やっぱりこうなったか。
教室に入りすぐに思ったことだ。以前に聞いたが白河は人前で歌うのが嫌いだと言っていた。本編では歌っていた気がしたが、また何かが変わってしまったのだろう。だから必然的にこうなる。
舞台の上で渉が一人、涙目であたふたしていた。
第5話
『お、俺だって妹の気持ちを知りたいんだ!』
それは一時間程前
「さぁ白河、出番だぞ」
「やだ」
「頼むから出てくれよ~、後で絶対埋め合わせはするからさ~」
渉はもう涙目なのだが
「だって名前だけで歌は歌わなくていいって言ってたじゃん、人前で歌うの苦手だからって言ったときに」
白河が頬を膨らませ怒るのも無理はない。
前日ギリギリまで揉めた白河の出演は、渉の出した名前だけとういう条件の一つとして出されていたのだ。だからここで歌う曲も知らなければ歌う練習さえしてない。
「なんで私がメインって事になってるの?」
「そうしないと客が集らないんだよ~、杉並のやつだって……ぶつぶつ」
どうやらここにも杉並の魔の手が伸びていたらしい。
だからといって客が納得する訳もなく、看板に名前があるだけ、なんて言い訳もできない。
会場でも
「ななかちゃんまだ~」
「なんかおかしくね?」
30分以上待たされているのだ、こんな発言が出始めても仕方ないだろう。
主催者側にとっても胃が痛くなる雰囲気になっている。
「何卒(なにとぞ)何卒……」
その空気を敏感に感じ取った渉はすごいのか、すごくないかは分からないが
「何卒!」
瞬時に繰り出された土下座、いや、スーパー土下座は感嘆に値するだろう。
洗練されたフォルム、 滑らかであり力強い。
ここまで完璧なDOGEZAが誰に出来るだろうか、否、出来はしない。
その姿は正に―――閑話休題
その甲斐あって数十分もの説得と、その情けないまでに堂々とした行為に折れ、白河はステージに立つこととなった。
そして今
「休憩したい~、出店~劇~縁日~」
と舞台裏で白河がうなだれており、渉は「あとちょっとだけでいいから」となだめている。
勿論うちのクラスは大繁盛。その列は途切れることなく売り上げも上々
しかしそれは白河の休む時間がないということで、舞台の上で渉は
「おいおいまだかよ!」
「ひぃー」
渉は表から聞こえる声に震えながら
「白河様、どうか、どうかあと一曲」
「板橋くんさっきもそう言ってたもん」
「うっ、本当にラスト一曲だからさ、歌ってくれよ~」
お客の列を見れば一曲で済むはずもないことは明確であり
「じゃあちょっとだけ、ちょっとだけ待っててくれ」
再び舞台へ戻り
「もう少し、もう少しお待ちください、白河ななか嬢は今衣装換え中でして」
と、お客の険相にビビリ、白河の休憩を伝えないあいつは本当にどうしようもない。
ヘコヘコと頭を下げる渉にため息をつき
そろそろ行くかな。
っとあらかじめ準備していたステルススーツに着替える。
体に纏うは茶色い毛皮、くるっと丸いチャーミングなお目目、鋭い爪、ではなくキュートなお手て、この肉球に癒されないやつはいないぜ!!
まぁぶっちゃけ熊さんだよね。杉並に頼んで作ってもらったがなかなかの出来だ。
控え室に彼女しかいないことを確認して扉から半身だけだしちょいちょいっと手招きする。
「ん?」
不思議そうにこちらを見ていた白河の瞳は時間が経つに連れ怪しげに
あ、あれ?なんで白河さんそんな獲物見つけたみたいな
椅子から立ち上がった白河は興味津々とばかりに歩み寄ってきた。
「こんにちは熊さん、ななかに何か用?」
ノリが良い子だってことは知っているが何故か嫌な予感しかしない。
「熊さん?」
やっぱり言わないと雰囲気でないよなぁ。
覚悟を決めて
「捕らわれの姫君、あなたをお救いに参りました」
心の中では、俺はなに言ってんだかと思うが、気にしたら負けだと自分に言い聞かせ、片膝を着き、大袈裟に頭を下げる。
「捕らわれ?」
「聞くところに寄れば、姫君は卒業パーティーを見て周ることも出来ず、ディナーショーとやらに無理やり参加させられていると」
聞くところも何も同じクラスなのだが俺だとバレないために小さな小細工。
まぁこんな熊の着ぐるみ着てる時点でバレないだろうが、自分の格好に泣けてくる。
「私めと一緒に逃げましょう」
騎士のように手を差し伸べ反応を伺うと
「あれ?」
きっと俺の気持ちを読み取ろうとしたのだろう、熊ハンドをぺたぺたと触っては首を傾げてを何度か繰り返す。
ふ、ふふふ、ふはははは、甘い、甘いわ!!
