肩で息をする。
「何とか行けるだろうか――」
ぽつりと呟いて、トラストは土砂降りの中、目の前の泥の塊を見据えた。
もう1時間程度は戦っただろうか。
相手が無機物のように攻撃してくるので、どの程度ダメージを与えているのかは全くわからない。
モンスターは「泥ン子」、と呼ばれるクエストモンスターだ。
土砂降りの中、必ず町へとちょっかいをかけて来る厄介なモンスターで、どれくらい厄介なのかといえばまず、さっきも言ったようにどれくらいダメージを受けているのかがわからないということだ。
例えば通常攻撃をする。
泥が主体のモンスターなので、レイピアは貫通し、矢は突き刺さり、あるいは貫通する。
魔法はと言えば、土砂降りなので炎は全体的に使い物にならない。水も同じような理由で却下。泥なので土魔法も同じような理由だ。風に攻撃系魔法はほとんど存在しないし、唯一トラストの使える風系攻撃魔法である「ウィンドカッター」は初級魔法であり、通常攻撃と同じようにダメージがあるのかどうかもわからない。ついでに言うとMPの続く限り序盤で使い続けたせいで、MPもほとんど空っぽだ。まぁ魔力剤はいくらか残ってはいるが。
雷があったら、と思わなくもないが、さっきも言ったように主体は泥なので、土属性だと考えると効果がなさそうにも思える。まぁ効果があったとしてもトラストは習得していないのだが。
そう考えると、後はもう攻撃がほとんどダメージを与えていないのを覚悟で、泥団子を崩すイメージでちまちま攻撃するしかない。
幸いウィンドカッターで何度か削った時、少しだけだが泥を吹き飛ばし、その泥が相手の背後の木に泥の跡を付けている。
その跡が動き出す様子もないことから、このまま吹き飛ばし続ければいずれ小さくなって倒せると踏み、こうして1時間近くも戦っているわけだが、それはそれで正解だったものの、別の難点が発覚した。
小さくなるにしたがって、攻撃しにくくなってきた。
的が小さければ当然命中しにくい。
一応弓は持っているものの、トラストの手腕ではもう当てることはできないだろう。
何故なら、その姿はもう30センチくらいしかないからだ。
あとは、レイピアで何とか――文字通り削り切るしかない。
だがそのレイピアすらも当たらない。
――いや、厳密には当たってはいるのだが、突いて攻撃をするレイピアでは、突いた後にレイピアを突いた方向と90度違う方向へ「斬」らなければいけない。
その斬る直前に、泥ン子は逃げてしまうのだ。
「――もう仕方ない――」
溜息を吐きたくなるのを抑えて、ポケットに入っていた魔力剤を1つ取り出す。
1本あたりの価格が高い――あくまでトラスト基準でだが――ので、あまり使いたくはなかったのだが、これではキリがない。
勝算はある。
ウィンドカッターはある程度、放ってからのコントロールができる。
加えて「ウィンドウォール」を使っておけば、ある程度敵の動きを制限しつつ、コントロールしたウィンドカッターで、
「――詰みだろう。いい加減観念するといい」
ようやく倒した泥ン子というモンスターについての話をしよう。
とある条件で出現するモンスターで、知らず知らずのうちに条件を満たしていたのだろうとトラストは後に自己分析した。
だが同じことを後ほどアキラとやった時は出なかった。
ならばソロでないといけないのかとアキラが一人で同じことを行ったが、やはり出なかった。
そこで、トラストが攻略サイトに書き込んだ。
書き込まれた情報を元に数人が検証した。条件が足りないのか何が原因なのか、と色々と検証を行ったところ、誰かが質問欄の乱立を諌めつつ、「ユニークモンスター出現クエなんじゃね」と発言し、全員が「それだ!」と納得してしまった。
それでようやく泥ン子は「ユニークモンスターだった」とトラストも認識し、ついでにその際に得た魔法書「レイン」も、今のところ他からは得ることのできないユニークスペルだとトラストは認識した。
この時点でトラスト自身、「レイン」がどのような魔法なのか全く知らない。
魔力を無駄にする覚悟で唱えてみたものの、最初はやはり完全に魔力を無駄にするだけで何も起こらず、あろうことか一度はファンブルしてしまい、魔力の暴走により瀕死まで追い込まれ、散々だった。
これがトラストの一度目の挫折だ。
