ケナシコウルペという國は、もともと二つの豪族が率いる地方勢力が合併して成立した國である。
現在の国土を斜めに斬るように走る、かのタトコリ峠を含む山脈を境に東側を治めていたのが「ウルブ」または「ウルップ」と名乗る一族で、西側を治
めていたのが「ケナシュク」または単に「ケナシ」と呼ばれていた一族であった。
東のウルップ族は森に住まい、武を尊ぶ剽悍にして俊敏な一族で、耳は立ち、尾は太くやや短い。
西のケナシ族は平野に住まい、農耕と通商を行う文化的な一族で、耳は垂れ、尾は短く先端が膨らんでいる。
この対照的な二つの部族は山を挟んでそれぞれ独自の成長を遂げ、時には交流し、時には争いも生じたが、基本的には好意的無関心とでも言うべき間柄
であった。当時はウルップもケナシも有力とはいえ一地方豪族にすぎず、そのうえ深刻な対立が生じるには国境線を成す山が大きすぎたのだろう。
状況が変化したのは今からおよそ120年ほど昔のことである。
ケナシ族の勢力範囲のさらに西方で生じた戦乱が飛び火し、豊かな平野とその産物を狙って逃亡兵や難民、盗賊たちが押し寄せるようになったのだ。
ケナシの族長アクタクは自ら兵を率いてこれに対処したが、荒事に馴染まぬ一族の気風のためか次々と防備を破られ、畑は荒らされ村は略奪にあった。
このケナシ族の窮状を救ったのが、ウルブ族の族長エガシである。
エガシは影が消えると言われるほど素早く強い戦士でありながら、ケナシから書や楽器を取り寄せ親しむようなウルブ人には珍しい風流人としても知ら
れており、同時に義憤に駆られると後先を考えずに行動するという実にウルブの男らしい豪快な人物でもあった。
山向こうのケナシ族の危難は、ウルブ族にとってはそれほど差し迫った危機ではなかった。可哀想にとは思うものの、この山を越えて来はすまい、
来たら返り討ちにしてやる、と思う程度であって、決して山を越えて助けに行こうとは民の多くは考えていなかった。
しかし、エガシは違った。
偵察に放った手下からの報告を聞くや刀を掴んで走り出し、怒りに叫びながら街を抜け、そのまま山へ向かってしまったのだ。
豪傑の元には豪傑が集うというが、当時のウルブ族はまさにそれで、義憤に燃えて走り出した族長を引き留める者はだれも居らず、逆に若い者は
その姿を見るや皆、弓や刀をひっ掴んでその後を追って走り出ていってしまったのである。
走り始めたときは族長一人だったのが、山の麓の泉で小休止したときにはその人数は百人を超えていたと伝えられている。
エガシ率いるウルブ族の一団は無類に強かった。
数で言えば数十倍もの賊の軍勢をあっという間に蹴散らし、砦に立てこもっていたアクタクらケナシ族を解放したのである。
敗戦が続き悲壮な覚悟を固めつつあったケナシの族長は、頼んでもいない援軍がやってきてあっさりと川の向こうまで敵を追い散らしてしまった事に
心底驚いた。そしてそのエガシらが、助けた礼も見返りも求めずにそのまま山の向こうへ去ろうとするのを見て、驚くを通り越して慌てふためいた。
族長アクタクはすがるようにしてそれを引き留め、大宴会を開いてもてなした。そこで西と東の族長は、性格的には全く正反対の人物ながら意気投合し
兄弟のような付き合いが始まったという。
こうして、ウルブ族とケナシ族の交流は始まった。
その後いくらかの時を経て、ケナシ側から申し出るようにして、ウルブ族と共に周辺國に対抗できるようきちんとした国家を作ろうということになる。
初代皇はエガシ、國名は双方の部族名をつなげ、ケナシコウルペ、とされた。
救済されたケナシ族の名が先に来ているのは、初代皇がウルブ族から出たため、そのバランスを取るためであったとされている。
その後、周辺少数部族や近隣の豪族を次第に支配下に治めるようになり、ケナシコウルペは単純な二部族国家ではなくなっていく。
しかし建国の経緯からケナシ族とウルブ族は現在に至るまでこの國において中心的な立場を占め続けており、皇位継承権を持つ一族、いわゆる皇族と
