「…もう少し冷やした方が良いかな」
取り出したトレイを冷蔵庫に戻して玄関に向かう。
耕介が玄関の掃き掃除をしていると、通りから元気良く声をかけられた。
「お兄ちゃん、おはよう!」
「おはようございます。店長」
「おはよう。ナタリーちゃん、ノエル」
ノエルとナタリーが仲睦まじく手を繋いで歩いてくる様子を見て、優しく微笑み話しかける。
「今日と明日は休みだと伝えていたと思うけど、どうしたの?」
「料理を教えて頂きたいのですが、お忙しいですか?」
「料理を?」
「はい。昨日のソースもそうですが、色々な料理を覚えたいんです。教えてくれませんか?」
「あたしは面白そうだったから。えへへ」
「ソースって…、あぁ、マヨネーズの事か。教えてもいいけど、条件が二つ」
耕介の言葉にノエルの体がこわばる。
「なんでしょう?」
耕介はノエルの態度に内心首をかしげながら続ける。
「一つはノエルの料理の腕を見たいから、朝食を作って欲しい。二つ目は試作品を作ったから試食して感想を聞かせて欲しいんだ」
「わかりました」
「あたしもやるー!」
「ありがとう、二人とも。それじゃキッチンに行こうか?」
「わーい! ご飯ー!」
「さっき食べたでしょう?」
「えー? あれだけじゃ、足りないよー」
「俺は構わないよ。どうせなら三人分作ってみてくれないか?試食もあるから軽目でね」
ナタリーは渋るノエルを置いて、耕介と一緒にキッチンに歩いていく。
そんなナタリーを見ながら、ノエルは軽くため息をつき歩き始める。
ノエルが作成した料理はパン、ハンバーグ、卵焼き、スープ、サラダ。
どれも一品辺りの量は抑えられている。
「いただきます」
「「いただきます」」
耕介と一緒に二人は昨日覚えたばかりの挨拶を食材への感謝の気持ちを込めて言う。
食事を摂らなければ人間は生きてはいけないが、食事が摂れることを当たり前だと感じてはいけない。
食べられずに死ぬ人間は多数いるのだから。
奇しくもここにいる全員が、昔、食事で苦しい思いをしていた。
だからこそ「いただきます」という言葉を気に入ったのだろう。
食事を開始すると、やはりナタリーが一番美味しそうに、それでいて一番楽しそうに食べ始める。
耕介はハンバーグに使用した肉を思い出しながら味わう。
今回作ったハンバーグはコンドルとデザートウルフの肉が使われていた。
二つは絶妙なバランスで配合され、耕介が今まで食べていた牛と豚の合いびき肉では出せない味が表現されていた。
耕介はノエルの料理手順を思い出し、味を確かめるように一口ずつ丁寧に噛み砕き飲み込んでいく。
思い出せない点や分からない部分はその都度ノエルに確認する。
地球では絶対に味わえない未知の味との出会いに喜びを感じ、耕介はこちらの世界に迷い込んだ事へ感謝をする。
そんな耕介の様子を、内心不安を抱えながらノエルは見つめていた。
「凄く美味しいよ、ノエル!」
「あ…、はい、ありがとうございます」
耕介の飾り気の無いその言葉にノエルの不安は消えていく。
食事が終わり、耕介はキッチンから試作品を持ってくる。
テーブルの上に細かく砕かれた氷が入った器とスプーン、その隣にシロップが入った瓶が置かれる。
「この料理は砕いた氷にシロップをかけて食べるんだ。好きな味をかけて食べてみてくれ」
耕介が促すと、ノエルはレモン味、ナタリーは桃味のシロップをかけて食べ始める。
アイスキャンデーとはまた違った味わいに二人は驚く。
「アイスキャンデーよりも冷たく感じて食べやすいですね」
「冷たくて美味しいー」
「あんまり急いで食べると頭が痛くなる…、って遅かったか」
耕介のその声はナタリーには遅かったようで、すでに左手で頭を押さえていた。
耕介は苦笑しながら、すぐ治まるからと説明する。
「どうだい?ノエル」
「…はい。美味しいですが、アイスキャンデー以上の驚きでは無いです」
「まぁ、そうだろうね」
そう言いキッチンに向った耕介はカップを三つ持ってきてノエル達の前に置いた。
お菓子には調理器具がなければ作れないモノ、作れないという事は無いが手間がかかり味もばらつきが出てしまうモノ、調理器具が必要でないモノがある。