一時はそれで懲り、数日は考えるだけに留めていたのだが、レインの呪文を思い浮かべていた時に、ひょっとしたら雲がある程度空にある際に使う呪文なのではないか、と気付く。
気付けば実行するのがトラストの良いところであり、悪いところでもある。実際に空が曇っている日を待って実験してみたところ、本当に雨が降り始めた。
だが、ここで疑問が浮かぶ。
この雨は、天候設定によって降り出したものではないのか。
――まぁ、魔力が消費されているので成功しているのは確実なのだろうが、失敗したときでも魔力が消費されたことを思うと、実は失敗しているが雨は天候操作で降り始めたという可能性もないわけではない。
ちなみに、トラストはこの時には気付かなかったが、一度目の挫折の時点ですでに呪文短縮ができるほどこの魔法の熟練度は上がっていた。が、少なくともこの時には気付かず、さらに「レイン」の実験を繰り返す。
そうして、晴れから曇りに変わった瞬間を狙って魔法を成功させた時、ようやく「レイン」の魔法の効果を信じることができた。
――信じることができたはいいものの、トラストは2度目の挫折にようやく気付いた。
雲がなければ使えない天候操作の魔法など、一体どこで何に使うというのか。
当然ながら、その答えなどない。
――ない、はずだった。
ところが、トラストは偶然にもその挫折から自分を救うものを露店巡りで目にした。
一度は何か頭に引っかかるものを感じつつ通り過ぎたのだが、数分後に気付いた。
慌てて露店巡りを中断し、元来た道を取って返し、露店を畳もうとしていたプレイヤーに声をかける。
「ん、あぁこれ?使い勝手っつーか、何に使っていいのかもわからんからとりあえずパンダで売ってんだけどさぁ」
そのプレイヤー曰く、プレイヤー自身習得すらしておらず、また習得することもできなかったとのこと。――つまりそれは、その魔法書は新品であるということだ。
入手先は、とあるクエストの、魔術師モンスターが作り出したゴーレムの残骸から。ゴーレムは雲から作られており、それを倒した結果ドロップしたのが「クラウド」という魔法だったとのこと。
雲を作る魔法。使い勝手は不明。雲なんか作ってどうすんだ、希少価値は確かにあるかもしれんがせいぜい真夏日にちょっと涼しくなる程度だろ、……などと仲間達に笑われ、レアなのになぁ……と思いながら仕方なく売りに出すことにした。
売りに出したはいいものの、当然ながら興味を持ってもらえたりはするものの、誰も買わない。
誰も買わないが、露店に出していると人が来ることもある。
客寄せ……すなわちパンダで売ってる、というプレイヤーに、値段を尋ねてみると、当然ながら客寄せに使っていたものを売りたくはないという話になる。
敢えて値段を付けるならば、と聞いたところ、プレイヤーはうーん、と少しだけ考え込んだ。
そして出した結論は、習得できるか試そうというものだった。
「習得できなくても金は取るけどいいか?」
その条件にトラストは乗った。
もうひとつ条件を出された。
習得できたとしても、魔法書の「残りカス」はこれからも客寄せパンダとして使いたい、という条件だ。
ちなみに魔法書は、レアなものとノーマルなものとがある。
店売りのものがノーマル。それ以外はレアだ。
ノーマルの魔法書が数回使うとそれぞれ独特のエフェクトを発生して消失するのに対し、レアの魔法書は1度しか使えない代わりに、魔法書そのものは何があろうと消えない。
ちなみに保護されているので盗むことも奪うこともできないが、譲渡は可能だ。――まぁ使った後の「残りカス」など、欲しがるプレイヤーはほとんどいないが。
使ったとしても外面は変わらないので、客寄せパンダとしては十分に使えるという算段なのだろうと理解し、トラストは条件を飲んだ。
二人はその町の魔法屋へと向かい、トラストはこうして「クラウド」の魔法を手に入れた。
まぁ当然のように「見せてくれ」と言われ、唱えて見せると、「ホントに雲だけかよ」と笑い飛ばされたものの、すでに使い勝手については算段があったため、苦笑を返して内心ではほくそ笑んだ。
さて、これで首尾よく「クラウド」と「レイン」のコンボを手に入れたわけで、トラストがこの時考えていたのは、「これでイシュメルとの連携がまたひとつ増えた」ということだった。
