放課後。
ビルの屋上から眼下に街を一望する。
多種多様、様々な人々が路上を道なりに蠢いていて、そんな顔ぶれの中から小動物を引き連れている人間がいないかを探していた。いつものようにウキウキウォッチング。
こういう時、ビルが密集している様な都心部では無かった事が、実にありがたい。
探索作業は歩き回ってふらふらする方が退屈しないで済むけれど、効率を求めるなら一度に広範囲を見渡せる分こっちの方が断然お得だ。それに、上から全てを見下ろすという行為は、どこか全能感を得る様な錯覚に酔える物で、気分も高揚し易くなるというものではないだろうか。おっと、バカ呼ばわりはするな。せめて煙で。
無駄に上がったテンションのまま、輪っかにした指の隙間から景色を覗きいていると、なんとなしに笑顔が浮かんだ。
「くっくっく――♠」
しまった。今の自分の姿のせいで、思わずキャラを作ってしまった。
まあどんなポーズをとった所で、空いた手が柵をがっしりと掴んで腰も引けていれば、滑稽なだけではあるが。
風が吹く。
高所なだけあり、少々風当たりが強い。
夏の日差しはジリジリと気温を上昇させているため、肌から熱を奪っていく風は心地が良かった。
夏服万歳。
「なんですか、その妙な……気味の悪い笑い方」
「ん♣」
気を使おうとしたけど結局面倒くさくなって直球デッドボールといった様子でザンがたずねてくる。傷付いた心が足取り重く出塁した。
指から視線を外し、覗き込んでいた掌握領域を失うと、目に映る風景は通常サイズへと戻り、人の姿も豆粒くらいの大きさになる。
人がゴミの様だ。
「ヒソカごっこ♥」
誰? と首(?)をかしげるザンに漫画のキャラクターだよと簡単に説明しておく。
そういえば、家の中にいても宙に浮いているしか脳の無いザンは日頃退屈な思いをしていたりするのだろうかと疑問に思った。
今度暇つぶしにアニメのDVDでも借りてきてあげようか。
どうせなら原作のコミックを勧めたい所だが、ザンはあくまで魚類である。
本を用意した所で、
「ハッ、手も足も出まい!」
「ええ!?」
ザンは困惑した。
おっと、今は無意味にザンを嘲ってる場合では無いんだった。
……やはり全体的にテンションがおかしい気がするが、それも仕方がない事だ。
動きの分かりやすいストーキングとは違い、変化の無い光景からいつ見つかるとも知れぬ何かを延々ボーっと眺め待つこの作業。
成果の一つも上がら無ければすぐに飽きるというものだ。
まあいい。気を取り直して、騎士探しに取り掛かろう。
掌握領域のピントを調整しながら、監視カメラの様に目を光らせる。
ちなみにこの望遠鏡モドキは『良く見えるイメージ』による物なので、悪戯に太陽を覗き込んでも安全です。
むしろほら、目には優しく良く見えるというサングラス以上の効果がこの様に、
「あ?」
見つめる先、何かおかしな光景を偶然捉えてしまい思わず声が漏れた。
「どうしました? 空なんて見上げて」
「人が降ってくる」
「はぁ、人が……って、人!?」
遙か上空。
理解の範疇を越えた現象に驚愕した表情を浮かべたまま絶叫――といった様子の、パラシュート無しで空中遊泳する男の姿を目撃した。
というか夕日さんじゃないか、あれは。
目を凝らしてみれば、肩に張り付いたトカゲの姿も確認できる。
晴天の真ん中にポツンと影を描いて存在するだけだった彼らの姿は、重力に引かれるまま自由落下を始め、その姿はみるみる内に大きくなっていく。
落ちて落ちて落ちて、このままでは地面に激突もうダメか!? と思う間に、落下方向に掌握領域が現れた。
急激に速度を落とし、回転する様に体勢を整えた後、夕日は見事に着地を決め――……た後、しばし硬直したままだったが、やがてゆっくりと立ち上がった。
そこまで見て彼の無事を確認出来た所で、ようやく俺は息を吐いた。
気付けば息を止めていたらしい。
なんとも恐ろしい一瞬だった。
着地失敗でもしていたら当分肉が食べられなくなっただろう事は想像に難くない。
奇跡の生還劇を目に納めた事でなんとも興奮冷めやらぬ思いであった。
「い、一体何が? あんな上空から人が降ってくるなんて……」
突発的怪奇現象との遭遇に面食らい、動揺も露なザン。
反面落ち着いてくる俺。
目の前で冷静さを失われるとこっちが冷静になるってこういうことかと実感する。
