チキナロからの報告書は、いつも通り充実したものだった。
叛乱勢力の兵力や訓練度合い、物資の備蓄まで、概数ではあるが信頼できる数字が示されている。
また首脳部の構成や名前を知れたのも大きい。ハクオロ、オボロ、テオロ――あたりはすでに知れていたが、ヤムド、イコロハシヌ、ヒバラウンケなど東部北部の豪族の長の名までもが含まれているのは新しい情報だった。
これからすると、叛乱勢力はすでに國の北東四分の一以上を実効勢力下に置いていると考えて良いだろう。
単なる辺境の叛乱、という規模をすでに越えている。
乱の発生からおよそ一月。人・物・金・領土――勢力は急激な成長を遂げている。
しかし、ただそれだけでベナウィは乱を恐れはしない。急激に膨張した勢力は組織構築が追いつかず烏合の衆と化し、整然とした正規軍の制圧に耐えきれずやがて自滅するのが常だからだ。
しかしあの男――ハクオロと名乗ったあの仮面の男の率いる此度の叛乱は、違う。
急激な勢力の膨張を巧みに制御し、癖の強い豪族達をよく従え、兵を鍛え民を養っている。
関の自室で、質の悪い光石のもたらす薄暗い灯明を頼りに報告書に目を通すベナウィは、ただ一度相見え言葉を交わした男の瞳を思い出す。
強い意志と、深い知恵、そして人を惹きつける穏やかさと聡明さ。そして奥に秘められた――激しさ。
それは悟りを開いた高僧のようでもあり、同時に、己の罪と世界の謎に悩める行者のようでもあった。
――ハクオロ、貴方は何者なのですか。
ヤマユラが叛乱を起こしササンテの屋敷に攻め寄った時、ベナウィはそこにいた。
捕らえられていたオボロの鎖を切ったあの時はハクオロの存在など知らず、攻めてきたのはオボロを族長とするあの一族のものたちが中心だと思っていた。そして、血筋は良いが怒りにまかせ力を振るうしか知らぬあの若者が
起こす叛乱ならば、自分が出向かずともすぐに収まると考えていた。
ヤマユラに、あんな男はいなかったはずである。そして、ヤマユラなどにいるはずもない才能である。
否、この國のどこにも――あのような男がいれば、とっくの昔に噂なりと耳に入っていたはずであるのに。
――重傷にて記憶を失い、トゥスクルに助けられヤマユラに居着く。
報告書にはそう記されている。
――ヤマユラの民のみならず、麾下の部族からの信望極めて厚し。
とりわけオボロは「兄者」と呼ぶなど心酔している様子……
トゥスクルから跡を託され、あのプライドの高いオボロに忠誠を誓わせる。
これは偶然なのだろうかとベナウィは思わずにいられなかった。これは誰かがハクオロを歴史に押し出すために描いた筋書きに沿った出来事なのではないだろうか。
理性は否という。そのような謀事が人の身で成し遂げられるとは考えられぬ。しかし……
そこで、ベナウィは報告書の終わり近くに記された記述に目を止めた。
――チャヌマウに生存者あり。元服前の少年ただ一人のみとの旨。
(まさか――)
この生き残りという少年が”彼”であるとは限らない。
しかし、もしそうであるとしたら。
(――偶然であると、私は本当に信じられるでしょうか)
読み終えた巻簡を火にくべて灰になるのを見守りながら、ベナウィはいつまでももの思いにふけっていた。
※ ※ ※
エルルゥの許可がついに降り、明日からテオロさんたちの部屋へ移ることが決まったその夜。
食事をする俺のそばで、厨仕事を終えてやって来た母さんと俺の食事を運んできてくれたノノイがしゃべっているところに、テオロさんがやってきた。
「お、飯か。美味いかァ?」
「父さん」
「お疲れ様です、テオロさん」
俺とノノイが挨拶するのを鷹揚に受けて、父さんは俺の傍ら、母さんの隣にどっかと腰を下ろした。
「なんだい、今夜の話し合いはずいぶん早く終わったもんだね。茶でも飲むかい?」
勢力の主立ったものたちを集めての話し合いは割と頻繁に行われているが、それでも毎度夜が更けるまで続くのでこんな月も昇りきらない時間に父さんが戻ってくるというのは珍しいことだった。
そして、いつにない出来事が起きたということは――
「いや、茶はいらねえ。弁当を頼むぜ、カアちゃん」
「――出るのかい」
表情を引き締めた母さんの言葉に、父さんは黙って頷いた。
戦、ということだ。……順番的に、タトコリ攻めか。
原作の展開を思い出しながら俺が二人のやりとりを見ていると、隣にいたノノイが急に立ち上がった。
「どうしたの?」
「兄さんのとこ、行ってやらなきゃ」
「――そうだね。ターの奴も今頃準備始めてるだろうから、行っておやり」
ノノイの話に時折出てきた「兄さん」というのが、あのウー、ヤー、ターの三人組の一人、タァナクンであると知ったのは最近の事だ。
原作ではちょっと気弱そうで、優しい顔立ちのキャラだったけれど、実物は――めっちゃいい人だった。
ウーさんやヤー爺さんと一緒にこの部屋に会いに来てくれたときも、なんかほわわんとした空気を醸し出していて、大いに俺を和ませてくれた。そんな兄のことがノノイは心配で「頼りにならない」とか「笑ってないでたまには怒りな」なんてうるさいことを言ってしまうようだけど、実際のところ非常に仲の良い兄妹だと思う。
――そうか。みんなも、出るんだったな。
