入って最初に現れたのは、牛のように鳴くハイエナだった。
モンスターの名前はコロコッタというらしい――というのはトラストが教えてくれた。
弱点は特にないが、それほど強いわけでもないらしい。
時々「ひとつなぎの牙」というアイテムを落とすということ以外は特記すべき点はないらしい。もちろんフィリスにとっては敵ですらないのだが、まぁ数はそれほど多くないということで、とりあえず私とトラスト、リラの3人で戦うことになった。
先制攻撃を仕掛けて来たのはコロコッタ側だった。
波状攻撃とでもいうのだろうか。統率の取れた動きで、巧みに私たちを分断しようとしているのがわかる。
相手は4匹。分断されたら少しだけ厄介だということはわかるが、何しろ私は目が見えるようになってから日が浅いので、作戦はトラストに頼るしかない。
「――リラ、彼の方へ!」
「はい!」
魔術メインの私の方が分断に弱いと判断したのだろう、トラストはレイピアを構えつつリラへ指示を飛ばす。
「リラが合流したら――」
「『壁』でいいかい?」
最後まで言わなくとも作戦を理解した。
リラを追って来るコロコッタを私とトラストの『ウィンドウォール』で逆に分断し、各個撃破を狙おうと言うのだろう。案の定、トラストは微かに頷くと、そのまま目の前に迫る牙に、一歩下がると腰から抜いたレイピアを下から突き上げる。寸前で気付かれ、コロコッタは後ろ足で器用にブレーキをかけると、バックステップでトラストと距離を取る。
その間に、リラは私の元へ辿り着いた。
まぁ当然その後をコロコッタは追って来るが、それも計算のうちだ。
「『我願う。風よ吹け。荒れ狂い壁と化せ』」
私が呪文を唱えると、
「『我願う。風よ荒れ狂え』」
少しだけ短縮されたトラストの呪文がその後を続く。
『【ウィンドウォール】』
完全にではないが、ほとんど同時に同じ呪文を解き放つと、トラストの呪文と私の呪文に挟まれるような形で、4匹のうち3匹が風に前後を挟まれた。
どうやら狙っていたのは分断ではなく、完全なる足止めだったようだと判断し、ランダムにしていた風の向きをトラストのほうへと全て向ける。
一匹はこちらに向かって来るが、3匹足止めしている状態であれば何とかなる。――まぁ戦闘前にフィリスが言っていたから確かだろう。
リラが少し前に出る。
少しだけ楽しそうな顔を浮かべ、まるでじゃれるようにコロコッタとの戦闘を開始した。
何度か相手の牙がリラの喉元を捉える度にヒヤッとするが、華麗に回避して顎を狙って拳を叩き込むのを見て、あれはああいう遊びなのだと判断することにした。
「『クラウド』」
トラストの声が響く。
前に一緒に狩りに行った際には覚えていなかった魔法だ。
――などと思っていたら、天井付近に灰色の靄のようなものが出現した。
まぁ、呪文の名前通り雲を作る、あるいは雲を召還する魔法なのだろう……などと思っていたら、
「『雲よ集え、集いて注げ、豊穣の恵みを』」
続けて、またしても新しい魔法だ。
製造のためにソロでと言っていたが、どうやら製造ではなく魔法を覚えて育てていたらしいと気付く。
「『レイン』」
ぽつ、ぽつとコロコッタの頭上から水滴が降り始めた。
ひゅう、とフィリスが口笛を吹いた。
「やるね。――サンダーアローでも覚えた?」
その言葉で、なるほどと舌を巻く。
雨によって敵の体を濡らし、雷属性の矢を打ち込めば、恐らくコロコッタはひとたまりもないだろう。少なくとも完全に現時点ではトラストが有利になったということだ。
「リラ、そいつ壁に入れて」
「え?あ、はい!」
トラストから指示され、一瞬躊躇があったものの、リラは素直に頷くと、すかさずコロコッタの足を払った。
悲鳴を上げる隙も与えず、バランスを崩した相手に強烈な蹴りを入れ――いや、きっと何かのスキルを発動したのだろう。コロコッタの体は地に一度だけバウンドして、壁の中へと閉じ込められた。
後はサンダーアローで、濡れた彼らに雷属性を射込んでずっとトラストの手番だ。
「――『怒れし獣よ』」
だが、トラストはフィリスの、そして私の想像を無視し、別の呪文を唱えた。
「『その足を彼らに伸ばせ』」
フィリスもこれが何の呪文なのか知らないのだろうか、不思議そうな面持ちで見守っている。