俺が白河に対し何の策も用意せず挑む訳がなかろう!
別に勝負してる訳でも正体がバレてる訳でもないが勝った気分だ。
どの程度服の厚みを無視できるか分からなかった為、熊ハンドは杉並に渡されてから改造に改造を加え熊ハンド(改)に進化したのだ!
と言っても肘近くまでを全部綿で詰めただけ、当然握ったりなんやりと手の機能は一切出来なくなったのだが、結局は
バレなければ何でもおっけーだ!
「んー」
相手の気持ちが分からないからだろう、悩んだ表情を浮かべている白河だが
「うん、行きましょー熊さん」
笑顔で熊ハンドを掴み教室を飛び出した。
この場を逃げ出さない可能性もあったが正史より休憩がなかったのだ。少し怖い(相手の気持ちが分からない)からってこのチャンスを逃したりしないだろうと踏んでいた。
予想通りになって一安心。
「では此方へ」
声色を変え紳士スタイルを始めたのはいいが、正直しんどい。
どないしよ。
階段を駆け下り廊下を走り去って校庭へ向かう。
あぢぃ~。
息はあまり上がっていないが着ぐるみは生地が厚く、視界どころか通気性も悪い。
白河対策に改造しすぎた。
「あの~?」
様子を伺うように俺を見上げる白河
誰だか分からないやつに付いてくるのはやはり怖かっただろうし、勇気のいることだったのだろう。
だから
「姫君、あなたは自由の身です、お好きな場所へお好きな時に赴いてくださいませ」
こんな臭い台詞を吐き一礼した、邪魔者は去るのみ。
白河なら誰かしら知り合いでも見つけて楽しめるだろう。それに彼女と行動するのは何かとリスクが高い。
白河に背を向けかるく体を伸ばす。
あ”ぁ~疲れた~。早くこの着ぐるみ脱いで奇麗な空気を吸わなきゃ死ぬ。
この後どこに行くか考えて歩きだすと
あ、あれ?何故に私めの熊ハンドを掴んでいらっしゃる?
「く、熊さんにほとぼりが冷めるまででいいので卒パ案内してほしいかな~なんて」
え、なんで実は弱虫っ子の白河が頑張ってるの!?
「え~っと……喜んで?」
疑問系には目を瞑ってほしい。元々楽しませてあげたいとは思っていたが、本人に拒まれると考えていたのだ。
本編での彼女は、能力依存の反動でまともにコミュニケーション出来なかった時があった、それは魔法の木が枯れ人の心が読めなくなった時
今はその時期と同じ環境なのではないだろうか、能力を失ったわけではないが俺の心が読めないという点は一緒だから。
だからこそこの白河の行動に驚きを隠しきれない
ってヤベ、声戻し忘れてた。
「コホン、では姫君、どこか行きたい場所はありますか?」
「え~っと」
こちらを伺いながら口をもごもごさせている。
いやいや、俺が行きたい場所とか考えないでいいから。
相手の考えから行動内容を決める癖は確実についてしまってるようだ。
「私めは姫君を守るのが役目、どうぞ御自分の行きたい場所をなんなりと」
役作りとはいえ臭い、臭すぎる。
絶対後で思い出してもだえ苦しみそうだ。
だが、自分で考えて自分の意志で行動してほしい。そんな彼女になれる助けになれるならいくらでも我慢できる。
熊の格好で出会った時のように片膝をつき頭を下げる。
「く、熊さん!?あ、あのっえっとっ」
オロオロし始めた白河に苦笑する。かなりのレアショットなのだろうが彼女を休ませるために連れ出したのだ。これで疲れさせたら本末転倒もいいところ。
「姫君、あなたはお姫様なのですから「熊よ、わらわは庶民の食べ物が食べたいぞよ」とでも言っていただければいいのですよ」
言われた白河は初めキョトンとした表情を浮かべていたが
「ふふふっ、何それ」
おかしぃと笑い始めてくれた。
よかった、少しでも方の力を抜いてくれれば幸いだ。
「では熊さん、私を連れて行って、あなたの行きたい場所へ」
あらら、まぁそんな簡単に根本が変わるわけないか。
「かしこまりました、しかし私が行きたい場所は姫君が喜んでくれる場所、なので道中興味があるものがあれば勇気を出して呼び止めてくださいませ」
勇気を出してなんて思わせぶりな言い方をしたが本心でもある。本人にこの気持ちが伝わればいいのだが
でも実際は押さえ込んでしまうだろうなぁ。
「ありがとう熊さん」
その言葉に希望を抱きつつ