何が起こったのか、他の可能性を考慮してみるが、おそらく漫画通りなんだろう。
「多分魔法使いに吹っ飛ばされたんじゃないかな」
「えっ、それではこの付近に魔法使いが!?」
いるかも知れない。
ただ、いた所でどうもしないと思うんだけど。
倒せる訳でも無いし、寧ろ顔を合わせよう物なら逃げる事も出来無いし、それって死んだも同然だと思うんだ。
「別に警戒してもどうしようも無いんだから、会ったら世間話するくらいの気持ちでいいんじゃないかな」
「じゃあ世間話でもしようか」
死んだ。
第8話 魔法使いと天川織彦
声に振り向いた時、そこにいたのは不審者然とした男が、屋上の区画を仕切る段上で気だるげに腰を下ろしている姿だった。
現れるまでに何一つとして予兆を感じ取れる物は無い。
音も無く現れたのはワープでもしてきた為か、唐突過ぎるラスボスの出現に肝が冷えた。
心臓に悪いサプライズを連続でするとか、ホントやめて欲しい。
心拍数上昇したり肝が冷えたり心臓に悪かったりとか俺の内蔵中枢は大丈夫だろうか。
「魔法使い……」
「……」
ザンが小さく呻きをこぼす。
俺は特に言葉を返さず、相手の姿をよく観察した。
眠そうな目にぼさぼさの髪。
服装はパジャマだ。靴さえ無い。
アニムスは表情に胡散臭い笑みを浮かべながら、反応を見せないこちらの様子に頓着せず勝手に喋り始める。
「トカゲの騎士の彼とはさっき町中で偶然会ってね。
話しかけたんだけど突然攻撃されそうになったんだ。
物騒だよねぇ。思わずワープさせちゃったよ」
困ったものだと言いたげに大きく肩を竦める。
どう考えてもあんたの方が物騒だよという突っ込み待ちだろうか。
「ビックリしたんじゃないの?
レベル上げにフィールド歩いてたらいきなりラスボスが目の前に現れれば、動揺もするでしょ。
さもなきゃ英雄願望」
正直、夕日に限らず命が紙屑の様に消し飛ばされそうなこの状況では緊張するのも否め無かったが、その辺は俺らしく諦めの境地で体から力を抜いて――なにか根本的に間違ってる気がしないでもない――そしていつも通り、なるようにしかなるまいと考えた末にこのまま適当に会話のキャッチボールを返す事にした。
先ほどザンにも言ったように、この状況で何が出来る訳でもないのだから。
一周して落ち着いたこっちと違って、ザンは隣で百面相していたが。
「――こっちはそんな興醒めしそうなことするつもりは無いんだけどね」
「それこそ知った事じゃないだろ。お互いに相手の事をよく知らないんだから、諍いが起きて当然。相互理解にはまずコミュニケーションから」
「ふーん、なるほど」
何か納得したように相槌を打たれる。
コミュニケーション不足の自分が言うことじゃ無いよなぁとか内心思いもしたが、むしろそんな駄目人間な同類の言葉故に説得力でも生じたんだろうか。
「一体なんのつもりです、魔法使い」
不意を打っておきながら何をするでもない様子の相手にしびれを切らしたのか、ザンが問いかけた。
「ん? ああ、たまたま見かけたから声をかけてみただけだよ。今はどんな騎士がいるのか見て回ってる所なんだ」
とりあえずトカゲとカラスの騎士は話し相手には向か無いねぇとぼやく魔法使い。
歯牙にもかけられていない事がかんに障るのかザンは歯噛みしていた。
警戒心は変わらず剥き出しだ。
しかしなあ、ザン。
「肩の力抜いたら?」
「無茶言わないでください!」
「そっか、肩無いもんな」
「そういう話じゃ無いですよ! 何「うまいこと言った」みたいな顔してるんですか!」
「そうそう。もっと会話を楽しもう」
「二対一!?」
アウェー過ぎる、いえもう慣れましたけどね……と、独りぶつぶつ呟きながらザンは落ち込み始めた。
うん。肩の力抜けたみたいだな。良かった良かった。
「で、何か用?」
「君、結構マイペースだね」
「いやいや」
それをこいつに言われたら、なんかおしまいっぽい気がするので遠慮願いたい。
いいけどね別に。
「まあいいや。あのさー君、やる気ある?」
「ん?」
「地球存亡をかけたゲームのさ」
「いや、あまんり」
反射的に本音を即答してしまった。
日頃ザンとどういう会話をしているかが如実に現れた対応である。
これで機嫌を損ねていたら死んだかもしれないが……幸い気にした様子は見られなかったので良しとしよう――はて?