すでにイシュメルは「サンダーアロー」を習得している。検証は必要だろうが、雨で濡らせばその効果も上がるかもしれないし、雨で地面を濡らせば、足場が悪くなって敵も近寄りにくくなるだろう。そこにウィンドウォールを挟めばほぼ完璧な状況を作り出せるシーンもあるかもしれない。
そんな風に考えを膨らませた。
だから、この後トラストが情報サイトを覗いた時、もう1つ、トラストが上手く立ち回れば、もしくは仲間との連携次第では最高の組み合わせになるかもしれない魔法の記述を見つけた。
ラーセリアには魔法が非常に数多く存在する。
中には、リアがいまだ隠している「アブソリュート・ゼロ」のように、秘匿され続けている魔法もあるし、いまだ誰も見つけていないような魔法も実は存在する。
まぁ使えるかどうかは別として。
その数多くの魔法をたまたまチェックしていて、比較的手に入りやすい部類の魔法を調べつつ眺めつつ、今日もあんまり良い情報はないようだと諦めかけた。
だが、その目はある魔法でぴたりと止まった。
その魔法を万一見落としていたら、トラストの「クラウド」と「レイン」のコンボは、ほぼソロでは役に立たないものだっただろう。
だとするならば、これは最高に僥倖で、奇跡の組み合わせと言っても過言ではない。
何故なら、「レイン」はいまだにユニーク魔法の域を脱していないからだ。
探し当てた魔法の名前は「フォールサンダー」。文字通り雷を狙って落とす魔法だ。
本来、「フォールサンダー」は、天候が雨か雷でないと使えない。
しかし、その「雨」を自発的に生み出すことのできるトラストならば、その制限は簡単にクリアできる。
難点は「時間がかかること」。
それぞれの魔法はまだ無詠唱の域ではないから、詠唱にそれぞれ20秒として、「ウィンドウォール」「クラウド」「レイン」「フォールサンダー」の順で、最低1分20秒はかかるだろう。ソロではまず役に立たない。
だが、それならばそれでいい。
なぜなら、今まで仲間との連携をメインに模索してきたのだ。
そのかかる時間を仲間に稼いでもらえばいいだけだ。
まぁ、森などで使って足場を悪くすることで時間稼ぎはできるかもしれないが、「かもしれない」程度の理由で危ない橋を渡るつもりは、少なくともトラストには、ない。
問題となるのは、落雷の際や雨を降らせた際、仲間にもその被害があるのではないかという懸念。
範囲はある程度の実験を重ねて確認した。目測で当たる範囲にいるかどうかもわかるようになった。
それでも、雨で別の場所に置いた目標を濡らした上で、敢えて範囲を外して雷を落とすと、落雷は濡れた物を高確率で被雷させた。
濡らさなければいいと言う問題でもない。ある時など、雨が流れた場所にあった物……この時は金属製の時計にまで被雷した。
ならばと実験を続ける。
雨が流れる場所をウィンドウォールで塞ぎ、それ以上範囲が拡大しないように試みる。
実験はすんなりと成功した。
ウィンドウォール2枚。それが最低限用意しないと仲間を被雷させてしまうラインだと考えた。
問題は、ウィンドウォールを使えるのは、今のところトラストを含めて2人しかいないということだ。
機会を待ったが、その機会はしばらく訪れなかった。
使い道は限られると悟る。
ある時、屋外ではなく、ダンジョン内ではどうかと思い立つ。
壁がない屋外では使い勝手が悪いが、屋内で使えるのなら。
――思い付きは、ことのほか上手く行ったが、問題はいくつもあった。
出ないかもしれないと思った雲は出た。
ただし、魔法レベルが低いためか、詠唱短縮した呪文では薄い雲しか現れなくなった。――上げるべき魔法レベルがさらに高くなった。
雨は簡単にウィンドウォールで抑えることができた。
だたし、抑えた結果岩に染み込んでみたり、土があればそれに染み込んでみたりとさまざまな不具合があった。――雨の強さを上げるために、上げるべき魔法レベルがさらに高くなった。
実際に仲間との連携として実践して見てもうひとつ気付く。
最後の呪文を唱えている間に、仲間が範囲に入ってしまうと、それを教えることができない。――まぁ何をするのかを伝えもせず使った自分が悪いが、言葉を介する相手だった場合、伝えることによって相手に反撃の隙を与えるだろう。できれば何をするのかを悟ってもらい、もしくはジェスチャーだけで伝えなければいけない。
今回は仲間が悟ってくれて下がってくれたが、毎回悟ってくれるとは限らない。
十分に試行錯誤しながら、それでもトラストの実験は一歩一歩前進して行く。