「私の事はどうぞ、ドナテルロと」
熊の名前を伝えた。
まずは焼きそば屋にでも行くかな。
手を引くことはないが白河を背中に隠し、まるでナイトのように歩くのだった。
熊だけど。
色々な出し物で賑わう道を進む中
「ねぇ、ドナテルロはどんな所に住んでいるの?」
「私はとある山の中にあるお城で従者として暮らしています」
「ドナテルロは普段どんな事をしているの?」
「毛皮の手入れでございます」
「ドナテルロって男の子だよね?」
「はい、立派な雄でございます」
「兄弟は?」
「妹が一人おります」
「好きなタイプは?」
「毛並みのよいメス熊など魅力的ですね」
等々云々の質問攻めにあっていた。
不真面目な答えばかりだったが白河は楽しそうに笑ってくれている。間間にこちらの素性を確かめる質問もあったがのらりくらり
勿論ボロを見せるヘマはしない。
おっと、気づけば目的地に着いていたようだ。
「こちらにありますのが焼きそば屋でございます。庶民の食事なので姫君のお口に合うかわかりませぬが」
「あはは、すっごくおいしそうだよ~」
ここまでの会話で緊張が解れたのか、ただ目の前の焼きそばの匂いにつられたのか少しだけいつもの笑顔を浮かべた白河を見て、やっと俺はホッとする気持ちになれた。
ちょっとした変化だがそれが今後彼女の助けになればと思う。
「亭主、こちらの姫君に最高の一品を」
だからちょっと調子に乗った俺は熊の格好と忘れてこんな事を言ってしまっていた。
幸いなことに
「へい、かしこまりました!」
と雰囲気を出した言い方をしてくれたので助かった。
お祭りだからだろうか、なかなかいい仕事するじゃないか。
学園のアイドルは伊達じゃないって理由を後で気づいた俺は阿呆そのままだったと思う。
白河に見えないようにポケット(自作)からお金を出し焼きそばを受け取る(と言ってもお財布を器用に熊ハンドではさむ様に持ち、中身を店員に出してもらう形だが)そのまま焼きそばも熊ハンドに乗せてもらい白河に渡そうとしたのだが
「あの、ドナテルロ、私教室にお財布置いてきちゃってて」
抜け出すように出てきたので当然だ。だから俺が払ったんだけど。
「姫君、ここはこの熊めにお任せを」
どんなにかっこよく言おうがたかが150円、しかも熊
俺は熊さんより猫さんがよかったんだ、ちくしょー。
その言葉と共に焼きそばを渡すと控えめに受け取ってくれた。
熊ハンドの上が危なっかしすぎたから仕方なく受け取ったのだとは思いたくないが。
まぁ貰ってくれたなら何でもいっか。
とも思う。
白河があとで払うからと言ってきたが、俺はいえいえと断り続けた、正体ばれたくないし、もうこの着ぐるみを着たくないのが本音なのだが
「このドナテルロ、熊畜生な為人間様のお金を持っていても使い道がないのでございます」
「えー」
そんな言い合いでも笑いが生まれるから不思議だ。熊の力恐るべし。
てか意外と頑固なんだねこの子。結局言い負かされて卒パが終わったら取りに来てってさ。
勿論行かないけど。
だが今の会話で大分雰囲気に慣れてくれたらしい。白河の口調は明るく足取りも軽い。本来彼女が持っているくるくると可愛らしい笑い方で行きたい場所を素直に教えてくれた。
熊ハンドを引っ張りながらあちこちへ興味を示す。これが本来の彼女なのか違うのか
「あ、ご、ごめんね私ばっかり……」
息の上がり始めた俺に気づき、後悔か心配か分からないが俯いてしまった白河。
ったく、この子はまた。
「相手のことを考えるのもいいが、自分も大事にしろよ」
またやっちまった。声色は変えていたが口調を間違えた。
慣れんことはするもんじゃないな、妙に偉そうな事を言ってしまった。
「ドナテルロって人の考えがわかるの?」
うん、やっぱりこんな役もうやらん、そのうち大ポカしそうだ。
軽く考えてる俺の心とは別に冷たい汗が背中を伝う。
ホント、この子にはたまにドキっとさせられる。
此方が読み取られていると勘繰ってしまうほどに。
「いえ、主人の事を常に考えるのが執事の務めで……」
搾り出した言葉がそのままの意味で問題なく伝わったと信じたい。今後の生活のためにも。
「あははは、今度のドナテルロは執事さんなんだね」