参加者が自主的に降りるっていうのは魔法使い的には喜ばしい事なんだろうか。やっぱその方が楽だろうし。
ただ、言動を見ている限り、退屈しのぎみたいな面も充分にありそうだからなぁ。
騎士を味方につけたりしていても、別に戦力として期待してるようには見えなかったから、この男が何を考えているのかは正直よくわからん。
こっちとしてもどういう態度を取るのが正解なのやら。
まあ、興味はあるけど興味しか無いので、自主的に危険行為に挑戦する意気込みは現在持ち合わせておりません。
期待を裏切ってしまい申し訳ありませんがー、とかもう素直に全部言っちゃおうかと投げやりな気分になってきた。
っていうかだよ。
そもそもやる気なさそうなのもう一人いるじゃん。
「あんたは?」
「何がだい?」
「やる気」
「ああ……。そうだね、別に無いかな」
見事に同じやり取りである。
あれー、なんで俺こんなのにやる気を問われているのかなー。
「じゃあやめたら? その方が平和だし」
「僕がしたいのはゲームじゃなくて、地球破壊の方なんだよね。だからそれは無理」
ですよねー。まあわかってたんだけどさ。
地球を破壊し尽くして何が解るっていうんだよと、そんな色々理解不能に思えるあたりは、きっと俺が常識人だからだよね。
俺ってば常識人。うん。説得力無いや。
「それで、ゲームをしてる以上ルールは守らなきゃならないんだ。面倒だけど」
ルールとか関係の無さそうな存在が、ルールを守らなければならないというのは確かに面倒だろう。
面倒はごめんだ。
せめて楽しい苦労がいい。
「はぁ、大変ですね」
しかし人事。
「だから君を殺していいのか確認に来たんだよ」
「は?」
「は?」
思わずザンと同じリアクションになったのは兎も角、ちょっと待って欲しい。
何故突然そんな話に?
「昔から怖じ気付いて逃げ出す騎士っていうのもいることはいるんだよね。でもそれってゲームから降りたって事じゃないか。わざわざ見逃してあげる必要も無いし、見かけた時はすぐ死んでもらう事にしてるんだ」
わぁお。
「でも君の場合、逃げてる割には行動おかしいからさ。
どういうつもりなのか聞きにきたんだよ」
目立たないように動いていた事が、逆に目をひいたという事らしい。
確かに、逃げるなら逃げるで地元にでも引きこもればいいんだし、かといって何らかの行動を起こすにしては、今みたいにあっさり見つかるくらいに動きが迂闊だ。
何がしたいと言われるのも仕方がない体たらく。
一体誰が、騎士の目的がただの野次馬だと思うだろうか。
「どういうつもりかって言われれば、まあ、眺めてるつもりだけど」
「見てるだけ? 地球を守ったりはしないのかな」
「そーいう元気なのは他の人に任せます」
はっきり言って、自分は戦うのに全く向いていない。
能力が攻撃性皆無だから、というのはやる気を減衰させた要素の一つだったが、もっと根本的な部分が足りていないのだと自覚している。
「他の騎士達が負けたら君も死ぬけど、それは良いのかい?」
それは生にしがみつこうとする意志の欠如だ。
闘争と逃走にはプラスとマイナスで方向性の違いはあれど、どちらも自分の中にある大切な物を守ろうとする心が原動力となるだろう。
生きたい。死にたくない。失くしたくない。守りたい。続けたい。託したい。諦めたく無い。
人によって秘めた想いは様々でも、終わる運命に対してその全てが等しく懸命にあらがっている。
「死ぬのは怖いし痛いのは嫌ですよもちろん。でも死ぬ気で頑張るのも「死ぬ気」を味わう訳でしょ。どっちにしろしんどいですよ」
手をぷらぷらさせて、そううったえる自分の姿はなんとも身が軽そうだ。