呼ばれるのはこの二部族を指すようになったのである。
このように極めて友好的な関係の元に始まったケナシコウルペという國であったが、その蜜月は長くは続かなかった。
居住域も文化も民の気風も、何もかも正反対に近い両部族である。
エガシとアクタクが存命中は目立った表面化はしなかったものの、発足当初から様々な軋轢は生じていた。
特にケナシ族の不満は代を重ねるほどに積み重なっていくばかりであった。なぜなら共に「皇族」とされながらも、ケナシ族から出た皇はただ一人、
エガシの死後老齢ながら二代目となったアクタクのみであったのだから。
しかもそのアクタクは遺言で三代皇に自らの子ではなくエガシの孫を指名して没したとされているが、その遺言を聞いたのがウルブ族に縁のある薬師
ただ一人であったことが、対立を根深いものにした。
かくしてそれ以降、四代続いてウルブ族がケナシコウルペの皇位に君臨し続ける。
武力を背景に皇位を堅持し続けるウルブ族と、それを妬み密かに奪還を願い続けるケナシ族。
その図式に変化をもたらしたのは、今からおよそ50年前の『大戦』であった――。
※ ※ ※
「今から50年程前に起きた、多くの国々を巻き込んで生じた『大戦』と呼ばれる戦乱のことはご存じでしょうか」
ベナウィはこの國の皇位に関わる驚くべき歴史を話してくれた。そのほとんど全てが初めて聞くことばかりだったが、ここにきてようやく聞き覚えの
ある言葉が出てきた。
『大戦』――若き日のトゥスクルも参加したという、前回のいわゆる『白い神と黒い神の戦い』。
この「白い神」というのはハクオロの事であり、黒い神は現在オンカミヤムカイの哲学士ディーの肉体を乗っ取っている存在のことだ。
その戦いは……そう、確かその時はハクオロ率いる「白い神」側が敗れハクオロは封印され、しかし勝者の「黒の神」もまた力尽き眠りについたとか。
しかし両者とも中途半端に力を残したまま眠りについたため、50年という短い時しか経ずに覚醒に至った――こういう設定だったはずだ。
無論、そんなことは言わない。記憶喪失の少年に過ぎない俺が知っているはずもない知識だし、それにいま俺の目の前にいるハクオロさんは、その時の
「白い神」と同じ人物とは言え前回の記憶は無いのだ。
余計なことを言ってハクオロさんが過去の記憶を取り戻したり、ディーが早めに登場したりしたらヤブヘビもいいところだ!
「詳しくは知らないが、以前にトゥスクルさんが少し話してくれた。世界を二つに分けた大きな戦いだったそうだな」
「はい。同時期に現れた二人の英傑の元に国々は集い、白の陣営と黒の陣営に世は分かれ互いに激しく戦いました。その大戦に、このケナシコウルペも
参戦したのです」
ハクオロさんの答えに肯いて、ベナウィが続ける。
「大戦は、黒の陣営の勝利に終わりました。白の皇は討ち取られ、その陣営についていた國々はその後衰退、または消滅しました。しかし黒の陣営側も
大きな痛手を負っており、また戦の直後に黒の皇が行方知れずとなったため、やはり多くの國が消えて行きました。――それは、このケナシコウルペも
例外ではありませんでした。時のケナシコウルペ皇ホムラ様は、白の陣営に参陣していたからです」
「ホムラ――それはさっきの話からすると、ウルブ族の皇ということになるのか」
「はい。ホムラ皇は國祖エガシ様の生まれ変わりと言われるほど勇猛で、気性激しく、義に篤い人柄であったと聞きます。しかしその一方、短気で思慮に
欠け、怒りをすぐに露わにするその苛烈な人柄ゆえに敵も多く、とりわけケナシ族の者達からは憎しみすら向けられていたようです」
「ふむ……気性が激しく、短気で、思慮に欠け……まるでオボロだな」
「ひどいですよハクオロ様」
あごの下に手を当てて真面目にそうつぶやいたハクオロさんに、思わず突っ込んでしまった。
勇猛とか義に篤い、とかの良いところでも思い出してあげようよ!
