
「最近は、教師の当直もいらっしゃらないとか。これが王宮に聞こえたらどうなるのでしょうか」
おい、それ脅しだぞ。
「この魔法学院が襲われるとは思えないが、衛兵にもメイジがいた方が何かと役にはたつであろう。
契約に関してはミス・ロングビルと書類をとりかわしてほしい」
そう言って、オスマンという名の学院長は部屋から出て行った。仕事放棄じゃないのか?
それよりも、このロングビルという女性だ。
「先ほどの狂言は中々おもしろかったですわ」
学院長からまかされているだけあって、有能なのだろう。
「あら、わかっちゃいました」
「ええ。ここの衛兵では、生徒にすら何もできませんからね」
「平民の衛兵が貴族に何かすると、問題があるのでは?」
「それを抑えるのが学院長の仕事です」
ふむ。上級貴族からの苦情をおさえられるとは、本来ならここの学院長はそれなりに力があるわけか。
それはともかく、俺は使い魔ということもあり、歩合給で当面3ヶ月は本来月給なのを週給にしてもらえた。
契約は、仮契約だが、オスマン氏のサインを待つだけとなったので、ステファニーは部屋に戻っていくのだが、
「きちんと仕事先への挨拶とか、泊まる部屋がきまったら教えてね」
「はい。ステファニー」
そうして、ロングビルと二人きりになったところで安全のために『ディテクト・マジック』をかける。
風系統のマジックアイテムである『遠見の鏡』がある以外は特に問題は無い。
念の為に『サイレント』をかけてまわりの音を遮断すると、
ようやくこちらに気がついたのかロングビルが涼しげに声をかけてくる。
「あら『サイレント」なんてかけてどうなされたのですか? ここは魔法学院ですよ」
暗に安全だろうと言っているのか?
「マチルダお嬢様とお見受けいたしました。このようなところで見かけるとはおなつかしゅうございます」
「なぜ、その名前を。その前に見覚えがないのだけど」
「エクセター家のブライアンです。お会いさせていただいたことはありますが、覚えていないでしょうか」
「エクセター家のブライアンだったら、銀髪じゃないわ」
「失礼。これは魔法薬を使って金髪から銀髪に染めているのです。
そもそも、アルビオンで傭兵をしていたので、身分を隠すために始めたことですが、
眼鏡こそかけていらっしゃいますが、度が入っていないようですし、
マチルダお嬢様の緑色の髪の毛はそのままでしたのでわかりました」
「そう、私の家に仕えていたエクセター家の長男ね。貴方も精悍になったわね。
けれどマチルダは捨てた名前だから、そのままロングビルと呼んで」
確かに、最近のアルビオン王国ではともかく、4年前の事件をもとからすれば、もう名前を名乗りたくはないのであろう。
俺も実際に自分の生まれを隠してバッカスという偽名をつかっているのだから。
「ミス・ロングビル。ここでお会いしたのもなにかの縁です。
お困りのことがありましたら声をかけていただければ、お手伝いいたします」
「いいのよ。もう昔のことは忘れて。
ここで、話したことも忘れて単純に平民メイジで、ここの秘書であるロングビルとして通して」
「わかりました。ミス・ロングビル」
そうして、俺は『サイレント』を解いて、学院長の契約書にサインしてもらうためにまった。
さしてまたずにオスマン学院長はもどってきて契約書を確認している。
「さすがじゃの、ミス・ロングビル。これで問題なかろう。ミスタ・バッケル」
「バッケルじゃなくて、バッカスです。名前はその書類に書いてある通りですので。
内容については、これで問題ありません。そして、実際の場所まではどのようにしたら良いでしょうか?」
「ミス・ロングビル。案内してやってくれ」
「はい。オールド・オスマン」
しかし、このオスマン学院長は女性の名前は覚えているみたいなのに、男性の名前は覚えていないようだな。
ミス・ロングビルの案内の元、使用人宿舎の部屋への案内を先にしてもらったあとに、衛兵がいる門のところに行った。
ここでは「実力がみたい」と大柄な衛兵でアルフレッドの相手にさせられる。しかも木剣だ。
俺がメイジであることから、剣の実力をなめているのだろう。
実力は確かにこの大柄の衛兵の方があると思われるが、きれいな剣筋だ。
あまりにきれいすぎて簡単に動きが予測できてしまう。
そして、こちらは、実戦できたえあげた剣さばき。
傭兵の剣は、大概は上から力任せに殴りつけるか、横なぎにするぐらいが多い。
たまにあるのが、刺す動きだが場所が狭いとか、相手が一人とかの時だ。
それに対して俺の剣筋は、下方から剣先を上にあげたり、足だけを狙うなんてこともする。
