「掌握」
「領域……」
草木が生い茂る山の一角。
大きな切り株が鎮座した、拓けた空間がある。
周囲に人影は見当たら無い。生き物の気配といえば、通り過ぎていく小動物や、野鳥のさえずりがするくらい。
山道からも外れた辺鄙な所。
ここから少し歩けば、師匠と最後に話した場所も在って、時々花を添えに行っている。
訪れるのは自分達しかいないけれど。
そんな環境だから、誰かに見られる事も、迷惑をかける心配も無いここは、目の前の物だけに集中するには都合のいい場所だった事もあり。
最近はよく、この場所で掌握領域を使う練習に励んでいた。
……実は、いつもの公園の広場で練習した結果、整備された地面にうっかり穴を空けてしまったりなんかして。
慌てて逃げたはいいものの、戻るに戻れなくなってしまったのは、きっと仕方の無い事だと思いたい。
後日、謎の大穴は三角コーンで囲まれていたのを確認してる。
心情的に、しばらくあそこへは近付けそうも無かった。
「「最強の、矛!!」」
切り株の上に鎮座した空き缶が一つ。
二人の力を合わせて出来た大きな掌握領域が、一直線に飛び出して行く。
横に伸ばした腕の先、合わせた手の平が温かかった。
矛は大きく強力で、その事が私とユキの繋がりの強さを表してるみたい――なんて考えると、嬉しいような恥ずかしいような。
当たればどんなものでも貫く事が出来る私達の力は、大音響と共に破壊の渦を巻き起こす。
切り株は勿論の事、後ろに立ち並ぶ木々をも蹴散らしていくその様子は凄絶の一言だった。
衝撃が止む頃には吹き飛んだ木片も地面へと落下していき、やがて土埃も大人しくなる。
その威力に申し分は無かった。
ただ……
「外れちゃった」
「当たらないねー」
缶は地面にゆらゆらと転がっている。
けれど、表面には傷一つ無かった。
「切り株は凄い事になってるけど……」
雷のように裂けている。
今まで地面と平行だった切断面は斜めに隆起し、激突の衝撃とあいまって缶は転げ落ちたみたいだ。
狙い違わずド真ん中に飛んでいれば、転げる前に缶は潰れるか破砕するかでぐっちゃり逝っていた筈なんだけど。
思い通りにならない結果に思わずため息が漏れる。
「どうやったら命中率が上がるんだろう」
疑問の声を上げる。それは今後の課題だ。
敵がいつも大きくて鈍重とは限らない。
集中が必要で自分達が足を止めてしまう以上、どうしたって戦い難い敵も出てくる事だろう。
無敵の盾は確かに強力だけど、欠点も多いから。
「うーん、やっぱり練習?」
「そうしたいのは山々なんだけどさ」
返事に難色が混じってしまう。
焦りは禁物というのは分かっていたが、いつまでもこのまま現状に甘んじている訳にもいかなかった。
次の戦いがいつあるのか分からないという理由は勿論ある。
でも、それとは別に現実的な問題として。
「そろそろ、環境破壊が無視出来ないレベルに……」
「……そうだね」
抉れた地面も、ねじ切れた樹木も。
見渡す限りに広がっているのは、いかんともし難い状況だった。
第7話 星川昴と月代雪待
日が沈み始める頃、些か消沈した様子のままではあったが、二人は練習場所を離れ帰り道を歩く。
ゆっくりとした歩みを続ける間も、共にいた獣の騎士達は二人を励ます様に声をかけていた。
「大丈夫だって! オメーらならすぐに百発百中で当てられる様になるからよ!」
特に根拠の無さそうな言葉を勢いのまま吐くのは昴の相棒、鶏の騎士リー・ソレイユ。
「ま、気長にやるといい」
対照的にのんびりと諭すのは雪待の相棒、亀の騎士ロン=ユエ。
どちらの言葉も具体的な方法を掲示するような物では無かったが、現状の行き詰まりに対して焦りを覚えている所には、丁度良い助言とも言える。
「うう、何が悪いんだろう……」
しかし残念ながら、思考の渦に囚われたままの昴にその声が届く事は無かった。
「聞いてないね」
「ダメだコリャ」
頭脳労働担当では無い分、雪待の憂いは少ないらしい。
復帰する様子を見せない昴に代わって獣の騎士達との会話を続けていた。
「最初は上手くいったのにね」
6つ目の泥人形に止めを刺した最強の矛は、寸分違わず見事に頭を蹴散らした物である。
対象が大きかった為多少の誤差など気にならなかったという面もあった。
「気負いすぎなんじゃねーか?」
初陣は無我夢中で取り組んだ結果で、現在は色々考え過ぎなのかもしれない。
「師匠の見た直後だったからかな」
「あー、ありゃあ確かに凄かったな」
派手さでアレに追随を許す技など恐らく無いだろう。