俺の出生の秘密が明らかになるシリアスな場のはずなのに、まだ自分の名前が出てきていないせいか冗談をいうくらいの余裕があった。
……いや、胸の奥の心臓は、さきほどから強く打ち続けている。冗談をいう余裕があるというよりも、今のはハクオロさんが張り詰めている俺のために
場を軽くほぐしてくれたと見るべきだろう。それが証拠に、ハクオロさんは俺の言葉に笑いながらも俺のことをじっと見ている。
ベナウィもまた、ほんの少しだけ笑って僕たちに告げた。
「似ていたとしても不思議ではありません。あの者は國祖エガシの血族に連なる者。ホムラ様の孫にして当代のウルブ族族長なのですから。そして先に
話しておくならば、当代のケナシ族族長がインカラです」
その言葉に、俺はああなるほど、と腑に落ちた。
それはハクオロさんも同じだったらしく再びふむ、と肯いた。
「なるほど。しかしオボロは以前、自分たちはシグリの民だと話していたが」
「シグリとは古い言葉で『忍ぶ、潜む』を意味します。彼らが何故誇りあるウルブの名を隠し、辺境の山奥に隠れ住まなくてはならなくなったのかは、
先ほどの話の続きになります」
「そうか。邪魔して済まない、続けてくれ」
「は――」
※ ※ ※
國を上げて大戦に参加した挙げ句、敗戦の憂き目を見たホムラを、ケナシ族は猛烈に糾弾した。
はじめはふくれあがった戦費や失われた働き手に対する責任を追及するなどの正攻法であったものが、やがて過去の失政まで引き合いに出して皇として
の能力について声高に疑問を差し挟むようになり、ついには朝議の招集にも応じず皇も無げな振る舞いをするようになっていった。
大戦前のホムラであったなら、臣下のそのような無礼な振る舞いを断じて許すことはなかっただろう。しかしホムラは大戦で負った戦傷が深く、傷が癒え
てからも度々熱を発して寝込むようになっており、ケナシ族の影響力増大を抑えることができなかったのである。
しかしホムラは生まれついての頑健さから、その後二十数年もの長きにわたって皇座を守った。皇位を狙うケナシ族も、戦の天才と謳われるホムラの
その将器と、生粋の戦闘部族であるウルブ族を掌握しつづけるカリスマを恐れ、明確な反皇行動を起こすことはなかった。
六十が近づき、孫、すなわちオボロが生まれたことを機に、ホムラは皇位を降りる決意を固める。
当然ケナシ族は皇位を望む――と誰もが思ったが、不気味なことにケナシ族は皇位を要求することなく、ホムラの子でありオボロの父であるマギリの
皇位襲名を容認した。その代わり、朝廷の主要なポストや主要な藩の藩主に一族のものを数多く就任させるなどの妥協を強いた。
しかしそれはケナシ族が皇座を諦めた証などではなく、より巧妙な政略に基づくものであった。ケナシ族のウルブ族へ向ける憎悪はもはや皇座を奪うだけ
にはとどまらず、何もかもを奪わずにはいられないというところにまで達していたのであった。
自分が死ねば、その後にきっと恐ろしいことが起きる――ホムラはそう予感し、生まれたばかりの孫であるオボロを抱いて涙に暮れたという。
その予感は正しかった。
マギリの即位から三年後、ホムラは皇城の一室で眠るように息を引き取った。
その直後、まだ喪も明けぬうちからケナシ族はマギリに降位を迫りはじめたのである。
マギリの皇位継承権に疑いありとし、ホムラ皇からマギリ皇への皇位継承は違法にして無効であるとケナシ族は訴えた。
論拠としては、若いころのマギリがホムラ皇の勘気に触れ、官職剥奪、蟄居閉門を命じられたことによる。その際ホムラは怒りのあまり、親子の縁を切る
とまでマギリに告げたという。その後ホムラの怒りが治まるにつれ自然とマギリも復帰したが、ケナシ族によればホムラ皇からの処罰発言は明確に取り下げ
られておらず、官職剥奪、蟄居閉門を命じた宣告は未だ有効であり、咎人を皇座につけてはならぬというウィツァルネミテアの教えに背くと指摘したのだ。
誰が聞いても、言いがかりとしか思えない内容である。ホムラ皇は烈火の気性にて、罪に怒り厳罰を命じたかと思えば、あっけないほどに人を許し罪を忘