「『我と汝の名のもとに、等しく怒りを振り下ろせ』」
その瞬間、私は――おそらくフィリスもリラも――その呪文の正体に気付いた。ついでに、トラストがジェスチャーで何かを伝えようとしているのがわかる。
彼らの頭上にある雨雲が、わずかに光ったのが見えた。
意識せず、私は一歩後ろに下がった。
リラが私を見て、追随するかのように一歩下がったその瞬間。
「『フォールサンダー』」
薄暗い廃墟の天井から、眩い光が断続的に、哀れな彼らに降り注いだ。
「まさか雷魔法まで覚えてたとはね」
ドロップ品を回収し、――とは言っても、「煤けた毛皮」とか「破れた毛皮」とか「砕かれた牙」とか「破損した骨」とか、およそ雷のせいで破損したとしか思えないようなアイテムばかりではあったが――フィリスは苦笑した。
「ん、あぁ結構前から覚えてたんだけど」
さらっと言うところを見ると、どうやら思ったよりもトラストはレベルを上げているらしい。
トラストが言うには、必勝パターンのひとつとしてずっと考察していたのだとか。ただしこの3つの魔法を使うにはどうしても相手の動きを何らかの方法で数分間封じる必要があるとのことだ。
雲を作る魔法。その雲を発展させ、雨を降らす魔法。雨を降らした後、雨を降らした際の摩擦により雷に発展するということに気付いたのは、もう1年近くも前のことだという。
「出来なかったりしたらカッコ悪いから黙ってたんだ」
本来、「フォールサンダー」は、天候が雨か雷でないと使えない。
だが、レインの発動でその条件は揃う。
本来呪文の発動を制限するための条件を利用し、魔法の威力を上げるというのは誰でもが考え付くものではない。
まぁ、話を聞いてみれば「レイン」の魔法は意図せず倒したユニークモンスターが落としたものらしいし、「クラウド」を入手できたのは完全に運だったとのことらしいが。
先に進むに従って、何度かブラックドッグやコロコッタ、ホワイトファングやグレイファング、ブラックファングなどが次々と現れる。
ホワイトファングはともかく、ここまで数が多いと一苦労だが、それほど強いわけでもないので先へと進む。
「左はさっき通ったよね」
「はい。右には多分行ってない」
トラストとリラが行った方は特に異常はなかったと言うので、行っていない方へと足を進める。
あまりに数が多い時は、私とトラストの二人でウィンドウォールを張り、トラストが弓で射て数を減らし、残ったものをリラが殴って始末する。
少ない場合は正攻法。リラを前衛に、トラストが回復に回り、私が二人の様子を見て、場合によってはウィンドウォールなどの妨害魔法で牽制する。
そうこうしながら進むうちに、
「――嫌な匂い」
リラが唐突に呟いた。
意味がわからず、それでも一応警戒する。
「まぁイザとなったらアタシやるし大丈夫でしょ」
フィリスが笑いつつ先を促すと、リラは納得したのか、ゆっくりと前へ――
「下がって!」
その言葉を発しつつ、トラストが弓を引き、狙いも付けずに撃った。
リラが反射的に一歩下がると、その目の前に矢が突き立った。
「――何かいた?」
「……いた」
フィリスが言うと、それにリラが答えた。
何も見えなかったが、どうやら何かがリラを狙っていたとのことだ。
「そこから、線で区切ったみたいに精霊が見えないから注意ね」
正確に言えば今さっき突然見えなくなったらしい。
エルフという種族の特性上、トラストには「精霊」という存在が見えているらしいが、その存在はそれと理解できる形で見えているわけではないらしい。
今回の場合で言えば、土の精霊が見えていることに今の今まで気付いていなかったらしいのだが、突然リラの目の前を境に、床の色がドス黒く変化したのだという。
「多分そこから先、瘴気あるよ」
さらっととんでもないことを呟くトラスト。
そうなると迂闊には進めないが、先に進まなければ話にならないだろう。
アキラがいれば『ホーリーライト』で何とか進めるか?と思ったのだが、フィリスが先にその可能性に気付いてアキラにウィスパーで話しかけ、「ダメだ落ちてるっぽい」と苦笑した。
そうなると、考え得る限りでは選択肢は多くない。
撤退するか、無理をするかだ。
「ところで、瘴気を突き進むとどうなる?」
