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No.16787の一覧
[0]  うたわれぬもの  【うたわれるものSS 憑依オリ主記憶喪失】[内海](2020/11/08 21:21)
[1] うたわれぬもの  建国編  1  少年[内海](2020/05/02 22:54)
[2] うたわれぬもの  建国編  2  覚醒[内海](2020/05/16 02:17)
[3] うたわれぬもの  建国編  3  商人[内海](2020/05/02 23:07)
[4] うたわれぬもの  建国編  4  告知[内海](2020/05/02 23:15)
[5] うたわれぬもの  建国編  5  傷跡[内海](2020/05/02 23:19)
[6] うたわれぬもの  建国編  6  授名[内海](2020/05/02 23:25)
[7] うたわれぬもの  建国編  7  武人[内海](2020/05/02 23:56)
[8] うたわれぬもの  建国編  8  出陣[内海](2020/05/16 02:26)
[9] うたわれぬもの  建国編  9  質疑[内海](2020/05/16 02:36)
[10] うたわれぬもの  建国編  10  青年[内海](2020/05/16 02:42)
[11] うたわれぬもの  建国編  11  献策[内海](2020/05/16 02:49)
[12] うたわれぬもの  建国編  12  推戴[内海](2020/05/16 02:59)
[13] うたわれぬもの  建国編  13  少女[内海](2020/05/16 03:12)
[14] うたわれぬもの  建国編  14  夜行[内海](2020/11/08 21:11)
[15] うたわれぬもの  建国編  15  戦鼓[内海](2020/11/08 21:13)
[16] うたわれぬもの  建国編  16  対峙[内海](2010/11/03 02:32)
[17] うたわれぬもの  建国編  17  覚悟[内海](2010/11/14 18:35)
[18] うたわれぬもの  建国編  18  決着[内海](2011/01/12 23:55)
[19] うたわれぬもの  建国編  19  凱旋[内海](2011/01/21 23:46)
[20] うたわれぬもの  建国編  20  夜曲[内海](2011/01/30 20:48)
[21] うたわれぬもの  建国編  21  宣旨[内海](2011/02/27 23:46)
[22] うたわれぬもの  建国編  22  運命[内海](2011/03/28 03:10)
[23] うたわれぬもの  建国編  23  歴史[内海](2011/05/12 01:51)
[24] うたわれぬもの  建国編  24  秘密[内海](2011/09/19 22:55)
[25] うたわれぬもの  建国編  25  真実[内海](2011/12/24 12:10)
[26] うたわれぬもの  建国編  26  悪夢[内海](2012/01/06 21:53)
[27] うたわれぬもの  建国編  27  決意[内海](2020/05/16 03:31)
[28] うたわれぬもの  建国編  28  由来[内海](2020/05/16 03:31)
[29] うたわれぬもの  建国編  29  密命[内海](2020/05/02 23:36)
[30] うたわれぬもの  建国編  30  元服[内海](2020/05/02 23:31)
[31] うたわれぬもの  建国編  31  思惑[内海](2020/05/16 03:25)
[32] 用語集  資料集[内海](2010/02/25 01:46)
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[16787] うたわれぬもの  建国編  20  夜曲
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/01/30 20:48


 父さん達がタトコリへ向けて出陣した夜。
 藩城は家族の無事を祈る粛然とした静けさに包まれた――



 というのは嘘で。

 初めて経験する、戦に行った家族の帰りを「待つ立場」は、想像以上に逞しく、騒々しかった。




「ちょっとラウネ、モロロ粥もうこれっぱかししか残ってないのかい?」
「干しモロロ、古くなったのが蔵にあったろ。アレも持ってきちまいなよ」
「何言ってんだい、そんなのもう無いよ! アルルゥの飼ってるあのでっかいのが全部食っちまったさ」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ! ほら、アルルゥも謝んなさい!」
「はぐはぐ……ん?」
「アハハ、いいんだよ! エルルゥもアルルゥも気にしなくて。あの後ハクオロがたーんと仕入れてくれたしさ!」
「チマク持ってきたよおばちゃん! ……って、あんた何ぼーっとしてんのさ」

 両手にチマク山盛りのザルを持って厨から戻ってきたノノイに声をかけられて、ようやく俺ははっとした。
 いや、実に賑やかだ。酒こそ無いが、みんな良く食べるし良くしゃべる。

 城門でみんなを見送ったあと、母さんからノノイの過去を聞かされて、きっと母さんとノノイと俺の三人で静かに過ごすことに
なるんだろうなとか思っていた時期が俺にもありました。
 それがどうして、いつの間に、こんな宴会もどきの賑やかな夕餉になっているのやら……


 そんな疑問が顔に出ていたのだろう。
 隣でおしゃべりをしたり料理をつぎ分けたりしていた母さんが、俺の前に煮た川魚を乗せた皿を置きながら、すこしだけ小さな
声で話しかけてきた。

