「エンチャントの仕方は簡単よ。最初は失敗ばかりだろうけど」
一息付くと、紅茶を全員に振舞いながらリアは呟いた。
「Lv.0でどの程度の成功率?」
「0なら成功率は1%を切るわ。……ほとんど成功しない」
それは実用に程遠いと言わないか?
「うわ、使えなー……」
思わず口に出したのはフィリスだ。
「……そうね。全部失敗するくらいのつもりで材料を集めないといけないけれど」
ないよりはマシでしょう?と笑顔で返す。
「万が一成功したら、すぐにNPCに売ったほうがいいわ。……ひとつの能力を付加しただけで、格が上がってしまうから」
「……ひとつ質問」
手を挙げたのはリリー。
「それって見た目でわかるもの?」
「いいえ、多分わからないでしょうね。特別なドロップだと思われるかもしれないわ」
ん?どういうことだ?
「話はそこではないのよ、リリー。NPCであることがポイントなの」
リアは指を顔の前に立てた。
「人に売るよりも遥かに高値で買ってくれるわ。小さい効果のものでも」
あ。なるほど、と俺は気付いた。
「そうか。有益な魔法じゃなくてもいいわけだ」
イシュメルが何かに気付く。
「……無益な、……もの?」
カルラも気付いたらしく、ぽつりと呟く。
「あるいは呪いね。……無益なもの、例えばライトの魔法程度なら、人はそんなに欲しがらないでしょう?それでもNPCは高値で買うわ」
「ダンジョンに持って行くなら役立ちそうだけどな」
イシュメルが口を挟む。
「あぁ、そういえばそういう使い方もあるわね。……決して消えることのない灯りね」
リアが感心したように呟く。
「……そうね、参考までに教えるわ」
リアが軽く手を振ると、一振りの短剣が現れる。
「……まずこの短剣。実はライトの魔法がかけてあるわ」
言いつつ鞘から抜くと、刀身が光を帯びていた。
「光を帯びる条件は、鞘から抜くこと。――そうね、持続時間は1時間ってところかしら」
「何だ、使えるんじゃん」
フィリスが珍しそうにそれを見る。
「ええ、確かに言われてみれば実用的よ?――けれど」
リアはもう一度、指を顔の前に立てる。
「さっきも言ったけれど、話はそこではないのよ」
言ってから、短剣を鞘に納める。
「例えば、リリー、これ貴女ならいくらまでお金を出すかしら?」
「え?うーん、そうね……」
リリーが思わず唸る。
「ずっと油を買わなくていいと考えると、20万$くらいかしら?」
「……フィリスは?」
答えの提示を後回しにし、次にフィリスに向き直るリア。
「アタシはもっと出すね。これ一本で半永久的にランタンがいらないんだから」
言いつつ、フィリスの提示した金額は40万$。
くすりとリアが笑顔を見せ、そしてカルラに向き直る。
「貴女はいくら出すかしら?」
「……、……100万$」
いくらなんでも高すぎはしないか?と突っ込もうと思った俺だったが、リアの余裕の表情を見て確信する。
「――ってことは、もっと高いんだな?」
それぞれの考えを提示した3人と、まだ質問を受けていないイシュメルが、ぎょっとしたような表情を見せる。
「ご明察。NPCなら……1本で1千万$程度の値段が付くわ」
¥に換算して10億。
馬鹿のような値段だ。
「それは……当然マジな話よね?」
他3人が絶句する中、リリーが恐る恐る尋ねる。
「ええ。……偽りは述べないと誓った通りよ」
ただし、と前置きし、リアは苦笑する。
「私が1本目を作ってからこの2本目が出来るまで、およそ1年よ」
げ、マジか、とイシュメルが呟く。
「私は、短剣を毎日のように掻き集めているの」
「それが一日どのくらい?」
フィリスが聞くとリアは、ふふ、と笑う。
「この頃は一日3000本ほどかしら」
「さんぜ……!?」
リリーが、いつの間にか電卓を手に、1本10$の短剣がどうのと計算を始める。
「1095万$!?大赤字じゃない!」
呆れたような口調で言う。
「Lv.0ならそのくらいの大赤字だってこと」
くすくすと笑うリアに、全員が呆れた顔をする。
