「手出しは無用!劉備様一の臣、関雲長が華雄を討つ!」
「言ってくれるな。こちらも手出し無用だ!この身の程知らずには、私が直接思い知らせてくれる!!」
有り難い。
まさか、これほど兵力が上回っているのに、将自ら一騎打ちを名乗り出るとは。
華雄の猪突に助けられる。
いや、恐ろしきは、この人となりを完璧に見切った北郷一刀か。
会った事もない人物の性格を把握し、その弱みを突く。
まさに天の御使いらしい冴えた采配に、愛紗は一刀の評価をまた修正せざるを得なくなった。
後は、自分次第だ。
自分がここで華雄を下せれば、戦の勝利は間近。
寡兵で敵を打ち破った桃香さまの名は一気に高まる。
それは、自分たちの理想の世の実現に一歩近づくという事に相違ない。
自分の目の前に、敵将・華雄が躍り出て来たのを見て、愛紗は己の愛刀である青龍偃月刀を握り直す。
高らかに名乗りを挙げながら、冷静に相手を見る。
華雄が握るは、戦斧・金剛爆斧。
その巨大な獲物は、明らかに威力ではこちらに勝る。
重ければ重いほど、その武器を扱うために力も技量も必要となるが、猛将と名高い華雄だ、そのどちらも充分有しているだろう。
己の愛刀も八十二斤に迫る重さの大剣であるが、さすがに打ち合いでは武が悪い。
…となれば、持久戦に持ち込まれてはまずい。
一合。
神速の一撃を持って、打倒する。
——気力が満ちる。
それは相手も同じようで、お互いの気がぶつかり合い戦気が満ちる。
華雄は戦斧を上段に担ぎ、こちらを見据えている。
…すぐに飛び込んでくると思ったが。
指揮官としてはともかく、こと直接戦うことにおいては冷静さは欠かないか。
華雄は動かない。
愛紗も正眼に構えたまま、動かない。
戦場の中で、この場だけが不思議な静けさに支配される。
周囲の喧噪も、戦の情勢も、この時ばかりは忘却の彼方へと捨て去られる。
全ての感覚を相手の一挙手一投足に集中して注ぐ。
今、世界には、己と敵の二人しか存在しない。
奇妙な静寂を破ったのは––愛紗だった。
じり、と距離を詰める。
華雄はそれを視界に治めながら、眉一つ動かさない。
当然だ。
膠着状態が続けば続くほど、不利になるは愛紗。
華雄は、目の前の相手の打倒に長い時間をかけても構わない。
だが愛紗は違う。
時間を使えば使うほど、戦況が自軍の不利へと傾くのだ。
この猛将を、"なるべく早く"打倒しなければならないのだ。
だが、どうする?
じり、と摺り足で距離を縮めながら愛紗は考える。
お互いの間合いは、ほぼ同距離。
このまま距離を縮め、間合いに入った所で仕掛けて—華雄のそれよりも速く、一撃を入れられるかどうか。
勇名轟く華雄だ、その一撃の速度は己を上回るか、そうでなくとも同等だろう。
それに、相手には自分が取れぬ選択肢もある。
即ち、こちらの一撃を、その武器で受けるということが。
確かにあの上段の構えでは、受けの動作は遅れる。
が、その武器の重量もあって、振り下ろす速度はかなりのものになるだろう。
つまりは。
こちらの一撃がもし、斬り上げたり、突くようなものであれば、即座にたたき落とされる可能性が高い。
そしてその後に訪れる致命的な隙を逃す阿呆ではないだろう。
——ならば。
愛紗は、正眼に構えていた己の愛刀を、ゆっくりと持ち上げていく。
そして、華雄と同じように上段に構える。
それを見た華雄は初めて表情が動く。
「ほう、私と剣速を競うか」
絶対の自信があるのだろう、面白そうに華雄は言う。
そう、そこだ。
自分が突くべき華雄の隙は、その自信。
この場で言葉が出るというのは、心の隙の表れだ。
言葉は呼吸を伴う。
息を吸いながら、まともな言葉を発する事は出来ない。
呼吸は動作を読む一番の材料である。
それを読まれないよう、立ち会いの際にはお互いに呼吸を隠す。
言葉を発する、というのはそれを放棄するという事だ。
つまりは過信。
こちらの力量を侮っている。
己の技量に対する絶対の自信が、相手の技量を見誤らせている。
その目の曇りこそが、愛紗の突くべき隙だ。
自分がもし呂布のように、天下にその武勇が知られた存在であれば。
華雄はこうも隙を見せなかっただろう。
いずれ、この名を天下に轟かせてみせるが。
今は己の無名さに感謝しようではないか。
そしてお互いの距離が、三丈ほど(約7m)に近づく。
まだ一歩の踏み込みでは間合いに入らぬ距離。
そこで愛紗は一気に距離を縮めた。
「来たな…!!」
華雄はそれを迎え撃つ。
愛紗の速さは、自分の想定内。
この程度の速度であれば余裕がある。
間合いに入る瞬間を見定めて斬り捨ててくれる!