「不思議かい? みんなが戦に行ってる時に、あたしらがこんな風に過ごしてるのがさ」
「……ちょっと、うん」

 正直に俺は頷いた。
 すると母さんは優しく笑って教えてくれた。

「これが、あたしら女の戦いなんだよ」
「……戦い?」
「そう、男達だって敵と戦うときは集まって戦うだろ。それと同じさ。あたしら女も、一人でいると負けちまうから集まるのさ」

 不安という敵に――母さんは最後までそう言葉にはしなかったけど、俺には分かった。
 戦場で刃を交える男だけが戦っているのではなく、後方で待つ女たちもまた戦っているのだと。
 だから、この賑やかさは武器。明るい笑い声やおしゃべりは鬨の声。冬の獣のように身を寄せ合って不安と戦い、夜を越すのだ。
 戻ってくる男たちを元気に、笑顔で迎えてあげられるように。

「だからほら、あんたもそんな顔してないでお食べ。贅沢はできないけど、量だけはたんとあるんだからさ」
「うん――いただきます」

 俺は母さんに頷き返して、椀を手に取った。
 そして少し酸い味付けの汁をすすりながら、場を見渡す。母さんの言葉を聞いた後の今だと、確かにいろいろと分かることがある。

 決してご馳走が並んでいるわけではない。モロロ餅にモロロ粥、チマクにユシリの根の煮物。動物性タンパク質は干し魚を煮て
戻したものが入っているこの汁物くらいのもので、むしろいつもより質素と言って良いくらいだ。
 たぶんこれらは、古くなった食材や余り物を集めて作った料理なのだろう。夜番の兵たちには肉の入った具を詰めたモロロ餅を夜食
として配っているはずなのだが、この席には肉どころか乳や蜜さえ無い。

 そして照明も控えめだ。厨近くの二間続きの大部屋で俺達は集まっているのだが、部屋の端に燭が二つだけ。あとは部屋の中央にある
囲炉裏にくべられた薪の燃える炎だ。
 料理と手元と、お互いの顔だけが明るく照らされていて、部屋の隅には闇が落ちている。

 これは戦いなのだ。
 贅沢をして楽しむのが目的なのではなく、大変なときこそ集まって支え合い励まし合う、辺境の女達の知恵なのだ。
 この部屋にはヤマユラから来た女達が主に集まっているが、きっと今夜はこの城のあちこちで同じような集まりがあっているのだろう。

「美味いだろ、アオロ」

 振り向いた母さんの顔は囲炉裏の炎に照らされて、不思議な陰影を映していた。
 優しさと強さが同居したその横顔に、俺は一瞬見とれた。
 変な意味じゃなく、本当に、純粋に綺麗だと思った。

「母さん――」

 記憶のない俺にとって、これまでその言葉はどことなくくすぐったい、ぎこちなさの残る言葉だった。
 でも、今。
 俺の口から出たその言葉は、なぜだかとても自然に出てきた。

「ん? なんだい」
「……なんでもない。おかわり」
「よしよし! たくさん食べな! ――エルルゥ、そこにあるユシリの根の煮たやつこっちに回しておくれ!」


 ――こうして、世にも質素で逞しい宴はますます賑やかに進んでいくのだった。





※ ※ ※





 
 エルルゥとアルルゥはやがて、例のお姫様――ユズハのところに行くために席を立った。
 藩城で暮らし始めて一月ほど経つけれど、俺はいまだユズハに会っていない。
 ユズハが没落したとはいえ旧皇族の姫君で、かつ盲目でとても病弱な少女であるという身分や健康の問題もあったが、対面を果たせない
最大の理由は、彼女を溺愛して止まない兄の存在だろう。
 普通は割と気さくでいい人なのに……ユズハのことが絡むと急に頭がおかしくなるのだ、あの人は。

「なんだいアオロ、エルルゥたちが出て行ったほうをぼーっと見つめたりして」
「いや、オボロさんの妹のユズハさんって、どんな人なのかなって……」

 つい正直に応えてしまったら、周囲のおばちゃん達が急にニヤニヤし始めた。

「おやおや、女の子が気になる年頃かい?」
「アタシぁ一度お目にかかったことがあるけどさ、綺麗な娘だったよ。肌なんて真っ白でさ。でもなんだか儚い感じの子だったねえ」
「あれアンタ儚いなんて言葉知ってたのかい」
「やめときなよアオロ。あのおっかない兄貴にぶっ殺されちまうよ」
「違いない、あっははは」

 母さんやノノイと同郷のこのおばちゃん達とは、もう馴染みの仲だ。
 親切で優しいんだけど、発言にデリカシーが時折欠けるのが玉に瑕。
 こういう時は下手に反論したり否定したりしないのがコツだとようやく学びました……。

「ああいうのが好みなのかい? あんた」

 母さん……だから蒸し返さないでってば!
 幼児を別にして唯一の男である俺はこうしてしばし、おばちゃんたちのオモチャにされたのだった。



 やがて皆腹がくちくなった頃、囲炉裏にかけられていた鍋がふたをして外され、代わりに茶を沸かす大きな鉄瓶が掛けられると、不意に
座に沈黙が降りてきた。
 鉄瓶がたき火の炎に熱されて立てるチン、チンという音が、薄暗い部屋に響く。城の別の部屋から聞こえる話し声が部屋に遠く届く。