今回、耕介が作った物は作れないという事は無いが手間がかかるモノである。
カップの真ん中には薄切り苺が三枚のっており、表面は綺麗な薄紅色をしている。
そこから立ち上る芳醇な苺の香りが食欲をそそる。
「美味しそう! これ食べていいの!?」
「もちろん。感想聞かせてね」
「はーい! いただきまーす!」
「…いただきます」
既に苺の香りに我慢が出来ないようで、ナタリーは急いで食べ始める。
ノエルはスプーンで軽くすくい、香りを嗅ぎ、色を確認してから口に運ぶ。
と、口の中に濃厚な苺の風味、次いで甘味と適度な酸味が舌の上で踊るように溶けていく。
初めての食感に二人はあっという間に食べ終えてしまう。
「店長! これは何という料理なんですか!?」
「それは『苺のムース』って名前のお菓子。どう? 美味しかった?」
「甘くてふわっととろけるように消えていく…。こんなの今まで食べた事ありません! …凄い」
普段表情を出さないノエルをしても、その目には明らかに驚愕が浮かんでいる。
ふと、耕介がナタリーを見ると、ナタリーは空になったカップの底を恨めしげに見つめていた。
…少し涙目になっているようだが、耕介は無言の賛辞として受け取った。
ナタリーの傍により頭を撫でながら耕介は続ける。
「試食はまだあるんだけど、次も食べてくれるかな?」
ナタリーはその言葉に弾かれる様に耕介を見上げ、満面の笑みで大きく頷く。
ノエルとナタリーの反応に手ごたえを感じた耕介は次の試作品を取り出す為に冷蔵庫に向かう。
****
ちょうど耕介とノエル達が朝の挨拶をしている頃、耕介が始めて露店を出した噴水広場で一人の女性が佇んでいた。
十代後半のようにも二十代半ばのようにも見えるその女性は金色の髪を長く伸ばし、半袖の上着とスカートからのぞく手足は健康そのもので涼しげである。
特徴的な耳と豊かな胸を見れば、彼女が純粋なエルフではなくハーフエルフであるのだと推測できる。
人目を引く事に慣れた様子で金髪の女性─リスティ・コーネリア─は辺りを見渡し、お目当ての二人を見つけ微笑む。
「ほら! カイト! 先輩を待たせてるんだから、急ぎなさいよ!」
「分かってるよ! あ、先輩!」
カイトと呼ばれた金髪の青年もリスティを見つけ手を振りながら駆け寄ってくる。
「え? あ、先輩!」
少し遅れて気付いたのは青年の隣に居た銀髪の女性。カイトより顔一つ分ほど背が小さいが内に秘めるエネルギーを隠そうともせず元気一杯にリスティに近づく。
「遅れてすいません、先輩!」
「すいません! マリノが来るのが遅くって…」
「あー! 私がカイトの家に行った時にまだ寝てたくせに!」
「いいのよ。私も今来たばかりだから。それより、早く行きましょう? 結構暑くなってきたし、アイスキャンデーを食べるには良い時間じゃないかしら」
リスティは二人のいつものやり取りに暑さを忘れてしまう。
三人は連れ立って噴水広場から歩き始める。
マリノはリスティにお店までの道程を確認する。
三人の中でお店に行ったことがあるのはリスティだけなので、自然と案内役はリスティになる。
「お店はこっちでいいんですか? 先輩」
「えぇ、昨日確認したから間違いないわ。店の名前はモントズィヘルよ。 …おかしいわね?」
「どうかしたんですか?」
「昨日はお店の前に台が設置されていて、そこでアイスキャンデーを売っていたんだけど、今日は何も無いのよ。人も並んでいないし…」
リスティは昨日の人の列を思い出しながらマリノとカイトに説明する。
店の場所は特定できなかったが、見通しの良い通りだけに『台』の有無程度はすぐに確認できる。
「台、無いですね」
「ねえな」
「…今日はお休みなのかしら?」
リスティが店の看板に書かれた店名≪モントズィヘル≫を確認する。
「場所は合っているのだけれど…」
「直接聞いてみようぜ」
お店を不安げに眺めている二人の様子を気にせず、カイトはモントズィヘルの扉に手をかける。
「こんにちは~!」
「あ、ちょっと!」
