景明と茶々丸には、城内の奥まった一室があてがわれた。
しばらくはここに滞在し、もし腰を据えるつもりがあるのなら、その時は城下に屋敷でも構えれば良い、と言われている。
与えられた部屋の広さ、調度品の質、そして夕餉の品目。
客将という立場を考慮しても、かなり厚遇されていると感じさせられる。
この待遇に見合う働きをしろ、そう言外に告げられているのだろう。
城内の案内や設備の説明を受け終え、ようやく茶々丸と景明は二人のみになる。
景明は茶々丸に目配せをする。
「…うん、周囲には誰もいないよ。この時代に盗聴器があるわけでもないだろうし」
「そうか。まぁ聞かれて困る事もそうはないが」
自分たちの話の内容を盗み聞きした者がいたとしても、理解できずに終わるだろう。
異世界から来て、そこに還る方法を探しているなどといった与太話は、普通の人間は一笑に付すことで片付ける。
「これからの方針を決める。何か還る手段で思いつくことはあるか?」
「まず一つは、あてらをこっちに送り込んだ存在に出会う事。大和の地下深くに眠っているも金神をどう覚醒させるか。あの爆弾並みのエネルギーを生み出すのはかなり難しいと思う」
「そもそもこの時代に金神は存在するのか?」
「金神自体は存在するんじゃないかな。宙から飛来したのが仏教の伝承によると650万年前、それが誇張だとしても数万年前だと言われてる。まぁあの教授が正しければ、の話だけど。」
そこまで言ってから茶々丸は目をつむる。
「ただ——この世界に来てから、あの声が聞こえない。もしかしたら活動状態に入っていないのかもしれないし、そもそもこの世界には大和の列島すらない可能性だってある」
そうだ、ここは異世界なのだ。
金神どころか、大和の存在すらない可能性だってある。
「どちらにしろ確認が必要だな」
「うん。まずは大和に関する情報収集からだね。それと平行してこの世界の情報も集めないと」
「なかなか妙な世界のようだからな」
「そだね、もしかしたら元の世界に戻る手段も普通に有るかもしれないし!」
明るく言う茶々丸。
景明は無言。
しばらく二人は見つめ合った後——ため息を吐いた。
「どちらも可能性が低いな」
「うん、自分で言ってて情けねーっす」
「他に手段はないのか?」
「…あとは、もしかしたらこれが一番可能性が高いかもしれない事が一つ。」
「それは?」
「御姫があてらを探しにくるって可能性」
「––––––––––––」
それは——景明は考えもしなかったことだった。
そうだ、光の目的は父に己の存在を認められ、愛される事。
そのために世界を敵に回したのだ。
目的を達成するためならば、是が非でも自分を追ってくるだろう。
「光もこちらに来れるのか?」
「普通に考えたら難しいと思うんだけど…なにせ御姫の事だから、気合いでなんとかしちゃいそう。問題は、あの後御姫が金神から主導権を奪えているかどうかだね」
「あの後か…」
神を引きずり出しただけでは意味がない。
あの後、光は…どうなったのだろうか?
「そう考えると、とりあえず還る手段を探しながら、御姫がおにーさんを見つけやすいように派手に動いた方が良いんじゃない?」
「武功を上げろと?」
「うん、歴史が変わって曹操が中華統一しちゃうくらい!三国を統一した曹操、その勢力の中でも最も活躍した武将、湊人!って感じで」
「面倒だな。本当に意味が有るのか?」
「たぶん。まぁなにせあても異世界に飛んだのはさすがに初めてだからよく分からないけど」
「どちらにしろ今は情報が少な過ぎる。それが必要ならうまくやってやる」
「おっし!なんかあても気合い入ってきた!!三国志で活躍できるなんて興奮しちゃうよね!?」
「…別にしないが」
「…うん、おにーさんならそう言うと思った」
とほほ、とわざわざ口に出して言う茶々丸。
景明は口端をつり上げながら言う。
「まぁ、伝説の将達と競えるのは、武人の端くれとして楽しみな面も有るがな」
「うん…たとえば、あの夏侯惇とか?おにーさんなら楽勝だよね?」
茶々丸も悪戯に笑う。
「さぁな。戦ってみなければわからないが、興味はある。なにせあの有名な夏侯惇だ、さぞ堂々とした戦いをするのだろう。もちろん普段の振る舞いもな。まさか盗み聞きなぞ、下卑た真似をする人物では有るまい?」
「うわーさすがにあてはそこまで言えねー…と、いうわけだからそろそろ出てきた方が良いよ、これ以上の暴言聞きたくなければ」
「…………」
しばしの沈黙の後。
そっと扉が開き、顔を真っ赤にした春蘭が入ってきた。
「…なぜ私だとわかった!?」
「ん、なんつーか気配みたいなもんで?」