「――お前、アキラに似てきたね」
何の話かと眉を顰めてやると、フィリスは喉の奥を震わせるようにくっくと笑った。
「進めないことはないけど、異常にこっちが不利になる」
フィリスの説明を聞くに、あまり楽しいものではないらしい。
悪寒や虚脱感、焦燥感。そう言った感情が強烈に襲って来る――と言うのがフィリスの説明だが、正直な話、よくわからない。
「んー。お前、タイラスに会ったことあったっけ?」
「タイラス?誰のこと?」
なぜか私が答える前にトラストが答えるが、フィリスは「トラストが知らないなら知らないか」と勝手に納得した。
数秒後、フィリスの説明の意味を身をもって実感しつつ、私たちは結局先へ進むことを選択した。
気力で何とか、というフィリスの言葉を信じたのだが、まぁ確かに気力で何とかなる範囲だ。風邪かインフルエンザか何かを拗らせて、それでも無理して何かをしようとしたらこんな感じだろうか。実際にはどちらにもかかったことはないが。
「奥に何かいるってことかね」
「どこにいるかまでは」
フィリスが軽口を叩くと、トラストも辛そうに口元を押さえながら――その行為に意味があるのかはともかく吐きそうだというその仕草には同意したい――それでも視線を前へ向ける。
この瘴気とやらのせいかどうかはわからないが、トラストが弓を突き立てた場所から先には、モンスターは一匹たりとも出ていない。リラは顔を顰めながら、こちらは口と鼻を押さえている。
思えば、リラが「嫌な匂い」と言ったのが最初だった気がする。
「……リラ、匂いはどっちから?」
試しに聞いてみると、先頭を歩くリラはまっすぐ奥を指で示した。
見れば、確かにそちらからは嫌な感じしかしない。恐らくはゲームのシステム的に、どちらに強敵がいるのかを理解できるようにしているのだろう。
「さっきはこんなのなかったのに」
トラストが顔を顰めながらも前へと進む。
さっきまではなかった、と言うからには、これはきっと私が受けて来たクエストの結果なのだろう。
だとすればどういうことなのか。
フィリスは知らないと言うし、トラストは、ユーリの毛の色すら忘れていたようだから、少なくともトラストやフィリスがやったクエストとは内容が違うということらしい。
「避けろ!」
フィリスが唐突に声を上げた。
慌てて周囲を見回し、緊張し、警戒する。リラも警戒しつつ無言で一点を見つめ、トラストは慌てたように呪文を唱える。
当のフィリスは、「チッ」と舌打ちして私の前に立った。
奥から聞こえる唸り声に目を向ける。
黒い何かが見えた。暗闇というわけではないが、少しだけ周囲の暗さと同化し、その姿を捉えるのは難しい。
唸り声がもう1つ。どうやら相手は二匹いるようだ。寄り添うように立つその姿が、目が慣れるに従って徐々に輪郭をあらわにする。
――輪郭を追っていると、その2匹の背中から首をもたげる蛇の姿が見え――
いや、違う。
ようやく気付く。
寄り添っているのではなく、1つの胴体に首が2つ。
――そこまで気付いて思い出し、そしてさらにもう1つ気付く。
背に乗っているのではない。あの蛇はきっと、尾から生えている。
「――オルトロス」
トラストが、乾いた声でその正体を告げる。
オルトロス。某ゲームではタコのイメージだが、最初に登場するのはギリシャ神話だったか。ファンタジー好きのフィリスの受け売りだが、有名な近親モンスターにケルベロスがいる。
牛を守る番犬だったが、それを盗もうとする英雄と戦って敗れた不遇の存在だ。英雄なのに牛を盗むのかとか、牛を守る番犬を倒して英雄扱いとか色々とヒドい、と思った記憶があるのでおぼろげに覚えている名前だ。
フィリスが下がるのに合わせ、一歩後退する。
トラストが青いポーチに手を入れ、中から一枚の葉――確かアイテム名は「奇跡の葉」――を取り出した。戦う前から誰かが死ぬことを想定しているのか。トラストにしては少しだけ弱気な姿勢だ。
「葉よ、彼を現世へ」
思った瞬間、トラストは短縮されたその呪文を唱え、私の目の前へと腕を突き付けた。
思わずその腕の下――足元へと視線を落とし、それでようやくトラストのその言動の意味に気が付いた。
――そこには、すでに屍となった私の姿があった。