だがそれこそが、愛紗の狙いであった。
所詮は自分より劣る将。
その侮りが、愛紗の速度の限界を見誤らせる。
そうして、次の一歩を。
愛紗は"今度こそ本気で"、強く地を蹴った。
急激に加速する身体。
「何っ!?」
「遅い!!」
一瞬の遅れ。
瞬きの時間にも満たぬそれこそが、華雄を致命へと誘う。
その戦斧を振り下ろす前に、愛紗の刀が届く。
過信への後悔もできぬ間に。
華雄の意識は鮮血とともに途切れた。
「敵将、華雄!関雲長が討ち取ったり〜!!」
決闘の間は、時にすれば数秒にも満たぬ。
後世において、酒が冷める前に討ち取ったと伝えられるこの一戦。
それが薄氷の勝利であった事は、愛紗のみが知る。
*
「ご主人様!愛紗さんがやってくれました!!」
「よし!桃香今だ!!」
「うん!…みんな!敵は将を失って混乱している。この戦は私達の勝ち戦だよ!!一気に勝負を決めよう、全軍突撃!!」
『うおおおおおおおおお』
消沈する敵兵は、勢いを増す攻勢に、後退していく。
追撃戦となれば、いくら数に勝る相手でも容易に御せる。
「よし、朱里。手筈通りに頼む」
「はい!諸候にも合図を送ります!」
先鋒の役目は果たした。
敵将を打ち破り、敵兵を敗走させている。
戦局は決した。
砦には後詰めの部隊もほぼいないことが分かっている。
張遼などの主立った部隊はすでに虎牢関に向かっている事を一刀は知っていた。
後続の連合軍がこのまま進軍すれば、汜水関はすぐに落ちる。
道を切り開けば進軍する約束であったから、これも問題はないだろう。
先鋒の役割は十二分に果たした。
ほぼ自分たちの勢力だけで落としたのだ。
前の世界よりも大きな戦果。
自分自身に武がなくとも、こうしてより良い結果を引き寄せることが出来る。
自分にもできることはたくさんある。
こうして自信を新たにしていた一刀。
その気分が続くのは、後に一報が入るまでであった。
「趙将軍、流れ矢を受け負傷!」
*
「華琳様!敵軍敗走していきます。進軍の合図も出ました!」
「…えぇ。軍を進めなさい。慌てる必要はないわ。」
「はっ!」
桂花に指示を与える華琳。
戦局の決まった戦では大した武功は挙げられぬ。
戦の後始末に躍起になるより、この後に待つ、より大きな戦いに備える。
それにしても…
「劉備、ね。どうやら口だけの者ではないようね」
此度の働きにより、劉備の名は広まるだろう。
英雄の誕生。
今は雛に過ぎなくとも、いずれは大きな敵となるだろう。
その予感に、なぜか華琳は頬を緩める。
強敵の出現。
悪くはない、悪くないではないか。
その者が大望を持つ者であれば尚更だ。
「劉備も天の御使いの加護を受けていたわね。湊斗、あなたから見て劉備はどうだった?」
「さて」
「何を言っても構わないわ。正直な所を言いなさい」
「…志だけでは成し遂げられぬ。結局意思を押し通したければ力が必要だ」
新田雄飛、岡部弾正、そして、村正…
懐かしい顔が頭に浮かぶ。
力なき故に、その志を成せなかったもの。
「そう。あなたには私と劉備、どちらが覇者に相応しいと思う?」
「相応しい、などというものはない。勝ったものが覇者となる、それだけだろう」
そうだ、結局この世は力が全て。
意思を通したければ、勝ち続けるのみ。
そこに善悪はないのだ。
どうやら村正、今更ではあるが、お前の善悪相殺の理は正しかったようだ。
戦は続いている。
こうしている間にも、数多くの命が失われている。
その光景を見ながら、景明は皮肉気に笑った。
ーーーーーーーあとがきーーーーーーーーーーーーー
景明さんが空気なので無理矢理入れました。
次は虎牢関戦、いよいよ閣下が…!