ちょっと待て?俺のローブをエンチャントするって話はどうなった。
思わず問い質そうとして、ふと気付く。
そうだ、ここに来る時に使った針。
あれもポータルがエンチャントされていたはずだ。
「つまり、エンチャントに成功したら売ったほうがいいということ」
リアが、言いながらくすくすと笑う。
「……それは、俺たちの話だろ?……リアはどうなんだ?」
くすり、とリアが笑みを向ける。
そう。
リアはLv.0ならの話をしているだけだ。
「リアはLv.0じゃないだろ?つまり成功率はかなりあるんじゃないのか?」
こっちに集中した視線が、再びリアを見る。
「ええ、その通りよ」
言いながら、リアは机の上に白紙の羊皮紙を広げた。
「エンチャント、――マジックブック『エンチャント』」
言うなり、文字が羊皮紙に浮き上がる。
書いてある内容は理解できないが、おそらくそれは――
「――どうぞ、これがエンチャントの呪文書よ」
言いながら俺にそれを手渡す。
「呪文破棄……!?それって」
「Lv.30以上だってこと!?」
くすくすとリアが笑う。
「ごめんなさい、Lvはわからないわ。気が付いたら呪文破棄でも出来るようになっていたの。……1年ほど前かしら」
全員がこの言葉に絶句したのは言うまでもない。
その後エンチャントを全員が取得し、全員の装備をきっちりエンチャント成功させたリアが、ふぅ、とため息をつくと、リリーが気を利かせて紅茶を全員分淹れてきた。持参した茶葉があったらしい。電卓といい、一体どこから出て来るんだ。
ティーブレイクを入れながら雑談していると、自然と話はリアのエンチャント書取得の話を期待するものになった。
「ちょっと昔の話なのだけれど」
リアは呟くと、少し寂しそうな、悲しそうな顔をした。
ボス討伐連合パーティ総勢200人で赤の灼熱、【タイラント・デビル】を討伐にやって来た。
リアはそのうちの一人にすぎず、その頃の強さは大したことはなかったらしい。パーティは、その日実装されたタイラントを倒そうと、かつてない壮大な連合パーティを編成し、それは始まった。
飛び交う魔法、治癒の光、剣戟の音が鳴り響き続け、たった1匹の悪魔に全員が立ち向かい続ける。
リアの役割は後方治癒。
リアが一番レベルが低いというわけでもなかったが、低い者ほど後方からの支援に徹するのが基本だった。
巨大な戦場の完全に隅の方で、リアはとにかく治癒支援を与え続ける。
「攻――が弱ま――き――!も――ぐだ!」
誰かが叫ぶ。
攻撃が弱まって来た、と言っているのだろう。リアの目からもそれはわかっていた。
傷付きながらも自らにヒールをかけ、その傷を癒しつつも4本の腕でプレイヤー達に襲いかかる赤の灼熱。
もう、パーティは半分が死んでいた。
蘇生班が蘇生魔法で蘇らせているが、蘇生する端からバタバタと倒れて行く。
パーティの勢いはもはや絶頂にあったのだろう。
徐々に赤の灼熱はその傷を増やし、傷を癒す暇を余裕を削られて行く。
200人のパーティだ。
勝てるという自信は五分五分だったが、いいところまで行けると誰もが踏んでいた。
だが、その希望は次の瞬間打ち砕かれる。
タイラントの激昂の遠吠え。
周囲で死んだプレイヤーを蘇生していた蘇生班がその遠吠え一つで吹き飛んだ。
慌てて他の蘇生班が駆け寄ると、前衛の蘇生が優先して始まるが、
「やばい、蘇生班、半数は蘇生班の蘇生に回れ!間に合わない!」
後方の指揮を取っていたリーダーの一人が叫ぶ。
前衛の蘇生の数が一気に落ちた。
それは、今まで優勢に戦っていたパーティに取って、一気に形勢が逆転されたことに他ならない。
蘇生班が蘇生班を蘇生し、前衛蘇生の数も戻っては来ているが、その端から次々と倒されて行く。
「治癒班は蘇生班の治癒を最優先しろ!」
リアはこの指示に従った。
「馬鹿、――じゃ――」
タイラントとパーティの剣戟の音が耳障りに響き、誰かの声を掻き消す。
すぐにリアは気付く。
治癒をやめたら前衛が決壊するのでは?