「――今、どのへんかねぇ」

 囲炉裏の炎を見つめたまま、一人がつぶやいた。
 何の脈絡もなくつぶやかれたその一言は、しかし、何よりも雄弁にこの場に集う女性たちの本音を露わにしていた。

「月が明るいから、大丈夫だよ」

 応える言葉も、答えになってはいない。
 でも、皆、理解していた。俺でさえ、理解した。

 本当は皆、心配で心配でたまらないのだ。
 こうしている間にも愛する夫や息子は戦場へ進み、もしかすると帰ってこないかもしれないのだ。
 月が明るいから大丈夫――そんな、理由にもなっていない理由にすがってしまうほどに心配なのだ。

 いけない。
 母さんは、これは戦いだと言った。だとすれば、今、俺たちは負けつつある!
 でも、なんと言えば、何をすれば……!
 
 ぱん、ぱん、ぱん!

 力強い手拍子を打って場の雰囲気を打開したのは、やはり母さんだった。

「ほらほら、今はそういう話は無しだよ! それより誰か、歌でも歌っておくれよ」
「そうだね、それがいいさ! ほれヒオイ、あんたの得意のヒビウラ、ひさびさに聞きたいねえ」
「明るいのがいいね。ヒジャ・クタルムィとかさ!」
「歌ってもいいけど、誰かユナルを弾いておくれよ。歌いながら弾けるほどあたしゃ芸達者じゃないんだから」
「そんならカヌイの出番さ! カヌイ、頼むよ」

 ぽんぽんと進むやりとりに、俺はいきなり取り残された。
 ヒビウラ? ユナル? ヒジャ……なんだって??

 初めて聞く単語の数々に俺はぱちぱちと瞬きをした。
 ずいぶんと馴染みの深いものらしく誰も確かめたり聞き返したりしない。話の流れから、たぶんヒビウラってのは歌の種類で、ユナル
ってのは楽器なんだろう、ヒジャなんとかは……曲名だろうか。そのくらいは予想できたが、詳しいことはさっぱりわからない。

 記憶がないというのはこういう時に便利だ。
 ここはひとつ、素直に質問しよう。俺は隣の母さんの袖を引いて話しかけた。

「母さん、ヒビウラってどんな歌のこと? あと、ユナルって何?」

 俺の問いかけは、ずいぶんと母さんを驚かせたらしい。ついでに俺達の会話を聞いていたらしいノノイまでもが目をまん丸にしている。
 その反応に俺は焦った。もしかして俺とんでもない失敗をしてしまったのか!?
 しかし、母さんはすぐに驚きを消し、かわりに目を細めて俺の額のやけど痕をそっと撫でてくれた。

「あんた、そんなことも忘れちまったんだね……」

 なんか哀れまれてしまった。ノノイも目尻を下げて気まずそうにしている。
 ……便利だけど、もうこの手は使わないようにしたほうがいいのかな……。俺はすこし反省した。

「ヒビウラってのはね、昔話とか言い伝えを唄にしたものさ。子供はみんな親や村の年寄りからヒビウラをならって、そいつを歌い覚える
ことでこの國や村の歴史なんかを覚えるのさ。……あんただって、あんたの本当の親御さんから教わっていたはずなんだよ」

 その説明を聞いて、母さんたちの驚きの理由がよくわかった。
 つまりはヒビウラというのは、文字の読み書きが出来ない農民達による文化や歴史の保存・伝承であり、初等教育なのだ。
 明るいのがいい、というリクエストのあとに出てくるくらいだし、子供も口ずさむほどだから、内容はそれほど入り組んでいたり難解
だったりはせず、面白くて歌いやすいものなのだろう。民謡みたいなものだろうか。
 それを忘れたという俺は――本当は知らないだけなのだけど――例えるなら「ガッコウって何?」と質問したようなものなのかもしれない。

「そしてユナルってのは……実物見せた方がいいかね。カヌイ、その今持ってるユナルを、ちょっとうちの子に見せてやっとくれ」

 考え込む俺をよそに、母さんは囲炉裏の向かい側にいる中年のおばちゃんに声を掛けた。
 カヌイと呼ばれた太っ……ふくよかなそのおばちゃんは、あいよと気軽に座り掛けていた腰を再び上げて、ドスドスとこっちまで歩いて
来てくれた。
 その手にはなんだか三味線に似た楽器が持たれている。
 ただし、もう片方の手に持たれているのはバチではなく弓だ。
 俺がすこしノノイの方にずれて場所を作ると、カヌイさんは俺の隣にどっかと腰をおろした。

「アオロ、このカヌイはね、ヤマユラじゃあ一番の芸達者なのさ。ユナルもリギもなんでもこいの名人なんだよ」
「これでもうちょっと器量が良けりゃねえ、都の楽人様にでもなれたんだろうけどさ!」

