袁家の重鎮、顔良。
彼女は今、浮かれない顔をしながら主君の元へと向かっていた。
それは、彼女の主君が知れば確実に不機嫌になるであろう情報を伝えに行かなければならないからである。
不機嫌になれば、そのとばっちりを受けるのは確実に自分なのだ。
ため息の一つもつきたくなる。
だが、これだけの重要な情報を伝えないわけにはいかない。
彼女の主君は、名門袁家を統べる人物なのだから。
そんな人物に対し、故意に情報を隠せば……別に問題にもならなそうなのが逆に怖い。
しかし、例えそうだとしても、情報の伝達が遅れる事で対応が遅れれば、結局その後始末は自分に回ってくるのだ。
どちらにしろ苦労をするはめになるのなら、早いうちに片付けてしまおう。
そう思い、主君の部屋の扉を開く。
「麗羽様。斗詩です。早急に御伝えしたい事が…」
しかし斗詩は、それ以上の言葉を続けることが出来なかった。
その目に映った情景があまりに奇異であったために、固まってしまったのだ。
その硬直は、麗羽が斗詩の存在に気付いて声をかけるまで続いた。
「あら、斗詩さん。どうなさったの?」
「…それよりも、麗羽様こそ…何をなさっているのですか…?」
伝えるべき事も後回しにして、そう問いたくなった彼女を責める事はできないだろう。
一体どこの誰が、この情景を見て冷静でいられるか。
自分の主君が、鏡の前で、全裸でポーズをとっているなどという情景に対して。
「あぁ、これはモーニングビューティタイムという、美しさを保つ天の国の習慣ですわよ。雷蝶さんが私に教えて下さったのですわ」
斗詩は、無言で扉を閉じた。
*
曹操、黄巾の本隊を打ち破り、功績第一位とされる。
その報はすぐに大陸中を駆け巡り、曹操の名は飛躍的に高まる事になった。
黄巾の蜂起には、陳留のみならず中華全体が悩まされていた。
それは諸候や兵士のみならず、最も苦しめられていた何も力を持たぬ民衆も含まれる。
そのため、それを治めた曹操の名は民衆にまで余す事なく知られる事となったのだ。
民衆は曹操を乱世に現れた英雄と持て囃し。
彼女こそが統一を成し遂げる覇者だと讃えた。
その報告を受けた麗羽の反応は、斗詩の予想通りのものだった。
「なんですって!あのぐるぐる小娘が!?」
(あんたの髪だってぐるぐるじゃん…)
斗詩のみならずこの場にいる護衛兵までもが等しく思った事である。
だが、それを口にする者はもちろんいない。
「この中華を統一するのに最もふさわしい、美しい存在は誰!?」
「それはもちろん、華麗でお美しい、麗羽様でございます…」
疲れたように斗詩が言う。
「そうに決まってますわ!それをあのおチビの華琳さんが…そう!そうだわ!斗詩さん、私達も賊を鎮圧しにいきましょう!!」
「いえ、だから黄巾の蜂起は曹操さんが鎮圧されたと…」
「ええい、なぜ賊退治がこの袁紹に任されんかったんですの!?」
「『賊退治など華麗でもない仕事は、他の連中に任せておけば良いのですわ!』と言って断ったの麗羽様じゃないですか…」
「……」
沈黙が生じる。
その空気を破ったのは、斗詩と双璧を成す重鎮、猪々子であった。
「麗羽様〜。でも曹操、朝廷とはなんか揉めたらしいですよー」
「どういうことですの?猪々子さん、説明して下さい」
「黄巾党の首魁の張角の首を出さずに、なんか匿ってるらしいですよ」
「…華琳さんは、何を考えているのかしら?」
「黄巾党の真の首魁は別にいて、張角達は妖術で操られていただけ、と述べて朝廷の使者にはその男の首を渡しただけで突っぱねた、ということらしいです」
斗詩は猪々子の言を補足しながら考えていた。
いくら力をなくしたとはいえ、朝廷の要求を突っぱねるとは恐ろしい事をする。
しかもその理由が、張角は妖術で操られていただけ、などというあまりにも信じられないものである。
これは叛意ありととられても仕方のないくらいの行動だと思っていた。
だが、彼女の主君は異なる受け取り方をしたようだった。
「あら、それならしょうがないですわね」
思わずこけそうになる斗詩。
「れ、麗羽様…」
「妖術などで人を操るなど畜生にも劣る所業。そしてそれに操られていた者達を裁くなんて、美しくないではありませんか」
「……」
器が大きい、と言えば良いのか。
