結局、一日狩りは行わないことになった。
その分時間が余るので、各自適当に、という話になった。
「――さて」
リラはトラストについて行き、少しだけレベルを上げるとのことだ。
少し前、リラは戦闘中に死亡し、経験値を喪失しているため、私との間にレベル差が少しだけあるからだ。
まぁリラは気にしていないようだが、トラストがそれをどう言い含めたのか説得し、今日一日はとりあえずその差を埋めようということらしい。
そして私自身は、この町でクエスト探しだ。
少なくとも3つのクエストが存在するらしく、その場所も聞いている。
まず1つ目。
「生キャラメルの箱」。
超簡単なおつかいクエストだ。
要するに、生キャラメルを買い、その箱をNPCの元まで持ち帰ればOKだ。
経験値少量と、箱の数と種類に応じた報酬が手に入る。
2つ目。
「ライカンスロープの境遇」
とあるNPCの境遇を聞き、その話に応じた何かをすることで、様々な報酬が手に入る。ちなみに何が手に入るのかは不明。行動によっては全く何も手に入らないこともあるらしい。
3つ目。
「大樹の受難」
とあるグランドクエストの開始地点にあたるクエストで、これを受けないで別の開始クエストを受けることもできる。
が、フィリス曰くオススメはここのクエストらしい。理由は、「メンバー全員がここから開始しているから」。もし私がここで開始するようなら、後でリラもここで開始しておくとのことだ――もちろんトラストが連れて来るということだが。
今はその3つのうち、どれにするべきなのかを考えているところ――正確にはどれから始めるのかを考えているところだ。
つまり、どうせ全部やるのではあるが、どれから始めればいいのかわからず、また、地図などで調べたわけではないので、どこから始めるのが効率がいいのかわからない。
唯一開始地点を知っているのは、町からでも仰ぎ見ることのできる、町中央の大樹。開始されたら1時間はかかると言われているが、ここから始めるべきか。
町中央に到着すると、予想よりも遥かに大樹の幹は逞しかった。
現実の樹を実際に目にしたことはないが、ゲームを始めてからこれまでには、少なくともこれほどの大きさのものは見たことがない。
そんな風に考えながらも、歩調を少しだけ早めつつ、大樹の麓に座り込む一人の老人を探すと、存外あっさりとその老人を見つけることができた。
「――こんにちは」
「おお、……良い天気だな」
こちらに視線を向けた老人は、私の背後で燦々と輝く太陽に、目を細めた。老人のその仕草で眩しいのだろうと気付き、眩しくないように老人の隣に――とは言っても、座っても不自然にならない程度には距離を離したつもりでだが――腰をかけた。
それにしても今日のゲーム内気温は高いな、と思う。気温設定は現実での1年前の気温や天気を参考にしているそうだが、だとすればこの暑さはやや納得できないところがある。
黙って座っていると、老人もそれ以上何を言うこともなく、数回こちらを見たり視線を戻したり。何かを言いたいが、言うべきかどうか、と迷っている様子だ。
クエストの開始地点は聞いているが、何をどうすれば開始できるのかなどは一切聞いていないことに気付いた。
まぁ、一応挨拶はしてあるし、名目は「自由時間」なので、クエストを受ける受けないは自由だ。このまま何も起こらないのであれば適当に時間を潰して戻ろうか――などと少し考えていると、
「若いの、時間はあるかね」
唐突に、老人が声をかけてきた。
「ええ。あると言えばありますが」
とっさに即答する。
よく考えればそんなに急いで返答しなくてもよかった気がするが、一度出した言葉を引っ込めるわけにもいかないだろう。
「ふむ、――そうか。ではワシについてきなさい」
言うと、私の返答も待たずに老人は杖を突きながら歩き始めた。
ひょっとして、クエストが開始されたのだろうか、と、私は老人の少し後ろを歩き始めた。
「おおい、いるか」
ある雑貨屋の前で立ち止まった老人は、おもむろに店の扉を開けつつ大声を出した。
奥の方からだろう。はいはいはい、と可愛らしい声を響かせつつ、小さい子供の人影がぱたぱたと走ってやってきた。
「カーリー。珍しいわね、貴方がここに来るなんて」
子供、と思ってしまった思考を訂正しよう。よく見ると子供なのではなく、ホビットのようだ。確かドワーフの一種で、フィリスと同じ種族だ。ドワーフと違うのは、ムサ苦しいヒゲ面ではなく、子供のような外見が特徴の、NPCではいわゆる「好奇心の塊」という一面が強い種族だ。
白い長袖のワンピースに、きらきら光る、ガラスのようなアクセサリーが適度に似合っている。
「――あら。カーリーが人を連れて来るなんて」