 母さんの紹介を誰かが混ぜっ返して、笑いが起きた。
 俺は笑っていいのかどうか迷ったけど、母さんも言われた本人のカヌイさんも笑ってるから、いいのか。

「都暮らしなんてあたしゃゴメンだね。ヤマユラが一番だよ――ほぅらアオロ、これがユナルさ」

 おおらかに笑うおばちゃんは、そう言って俺の手に楽器を渡してくれた。
 礼を言って受け取り、俺は観察した。

「胴も竿も普通の木だし、弦だって安物だからね。あんまりいい音は出ないんだけどさ」

 言いながら、弓の毛を外して弦の下をくぐらせセッティングしてくれている。
 ああ、何かに似てると思ったら、あれだ。
 中国の二胡に似てるんだ、これ。
 弦は三本あるし、胴は丸いけど。
 
 弾いてみろ、と目で言ってくれるけど、どう構えたらよいかわからなくて俺があたふたしていると、おばちゃんは正面から手を伸ばし、
右手に弓を持たせ胴を左足の付け根に押し当てる姿勢を取らせてくれた。
 俺は弦を適当に押さえ、おそるおそる弓を弾き――

 ギギーーーュイン、と聞くに堪えない不協和音をかき鳴らした。

 俺の様子を見守っていた周りのおばちゃん達はそれを聞いて明るく笑った。
 どうやら、初めてだとこんなものらしい。俺は照れたけど、みんながすこしでも楽しくなってくれたなら良かったと、カヌイさんにユナルを
返そうとして……


「――どうも変だね」


 カヌイさんだけが笑っていないことに気がついた。
 変とはどういう意味かたずねる間もなく、カヌイさんは次の言葉を――


 ――そして、今後の俺の人生に大きな影響を与えることになる一言を告げた。




「アオロ、あんた……本当は左利きなんじゃないのかい?」





※ ※ ※

 



 え? と俺は声を上げた。

 俺が左利き?

 そんなまさか。
 だってさっきの食事の時も、俺は右手で箸を使って食べていたじゃないか。
 ボールを投げろ、字を書けと言われたら、右手を使うだろう。それは間違いない。

 ――そう、俺は。


 その時、俺はカヌイさんの言葉が暗示している別の可能性に気がついて息を呑んだ。

 俺は右利きだ。それは確かだ。
 だが……この体は?

 俺が憑依する前の、チャヌマウの集落で暮らしていた頃のこの体の持ち主は――?


「アオロが左利きだって? なんだってそう思うんだい」

 俺が言葉を失っていると、母さんがカヌイさんに質問してくれた。
 その表情にはもう笑いはない。変なことを言い出してと怒るのではなく、教えて欲しいと請うように。
 カヌイさんはそんな母さんと、それから俺の顔を見て、考えをまとめながらのようにゆっくりと話しだした。

「構えがおかしいのさ」
「そりゃ初めてだからじゃないのかい?」
「あたしもそう思ったけどさ、それにしては……うまく言えないけど、体つきというか、弓を持つ手がこう……」

 言いながらカヌイさんは俺の右手を掴み、弓を取ろうとして。

「――!」

 大きな顔の大きな目が、丸く見開かれた。
 弓から手を離し、俺の右手のひらと指を握り、さすり、持ち上げて灯にかざして見つめ、それから言った。

「あんたのこの指、タコが出来てるよ。これはユナルの弦タコだ」
「弦タコ?」
「あたしの手を見てみな」

 そう言ってカヌイさんは俺の前に自分の手を差し出してきた。――左手を。

「ユナルは弦を強く素早く押さえなきゃいけないから、ユナル弾きは利き手とは反対側の手に、タコができるのさ」

 目の前に突き出されたカヌイさんの指は、農民らしく太くてたくましかったが、人差し指と中指と薬指、この三本の指の腹の皮だけが分厚く
固まっている。
 そして俺の右手には確かに――左右対称の同じ場所に、似たようなものがある。
 俺にとっては右手が利き手だからさほど気にもしなかったが、たしかに、ある……!

「これは……どういう……」
「待ちな、いま弓と弦を逆にしてやるから」

 驚きのあまり言葉が上手く出ない俺の膝からユナルをとりあげ、カヌイさんは慣れた手つきで弓を外し、弦を張り替えていく。
 急展開に心が騒ぎ、自然と目は母さんを探す。いない。さっきまでカヌイさんの後ろにいたのに、どこへ……。

 急にぎゅっ、と肩を抱かれた。
 振り向くと母さんはそこにいた。俺を見て、力強く頷いてくれた。

「大丈夫、あたしがついてるからね」

 その声の力強さ、肩を抱く手の優しさ、温かさ……背後に感じる母さんの存在が、俺を落ち着かせてくれた。

 この世界で目覚めてからずっと悩んでいたこと――ふたつの意味での「”俺”は何者なのか」。これから起きることはきっと、そのうちの
ひとつ、「”この世界の俺”は何者だったのか」の答えに近づく大きな手がかりとなるに違いない。
 その予感と期待で、今でも息苦しいほどだ。
 でも、もう取り乱してはいない。舞い上がりかけた心を、母さんが落ち着かせてくれた。
 落ち着くと、周りが見えた。