茶々丸が答えを濁す。
「それにしても、曹操の一の武将たる者が、盗み聞きとはな」
「そーだそーだ、プライバシーの侵害だ!」
「ぷらいばしー?…えーい、そんなことはどうでもいい!!お前達が怪しいから悪いんだ!!!」
「なんだその論理の飛躍は…」
「湊斗!お前私と勝負しろ!!」
「…なぜそうなる?」
「私には難しい事は分からん…が、武が嘘をつかない事だけは知っている」
「つまり死合うことで俺の人となりを測ると?」
「そうだ!!」
「…おにーさん、なんか『仕合う』の漢字が違う気がするよ…」
胸を張って仕合を求める春蘭。
景明は思わずため息を吐く。
自身の無知を認め、武に生きるその姿勢は買うが…
いささか行き過ぎではないだろうか。
「先程、荀彧に対して言った言葉をそのままもう一度言えば良いのか?」
「…ん?あぁ、さっきのやりとりは私にはさっぱりだったからついでに説明してくれると助かるぞ」
「……」
「…雷蝶以上の脳筋だわこれ…」
訓練場で春蘭が騒ぎが起こしていると連絡が入り、それがどうやら新しく招いた客将に対してだということがわかり、華琳は秋欄と桂花を伴って春蘭の元へと向かった。
そこには、大剣を構えようとする春蘭と、それに対峙する景明がいた。
茶々丸は距離をおいて二人を見ている。
「春蘭、これはどういうこと?」
「か、華琳様!…いえ、私が直々にこの者の実力を測ってみようと思いまして」
「ちょっと春蘭!あの変態と茶々丸のことは私が引き受けるってさっき言ったでしょ!」
「ん?あれはそういう内容の会話だったのか?私にはよくわからなかった」
「あれくらいわかりなさいよ!」
「うるさい!そもそも武の方はてんでダメな桂花に実力なんて測れるのか?」
「そりゃわざわざ自分で戦わなくても、戦働きを与えてみれば分かるわよ!」
「そこまで待つ必要はない。私が今測ってやると言っているのだ!」
「あーもう!!…華琳様!」
自分では説得不可能と思ったのか、桂花は華琳へ視線を向ける。
二人の言い争いを何か考えながら眺めていた彼女であったが、景明の実力はやはり気になるのだろう。
桂花の思惑とは別の言葉を口にする。
「正直、春蘭相手にどこまでやれるのか興味はあるわ。でも、湊斗?あなたはいいの?」
そこで華琳は景明に話を振る。
景明は腕を組み、仁王立ちしている。
その表情からは何も読み取れない。
「小官の考えは先程の通りです。しかし…ことさらに求められるのならば、断る理由はありません」
それに、と続ける。
「小官も、いささか興味があります。武芸に生きる者としては、強者との手合わせは何よりの馳走です。」
「…そう。なら、問題ないわね。」
曹操が認めたことで、いよいよ景明は夏侯惇と仕合う事になった。
冷静に考えてみれば、この世界の武将の実力を測る良い機会である。
大和の剣士達と比べてどの程度の実力なのか。
もちろん、装甲さえしてしまえば敗北はまずあるまいが…
そうやすやすと、切り札を場に出すつもりはない。
この世界も飛び抜けた実力を持つ夏侯惇を下す事ができれば、普段の戦は装甲せずに充分こなせるだろう。
客将になって早々と面白い事になった。
魏の猛将、夏侯惇。
その器、こちらも測らせてもらおう。
一定の距離をとり、仕合が始まる。
春蘭が選んだ武器は、己の本来の武器に近い、大きな木刀であった。
対して景明は、やや小振りの木刀である。
この時代の中華に、もちろん日本刀が存在するはずがなく、従って日本刀と同じような木刀も存在しない。
が、双手刀の使い手が存在しないわけではないため、野太刀のような形状の木刀が数少ないながら存在した。
景明はそれを選んだ。
重心が大きく違うため振り抜きにくいが、それは向こうも同じだろう。
さて。どのように勝つか。
相手がどのような剣術を使うのか想像すらできない。
だが、あの大刀を上段に構えている以上、威力を重視した戦法なのだろう。
なるほど、確かにその手段は悪くない。
こちらの細い木刀でその太刀をうければ、一合のみで折れてしまうだろう。
つまり、太刀を太刀でうけることができない、ということだ。
逆にこちらの一撃を向こうは受けることが出来る。
あの大剣に見合った力があるのならば、弾き返されてこちらの体勢が崩れると言う事もあり得る。
女子の力でそれは想像しにくいが…性別を理由に相手の実力を下に見るような愚は犯さない。
例え女子でも、飛び抜けた実力を持つ者はいる。
…自分の最も近くに、その最たる例がいたのだから。
故に、景明は選択する。
中段の構えから左足を一歩踏み出し、刀を挙げる。
——八相の構え。