何とかと天才は紙一重、ということなのか。
判断に苦しむ斗詩であったが、これが彼女の主君の美点であるとも思っていた。
だが、さすがに麗羽の次の言には驚愕せざるを得なかった。
「私も、最近の朝廷の行いは美しくない、と思っていたところでしてよ。ここは連合を組んで、朝廷の行いを正すべきですわ」
「麗羽様!いくらなんでもそれは…」
「いえ、斗詩さん。董卓さんが都の政の中枢を担ってから、文官の統制がとれず、彼らのやりたい放題になっていますわ。例え董卓さん自身に直接の過はなくとも、それは事実ですわ」
「…それは…そうですが…」
完全な正論である。
これには斗詩も反論できない。
これまでの麗羽であれば考えられぬような、政治の機微の察知。
ここ数ヶ月で、彼女の主君は大きく変わったのだ。
間違いなく良い方向に。
だがそれとこれとは話は別である。
「しかし、力は衰えたとはいえ、朝廷に刃を向けるのは…」
「朝廷そのものに反旗を翻すのではなく、あくまで朝廷を乗っ取り、悪政を働く董卓を討つ、という名目であれば問題はないのではありませんか?」
「それは…そうですが…官軍はまだ強大さを保っています!」
「それなら、華琳さんだけでなく、諸候に参加を促せば良いのですわ。皆さん天下を狙っておりますもの。この機会、我先にと参戦してくるでしょう」
「う…」
「もういいじゃねぇか、斗詩。麗羽様が決めたなら、あたいらはそれに従うまでだ」
「…そうですね…わかりました、麗羽様。反董卓連合を組みましょう!」
「えぇ、そうと決めれば、早速手配なさい。行動は華麗に、美しく、迅速に、ですわ!」
数ヶ月前の麗羽であれば、決してこのような効果的な策など思いつくはずがなかった。
それどころか、具体的な指示を出した事すらほとんどなかった。
それがこの変わりようである。
彼女を変えたのは一人の男の存在。
今川雷蝶と名乗る、天の御使いであった。
彼は、麗羽に言ったのだった。
最も美しい存在であるためには、その行動も全て美しくなければならない。
そして行動の美しさは、何より結果を伴わなければならない。
過程がいくら美しくとも、結果が出なければ。
水墨画についた一点の汚れのように、全てを台無しにしてしまうのだと。
そして結果を出すためには…美しさを保つためには、あらゆる努力が必要だと。
その言葉を聞いた時、麗羽は天啓を受けたかのように変わった。
その日から、麗羽は彼をまるで自分の師のように扱い、彼の武や知を吸収していったのだった。
そう、天の御使いと言えば気になる噂があった。
それを麗羽に伝えねば、と斗詩は口を開く。
「そう言えば麗羽様、曹操さんのことでもう一つ気になる噂がありまして…」
「?何ですの?」
「なんでも、曹操さんの所にも天の御使いがいるとか。名を、湊斗景明というようです。」
「なんですって!?…でも言われてみれば、雷蝶さんと名前の響きが似ておりますわね」
「えぇ、同郷の方かもしれません」
「雷蝶の知り合いなのかもしれねぇな…」
「…直接雷蝶さんに聞いてみましょうか。斗詩、雷蝶さんを呼んできなさい。まだ朝も早いですから、お部屋にいらっしゃるでしょう」
「わかりました」
そして斗詩は、雷蝶を呼びに行くこととなった。
そして斗詩は雷蝶の部屋の前につく。
——今川雷蝶。
圧倒的な武を誇る、天の御使い。
個人の武のみならず、戦の知識も余人に並ばせない。
さらに、誰よりも美しく、そして華麗である(麗羽談)
少々変わった所があるが、彼が麗羽を良い方向に導いていることに疑いはない。
斗詩や猪々子でも変えられなかった麗羽を、たった数ヶ月でここまでの人物へと導いた彼は、斗詩にとってまさしく天の御使いに違いなかった。
そして、そんな天の御使いが、曹操の陣営にもいる。
激動の予感を感じなら、斗詩は雷蝶の部屋に入った。
「雷蝶様。斗詩です。麗羽様がお呼び…」
視界に入るは、鏡の前で、全裸でポーズをとる、一人の男。
「あら斗詩さん、どうしたのかしら?」
斗詩は無言で扉を閉めた。
ーーーーーーーーあとがきーーーーーーーーー
やっと雷蝶さん登場です!
ファンの皆様、お待たせ致しました。
この第三編はかなり長くなる予定なので、もしかしたら後々一話の分量を増やすかもしれません。