 囲炉裏を囲んで歌でも歌おうか、と言っていたのどかな雰囲気はどこかに行ってしまっていた。
 全員が囲炉裏のこちら側に移ってきて、俺とカヌイさんを囲むように顔を並べて見守っている。

「ああもう、みんなもうちょっと離れとくれ! 暗くて手元が見えやしない!」

 失礼ながら楽器を扱う人とは思えないほど太い指で、器用に弦を張り替えていく――左利き用のセッティングにしてくれているカヌイさんが
目も上げず手も止めずにそう声をあげた。
 折り重なるように身を乗り出していたみんなはそれで気がつき、わずかに距離を開ける。気の利いただれかが部屋の端にあった燭を一台持って
きて、俺達のすぐ側、囲炉裏とは反対側に置いた。二つの光源に挟まれて、俺達のいるところはまるでステージのように明るくなった。

 つんつん、と誰かが俺の腕をつついている。
 振り向くと、母さんの背中にしがみつくようにしてこちらを伺っているノノイと目があった。

「ノノイ」
「……失敗しても、笑わないからね」

 大まじめに言ってくれるその言葉に、俺は少々ずっこけて、思わず笑ってしまった。

 ああ、全く。
 ノノイの言うとおりだ。
 どうやら俺は、落ち着いたつもりでまだ浮ついていたらしい。まだなにもはっきりしてなんかいないのに、左手で弾いてもなんにもおこらなくて
みんなから「なあんだ」と笑われるかもしれないのに。
 ふっ、と心が楽になった。体の余計な力が抜けて、リラックスできた。

 ――すごいなあ、ノノイは。
 俺は心の中でつぶやいた。
 あのお団子髪の元気娘はいつだって、本能と直感で大事なことを理解している。

「ありがとう」

 笑顔で礼を言って、顔を正面へ戻す。
 ちょうどカヌイさんが弦の張り替えと弓張りを終え、音を確かめているところだった。
 母さんの手が、押し出すように俺から離れた。

 そしてカヌイさんがついに、俺にユナルを手渡してきた。

「さあ、さっきとは逆に持ってみな。あんたのその右手が本物なら……体が教えてくれるはずさ」
「はい」

 集まる注目も、沈黙も、もう気にならなかった。

 右脚の付け根に胴を据え、右手で細長い棹を握り指先で弦の感触を確かめる。
 左手で弓をつまむように握り、肘を曲げて体の自然に動くままに構える。

 目を閉じて、大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
 ユナルを、俺にとっては初めて触るこの楽器を、”俺”が弾けるとは思わない。
 だから俺は自分を捨てる。いまからこのユナルを奏でるのは、俺の中で眠っている君――あのとき俺に涙を流させた君だ。

 さあ、また聞かせてくれ。
 君の声なき声を。今度は涙ではなく、ユナルの響きで……!






※ ※ ※







 ユズハの部屋は、藩城の奥まった一角にある。
 ササンテが住んでいた頃は愛人でも住まわせていたのだろう立派な造りのその一帯は、今はハクオロの命によりユズハとその侍女たちが住まう
この城でも最も警備の厳しい場所となっている。

 その部屋にいま、エルルゥとアルルゥが訪れていた。
 ヤマユラのみんなと食事をしたあと、一度エルルゥの部屋に立ち寄り薬箱を取ってからふたりで来たのだった。
 エルルゥはユズハのための薬を煎じに。そしてアルルゥは友達になったユズハと遊びに――

「こらっ! アルルゥ!」
「はぐはぐ……ん?」

 もとい、ユズハの枕元に置かれた果実を食べに来たのだろうか。

「勝手に食べちゃだめっていつも言ってるでしょうっ」
「……ごちそうさまでした」ぺこり
「違うでしょうっ! そのもっと前!」
「お姉ちゃんも食べる?」
「あのねえええ! わたしはうらやましくて怒ってるんじゃ……」
「……くすっ」

 いつもながらの姉妹喧嘩に、部屋の主が小さく笑う。
 それにはっと気がついて、エルルゥは顔を染めて謝りだす。

「あ、ご、ごめんなさい。ユズハちゃん。騒がしくしちゃって……」
「エルンガー騒がしい」
「ア・ル・ルゥ……!?  ……ったくもう」
「ふたりとも、いつも仲良しで、うらやましいです」

 小さな、しかし水晶の鈴を鳴らすような澄んだ声で、ユズハは話した。
 彼女を盾にするように、エルルゥとは逆側へやってきたアルルゥが寝台の側に立ち、友人の手を握る。

「ユズっち」
「アルちゃん」

 名前を呼び合った二人は、ぱっと花が咲くような笑顔を浮かべた。
 それを見ると、エルルゥはアルルゥをこれ以上叱れなくなってしまうのである。
 甘いなあとは思うけれど、今は何より、これが薬なのだ。