防御に秀で、また相手の仕掛けによって攻撃へと変わる攻防一体の構えである。
夏侯惇がどんな攻撃を仕掛けてくるか分からない事もある。
ここは、相手に先手をとらせ、その技に対応した上で勝負を決める、「後の先」にて迎え撃つ。
景明を威圧しながら徐々に距離を詰める春蘭。
——そして、自分の太刀の間合いの直前に景明を捉えると。
一瞬の間に間合いを詰め、切り伏せた。
驚異的な一閃を、左足を引きつつ身体をひねり、躱す。
その回避の動作と同時に、刀を振り下ろす。
その軌道は大刀を振り下ろした春蘭の小手へと向かう。
卓越した剣士による、完璧なタイミングのカウンター。
回避不可能なそれを——春蘭は、大きく後ろに跳んで躱した。
再び両者の間合いが開く。
景明は驚愕していた。
夏侯惇の異常さに。
最初の太刀の鋭さはもちろんだが、その後の回避。
己の完璧なタイミングの太刀を、目視してから跳躍し、躱した。
驚異的な反応速度である。
しかも、こちらはただの人間ではない。
劔冑の仕手は運動能力の増幅という恩恵を受ける。
普通の人間ではまず有り得ない動作速度のはずだ。
それを。
あの夏侯惇は。
純粋な本人の運動能力で、こちらを凌駕しているのだ。
これを異常と言わずして何と言う。
春蘭もまた、驚愕していた。
見た事のない構え、独特の間。
流れるような動きで攻防が一体化しており、そのつなぎ目が見えない。
あと少しでも反応が遅ければ、前腕を打ち据えられていただろう。
事実、完璧に躱しきる事はできず、わずかに服にかすった。
剣を振る速度こそ春蘭に劣るが、その技量はこれまで相手をしてきたどの強敵達よりも優っている。
そして何より。
春蘭には、景明の行動が全く読めないのだ。
いかに優れた戦士であっても、準備動作やクセというものがある。
眼球運動、筋肉の緊張、呼吸のズレ…
これまで春蘭は無意識のうちに、そういった情報から相手の行動を読んでいた。
それが全く通用しない。
完璧に己を律している。
…というよりも、完璧に己を消している。
まるで無我。
春蘭には、景明の姿が蜃気楼のように朧げに見える気がしていた。
普段なら猪突猛進に攻める春蘭であったが、この相手にはそれは通用しない。
力で圧倒しても、それ以上に技量で圧倒される。
強引に行けば、敗北は必至だ。
またも開いた間合い。
春蘭は、先程のようにすんなりと間合いを詰めてくることはしない。
単純な力攻めでは御し得ないと思ったのか。
じわり、じわり、と地面を足の裏で擦って近づいてくる。
姿勢も、重心も崩す事がない。
通常、歩行の速度は遅くなれば遅くなるほど制御しにくくなる。
歩法の技術もそこまで重視されていないだろうに…それを為せる。
姿勢制御の能力も、一流なのだろう。
構えは上段のままだが、先程よりもやや位置が下がっている。
威力よりも、技を繰り出す速さを重視することにしたか。
先程の斬撃よりも更に速くなるのならば、それを躱す事は至難の業となる。
ならばこちらは、さらに小さな動作で、技が繰り出される前を制する。
中段構え。
刃先を相手の喉に合わせる。
上段から刀が振り下ろされるその前に、最小の動作で喉を突く。
人体の急所である喉を突けば、いかな木刀でも死に至る。
そのためさらに刃先を下げ、胸部を狙う。
鎖骨が折れる程度は勘弁してもらおう。
景明は、春蘭と同じように擦り足で静かに間合いを詰めていく。
敵の間合い掌握を乱し、己のみ間合いを奪う。
技術に関してはこちらに分が有る。
高まっていく緊張。
否、緊張しているのは自分だけだ、と春蘭は思う。
自分と対峙する湊斗からはそんな感情は一切感じられない。
——本当にこいつは人間か。
疑いそうになるほど、湊斗の存在が薄い。
もちろん、自分も緊張を表に出したりはしない。
呼吸の乱れや余計な筋肉の収縮は敗北に直結する。
だが…それを抑えようとする意思自体は消す事は不可能なはずだ。
湊斗からは何の意思も見えない。
緊張しているのか。
余裕なのか。
集中しているのか。
攻めてこようとしているのか。
受けようとしているのか。
——そもそも、勝利を求めているのか。
ただそこにあるだけ。
そんな存在から何を読み取れというのか。
決して後手に回ってはならない。
気がついた時には、既に手遅れという窮地に立たされる可能性が高い。
故に、先手を取る。
相手が何をしてこようと躱す事の出来ない、最速の一撃を叩き込み、勝敗を決する。
幸い、武器の長さから、間合いはこちらの方が広い。
湊斗の間合いに入るまでに仕掛けられるのだ。
慎重に間合いを詰めていく。
湊斗も同じ速度で徐々に詰めてくる。
(…しまった!!)