クエスト上、決められた台詞なのか、本当に珍しいのかはわからないが、少女……のような外見をしたホビットは、私の顔をじろじろと遠慮なく見つめ、次いで服から靴までを一通り眺めると、再び視線を私の顔へと戻した。
「……まぁいいか」
何がいいというのか。とりあえず何かを納得したのは確かのようだ。
「いらっしゃいませ。何か買ってく?」
言葉とともに輝くばかりのスマイル。
アキラが言うところのエイギョースマイルというやつか。なるほど、若い娘がこういった笑顔をするならば、客はその笑顔に騙され、ほだされて財布の口を開けてしまうのだろうな、――などと余計なところで納得しつつ、店の中を眺める。
店まで老人について来た以上、何かを買ってから話を聞くのがセオリーなのかもしれない。
幸い所持金には少しだけ余裕がある――まぁなければアキラから借りればいい。利息計算を別にすれば、あの男ほど財布の緩いプレイヤーはいないだろう。
「――ん?」
ふと、店の奥に立てかけられている杖が目に入る。
確か店の看板は「雑貨屋」だったはずだ。
しかし確かにそこに立てかけられているものは、間違いなく「杖」――武器だ。
「――そこの、杖は売り物?」
「ええ、もちろん」
雑貨屋なのに?という言葉はかろうじて抑え、杖を手に取る。
「スキャン」
スキル名を声に出す。
アイテムの詳細アナウンスが聞こえる。
[アイテム名【ウィザードリィ・オールド・スタッフ】]
ふむふむ。
[ランク35、最大耐久値2000、耐久値1。魔法攻撃力に2200追加。修理不能]
思わず目が点になる。
耐久値1――最悪、一回使えば壊れるということだ。
元々の耐久値は2000だったようだが、修理不可能、ではなく「不能」ということは、元々あった2000のうち、誰かが1999までを使い切っている。――つまり。
「――中古品か」
聞こえない程度の声で呟く。
別に中古が悪いとは言わないが、……だからって耐久限界すれすれの商品を店に並べるというのもどうなのか。
「ちなみに、これはいくらですか?」
「30ドルですね」
ほぼ使い捨て同然の杖に対してこの値段。
元々の性能からして、いったいどれだけの値段だったというのか。
「――この店は、中古も?」
「ええ、冒険者からの買取もしております」
口調が少し固い。
――ひょっとして、この杖は単純に冒険者から買い取っただけの品物で、売れるとは思っていないのか。売れると思っていないからこそ、売れそうなので緊張していると。
――一応周囲をもう一度見回す。
カーリーの方を見ると、一瞬どこかを見ていたが、こちらに気付くと慌てたように視線を動かされた。
杖を手に持ったまま、カーリーが見ていたのだろう棚を見る。
「強精剤」
そう書かれた値札があった。お値段、一粒10ドル。
思わず絶句し、もう一度老人を見ると、もう老人はそ知らぬフリで空を見上げていた。
「ありがとうございました!」
心なしか、少し赤面している店主から袋を受け取り、明らかに突き出している杖を取り出す。
ちなみに、購入したのは、耐久値が1の杖、強精剤、強壮剤10錠、魔充錠10錠。
しめて300ドル。
「悪かったのぅ」
ボリボリと頭をかき、老人はカラカラと笑った。
「――コレ、貴方が使うのですか?」
溜息を吐きながら渡すと、老人はいやいやまさかまさか、と両手を振った。
「使うのは息子だよ。長年子供ができんで困っていたところでな」
じゃあ自分で買えば良かっただろう、とはあえて言わない。
――強精剤、という言葉を見て、私ですら絶句したのだ。当然老人にも羞恥はあったろうし、私に買わせるにしても恥も外聞もあったろう。
まぁ、私を連れて来た上、自分は何も買わず、おまけに私がソレを買ったことで、あの店主であるホビットは何かを気付いただろうが、買ったのはあくまで私だし、あの店主もそこまで邪推はすまい。
それにしても。
「ではな、若者よ」
私に何かを手渡すと、老人は大樹の方へと手を振りつつ戻って行った。
それにしても、だ。
――女性プレイヤーであるフィリスも同じことをしたのだろうか。
それとも、女性プレイヤーは内容が変わるとか、実は買わなくても顔さえ通ればいいとか、そういう類のものだったのだろうか。
大樹の受難、と言う割には受難を受けたのは私だった気がするのだが――
まぁいいか。
さて、次はライカンスロープのNPCを探そう。
NPCはあっさりと見つかった。
人――主にプレイヤーに――聞き回ると、案外あっさりと彼女はそこにいた。
――というか、さっきの店主がそうだった。
非常に顔を合わせ辛い。
「いらっしゃ――あら」
NPCも気付いたのか、こちらに向けてぺこりと笑顔を下げる。
よくよく見れば、この暑いのに長袖を着ている時点で何かあると思うべきだったか。