 ユズハは生まれつき病弱で、その病は治る見込みがない。幼い頃の高熱のせいで視力を失い、今も度々起こる発作を高価な薬と懸命の看護で
どうにか乗り切っている、そんな状態だ。
 しかし。――いや、それだからこそ、なのだろうか。
 ユズハは美しい少女であった。

 寝台の背もたれに細い体を預け、アルルゥと手を触れたり髪に触れたりしながらたわいもない話をしている彼女は、同性であるエルルゥから
見てもみとれるほど繊細で美しい顔立ちをしている。肌は陽を知らぬように白く、髪は夜のように黒い。
 しかし、なにより彼女は無垢であった。没落したとは言え皇族の生まれであるはずなのに、それをまったく鼻に掛けたところがない。
 不幸な境遇に文句ひとつ言わず、周囲に感謝を絶やさない優しいこの娘のことを、兄オボロを筆頭に関わるだれもが心から愛していた。
 エルルゥもまたそうであり、だからこそ――

(ハクオロさんも、きっとこの子のこと……)

 彼女の心は揺れるのであった。

 そのハクオロも、ユズハの兄オボロも、今はいない。
 大事な戦いに赴くために出陣していくのを、さきほど見送ったばかりである。

 オボロがいなくなれば、この子は一人である。
 身の回りの世話をする侍女たちは何人もおり、そしてその侍女たちもユズハのことを心から愛して仕えているが、それは主従の関係なのだ。
 ハクオロによれば、最初に会ったときこの娘は「友達」という概念すら知らなかったという。

 「あの子と友達になってやってくれ」とハクオロはエルルゥとアルルゥに頼んだ。
 だから、エルルゥとユズハの仲は悪くない。ハクオロへの想いが時折心にかすかな痛みを走らせるとはいえ、エルルゥだってユズハのことが
大好きなのだ。むしろ嫌いであったなら、こんなにモヤモヤせずに済んでいたのかもしれないとさえ思う。
 しかし、エルルゥとユズハは「対等の友達」にはなれずにいる。
 それは彼女が薬師であり、ユズハは患者であるという、その関係性が先にあるせいだった。

 考え事をしながらも手と目はしっかりと働き、エルルゥは薬草をすりつぶして煎じ、薬湯を作る。
 病を癒すための薬ではない。血流を良くし体を温め、滋養をとらせて体力をつけるための薬である。

「はいユズハちゃん。ちょっと苦いけど、いつものお薬ね」
「はい、ありがとうございます。エルルゥさま」

 丁寧なお礼を言って、苦い薬を嫌な顔ひとつせずに飲み干すユズハ。
 ユズハちゃん。エルルゥさま。
 ――自分ではきっと、もうこの壁を越えることはできない。エルルゥはそう思っている。それが薬師の運命というものだろう。

 しかしそれは、今のユズハにとって最も必要な薬を、薬師である彼女が備えられないということを示してもいた。

「……ハチミツ、入れる?」
「ありがとうアルちゃん。でも、おくすりは勝手に混ぜちゃだめだって、お兄さまが言ってたから」
「オボロが……?」
「うん、オボロお兄さま」

 対等の友達――どんな高価な薬もかなわないこの最良の薬を、今ユズハに与えているのはアルルゥだった。
 アルルゥは、警戒心の強い小動物のようなところがある。ひどく人見知りで、近づくと逃げてしまう。
 しかしいったん心を開き仲良くなると、驚くほどに距離を無くし、懐に飛び込んでくる。
 はじめは姉の後ろに隠れていたのに、あっという間にアルルゥとユズハは親友になった。今やあだ名で呼び合うほどの仲である。

 そのことを喜ぶと同時に、エルルゥはこう考えている。
 
 ――ひとりじゃ足りない。もっとたくさんの、いい友達がこの子には必要……。

 とはいえ、オボロがそうそう多くの人の出入りを許すとは思えないし、ヤマユラの娘たちは凶暴な兄のみならず、皇族の出というユズハのその
生まれのことでもユズハに遠慮している。だれでもいいわけではないのだ。

 しばらくは、仕方ないかな……そうエルルゥが思っていたそのとき。


 どこか遠くから、美しいユナルの音色が聞こえてきたのだった。






※ ※ ※






 それは不思議な感覚だった。

 奏でよう、という意思の起こりさえなく指が、弓が、滑り始めた。
 それはまるで、歩くときに脚を動かしたり話すときに口や舌を動かしたりするとき、半ば無意識に体が動くのに似ていた。
 確かに自分の行為であるのに、体を操るのに意識を割いてはいない。意識はむしろその旋律へ、よどみなく紡ぎ出されるその楽の音に命を、
己の魂を吹き込むことだけに向けられている。

 初めて聞くメロディ。なのに、深い懐かしさを覚える。この先どのように展開してゆくのかが見える。

 美しい曲だった。

 どこかもの悲しくゆったりとした弾き出しが、複雑な和音を震わせながら終わる。
 と、次の瞬間。
 弓は激しく動き、華やかで軽快な音色があふれ出した。それはまるで室内の色さえ変えてしまうかと思えるほど。
 生まれたての仔馬が春の野で飛び跳ねているかのような、喜びと生命力に満ちた、心浮き立つほど明るいメロディ。 