——もう少しで間合いに入る、その瞬間に、湊斗が止まった。
そしてその直後に前進し間合いに入る。
一呼吸にも満たぬ間合いのズレ。
そこに生じる隙。
それを突かれては間違いなく負ける。
「——ええい、儘よ!」
ここに至って迷う意味はない。
最速の一撃を叩き込む!
「武器を折られては続ける事ができない。俺の負けだ」
「…何を言うか!お前の一撃は確かに私の胸を突いた、真剣ならばそこで決着がついている!」
「仮定は無意味。今回の仕合は木刀を用いてのものだったのだから、それで決着をつけることができなかった者の負けだろう」
「いや!私の負けだ!!」
どちらが勝ったかではなく、負けたかで言い争う二人。
仕合の後の余韻も台無しだわ、そう苦笑しながら華琳が声をかける。
「——二人とも、いいものを見せてもらったわ」
ここまでの勝負を、華琳は見た事がなかった。
春蘭に迫る武将との勝負は見た事があるが、それはもっと単純な力の争いであった。
ここまでの緊張感を持った勝負が、そうそうあるはずがない。
「とりあえずこの場は引き分けとしましょう」
「…華琳様がそうおっしゃるのなら…」
春蘭の斬撃が届く前に、景明の突きが放たれた。
その突きに対し春蘭は驚異的な速度で反応した。
避けきる事は出来ず衝撃が胸部に届いたが、大きな衝撃ではなく、そのため春蘭の斬撃は止まらなかった。
景明もその斬撃を避けきることが出来ず、刀で受けるしかできなかった。
そして当然、景明の刀は折れたのだった。
「…湊斗!」
「……?」
「私の真名、貴様に預ける。これから私のことは、春蘭と呼べ!」
それに驚いたのは桂花である。
「その変態に真名を許すなんて!」
「ふん、これほどの研ぎ澄まされた武を持つ者が悪い人間であるはずがないだろう!武人でない桂花には分からないだろうが。」
春蘭は、純粋に感心していたのだ、景明の技量に。
あれほどの武は、並大抵の努力で身に付く者ではない。
豊かな才能、絶えまぬ鍛錬、多くの実戦経験…
そのどれが欠けても、あれほどの境地に立つ事は出来ぬ。
が、桂花とは違う意味で、その評価を理解していない人間がいた。
景明である。
「盛り上がっている所悪いが、真名とはなんだ?」
先程の戦い方、見た事のない甲冑、そして常識の欠如。
そう言えばあの二人にあったとき、流星を追ってあの場にいったのではなかったか?
華琳はある種の確信を持って言う。
「ねぇ湊斗。あなた、天の御使いじゃない?」
ーーーあとがきーーーーーーーー
これから戦闘シーンが増えるだろう、ということで無理矢理春蘭vs景明さんに持っていき、練習がてらに書いてみました。
村正の雰囲気を出そうと頑張りましたが…撃沈です。
私は剣術に関しては完全に素人なので、突っ込みどころ満載だと思います。
どなたか詳しい方、感想板で指摘して頂けると助かります。
※すぐにご指摘を受けたので、先の後→後の先に修正しました。
悪党◆9c63fa87様、ありがとうございました。
※5/9に加筆しました。