腑抜けた根性無しとして過ごす自分の背中に、使命だとかそんな重い物は乗るはずが無かった。
「でも見てる分には楽しいんですよね、ああいうの。
だからまあ、勝ち負けはどっちでも良いんで、とりあえず最後まで見たいかな」
なので見逃してくれませんかねーと軽くお願いする。
言うだけなら只である。
最後まで付き合う事には違い無いし。
「やる気、ホント無いねぇ」
そんな感想をこぼして、相手は腰を上げた。
ふわり、と、立ち上がるように宙へ浮かび上がる魔法使いの姿は、現実味を感じさせない奇妙な動きだった。
弾けるように跳躍するさみだれや、必死に宙へしがみつくようだった夕日の動きとは、その力量に隔絶したものを感じさせる。
「それならそれで構わないよ。僕が地球を破壊する瞬間を特等席で眺めると良い」
戦わないけど命を助けて、ではなく、死んでもいいから戦わない。
些細な違いではあったが、どうやら言い分として認められたようだった。
「ん。そうさせてもらうわ」
あっさりと貰えた許可に軽く返す。
魔法使いはそのまま宙を歩いて行ってしまい、遠ざかる姿を俺は暢気に見送った。
「いやー、助かったな」
正直な感想だった。
夕日の吹っ飛ばされるイベントは勿論覚えていたが、よもや自分が似たような目に遭うとは思わなかったよ、ホント。
「何考えてるんですか一体!」
「何も」
「何も!?」
あるがままを受け入れるというのはどう言うことかわかるかい? 別名行き当たりばったりというんだよ。
やっかいな奴に見つかったけど殺されなかったみたいだし、これは不幸中の幸いだね。
「すっごい気疲れしたから今日はもう帰るか」
「私も非常に疲れましたよ……」
命が紙切れの様だった一日を過ごし、肩を落として歩き出す。
重い屋上のドアを押し開き、俺たちはため息を付きながら帰り道へと付くのだった。
「違ーう」
ドアを開いた。
再び屋上。
俺はズンズン歩を進め、再び元の位置へと戻る。
「いやいやいや、帰っちゃダメだろ俺ってば」
首を振りつつ、大いに頭を抱えてうめいた。
「忘れ物ですか?」
「そう、忘れまくりだ!」
まったくもって愚かしい。一体何を、さも一日が終わったようなつもりになっているのか。
夕日が飛ばされたって事は、今日が騎士団集合の日じゃないか。
どちらかといえばそっちの方が重要だろうに。
立ち去る前と同様に、再び俺は周囲をうかがい見渡した。
「何処だ。夕日さんは何処行った。……あれ、これ見つかんないとやばくね?」
集合地点を知るには誰かの道案内必要だったが、現在近くで場所が分かりそうなのは夕日のみ。
しかし先程の着地点に目をやれども、当然ながら姿は既に無く。
地上を見れば人、人、人。
目当ての顔は、そう易々とは見つからない。
せめて向かった方向だけでも分かれば見当をつけられるのだが。
考える。この日の出来事は他に何があっただろうか……。
「川だ!!」
確かピカチューとストライクに遭遇する筈だ。
川沿い自転車二人乗り。
青春してるね太郎君。
「居た! ああ、でもちょっと遠い。夕日さんカムバーーーック」
姿を目に捉えた場所は、なんとかまだ見失わずに追い付けそうかといった距離。
要するに――
「……またか。また走るのか」
どれだけ走るの好きなんだ自分。行き当たりばったりのしわ寄せは、いつだって俺の脚へと来てばかり。
足だけ妙に筋肉が。
あっはっは、逃げるのはまかせろーとでも開き直るべきだろうか。現実逃避なら得意かもしれん。
「ええい、ザン、追うぞ!!」
「未だにあなたの頑張り所がわかりません」
目の前の娯楽を逃して、一体いつ楽しめというのか!
俺は夕日の姿を追いかけ、今度こそ屋上から飛び出して行った。