「……ふへぇ。流石に眠くねーか」
「同感だ。いい加減キツい……」
気付くと12時はとっくに超えていた。
さっき確認でリアルに戻ったのが11時50分。
それから今まで、さっき雑貨屋で買った安物の時計で時間を確認しながら狩りを続けて2時間になる。
つまるところ、13時50分だ。予定時間を2時間弱オーバーしている。
「今日はこの辺にしとくか」
「そうだな」
言いながら、俺がレイピアを前へと思い切り突き出すと、今まさに飛びかかってきたホワイトファングの腹に突き刺さる。
どうやら弱点は心臓ではなく腹らしく、何度か戦っているうちに余裕で、……とはお世辞にも言えないものの、それでも形にはなってきた。
もっとも、ソロでやったら死ぬレベルではあるのだが。
「その調子なら、ソロでもフライトバグならいけるんじゃないか」
町の門をくぐりながら、イシュメルが呟いた。
「いや、まだやめとくよ。……リアに次のローブのエンチャント頼んでからだ」
今のところ、死亡回数は0だ。
一応コツは掴んだものの、いまだ能力レベルの上昇は合計6。この世界でレベルは、と聞かれたら6、と答えることになる程度だ。
「それにしても一日で6か。結構な廃だな」
「……そうなのか?」
イシュメルの言葉に、思わず聞き返す。
「俺はセカンドを1週間前から始めた。ファーストの資産は使えないから、実質最初からやり直し感覚だ」
ついでに言うとリア以外の人脈も絶望的状態なのだろう。
名前を言えばわかる奴は敬遠するだろうしな。
「それで俺のレベルは同じ6だ。地味にフライトバグを弓で一匹づつってのは意外と上がらん」
フライトバグってそんなに弱いのか、とは口にしなかった。
「それなら確かにソロでも行けるかもしれないな、フライトバグ」
「あぁ。俺より早く目が覚めたら行ってみろ。多分充分太刀打ちできる」
オッケ、と軽く返事をし、お互いのメールアドレスを交換する。
ログアウトしたら、ついでにメッセンジャーにも登録しておこう。
「少なくとも俺は7時までは寝てるぞ」
「わかった。俺はメシの時間には起きるから、……6時半くらいか。俺の方が早いかもしれないな」
気付いたらメッセで返事をくれ、とだけ言うと、イシュメルはログアウトした。
同じところで落ちた方が無難だろうと俺は考え、そのまま思考スイッチをオフにする。
目に青い画面が映ると、俺はヘルムコネクタを外し、ディスプレイのスイッチを入れた。
メッセンジャーを起動して、イシュメルのアドレスを入力する。
しかし完了を押すより早く、イシュメルから登録の要請が届いた。
何てマメな奴、と思ったが、考えてみれば人のことは言えないか。
すぐに承諾を押すと、会話ウィンドウが音を立てて開く。
崔英愛 の発言:
æ–‡å—化ã '
いやいや待てイシュメル。それはひょっとしてハングルで打ち込んでるか?
文字化けしてるんだがどうすりゃいいんだ。
少しだけ考え、俺はメッセに返信を打ち込んだ。
アキラ@ラーセリア の発言:
See you later.
Have a good dream.
英語ならわかるだろう、という希望的観測を思いつつ、パソコンを離れた俺はベッドに横たわった。
昨日の夕方に干したベッドは、いわゆる「お日さまの香り」というやつがして、俺に眠りを誘って行く。
目が覚めると、部屋が赤く染まっていた。
薄暗いのは嫌いなので、部屋の明かりを点け、時計を確認する。
18時20分。
そろそろメシでも食うかと冷蔵庫を開けると、中身はほとんどからっぽだった。あるのは梅干、明太子、そしてクリームシチューの残り。
米が炊いてあるかを確認するが、そっちもからっぽだ。
考えれば何もせずに寝たんだから当たり前か。
食物庫と化している机の引き出しを開けると、パスタがあった。
クリームシチューに入れて食うか、明太子を和えるかで一瞬俺の心が葛藤するが、すぐダメになりそうなクリームシチューを使うことにし、パスタ鍋を火にかけた。
そしてパソコンの電源を入れる。
性能がいい分、起動が長いんだよな。……常時起動は壊れやすそうだから面倒だしな。
コンロ前に戻ると、パスタ鍋がいい感じに沸騰していた。
塩を取り出し、適当に塩を放り込むと、パスタのケースから適当に取り出し、鍋に扇形に広げて立てる。
パスタは放っておいても勝手に沈むんだが、俺はある程度時間が立ったらパスタをかき回し、水に沈めてしまうことにしている。