どうやら俺の答えで満足してくれたみたいだ。
しかし、こう二人で長々ふらついているが見つからないもんだな。渉を警戒し続けてはいるが一向に現れる気配が
「白河のやつどこにいっちまったんだよぉ~」
考えてるそばからこれだよ。渉のやつ最近存在感薄いんじゃないのか。
面倒だが話しに行くか。本編のように着ぐるみの中に入れる訳にもいかんし。
「ど、ドナテルロ!チャックがないよ!?」
勿論対策済み。チャックの位置を横にずらし、毛で隠すこだわり様。
「とりあえずそこの木の後ろにでも隠れててくれ」
言葉遣い?そんなのは後だ。
白河が潜む辺りに視線が向く前に渉に近づく。
「どうしたんだ渉」
今来た風を装って目の前に立ちふさがる。勝利条件は白河がばれないこと。
渉相手だったら余裕だな。
「どうって、大変なんだよ!白河はいなくなる、杉並も問題起こす、列はなくならないしで」
色々ありすぎだろ。そのおかげで白河を探す人数が割けなかったのだろうが
「義春、お前もこんな所で遊んでないで手伝えよ」
声色変えてなかったからな、バレて当然。
「俺だって今忙しいんだよ、なんでこんな格好してると思う」
「え?趣味じゃべハッ」
熊ハンドを一閃。
「んな訳ないだろうが、杉並って言えばわかるだろ?」
「あぁ、お前も大変だったんだな」
労わるように肩を叩く。
余計なお世話だ。
「そういえばさっき焼却炉あたりで騒いでたけど、それじゃないか?」
嘘は言ってない。ちゃんとまゆき先輩が「杉並~~~」って叫んでたし。まぁ本人はもういないと思うが
「そっか、サンキューな」
走り去る渉の後ろ姿はまさに負け組み。
「姫ご安心を、悪は滅びました」
その言葉に顔を出す白河。
「ドキドキしたね~」
その顔は笑顔でいっぱいだ。
「ドナテルロ、今日はありがとうね、とっても楽しかった」
熊ハンドをぶんぶん振って
「皆に迷惑かけちゃったし、私もう戻るね」
「はい、楽しんでいただきこの熊めも嬉しゅうございました、この後のステージも頑張ってください」
どうせだから最後まで、へんてこキャラでここまで来てしまったが、ドナテルロを演じることは二度とないだろうしやりきりますかな。
腕を曲げ奇麗にお辞儀した。
だが白河がいなくなる気配がなく俺も顔をあげられない。
えっと?俺にどうしろと?
もうお役御免とばかり思っていたが白河は違ったらしい。
「最後に、最後にお願いがあるんだけどいい?」
そんなことか、ちょっと焦った。
白河がお願いするなんて滅多にないからな、出来るなら叶えてあげたい。
「私で叶えられる事ならばなんなりと」
俺は頭を低くしたまま。
沈黙が続き、何かあったのかと顔を上げたところで
「その、その着ぐるみを脱いでくれませんか?」
真剣な眼差しを向けられる。
あぁ困った。折角の願いなので叶えてあげたいがそれは無理だ。こんな事で感謝されるつもりがない、という理由もあるが、今までの関係が崩れるのが一番怖い。
クラスで俺は白河を避けている。同じクラスになったばかりの頃に比べれば、普通に話す間柄になってしまったが、これ以上近づくきっかけは少ないに越したことはない。俺との距離が近すぎてはいけないのだ。
だから白河にはこう思っててくれなければいけない「雪村義春は白河ななかを避けており嫌っている」と。
白河の幸せを願い手伝いたい俺が、一番近づけず悲しませている可能性がある矛盾。
本当にままならない。
ここで俺はこう言うしかない。
「これは皮膚でございます。残念ながら脱ぐことはできません……ですが、またいずれ会えるでしょう。
困ったことや、願いがあれば私はあなたの助けになりましょう」
熊の着ぐるみで見えないだろうがニッコリと微笑む。今後も彼女の助けになれればと。
「そっか、残念」
と落ち込む彼女だが
「あ、でも帰りにはお金受け取りに来てくれるんだよね?」
忘れてなかったか。
「えぇ、必ず」
また嘘をつく。今までも、多分これからも嘘を重ねる俺は歪んでいって、最後にそんな自分に嫌気がさす日がくるかもしれない。だからその前に――――
人を疑うのを知らない少女のような、満開に咲く桜のように笑った彼女に
「えぇ、またいつかきっと……」
俺は言葉をそっと返した。