「出発はいつなんで――いつなの? 父さん」
他人行儀な敬語禁止を言いつけられていたことを思い出して途中で言葉遣いを改めながら問うと、父さんは俺と、そして立ち止まったノノイを見やって口を開いた。
「準備ができ次第、すぐだ。――オボロんとこの若衆はもう何人か先に行っちまった」
「もう?! ――すいませんソポクさん、あたし行きますっ」
「そうしな。足りないモンあったら言うんだよ!」
「はあい!」
だだだっという勢いの良い足音と共にノノイが走り去っていく。そこで初めて気が付いたけれど、城内の雰囲気が急に慌ただしくなっている。
これが、戦。
俺がこの世界に来て初めて――いや、生まれて初めて感じる、本物の、戦争の空気。
「……アオロ?」
腹の底から、一瞬震えが来た。
戦争映画やスプラッタなアニメなんかはよく見てたから耐性あるかと思っていたけど、実際は全然違った。
動物番組で蛇を見るのと、この部屋のどこかに蛇がいると教えられるのの違い、みたいなもんだ。
大丈夫、父さんはこの戦いで死んだりしない、ちょっと怪我はするけど……そう分かってはいるけど、恐ろしかった。
震えた体を母さんに見られてしまったけれど、俺はこほんこほんと咳をしてごまかした。
慣れなければいけない。
いや、慣れるだけじゃダメだ。それじゃ足りない。遅い。間に合わない。
俺は密かに腹の底に気合を入れて、原作に干渉を開始する。
「そういや父さん、随分と急な出陣だけど、なんか理由があったの?」
「そうだよ。それもこんな暗くなってさ。どうしたんだい?」
俺の食器を片づけながら母さんがそう言ってくれた。助かる。
父さんは腕組みをして、それに答えてくれた。
「それがよ、俺らとアンちゃんで話し合ってたら、関の向こうから来たってェ傷だらけの若衆がやってきてよ」
「関の向こうから?」
「おお、これまでタトコリの向こうがどうなってるのかがサッパリ分からなかったけどよ、どうやら向こうもこっちと同じか、それ以上にひでェ有様らしいぜ。そんでアンちゃんが今から出るって決めたってワケよ」
父さんの説明はかなり順序が吹っ飛んでるけれど、重要なポイントは押さえている。
アニメの順序通りに物事が動いていると考えて良いだろう。
ならばこそ――介入できる。
「そうなんだ……その人もよく、タトコリを越えて来れたね」
「ああ、なんでも峠の麓にあるチクパカって村の奴らしくてよ。そんなら森の道なんて詳しいのも当然だわな」
「ふうん……それ、ちょっと気になるなぁ……」
俺はなるべく自然な疑問に聞こえるように言った。
緊張と興奮で心臓が高鳴るのを自覚するけど、もう止められない。
すべては俺と、この子と、みんなの未来のためだ!
「気になるって、何がよ」
「うーん、どうでもいいことかも知れないんだけどさ。――父さんはヤマユラの森で育ったんだよね?」
「おう、生まれも育ちもヤマユラよ。あの森のことなら何でも知ってるぜ」
自慢げに言う父さんが可愛い。
この人はごついオッサンなのになぜだか可愛いのだ。
「そうなんだ。俺もいつか行きたいなぁ……じゃなくて。そのチクカパ村の人にとってはタトコリ峠の森は、父さんにとってのヤマユラの森みたいなものなんだよね?」
「そうなるわな」
「父さんは、満月で明るい夜にヤマユラの森を走って――傷だらけになる?」
「馬鹿言うんじゃねェ。オレなら目ぇつぶっても……!」
父さんの顔が急に怖い表情になる。
その表情のまま俺をこっちを見るからビビったけど、俺も負けてられない。
「アオ坊……何が言いたいんでェ」
「気になるだけさ。でもきっとその人は――大事なことを言い忘れている」
母さんまでもが真剣な表情で俺を見ている。
俺は父さんと睨み合ったまま、本題を切り出した。
「父さん母さん、お願いだけど……ハクオロさんと、その村の人に、会わせてもらえないかな。俺、どうしても気になるんだ」
※ ※ ※
「アンちゃん、ちっと邪魔するぜ」
不安そうな顔のエルルゥに手を借りながらハクオロが出陣の準備を進めていると、先ほど部屋を出て行ったはずのテオロが、彼の息子となったあの少年と一緒に部屋に入ってきた。
「テオロさん。アオロくん」
「……どうしたんです、親ッさん」
「いやそれがよ、うちの坊主がちっと気になること言うもんでよ。アンちゃんと、ついでにさっきのチクカパ村のなんとかって奴の話を聞かして貰いに来たってわけよ」
気になること……?
戦を目前に控えたこの時に、子供の言うことに耳を貸している時間は無い。
だが、テオロの表情が口調に釣り合わぬほど真剣なのと、テオロの腕に捕まって歩いてきたらしいアオロの目の光が気になって、ハクオロは話を聞くことにした。
隣室で休ませているチクカパ村の若者を、エルルゥに呼びにやらせる。
「――それで、話とはなんだい」
エルルゥが彼を連れて戻るまでの間に、話を聞いておこう。そしてもし、アオロがつまらぬことを言って邪魔をしているようなら、釘を刺しておくべきだろう。
ハクオロはそう思っていた。
「忙しい時に、準備を妨げて申し訳ありません、ハクオロさま」
「大事な用件なんだろう? 遠慮はいらない。なんでも話してくれ」
「わかりました。結論だけ言います――今回のタトコリ攻めは、おそらく罠です」