そしてそれを一旦放置し、パソコンの前に戻ると、すでにユーザー選択画面へと切り替わっていた。と言ってもユーザー登録は1アカウントしかしていない。マウスでそれをクリックすると、パソコンは起動時の音楽を奏で、デスクトップを映し出した。
それを確認してから、再び鍋の前に戻り、箸でパスタを一本だけつまんで指で潰してみる。
……うん、いい感じだ。
それを確認すると、ザルに麺をあけ、フライパンにオリーブオイルを敷く。
……っと、オリーブオイル足りねぇな。いいやサラダ油で。
じゅうじゅうと音を立てるのを無視し、フライパンを振りながら麺を炒めると、適当に、その辺に転がっていたコーヒーミルクを1つ、パスタに放り込み、間を空けずに昨日のシチューを注ぎ込むと、すぐに俺は火を止めた。
そしてパスタをフォークで皿に移し、もう一度残りを火にかけた。
――シチューがちょっと薄い気がしたからだ。
ある程度水気を蒸発させたところで火を止めると、俺はそれをパスタの上から注ぎ込んだ。
ごちそうさまでした、と心の中で呟くと、皿とフライパンを水の中に沈め、俺はパソコン前に戻った。
スタートアップに登録していたから、すでにラーセリアの起動準備は完了していた。
ヘルムコネクタを頭に装着すると、リクライニングを軽く倒し、思考スイッチをオンにする。
瞬間、昼まで使っていたキャラクターがそこに浮かんでいた。
[キャラクターを選択して下さい]
アナウンスが流れる。
俺は迷うことなく答えた。
「アキラ=フェルグランド」
ぱぁん!
キャラクターのアバターが弾け、その粒子が俺に纏わり付いていく。
[ローディングが完了しました]
再び流れたアナウンスとともに、俺の視界が暗転した。
視界が晴れたのは、数秒後。
しかし、そこは数時間前に見た景色とは明らかに変わっていた。
基本的には同じだ。……と、思う。見覚えはある。
しかし、違う。
門は破壊されてはいなかったし、町の中央付近には、あの馬鹿でかい魔法ギルドの塔があったはずだ。それがない。
それに、至る所で炎が上がっているし、叫ぶ声や怒鳴り声、そして剣戟や魔法の爆発が目や耳に飛び込んでくる。
一体、何が起こったのか。
――そこには、阿鼻叫喚の地獄絵図が待っていた。
「おい、そこの!……何をしてる!死にたくなかったら避難しろ!」
呆ける俺に声をかけてきたのは、長い刀を手にし、馬に跨った騎士だった。
「――何が起こってる!?」
思わず聞くと、男は俺がログインしたばかりだと理解したのか、馬を降りた。
「突発イベントだ、今ゲームマスターが町にモンスターをばら撒いてる」
男は言うと、俺の装備に手を触れた。
「――スキャン、イクウィップ」
言い、何かを探っていた男は、ふと繭を潜めた。
「……未鑑定?いやそれはどうでもいいか。装備から察するに始めたばかりのようだな」
低レベルの装備ばかりだからだろうか。男はすぐに俺から手を離す。
「お前、名前は?」
「アキラだ」
言うと、男は俺の名前を確認し、あぁ、と笑みを漏らす。
「タイラスにウィスかましてた奴か。……初心者だったとはな」
言われて俺はようやく気付く。
そういえば、慌ててウィスパーしたものの、リアと同じように俺の名前もワールド中に響き渡ったんだろう。
魔族であるタイラスにウィスパーしたプレイヤーとして。
『この馬鹿。テメーは来なくて良かったのによ』
タイラスの言葉が今更ながらに思い出される。
「まぁいい。それより、シャレにもならんモンスターばっかり召還しやがってんだよ、ゲームマスターの奴」
「へぇ、……でもそれって後で困ったことにならないか?」
シャレにもならんような、ということは、下手をしたら町が壊滅する恐れもあるということだ。キャラをロストしたりとか、色々弊害があるんじゃないだろうか。
「今回のイベント中、キャラロストとアイテムの剥ぎ取りはシステムをオフにするんだとさ」
あぁ、なるほど。
「だからその点は心配してないんだが、見たこともないようなモンスターまで召還されまくってんだよ」
「つまり新種ってことなのか?」
俺が聞くと、男はさぁな、と返答を返した。
「知らん、未発見種かもな」
と呟くと、男は馬の手綱に手をかけた。
「……低レベル連中はとりあえず、南門を出たところのフライトバグ地帯まで避難してる。お前はどうする?」
「あぁ、じゃあ俺もそっちに避難するよ。ありがとう」
礼を言うと、男はひらりと馬に飛び乗った。
「気を付けろよ!……あとタイラスによろしくな!」
言うと、男は馬の手綱を引き絞り、腹を軽く蹴った。
嘶きもせず、馬は男の手足であるかのように走り出していた。