前世で剣道はしたことは無いが、それぐらいのことなら何かで見た覚えがある。
いわゆるこの世界では邪な剣さばきだが、きれいごとだけでは生きていけなかったからな。
木剣でも、正当な剣筋でなくても、実際に勝ったところで声をかけられる。
「悪かったな。メイジだから、杖がなければ平民以下だと思っていた」
「いや、良いよ。実際、そうやってなめてくれた傭兵がいてくれたおかげで、俺は生きているようなものだからな」
メイジだと思って、魔法がでなくなると、接近戦をしてくる傭兵とかはよくいたしな。
ただし、ここのコルベールの隙の無さはどういうものだろうか。
まあ、人の過去をさぐってもしかたがない。
そして、新しい職場でのローテーションは、俺が使い魔であることもあって、ある程度の自由が認められた。
先立つものは欲しいので、使い魔としての時間と睡眠の時間以外は割り当てようと思いながら、ステファニーの部屋へ行く。
「どうだったの?」
「使用人の宿舎で空き部屋が何室かありました。
メイジでもあるということで逆に相部屋をしたがる者がいないようで、一部屋をかりられましたよ。
それにたいして、衛兵の方はひと悶着はありましたが、剣の実力を見せれば納得してくれましたかね」
「うまく行ってよかったわね。貴方ってお金をもっていないでしょ?」
「ええ、まあ」
「そうしたら、私が管理してあげるわね」
「はい?」
「貴方の給与は私が一旦あずかっておいて、必要ならその分を渡すようにするわ」
「えー」
「だって、今もっていないってことはためておくのが下手ってことでしょう」
うーん。傭兵を初めてから、戦いが無いときは遊んでいたからな。確かに今は金がほとんど無い。あきらめて、
「わかりました」
俺はがっくりときた。しかし、上級貴族が衛兵の給金を管理するとはね。
まあ、この魔法学院の衛兵の給与は、一般の衛兵の給与よりは高めの気はするが。
「わかれば良いのよ。わかればね」
そう言いながらも、俺の全身を眺めてから一言。
「とりあえず、その服装だけでもなんとかするわ。幸い明々後日は虚無の曜日だから、まず服を買いましょう」
俺は自分の服装を改めてみると、確かに上級貴族の間にいる格好では無いと気がつかされた。
「そうですね。お願いします」
「それくらいなら、まだお小遣いはあるから」
服に関してはあまり期待できないかな。
「それと、主人と使い魔の交流ということで、夕食は一緒だけど、明朝からの食事はきちんと場所は確認しているの?」
「ええ。ミス・ロングビルに、使用人の宿舎へ行く前によって場所を教えていただけました」
「それなら良いわね。
あとは、聞いていてわかっていると思うけれど、来週いっぱいまでは使い魔のお披露目として教室にいることになるから、
授業の開始15分ほど前に迎えにきてくれるかしら。
いなかったら、部屋の中で待っていても良いわよ」
「わかりました」
「そういえば、貴方の話からするとアルビオンで傭兵をしてたの?」
「ええ」
「貴方は王党派? 貴族派? どちらに入っていたのかしら」
もしかすると、試されているのか。
ただ、あとで本当のことがわかって、そこで険悪になるよりも今のうちに話しておく方が良いか。
「貴族派の方にいました。王党派は負けが見えていますからね」
「そうね。傭兵なら勝ち組についているのが自然よね」
ふー。そんなに偏見はなさそうだ。
「とりあえず、今日のことは日記に書くから、待っていてくれるかしら」
「日記ですか。まめなんですね」
「だって、暇だしね」
「どんなことを書いているのですか?」
興味本位で聞いてみる。
「あら、女性の日記なんて見るものじゃないわよ」
「失礼いたしました」
「まあ、見ても読めないでしょうけれどね」
「えっ?」
「ちょっと、特殊な文字を使っているの。いわゆる東方の文字ね」
「へー、東方の文字を読み書きできるのですか」
そうやって改めてみてみると、このハルケギニア語だけではなく東方の文字と呼ばれている、
主に日本語と英語らしき本が並んでいる。
「そうね。だから、私の日記は誰にも読めないわよ」
にっこりと微笑んでいるが、俺も英語はともかく日本語ならいまだに読める。
「俺も東方の文字は、全部ではありませんが、一部なら読めますよ」
「あら、本当? その本棚に何冊か並んでいるのだけれど、読めるのかしら?」
俺は本棚の前に立ち、背表紙に漢字とひらがなとカタカナと数字にアルファベットが使われている
緑色に十字の模様ともいえる本をとりだした。
「このあたりは、読めますね。
上から『エム・エフ・文庫 ゼロの使い魔2 ヤマグチノボル メディア』……で良かったかな?