 やがて曲は再び、次第にテンポを落とし、力強い低音を響かせる新しい展開に移る。
 しかし暗い曲になったのではなく、どこまでも広がる空と草原の間を駆け抜けてゆく野生馬の一群を彷彿させる、逞しく頼もしい響き。
 反復して紡がれるその主題に、やがて変化が訪れる。和音の構成が変化し、曲調がさらにゆるやかに、そしてわずかな哀愁を帯び始める。
 気がつけば、それはいつの間にか曲の弾き出しと同じ旋律になっていた。
 弦を押さえる右手の指は、そして弓を操る左手は、最後までまるで呼吸するかのように自然に、巧みに、動いた。
 高らかに、どこかもの悲しく、しかし深い感動の余韻を残しながら、曲は終わった。


 最後の和音を、たっぷりの情感を込めて奏であげ、俺は深く息を吐きながら弓を置いた。
 どこかけだるい、しかし心地よい疲れが、全身を痺れさせていた。

 弾けた。
 君は、確かに、ここにいるのか。
 君は今なにを思っているのか……

 いろんな感情がわき上がり、それが涙となって爆発するかと思えたその瞬間。



 わあああああああああああっ!!!



 怒濤のような拍手喝采が、俺の周囲でわき起こった。

「アオロ! アオロ! あんたすごいねぇ!」
「こんな綺麗な楽、生まれて初めて聞いたよ! 常世(コトゥアハムル)に来ちまったかと思ったよあたしゃ」
「そのユナル、そんな音が出せたんだねぇ……」

 周りにいるおばちゃんたちは顔を真っ赤にして褒め言葉を投げてくれた。
 最後の言葉は俺の正面にいたカヌイさんだ。その目尻には、涙が光っている。

 カヌイさんだけじゃない、泣いているのは他にも……


「って、なんか人数増えてないっ!?」

 改めて見渡してびっくりした。
 始めは十数人しかいなかったこの部屋は、いつのまにかぎゅぎゅう詰め。廊下にまで人が立っているらしく、あちこちからもっと詰めろとか
もう終わりか、などと声が聞こえる。

「城詰めの暇人どもがみんな集まってきたね、こりゃ」

 後ろでそう話しているのは母さんだ。
 振り向くと、母さんは俺の頬を手で挟んでくれてにっこりと笑ってくれた。
 そして、すこしまじめな顔になってこう言った。

「記憶、戻ったのかい?」

 俺は首を小さく横に振った。
 母さんは、そうかい、とささやいて、俺のおでこにこつん、と自分のおでこを当てて言った。 

「これが、あんたの記憶が戻る手がかりになればいいね……」

 たとえ俺がこの時まで確信していなかったとしても、この言葉にはそう信じざるを得なかっただろう。
 母さんが、俺のことを本当に心から愛して、案じてくれているのだと。

「も、もう一曲弾くよ!」

 なんだか泣きそうになった俺は、照れ隠しにそう言った。
 もう一曲弾くってよーっ! と誰かが叫び、それは新たなどよめきと歓声を生んだ。

「はいはいみんな! そのまえにお座り! アオロ、悪いけどちょっと立って囲炉裏のこっち側に来な」
「だれか燭を持ってきておくれ!」
「アオロ、のど渇いてないかい?」

 ヤマユラの女達の仕切りにより、場は一気にアオロ独演会の様相を呈し始めた。







※ ※ ※






 アルルゥにユズハを任せ、エルルゥは音の源を探して歩き始めた。
 長くはかからなかった。それはさっきまで彼女が食事をしていた部屋であり、今は廊下に溢れるほどの人混みでごった返していたからだ。

(誰……カヌイおばちゃん? それにしては……)

 部屋の中に入りたくとも、近づくことも出来ない有様。そしてこの美しい曲に皆が聞き入っている中、割り込むことはためらわれた。
 エルルゥもまた、この楽の美しさに心打たれていたのだ。
 しかしそれと同時に、これを弾いているのは誰だ、という想いも強くある。
 なぜなら――

(わたしは、この曲を、聞いたことがある……!)