それがトドメになら無い辺り、泥人形の強度も洒落にならない物だった訳だが。
「じゃあ他の人の奴を見ないと駄目?」
「都合良く見つかるとは限らんがのぉ」
「それに参考になる能力かどうかもわかんないし……」
「あ、おかえり」
ようやく戻ってきたらしい昴が話しに混じる。
「そっか、テレポートとか見ても仕方ないもんね」
「いやいや、あんなすげぇの出来る奴普通はいねえから」
師匠基準の発言に慌てて訂正を入れるリー。
「そうなの?」
「比較対象には向かんな」
それにロンも同意する。
そもそも師匠は騎士では無いのだが、他に参考に出来る物を見た事がない以上仕方の無い話。
「あと景色がグルグルしてた奴とか」
「あれもどういう力かよくわかんねぇな」
勘違いである……とは言い切れないのが秋谷稲近の凄い所。
出来るかもしれないし出来ないかもしれない。
知らなければ、真相は闇の中。
「師匠って何でも出来たんだねぇ」
「なんであれで騎士じゃないのかわかんねぇくらいだ」
「騎士だったら、師匠もきっと……」
昴は言葉を止めた。
続いただろう『死なずに済んだのかな』という言葉は、最後まで発せられずに飲み込まれる。
とはいえそれを察せ無い者達ではなく、不自然に会話は途切れた。
「……」
「……」
身近な者の死は、大切である程その周囲に影を落としてしまうものだ。
彼女達も普段は平気な顔をしているが、ふとした時に心にポッカリと空いた穴が姿を現してしまう事もあるだろう。
隙間風のように、そこに過ぎるのは寂寥感――あるいは無力感だろうか。
「……強く」
ポツリと、雪待が呟く。
「え?」
「強く、なりたいね」
「……うん」
言葉は少なく。けれど答えは胸の内に。
今はただ真っ直ぐ前を向いて、精一杯に進めば良い。
立ち止まるのも振り返るのも必要は無い。彼女達の未来は、まだまだ続くのだから。
未だ幼い彼女達の心は傷だらけでも、やがてそれを埋めてくれる物はある。
それはきっと、この先に在る長い時間。
「ひゃははははは!!」
そして出会い。
「!?」
甲高く、笑い声が響いた。
目の前には曲がり角。そこから二人の前に、人間が飛び出してきた。
「わ!?」
慌てて避けると、相手はそのまま地面に倒れた。
無様に道路に寝転んだのは強面のスーツ姿の男だった。
顔を一箇所大きく腫らして意識を失っている。
「何!?」
突然の出来事に混乱し、疑問の声が出る。
しかし回答は無いまま、うろたえる最中に今度は打撃音。
「ぐおっ!」
「くそっがっ!?」
続けざまに悲鳴も聞こえる。
一体何が起こっているのか確かめようと、二人は音の出所を覗き込む。
そこには、さっきの男と同様にスーツ姿の男達が、一人の若者を取り囲んでいる光景があった。
多勢に無勢。
寄って集って襲い掛かり、そして一方的にボコボコに――されていた。
「喧……嘩?」
しばし呆然。
怯えたように襲い掛かる男達を、片っ端からぶちのめす笑顔の青年をその目に捉えた。
余りに圧倒的な暴力の光景は、争いとは無縁……ではないが、最近関わり始めたばかりの少女たちには、いささか刺激が強すぎた様である。
「たまとったらー!」
「え、抗争?」
どう見てもヤクザ。
一介の女子中学生が偶然巻き込まれるには、脈絡無しに物騒な状況だ。
速やかに撤退すべきである。
しかし未だ虐殺風景を眺めている昴と雪待に、逃げ出す様子は見られない。
泥人形戦ほどとっさの判断が利いていないのは、頭が展開に追いついていないのか、戦いがあまりに一方的過ぎたため危機感が無くなってしまったためか。
どちらであれ、思考が麻痺してる事だけは確かなようだった。
非常事態に対して状況の確認は間違いでは無いが、しかしのんきに眺めていて良い状況では当然無い。
無防備に立ち尽くしていたこの時間の損失は、相応の危険を孕むのだ。
「くそっ」
若者の攻勢にヤクザもあわや全滅かという所で、一人が逃走を図った。
なんとも間の悪い事に、逃げ出し走るその先に、立ち尽くす二人の姿。
ようやく人がいる事に気付いた男は、我武者羅に怒鳴り声を上げる。
「どけぇ、ガキ共ぉ!」
「キャア!?」
昴が悲鳴を上げる。
ヤクザらしき男は彼女を突き飛ばして逃げていく。
ゴッ
音は一つだった。
「「「あ」」」
男が昴を突き飛ばすその直前。
昴の前に踏み込んだ雪待の拳が顎を打つのと、後頭部に三日月の跳び蹴りがめり込んだのは同時であり。
一瞬、3人の目が交差した。
――亀。と……鶏。
――カラス?