マリノが止める間もなくカイトは扉を開けて中に入る。
店は数十年前の作りをしているが、綺麗に掃除されており清潔感が漂っていた。
奥のテーブルには黒髪の女性と女の子の二人が座って談笑している。
カイトはその二人に見覚えがあったが、すぐには名前が出てこず言葉に詰まる。
「ノエル!? なんでここにいるの!? あんたもアイスキャンデーを食べに来たの?」
驚きの声を発したのはマリノである。
街で噂の新商品を食べに来て見れば行列は無く、扉を開けてみれば親友が居たのだから驚くなと言うほうが無理だろう。
「マリノ? 今日はお店休みだよ? 札下がって…」
言いかけて、扉の内側に下がっている札を見つけて、席を立つ。
通常、店が休みの時は『本日休業』の札を下げておくのがルールである。
ノエルは三人の脇をすり抜け、札を扉の外側に掛けて戻ってくる。
「お店はお休みです」
ノエルは何事も無かったように続ける。
「見てたわよ! 言わなくても分かるわよ! …はぁ、それより、あんた居酒屋で働いていたんじゃなかったっけ?」
「居酒屋はクビになった。今はここで働いている」
「あぁ、そう」
マリノが頭を押さえて肩を落とす。
ノエルのマイペースは今に始まった事じゃない。気にしたら負け、とマリノは自分に言い聞かせる。
「お久しぶり、ノエルちゃん」
「久しぶりだな」
「お久しぶりです。リスティ先輩。カイトも久しぶり」
「おう」
四人が久々の再会を楽しんでいると、調理場から耕介が戻ってくる。
「ん? お客様かい?」
「店長」
アイスキャンデーを食べに来たという意味ではお客様だが、ノエルの友達でもある。ノエルはどう説明してよいか返答に窮してしまう。
「初めまして、リスティ・コーネリアと申します」
「マリノ・キーロエアです」
「カイト・シーサイドです」
「初めまして、コウスケ・タカハシです」
「ノエルちゃんとは料理学校で一緒だったんです。今日はアイスキャンデーを食べに来たんですけど…、お店が休みだと知らなくて。押しかけてしまってすみませんでした。」
リスティがそう言うと、マリノはカイトの腕を軽く叩き肩をすくめる。
耕介は冷蔵庫の試作品の残りを思い出して一つの提案をする。
「ちょうど今、試作品の試食会をしていたんです。良かったら食べていきませんか?」
「良いんですか?」
「えぇ、ノエルの友達に何もしない訳にいきませんし、ナタリーも待ちきれないようですから、ね?」
「えへへ」
耕介が後ろを振り返ると、耕介の持ってきた試作品を興味深げに観ていたナタリーが恥かしそうに頭をかいていた。
「それじゃ、試作品を運ぶからノエル手伝ってくれ。皆さんは適当に座っていて下さい」
そう言うと耕介とノエルは調理場へ消えていく。
程なくして、耕介とノエルが戻ってくる。
テーブルの上に置かれたソレは透明なカップに入っていた。
上面1~2mm程は茶褐色をしており、周りは綺麗な黄色をしてぷるぷる揺れている。
「さ、どうぞ。食べてみてください」
五人は促されるままに食べ始める。
「美味しい~」
「旨い!」
「この茶色のとこと黄色のとこは味が違うんですね」
「甘くてぷるぷるで…」
「…」
みんなの反応から成功した事を悟り、耕介はほっと胸をなでおろす。
「それは『プリン』というんだ。本当は専用の調理器具があればもっと楽にもっと美味しく作れるんだけど、喜んで貰えて良かったよ」
耕介の言葉に五人は呆気にとられる。
これ以上の味があると言われても、今食べている味でさえ未知のモノと感じている五人には想像もつかない。
だが五人はそれぞれの感覚で理解する。
耕介が『嘘をついていない』ことを。
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コウスケの所持金
【収入】
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【支出】
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