それとよくわからない模様の下は『ファクトリー』だったかな?
これであっているんじゃありませんか?」
そうやって、ステファニーを見るとショックなのか愕然とした感じでいる。
東方の文字を読めるという者はほとんどの場合、本当には読めていないからな。
中にはハルケギニア語と同じ言葉で書かれているが、内容はこちらの人間が理解できないものも混ざっている。
もしかすると、俺のほうが彼女より読めているのかもしれないのかな?
「貴方、本当にこれを見るのは初めてなの? ただ、丸暗記というわけではないわよね?」
「ええ、初めてみる題名ですが、何か間違っていましたか?」
「いえ。その本の中身とか知っているの?」
「中身を知る以前に、この本自体を見るのは始めてですよ」
「貴方はどうやって、東方の文字を覚えたの?」
ああ。バカをやってしまった。読める言いわけを考えていなかった。
「えーとですね……」
「ま、ま、まさか、貴方。前世の知識を持っているなんていわないでしょうね!」
俺の方こそ驚いた。
そういえば、使い魔召喚の儀式の時に一瞬だが、彼女に前世の記憶があるのじゃないかと考え付いたことを思い出した。
「ええ、前世の記憶はありますが、もしかしてステファニーも?」
少し考えこんでいるように見えたが、しっかりと返答をしてきた。
「そうよ。私も前世の、しかも日本人の記憶をもっているの。
貴方がその文字を読めるということは、前世は日本人なの?」
「ええ、ずいぶんと忘れかけていますが、日本人としての記憶をもっています」
「なつかしいけれど、その前に、その本は返してもらえるかしら」
「ええ、どうぞ」
そうすると、俺から受け取った本を彼女は俺から離すように別な場所に置いた。
この時、その題名と動作の意味は考えていなかった。
しかしあとになって思い返すと、どうしてそうしたのだがわかったのだが。
「まさか、他に前世の記憶を、しかも日本人の記憶を持っている人にめぐり合うとは思っていなかったわ」
「言われて見ればそうですね。
そういえば探そうとも思っていなかったのですが、日本人としての記憶も全部をもっているわけじゃないんですよ」
「私の方は、比較的覚えていると思うのだけれど、同じ前世の記憶を持つ人を探す手段が無かったわ。
探すのにもお金がかかるし……」
「望郷の念というやつですか?」
「そうね。
どうやっても、貴方の銀髪の姿に、その顔立ちから日本人とは思いづらいのだけれど、
良ければ覚えている前世の記憶を話してくれるかしら」
「この銀髪は事情があって染めているだけで、地毛は金髪です。
それに前世のこともたいしたことは話せないですよ。
何せ自分が日本人で文字や習ったことは覚えているのに、家族や友人たちのことを思い出せないのですから。
いわゆる記憶喪失に近い状態ですよ」
「貴方は、それがつらいの?」
「もしかしたら、最初はつらかったかもしれませんが、今は全くといっても良いほど」
「それじゃ、よかったら、貴方の前世の記憶で話せるだけ話してみて」
そうして、俺は前世で語れる内容は語ってみた。
こうやってみると、なんとなく、テレビでみた内容や学校の授業でならったことや、
生まれ育ったいくつかの街の風景などは覚えていたが、
自分のより身近なことに近づくとまるで霞がかかったようにぼやけていって、最後は話せなくなる。
そんな俺にむかってステファニーは
「無理なところは話さなくても良いのよ」
というが、俺自身はそれほど無理をしているつもりは無い。
「この世界に住んでいますし、前世はあくまで、前世であって、何ら今の人生と関係は無いでしょう?
確かに前世の方が遊べる要素は色々とありましたが」
「そうね。貴方にとってはそうなのかもしれないわね」
「ステファニーにとっては、前世は未だに重要?」
前世が日本人同士ということで、俺の口調も多少砕けてきている。
「重要といえばそうともいえるし、そうでないといっても、はずれてはいないことも多いし」
「話を聞くぐらいなら、俺でもできますよ。何せ使い魔ですし」
「そうね。どうしようかしら」
「前世の話ぐらいは、たいしたことはないんじゃないんですか?」
「貴方も前世を覚えているのなら、魅力的な女性は秘密を抱えているって言葉は覚えていないかしら」
「何か似たような言葉はあったかもしれませんね」
魅力的かどうかはおいとくとして、お茶をにごしておこう。
「あら、使い魔なのに、おべっかのひとつぐらい言えないのかしら」
「いえいえ、充分に魅力的ですよ。ご主人様」
「私に言われてから言っても、遅いわよ。まあ、話せることなら話してあげるわ」
前世の記憶を持った二人の会話は、途中メイドが食事を運んできて一旦は中断したのだが夜遅くまで続いた。
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2010.05.06:初出