――ライダーキック。
そこに騎士がいることに気がついた3人は、その時はたして何が思考をよぎったのか。
そして、ヤクザの首が嫌な感じに曲がったまま胴は横へと倒れ伏し、三日月は余裕の動作で着地を決めた。
「……」
「……」
静寂が過ぎる。
この場に立っている者は3人しかいない。
三日月は拳を振るった少女に目を向け、雪待はそれを真っ向から受け止めた。
両者、無言。
グッ
腕を掲げ合った三日月と雪待の間に、無言の友情が芽生えた(様な気がした)瞬間だった……。
「えっと?」
「……脳筋同士通じる物があんだろ」
「とまあそーゆー訳で、この二人が運良く居合わせたってワケ」
以上の経緯を経た後に、自己紹介を交わした3人は三日月の案内のもと、夕日の家へと訪れていた。
場所を許可したのはさみだれ。
決定は軽かった。
「運良く……?」
「というかお前は何やってんだよ」
三日月の話を聞いていた夕日とノイは、ツッコミ所の多さに思わず反応した。
しかし本人はそっちのけで雪待達に話しかける。
「いいパンチしてたぜ」
「ありがとうございます」
「聞けよ」
「月代さんは何か格闘技を?」
エプロン姿の白道八宵が話に加わった。
夕日に食事を振る舞いに来ていたらしい。
なんというリア充。
「師匠に空手を教わってました。流派とかはわかんないですけど」
「謎の流派を操る老人とか、くっそー……」
会えない相手に戦闘狂(バトルマニア)が悔しそうだった。
例えその場にいなくとも、謎の存在感を持つ秋谷稲近。
話題性に欠く事は無い。
「なあノイ、指輪の騎士じゃなくても超能力者って結構いたりする物なのか?」
「その筈だ。むしろそうした才能のある者ほど騎士の素質があるしな」
夕日の質問にノイが答えたが、夕日は難しい顔をする。
「じゃあそんな凄い人が何で騎士じゃないんだ?」
「むう、確かに……」
当然の疑問だ。
話を聞く限り超能力者としての実力は他の追随を許していないというのに、騎士から除外される理由が分からないのだ。
同様の疑問を、獣の騎士であるリーとロンも当然抱いた筈だが、現在は当たり前の様に受け止めているのは何故か。
「あ、そういえば」
二人の会話に、昴が声を上げた。
「どうしたスバル?」
「師匠、リー達と最初に会ったとき、騎士になる予定だったとか言ってなかった?」
『はじめまして。リー=ソレイユくん、ロン=ユエくん。
君達が来るのをずっと待っていたよ』
喋る鶏、喋る亀。
私達が持ってきた変な動物を前にして、特に動揺も見せず師匠は座っていた。
『なんだテメーは!? なんで騎士でもねーのにおれらが見える!?』
『はて自己紹介したかのう……』
リーは狼狽を露に叫び、ロンはのんびりと答える。
性格のよく分かるやり取りだ。
まあとりあえず。
『こら! 師匠にテメーなんていうな!!』
リーの態度はいただけない。
お仕置きの為に後頭部へデコピンを加えてやった。
『コケ!!』
あ、普通にも鳴くんだ。
『私はカジキマグロの騎士になる予定だった者だ。
人呼んで、師匠!!』
師匠はいつもこの自己紹介してるのかと内心驚いていたけれど、リーの奴は師匠の言葉に大人しくなった。
『……ザンの相棒じゃしょうがねえな。いつも変人選ぶし』
変人とは失礼なと怒ろうかと思ったけど、師匠が変人なのはその通りだから否定は出来なかった。
『予定だった、というのは?』
『今は違うという事だよ。カジキマグロの騎士は他にいる』
『って、それじゃーテメーがおれらを見える理由になってねーじゃねーか!』
『リー!』
デコピン。
『クケェ!!』
流石は鶏、リーの悲鳴は良く響く。
『その騎士は今は?』
ロンは気にせず師匠の話を聞いていた。
結構図太い性格かも知れない。