「――今度は客じゃない。すまないね」
言ってやると、ホビットの彼女は苦笑して見せた。
「ええ、冒険者の方ですものね」
言うと、彼女はおもむろに店の入り口を閉め、鍵を掛けた。
「――で、何が聞きたいのかしら?」
彼女の言葉に、思わず言葉を詰まらせる。
フィリスから聞いていたことと随分違う。
――フィリスが言うには、勝手にペラペラと話を始めるとのことだったのだが。
「境遇、かな」
ともあれ、聞くのは境遇だとわかっている以上、キーワードである単語を口にするしかない。
「――境遇、ですか」
そう判断したつもりだったが、彼女は一瞬キョトンとした表情を見せた。
「私は、ヴィラルドのフーリッシュパーソンズで生まれました」
それでも、少しづつだが彼女の話は始まる。
彼女、ユーリ・マンクラインの家は一般的な、お金以外には何ひとつ不自由しない平凡な家庭だった。
彼女が12歳になったある日、父親が彼女の誕生日の祝いのご馳走にするための獲物を狩りに、猟に出る。
そして、彼女の父親は仕留めた獲物を家に持ち帰ることもなく、行方知れずとなった。
父親がいない生活が数年続いた。
弟や妹を女手ひとつで必死に育てる母を支えるため、彼女は学校を――ちなみにこの世界では中等校と呼ばれるものまでが義務教育であり、本来であれば卒業しなければいけないところだ――彼女は卒業を待たずに学校に行かなくなった。
そしてさらに数年。
いつしかそんな生活にも慣れ、何とか自宅で雑貨屋を経営できるまでに家計が落ち着いた頃。
――唐突に、父親が帰って来た。
行方不明になった時とは似ても似つかぬ、汚れ、悪臭を放つその姿に、彼女はかつての父を連想することはできなかった。
当然のように自警団を呼び付け、父親は自警団の手によって、正義の名の元に殺された。
それが父親だとわかったのは、父親が死んで1年後だった。
どうしてわかったのか――と言われれば不思議で仕方ない、と彼女は答えるより他にはない。
ただ、何となくだ。
何となくあの男はひょっとしたら帰って来た父なのではないかと思い立ち、何となく、すでに死んだ男の持ち物を調べてもらった。
その持ち物には、彼女に贈られるはずだったバースデイカードが紛れ込んでいた。
それを知った母親は、それを知ってからわずか七日後に死体となって発見された。その遺体の損傷具合、刃の位置、そして腐敗具合から見て、父親が発見されたその日に自害したものと推測された。
真実が明らかにされたわけではないが、彼女がそれを信じるには十分すぎるほど、昔の父母は仲が良く、そしてそれと同時に彼女を襲った異変が、彼女から正常な思考を奪うには十分だったこともある。
その日、朝彼女が起きた際には何も気付かなかった。
彼女が家――つまり雑貨屋から出ると、まず最初に周囲から悲鳴が上がった。
それとほぼ同時に自分に対して詰め寄って来る旧知の男性は、まず一言目にこう言った。
――化物め、ユーリちゃんに何かしたのか。
意味がわからなかった。男性に何言ってるのかと即座に問い返すと、それで男性は彼女がそのユーリだと気付き、慌てて自分の持つ手鏡を手渡した。
手鏡を見た彼女は、即座にその手鏡を服で拭った。そしてもう一度見て、自分の顔を動かし、ようやくその鏡に映る狼のような姿が自分なのだと理解した。理解したがそれでもそれを信じることはできず、自分が何に見えるのかを手鏡の主に聞き、周囲の人に聞き――もちろんその声で彼女であると周囲の人たちもわかっていたので、それが彼女であると理解したのではあるが、――だからといって生理的な恐怖は拭えないらしく、声をかけた先から周囲の人々は恐怖に慄き、彼女を取り巻くその群衆は徐々に彼女の家から離れて行った。
――後天的動物化(ライカンスロープ)。
彼女のそれは病気だったのか、それとも何かの呪いだったのか、しばらくすると彼女の見た目は元通りになって行った。
だが、あくまでそれは見た目だけの話だ。
食べ物の嗜好は野菜から肉や魚へと変化し、服に隠された見た目は明らかに昔とは比べ物にならないほどに変わった。
最も顕著に変わったのはその狼のような毛深さだ。その腕が毛深くなるのに応じ、彼女はある一定以上の毛深さになると店を閉め、家に閉じ篭るのだという。
――当然ながら、そうなったら完全に家からは出ない。旧知の、手鏡を貸してくれたという男性が気を効かせて持って来てくれる食料だけを細々と食べてやり過ごす。
そうすれば元に戻ると知っているから今は苦でもないが、一体どうしてこうなったのか、彼女にはその理由がわからない。
「――ふむ」
理由がわからない、という言葉とほぼ同時に、彼女の頬を何かが光って落ちたのを見て、私はもう一度、ふむ、と声を漏らした。