「――前衛にも治癒を!決壊しては意味がありません!」
誰かが聞いていることを願いつつ、リアは叫ぶなり前衛に治癒を戻した。
だがすでに遅い。
治癒を一瞬緩めたことで、前衛の半数が死滅していた。
「ッチ、弓兵!撃て!」
前衛に当たることを危惧し、支援に徹していた弓兵が弓を番える。
魔法班はまだ後方支援のままだ。だが弓を射始めてから気付く。
「まずい!……反射されてるぞ!」
まさに反射。
射た弓はそのまま、羽と矢を反して同じ軌道で返る。
「規格外すぎるだろこんなのッ!」
慌てて弓を捨て、自らの攻撃で数を減らした弓兵は後方支援に逆戻り。
「くそ!後衛、支援で前衛に回れる奴はいないか!」
十数人が近接魔法を手に前衛に回り出す。
水・氷系魔法がなんとかモノになるようだと悟ると、近接魔法のことごとくがそれらをタイラントに叩き込む。
だがここで二度目のタイラントの遠吠え。
支援を減らし前衛に回し、蘇生班が蘇生班を蘇生しながら前衛を蘇生し、
尚且つ今まで何とか保っていた前衛がついに決壊する。
「やばい!散れ!!」
決壊した際は瞬時に逃げる。
パーティの鉄則を全員が実行しようとする。
リアは踵を返すと一目散に逃げた。
タイラントが自分を追って来ないことだけを願って。
だがリアの運は悪かった。
何と他には目もくれず、リアを視界に認めたタイラントがリアを目標に定めたのだ。
何で私、と思う暇も与えられない。
そしてタイラントの気配がリアの背に迫る。
「――ッ!無理でしょうこんなのッ!」
言いつつ、咄嗟に方向転換。
ここは砂漠。
確かこっちにオアシスがあったはず……ッ!!
その記憶は当たっていた。
自分にヒールを連発しつつ、鞄からヒールローションを全身にかけつつ走る。
あと少し、あと少しで何とかなるに違いない!
オアシスの水など意にも介せず追って来る可能性はあった。
だがこれに賭ける以外、リアに思い付く手立てはない。
見えた!
水面の光を目にした瞬間、気を抜いたリアの足が砂を蹴る。
リアがバランスを崩すには、それで事足りた。
「ひゃ……っ」
思わず頭を手で覆い、そのままの勢いで前へ転がる。
まずい、とリアは即座に全力で右に足を蹴る。
転がったまま、リアの体が左に浮くと同時、ついさっきまでリアの体があった場所へ、タイラントの剣の一撃。
「――っ!」
その衝撃が砂を巻き上げる。
巻き上がった砂に巻かれ、リアの体が吹き飛ぶ。
だが、リアの災難はまだ続く。
今蹴った足を痛めたようだ。
確実に逃げる速度が遅くなる。
「リジェネレイト――!」
咄嗟に足に魔法をかける。
その判断は正しかった。
足の痛みが嘘のように引いた。
まだ行ける。
『リア、大丈夫?』
相方の声が頭に響く。
「大丈夫じゃないわ!逃げているところよ!」
『え、マジで?最悪じゃん――』
問う相方の声を切るように、タイラントの剣がリアの右肩を襲う。
ギリギリでかわすが、その一撃が足元の砂を巻き上げる。
「きゃ――」
思わず悲鳴を上げて頭を庇う。
巻き上げられた砂ごと、リアの体は吹き飛ばされた。
「……あ、……れ?」
気が付くと、リアは水面に浮かんでいた。
吹き飛ばされた後の記憶がない。
助……かった?
腰に手をやると、そこにはいつも使っているショートソードとソードブレイカー。
どうやら落とさなかったようだ。これが重いものだったなら、リアは溺死していたかもしれないが。
服が鎧ではなくローブだったことも幸いした。
ざぷん、と水音を立てて起き上がる。
思ったより水は深く、足は底に届きそうにもない。
『リア、ねぇ大丈夫ー?』
「何とか……なったみたいよ」
ウィスパーの向こう側で、お、と反応を喜ぶ声が返る。
どうやら一定時間ごとにウィスパーをしてくれていたらしい。
「水の中までは追って来なかったのかしら……」
相方にそれだけを言って、リアは水に潜り込んだ。
顔に付いた砂や、体に付いた砂が鬱陶しくて仕方ない。
そして一度顔を出す。
「砂落として帰るわね」
『あっはは、了解~。無事でよかったよ』
「もう、縁起でもないことを言わないでくれるかしら」
思わず言葉を返すが、すでにウィスパーは切れてしまったのか、相方からの反応はない。狩りにでも戻ったのか。
ふぅ、とため息をつくと、リアは大きく息を吸い込むと水の中に顔を沈めた。
軽く手で体を擦り、ローブを少し体から離して砂を落とそうとする。
しかしそんな方法で落ちるはずもなく、どうやらローブの中の砂は、シャワーと洗濯で落とすしかないようだった。
と、リアの視界に赤と白が映る。
モンスター!?