のんきな所はユキと似てるかもしれない。
『きっと今頃ザン=アマル君と合流している頃だろう。ただ、戦力として期待するのはよした方が良い』
『あん?』
『彼は戦いに参加する気が無いからね』
「……って話だったと、思う」
自分で話している内により詳細に思い出したのか、昴は驚いた顔をしていた。
師匠はカジキマグロの騎士であったらしいという話に付随して、さらりと他の騎士の情報を話していた事に気付く。
彼女にとっては騎士の話自体を信じる前だったこともあり、その内容に注意を払っていなかったのだろう。
今になって思い出したその事実は、騎士達にとっては今後に関わる厄介な内容だった。
「彼、か。騎士の一人は非協力的?」
意外な話を聞いたという顔の夕日。
困惑で無いのは、彼自身がその実惑星破壊を目論む立場にいるが故に、ありえない話では無いと考えるからだろう。
「ふーん」
さみだれは然程驚いていない。
「ふーん」
三日月はむしろ楽しげだ。
「私達はその辺詳しく聞いてないけど、リー達は?」
「興味ねーとか言ってたと思うぜ」
概ね間違ってはいないが、それは要約し過ぎである。
「おいおい……」
「地球存亡の危機が興味無いって……」
比較的常識人なノイと八宵はあんまりな理由に唖然とする。
「まあ、実際に会って話を聞いてみない事には詳しい事はわかりませんね」
又聞きだけではそんなものだろう、と夕日は軽く流した。
「念の為にも南雲殿にも伝えておいた方がいいな。見つかるかどうか分からんが」
「カジキマグロなんて連れ取ったらすぐ見つかりそうなもんやけどなー」
さみだれの言葉に全員顔を見合わせる。
全員がその光景を想像しようとして失敗した。
「カジキマグロ……」
「どうやって連れ歩くんだ?」
「肺呼吸出来るのかしら?」
「いつも水槽持ち歩いてるとか」
「無理無理」
「姫ならできそーだな」
「水槽付きの車に乗ってるのかも」
「金持ちか」
「ただの引きこもりという線もあるかも」
はっきり言って容易に想像できる物では無い。
「浮いてるだけだぜ」
『『『『『浮くんだ』』』』』
八宵の首元から告げたシアの答えに全員が驚いた。
「飛び魚って事?」
「それは何か違わないか……」
「まあ、騎士がそんなだからか、相棒の人間も変わり者が多いんだよなー」
「戦力が1人減っちゃいますね……」
現実的な問題としてはその点に尽きる。
騎士が単独で泥人形を倒せない以上、1人分の戦力差は大きいのだ。
単独戦闘可能な東雲半月のような存在はそもそも規格外過ぎる。
そしてもう1人の規格外はと言えば……
「心配せーへんでも大丈夫」
気負う事無く言い切った。
彼女にとってその程度、困難になど値しない。
全てを壊す魔王の言葉に、当然騎士も黙っていない。
「ええ、騎士が1人になっても――敵は全部倒しますから」
彼女の騎士に相応しいよう、強く覚悟を決めていた。
敵とは誰を指すのか、分かるものは少ない。
「お、ゆーくん燃えてんじゃん」
「期待しとるで、我が騎士」
ライバルも交え、三人は、不敵に笑い合う。
何が来ようと敵ではないと、その表情は物語っていた。
そんなやり取りを当然とする魔王と騎士の微笑みに、少女達はしばし魅入られていた。
圧倒される力強さのその中で、しかし安心を与えてはくれない感情は、一体何だったのか。
彼女達は気付かない。
頼もしいからでは無いのだと。
「それじゃあまた」
「夜道に気をつけてな」
けれどそれが誤解であろうと、この日彼らと別れた後の、昴と雪待の表情に。
今日悩んでいた憂い顔を、見せることは終ぞ無かった。
「そして、そんな二人を影ながら、優しく見守る姿があるのでした、まる」
「警察のお世話にはならないでくださいね」