れる人物であることは、國民の誰もが知ることであったのだから。
しかしホムラ亡き後の政変を狙い長年にわたって準備と根回しを続けていたケナシ族は、そこで終わりはしなかった。
ホムラ皇やマギリ皇の失政やその配下の腐敗、横暴の数々を次から次に暴き立て民を煽り、密かに手を結んでいた有力豪族らに同調させ騒ぎを拡大し、
あっという間にウルブ族包囲網を作り上げてしまった。主要な藩の藩主や、朝廷の主要な地位に手の者を多数送り込んでいたのは、この時のための布石で
あったのだった。
この事態に、マギリは上手く対処できなかった。
ホムラであれば、動揺する配下の手綱を引き締めて部族一丸となってこの難局に立ち向かい、力尽くででも火消しを成功させたであろう。
しかしマギリは父に似ず線が細く、詩文芸術を好む文化人として知られていた。風流人が悪いわけではない、ウルブの英雄エガシも風流人として名を残し
ているのだから。
しかしマギリには、エガシとホムラが持っていた戦士としての求心力が足りなかった。
それが、波乱の時代に皇となった彼の悲劇であった。
鉄の結束で結ばれていたはずのウルップの戦士達は次々と切り崩され、形勢が怪しくなったと見た少数部族たちは身を守るために寝返るか、または中立と
いう名の傍観に徹した。ウルブ族自慢の武力をわずかも活かすことが出来ずに、勝負は決したのである。
そしてある日突然、マギリは残った一族を率いて皇城を去った。この時オボロは4歳、ユズハはまだ生まれていない。
ケナシ族が放つ追っ手――ケナシコウルペの正規軍によって組織された『偽皇討伐軍』によって数を減らしながら彼らは森の奥へ奥へと隠れてゆき、そし
ていつしか歴史の表舞台からも消え去っていたのである。
さて、ウルブ族への積年の恨みに燃えてマギリを追い詰めついに悲願を成し遂げた、時のケナシ族族長の名をホヌマンと言った。
ケナシ族の復権に一生を捧げ、謀略の限りを尽くして来た彼はウルブ族が去った後に皇になるものと誰もが思っていたが、ホヌマンは年齢を理由に皇位
を望まず、一人娘であったアムルタクの夫であるナラガンをその座につけた。
ナラガンはケナシ族傍系の出身であったが、能力を見込まれホヌマンの婿養子になった人物であった。彼が即位したとき、アムルタクとの間にもうけた
二人の息子――インカラとササンテ――はすでに成人しており、インカラに至っては妾との間にカムチャタールという名の娘までもうけていたが、遊び人
として名を馳せていたインカラにさしもの祖父も不安を覚えたか、ナラガンを皇としたのである。ナラガンとホヌマンはインカラを皇として教育し、イン
カラがその責に堪える力量をつけたなら皇位を受け渡すこととされた。
しかし、ナラガン即位の半年後、ホヌマンは急死する。ケナシ族再興という大願を果たすために身命を使い果たしたのか、ある夜いつも通りに床につき、
そのまま起きることが無かった。
そしてその頃、ウルブ族排斥の熱狂に包まれていた世間は理性を取り戻し、いつの間にかケナシ族に逆らえるものがいない状態になっていた國の状況に
気がついた人々が騒ぎ始めたのである。
今やケナシ族こそが唯一正統なケナシコウルペの皇族である。そのケナシ族に反抗するなど許されぬ。弾圧し、鎮圧し、誰が支配者であるかを徹底的に
知らしめることこそが國のため民のためである――というケナシ族至上主義が、一族内で大まじめに語られるようになり、ナラガンは苦しい舵取りを迫ら
れるようになった。
元が傍流の出で、純粋なケナシ族とは違う背景で育ったナラガンは、そのような至上主義に共感できなかったのだ。
公正で公平な皇であろうとするナラガンは、民からはケナシ族の専横の責を問われ、同族からは弱腰と責められ、やがて孤立して行った。
そんな、民と一族の狭間で苦悩するナラガンを慰め支えたのが――その美貌と奏楽の天才を讃えられたチャヌマウ出身の宮廷楽士、ミライであった――