ぎょっとし、慌てて腰に手をかける。
今の自分の状態がどんなものかはわからないが、水中で襲われたら魔法もローションも使えない。頼りは腰の2本だけだ。
しかし、その赤白は追っては来なかった。
というか、どうやら漂流物のようだ。
とりあえず水辺まで運ぼう、とリアがそれにソードブレイカーを引っ掛けた瞬間。
[タイラント・デビルを討伐しました]
アナウンスが頭を流れる。
「……まだやってたのね」
思わず苦笑する。
新しいパーティがタイラントを討伐したのだろう。
アナウンスは聞こえたが、ウィスパーが届いたリアはすでにパーティを抜けている。
というか決壊した時点で、統率を敢えて取らないようにするため、パーティはその場でブレイクされるのが普通だ。
間違っても、リアがパーティに残っているはずはない。
つまりこれは、バグだ。
後で運営に報告しよう、などと考えながら、リアは漂流物を何とか浜辺まで引き上げることに成功した。
マントで隠れて見えないそれは、どうやらロスト寸前の人間の成れの果てのようだ。
「後で蘇生班呼んであげるわね。……もう少し待ってて頂戴」
リアは言いながら、少しだけ手を合わせた。
蘇生には立ち会うつもりだが、……遺品は残っているのか。
もし残っているのなら、回収して後で返してあげないと。
「……失礼するわね、死体さん。無礼はしないと誓うわ」
言って、リアはマントに手をかけ、
――そして、驚愕して後ずさる。
腕が、――4本。
「嘘……でしょう」
嘘ではない、と頭ではわかっていた。
一気に恐怖が蘇る。
巻き上げられた砂ごと吹き飛んだ後、リアがオアシスに沈んでも、タイラントはそれでも諦めなかったのだ。
そして水中にまで追って来た。
結果、……炎の属性は水に侵食され、タイラントは瀕死状態となって。
リアが、ソードブレイカーを引っ掛けた瞬間に、絶命したのだ。
タイラントの巣に戻ろうという人間は、しばらくいないだろうから、
……おそらく、あの巣の人間は、全員ロストする。
たった今、タイラントを倒したリアのせいで、
僅かに残った生還の可能性を、潰したのだ。
「……ごめんなさい」
この情景を誰か幽霊として見ているのなら、その呟きは通じただろう。
だが、幸か不幸か。
――そこには誰の幽霊もいなかった。
そして、タイラントの遺体に手を触れる。
「ジャッジ、タイラント・デビル」
リアの目に、戦利品として剥ぎ取れる物がいくつか見て取れた。
――あ。
ボスモンスターからのアイテムは、……特別な品として扱われる。
このタイラントから剥ぎ取れる全てのアイテムは、……リアのものだ。
心底後悔しながらも、リアは全てのアイテムを剥ぎ取ることに成功した。
「そのうちの一つが、エンチャントの書」
何と言う武勇伝か。
むちゃくちゃ感動したぞ、俺。
「それから、何度もタイラント討伐隊は出たみたいよ」
一度もエンチャントの書の話は聞かないけれど、と話を締めたリアに、拍手喝采が注がれる。
「つまりタイラント討伐のレア、……レア中のレアってことね」
リリーが目を輝かせる。
「他には何が出たの?」
んー、とリアは唇に手を置いて考え、
「タイラントの剣が2本、フレイムLv.10の書、後は今でも出るプチレアくらいかしら」
へぇー!とフィリスが興味深そうに体を乗り出す。
「タイラントの剣なんて、1本取れればいい方のレアじゃない。それが2本ってよっぽどツイてたんだね、いいなぁ!」
羨ましそうに呟くと、リアが首を振った。
「実装直後の数日限定、アイテム取得率が100%だったのよ」
キャンペーンみたいなものだったんだろう。
「フィリス。……欲しいのなら、売ってあげましょうか」
え、とフィリスが顔を輝かせる。
「マジ?いいの?マジで?!」
笑顔で頷いて、リアが家の奥へと入って行くと、フィリスはよっぽど嬉しいのか、その行方を体ごと、目で追っていた。
イシュメルも実は欲しいのだろう。そわそわしている様子が実に笑える。
「タイ剣なんて諦めてたのに……!おいアキラ、感謝しろ!お前の借りはチャラにしてやる!」
……あれ、何だその上から目線――
ちょっとイラっと来たのは言うまでもない。