ハクオロ率いる叛乱勢力が拠点としている藩城からタトコリ峠までは、およそ五里とされている。
一里は半刻の間に人が歩いて進む距離と言われており、一日は十二刻。
宵の口に出陣し、翌朝夜明けに攻撃開始として、時間だけみれば充分間に合うように見える。
しかし五里、二刻半の行軍というのは、言葉で言うほど楽ではない。それほどの長時間歩かせた兵にそのまま戦をさせては戦にならない。
やむを得ぬ場合を除き、戦の前には充分な休憩と食事の時間を与えて、兵の力が十分に活きるよう取りはからうのも将たるものの役目でも
ある。
その時間を見込むと、時間が足りない。
では、ハクオロはこの問題をどう解決したのか。
結論から言えば簡単である。
――大型馬車の多数運用による兵員輸送。
自室でアオロに話した通り、ハクオロはタトコリ峠が戦略上の要所であることを早期から認識しており、その対策を考えていた。
フマロがくる前なので当然包囲戦は選択肢になり得なかった。そもそも細い峠道にあるタトコリの関は、そこにある建造物はともかく、その地形が攻めるに難く守るに易い、まさに天然の要害をなしているのである。
これに対するには、速攻で襲いかかり敵が体勢を整える前に門柵を突破する奇襲攻撃しかない。
しかし峠まわりの村落に兵をゆったりと集めていては気取られる可能性がある。そこでハクオロが思いついたのが、この馬車の活用であった。
はじめは、単なる案でしかなかった。ウォプタル(ウマ)は貴重な資産であり、貧しい山の集落であるヤマユラには交易用として四頭が
いるだけだったのだから仕方のないことであった。
(余談ではあるが、かつて夜中に消えたトゥスクルを探しに無断で村のウォプタルに乗って走り回ったハクオロは、その後しっかりとトゥス
クルから釘を刺されていたものである)
しかし周辺部族が続々と傘下に収まるなかで次第に条件を満たすようになり、ハクオロはその下地となる配備の指示――ウォプタルの供出と
大型馬車の手配と運用系統の形成――を下し始めていたところであった。
この時ハクオロは、チキナロのような間者の存在を想定して峠攻めとは違う理由をつけて指示を発していたため、今夜フマロの到着を受けて
出陣を決めた後の合議では、その遠謀に驚きのうなり声が部屋を満たすこととなった。
藩城からタトコリまでを繋ぐ街道沿いにある主要な集落は四つ。サン、エクド、キエンケレ、ウライである。
ハクオロはこの四カ所に、ウォプタルの産地であり北部の有力氏族であるコロトプから、ウォプタルと馭者を借り受けて配置し、馬車隊を組織した。
藩城からサンまでは歩いて進み、そこで第一陣が乗り込み出発する。むろん全員を一度に運ぶことはできないので、ピストン輸送となる。
先行した馬車隊は伝令隊であり最終集合地点であるウライへ直行し、諸準備を行うこととなっている。
ドリィグラァのふたりは馬車ではなく一人一騎の早駆けではあるが、この四拠点でウォプタルを次々と乗り換えることで山越えの時間を確保させたのであった。
※ ※ ※
藩城から第一次集合地点であるサンまではおよそ一里半の道のりである。
しかしこれから赴く戦いが自分たちの将来に直結する重要な決戦になるとの想いから士気は極めて高く、進軍速度は二割増し、いや三割増しといった具合で、快調に歩を進めていた。
むしろ快調すぎて、先頭を進むハクオロは少し気になり、ウォプタルの背から振り返ってつぶやいた。
「皆、この勢いで進むと持たないのでは……」
「兵を勢い付かせたのは兄者だろう。みんな燃えているんだ、無理に止めない方が良い」
応えたのはハクオロの横を進むオボロであった。
ハクオロとオボロの二人は、将として騎乗が許されている。
「さっきの兄者の演説は、短かったがこの俺も血が燃えるようだった! いっそこのまま、一人ででも峠に駆けていきたい気分なんだ」
「おいオボロ」
「わかっている。もうしないさ、あんなことは……」
オボロの言う「あんなこと」とは、この叛乱のきっかけとなったオボロ単身での藩城侵入のことである。
トゥスクルの死は自分のせいだと思い詰めたオボロは、仇をとるために双子すら置いて単身でササンテの屋敷に侵入。多数の番兵を切り倒し、ササンテ、ヌワンギまで後一歩と迫るものの取り囲まれ、捕らえられた。
ハクオロ達の決起がもう少し遅かったら、そしてベナウィがオボロの鎖を断ち切って去らなければ、オボロは生きてはいなかっただろう。
「だがしかし、借りは返す! 必ず……必ずだ!」
オボロの魂には火の神が宿っている。
大恩あるトゥスクルを殺された怒り、民を殺し村を焼くインカラへの怒り、自分を歯牙にも掛けぬベナウィへの怒り、そして己の弱さへの怒り……。
魂の奥へ蓄えられ、練り上げられたまっすぐな怒りは今オボロの総身から吹き上げんばかりの炎となって解き放たれ、戦いへと彼自身を牽いていこうとしている。
この男は、一個の炎だとハクオロは理解した。
初めて出会ったときには殺し合い、反目しながらも認め合い、やがて兄弟分の契りを交わしたハクオロの「弟」。
その男の魂の本質を、ハクオロは今夜ようやく理解したような気がした。
熱く、激しく、ひたすら天へ向けて伸び上がろうとするまっすぐな炎。今はまだ、その力を誰かが正しく導いてやる必要があるが、いずれは人々を照らし暖める、誰も消すことのできぬ天の火――太陽となりえるだろう。
「ああ、頼りにしてるぞ。オボロ」
「応!」
ハクオロがわずかに笑んでそういうと、オボロも胸の前で拳を握り猛々しく笑った。
「おうおう、俺のことも忘れてもらっちゃ困るぜィ!」
「親父さん」
声に振り向くと、愛用の大斧を背中に担いだテオロが月明かりの中で白い歯を見せて笑っている。
その周りには、ヤマユラから付いてきてくれた仲間達の顔があった。
「ボクもがんばるよ~!」
「オヤジははしゃぎすぎダニ、まったく」
「油断は、禁物」
可愛い顔に決意を漲らせているターに、猫背をしゃんと伸ばして歩きながらぼやいているヤー。
そしてのしのしと音がしそうな大股で歩くウー。
そのまた後ろにはムティカパ退治で一緒に戦ったイパクリとトルシ。クシオロ、タタク。オボロの配下の者達もいる。
ハクオロは不意にあの時のことを思い出した。集まった村人達に「蔵を開け」と命じたあの時のことを。すべてが始まったあの時のことを。
あの時も、夜だった。 そして、この顔ぶれがそばにあった。
まだそれほど遠くない日の出来事。ついこのあいだと言ってもいいぐらいだ。
なのに、ずいぶんと遠くまで来てしまったとそう思うのは――
「……皇(オゥロ)になれ、か」
あの不思議な魂をもつ少年との対話のせいなのだろうか。
独りごちて、ハクオロは夜空を見上げた。月が明るいために隠れがちだが、昨夜と同じ透き通るような夜空には無数の星が輝いている。
ハクオロの目は無意識に星座を追う。そして天体の回転の中心にある不動の北辰――北極星を探し当てる。
夜道をゆく旅人は皆、この星に導かれて歩むのだ。
(私は、ヤマユラのみんなを……この國の皆を、正しく導けるのだろうか)
星は何も答えず、ただそこで静かに輝いている。
――そして月は沈み、明けの明星は東の空に顕れ。
戦いの刻が、来た。