 それはいつのことだったか。
 エルルゥがまだ幼く、父がまだ生きていたころ。
 トゥスクルを頼ってやってきた病の楽人が、治療の礼に聞かせてくれたあの曲とこれはとてもよく似ている……

 やがて、胸が締め付けられるほどの哀愁を込めて、曲は終わった。
 最後の一音が消えると同時に、父の膝で曲を聴いたあの頃の、幸せな記憶も止んだ。
 夢から覚めたような思いでエルルゥは目を開き、そして

「すいません! ごめんなさい! 通してくださいっ!」

 いつもの遠慮深さをかなぐり捨てて、エルルゥは人混みに分け入っていくのであった。





※ ※ ※





 続けて二曲、指と腕の想うままに奏でたところで、お開きとなった。
 場からは不満の声もおきたが、それは大きなものではなかった。家族が戦場へ向かっている最中だと言うことを、皆も思い出したらしい。

「また聴かせておくれよぅ、アオロ」
「疲れたろう、明日甘いお菓子作ってやるからね」
「ありがとうねえ。戦から帰ってきたら、うちの旦那にも聴かせてやっておくれ」

 ヤマユラのみならず、これまで会ったこともない人たちからたくさん声をかけて貰った。
 手も握られたし、号泣してるおばちゃんから抱きしめられもした。
 ……なんだかアイドルの気分だ。

 カヌイさんに楽器を返そうとしたら、断られた。

「あんたはすぐに、もっと良いユナルを手に入れるだろうさ。そん時まで貸しておいてあげるよ」

 ユナルの手入れや音合わせの仕方などを教えて欲しいと俺はお願いし、「全く不思議な子だね、あんたは」と言いつつカヌイさんは快諾
してくれた。
 まあ、これだけ弾けるのに、そんな初歩も知らないってのは、普通に考えて変だよな。



 人の熱気で渦巻いていた室内にようやく静けさが戻りはじめたころ、話しかけてきた人がいる。
 エルルゥだった。

「アオロくん」
「あ、ごめんなさいエルルゥさん。もしかしてうるさかったですか!?」

 ユズハのところにいたはずのエルルゥがここにいるというのは、もしやこの騒ぎでユズハが眠れないとかそういうことかと俺は思った。
 しかし俺の謝罪にエルルゥは慌てたように手を振って、ちがうちがうと連呼した。

「そうじゃないの、本当に。ユズハちゃんも、綺麗な曲って耳をすませて聴いていたから!」
「そうなんですか、良かった……」
「それよりアオロくん、今の演奏は――」

 エルルゥの顔はまじめだ。
 こういう時、この人はいつもの優しいお姉さんではなく、薬師エルルゥとして振る舞っている。
 だから俺も、エルルゥが何を聴きたいのかを察して答えた。

「残念だけど、記憶が戻ったわけじゃないです。ただ、この体の記憶というか……カヌイさんが俺の手を見てユナル弾きの手だと言ったので
ユナルを借りて弾いてみたら、弾けた。それだけなんです」
「そう……でも、大きな手がかりね」
「はい。そう思います」

 カヌイさんは言った。俺の年齢で、あれほど難しい曲をこれほどまでに弾きこなせるようになるというのは、ほとんど信じられないと。
 才能に恵まれた子が、優秀な教師につきっきりで指導され、毎日朝から晩まで稽古を重ねなければ、この域にはなれない。そうも言った。
 そういう生き方が、少年にとって幸福なものであったかはわからないが……


「それでね、ひとつ思いついたことがあるの」

 エルルゥは急にそう言って、手をぱんと叩いた。
 物思いに沈んでいた俺は瞬きをしてエルルゥを見る。
 すると彼女はにっこりと笑顔で、驚きの提案をしてきたのだった。







※ ※ ※







 そして翌日。もうしばらくすれば東の空が夕暮れのあかね色に染まり出す頃合い。
 俺は藩城の城門上にある櫓に登っていた。

「帰ってくるハクオロさんたちを、楽でいたわって迎えてあげて欲しい……か」

 エルルゥのお願いを思い出してつぶやくと、側にいるノノイが返事をしてきた。

「いい考えじゃないか。みんなを楽しませてやれるし、たくさんの人があんたとその腕前を知れば、誰かひとりくらいあんたのことを知ってる
人が出てくるかもしれないじゃないかさ」
「そりゃそうだけど」

 個人的にはその後で、ノノイや母さんに聞こえないようにこっそりとエルルゥが言った一言のほうが重たいのだ。

「もし上手くいってオボロさんから認めてもらえたら、ユズハちゃんに会わせてあげるからね」

 ……エルルゥって、こんなお節介キャラだったっけ?
 っていうか、俺ユズハに片思い的なポジションなの?!

 そんな邪念があると、曲が濁らないか心配だ。
 というか、脚の悪い俺がこの櫓に登るのを手伝ってくれた留守番のオボロさんの一族の人たちの視線が気になってしまう。

「何ぶつぶつ言ってんだい! ほら、来たよっ!」

 結構な高さがある櫓の上で怖がる様子もなく、手すりに身を乗り出して遠くを見つめていたノノイが叫ぶ。
 すぐ下の城門前に居並ぶ家族たちもその声を聞いて騒ぎ始める。

 しかたない。
 ユズハのことはさておき、これが良い案だと思うのは確かだ。

 俺は観念して、ユナルを構えた。
 明るい、華やかな、テンポの速い曲。
 俺の知らない、異郷の曲。
 そういう曲を、俺の中の”俺”にリクエストして、俺は弓を動かしはじめた。



 ――奏でる俺の姿が、そしてこの曲が、あまりにも意外な人物に衝撃を与えることになるなど、思いもよらずに。
 
 



 
 


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