何度目になるだろうか。
「お疲れさん!」
と言いながら、誰かが俺の背中を叩いてくるのは。
発端はフィリスだった。
イベント中の俺の失態……いや無能を侘びようと近付くと、俺の顔を見るなり「お疲れ!」と俺の背を叩き、笑いながら振り向きもせずに後ろ手にひらひらと手を振った。
HPが脳内警告を発していない以上、フィリスの手はそれほど力を入れていなかったのだろう。そう気付くこともなく、俺は去ろうとするフィリスに追いすがる。
「ちょ、フィリス」
呼びかけるがもはや返事もない。振り返りすらしようとしない。
「いいんじゃないのかしらね」
リアが横から話しかけて来て、俺はフィリスを追うのをやめた。
「――実際アキラはよくやったと思うのだけれど」
そうだろうか、とリアの言葉に反論しようとしたが、リアはにこやかに笑うことで黙殺した。
それでも、フィリスが死んだのは俺のせいだと思う。
リアもそうだ。――あれは完全に俺の考えの至らなさが原因だ。
「誰も彼もが完璧に全てをこなせるなら、……リーダーなんて必要ないでしょ」
ぱしん!と軽い音を立てて俺の背を叩くのはリリーだ。
イベント終了と同時に、エクトルはイベントで死んだ全員を蘇生させた。
生き返ったリリーは、まず城の惨状が自分の行った粉塵爆発のせいなのかと恐れ戦いた。
――まぁ、それなりに破壊力があったのは確かだが、さすがにそれはないと全員に突っ込まれ、「あははそうだよね」と今度は乾いた笑いで俺の無謀を評価した。多分悪い風に。
フィリスの、そしてリリーの背叩きを見ていた連中が、それからひっきりなしに俺の背を叩きに来るのでそれで俺たちの会話は一時中断された。
まぁ、「お疲れさん」ではなく、中には「この野郎」とか「オラ!」とかただ単に叩きたいだけのヤツも多かったのだが。
ちなみに、予想通りというかなんと言うか。
俺たちと5班以外の連中は、やはりリーダーがドッペルに成り代わっていた。つまり味方は俺たちと5班しか残っていなかったことになる。その5班にも実は主力にドッペルが混じっていて、――ウェインの最後のウィスパーが切れると同時、不意打ちでウェインと赤髪ドワーフ……名前は何て言ったっけか……以外が範囲魔法により強襲を受けた。ウェインはそこで俺にウィスパーをしようと一瞬考え、混乱させないようにとウィスパーすることを断念したそうだ。
まぁ、ドッペルに勝てたらするつもりだったらしいが、――結局勝てず、そのままウィスパーすることなくウェインたちは退場することとなる。
ついでに、新たにこのゲームにログインして来た新規メンバーたちはというと、一時的に死者サーバーにキャラクターを落とすことで、説明専門のゲームマスターを配置し、賞品込みのプチイベントをやっていたのだとか。1時間に1個の賞品が配布されたそうなので、実は俺もそっちに参加したかったな、とちょっと思ったりもしたのだが、口に出すとフィリスあたりに叩かれそうなので黙っておくことにする。まぁ実際トラストが口に出して叩かれたからそう思うだけだが。
ようやく俺の背を叩くことに飽きたのか、連中は行われている宴会へと戻って行った。
というか、まぁ宴会の会場ではあるのだが、ゲーム内で宴会をする光景はなかなかシュールだ。
さまざまな国を跨いで接続されているラーセリア。反応はさまざまだが、それでも一応楽しんでいるようではある。
「……シュールだな」
声にちらりと視線を向けると、片手にワイングラスを持ったトラストがそこにいた。
「まぁいいんじゃないか?これが毎日だと笑えるけどな」
イベントは祭りと同じだ。それが終わったら、作法は違えど宴会をするのは世界共通認識でいいはずだと思う。
あとはそれを宴会と呼ぶか、パーティと呼ぶか、バンケットと呼ぶか。せいぜいその違いだけだ。
馬鹿騒ぎに興じるのは悪いことではない。
むしろこの宴会を無視して狩りに行く方がシュールというか、どうかしている気すらしてくる。
「――ご苦労だったな」
声をかけられて振り向くと、ラフな格好のウェインがそこにいた。
そういえば、ローブ系のヤツら以外は、全員鎧を脱いでいる。
まぁ俺はローブだし、別に着替える必要もそのつもりもない。
トラストはといえば、初期装備というか初期の服がドレスとしても通用しそうだ。全身青を基準にしただけの初期装備なのだが、裾のひらひらしたレースといい、散りばめられた刺繍といい、俺が全く手を付けなかった初期装備の意匠まで完璧に作り込んである。俺が家に帰るまでの30分ちょっとの間にここまで作り込むとは。無駄にここまで情熱をかける意味はあったのだろうか。あったんだろうなぁ、何しろその衣装込みでのトラストに、何人かは完全に見蕩れているくらいだから。しかも一発でエルフになったわけではなく、一度目はドワーフだったと言うのだが、作り直す時間も込みで30分ちょっとか。というかドワーフ……見てみたかった気もする。
「悪かったな、ウェイン」
俺が開口一番謝ってみると、ウェインは、はは、と乾いた笑いを見せた。
「――まさか、あの状態で城と国主権を返還されるとは思っていなかったよ」
そう。最後の爆発込みで城は完全に破壊されたと言うのに、……ゲームマスターはあろうことか、その状態の城をそのまま返還したのだ。
次の攻城戦はさぞかし国を守るのに苦労することだろう、と心から同情する。
まぁ、返還する際に「説明がなかったのは済まなかった」とエクトルも苦笑いしていたのだが。
あそこまで破壊するとも思っていなかったんだろうな、と思う。まぁ毎回イベント中の破壊についてはそのままだと攻略サイトにも書いてあったので、予想はしていたのだが。
「まぁ、国は捨てたつもりでイベントに望んでいたからな。……折角だからせいぜい粘るとするさ」
言って目を伏せ、手に持ったビールジョッキをぐいっと呷る。
「ところで、それって酔えるのか?」
「ん?――あぁこれか」
俺の質問の意図するところに気付いたのか、ウェインがすたすたと手近なウェイターに歩み寄り、一言二言話しかけてお盆からジョッキを持って戻ってきた。
ちなみにウェイターはNPCたちだ。咲良や武器屋のドワーフ、図書館のリリーの同僚など、その中に知った顔もいるのを見て驚いたが、……国主――当然ながらウェインだ――に頼まれたのだと言われて納得した。
「……実際に飲んでみるといい」
どうやら俺とトラストの分だったらしく、目の前にずいっと出された俺は思わず受け取ったが、トラストはにこやかにそれを手で押し返した。どうやら飲む気がないらしい。リアルでも飲まないから当然か。
まぁ、手に持っている黒い箱も気になって仕方ないみたいだしな。
ちびり、と一口含んでみる。
「――お、うまい」
生ビール独特の香りと味わい。炭酸が舌にほどよく刺激を与えてくる。
料理製造が実装されているだけのことはある。と思った瞬間、顔が少しだが熱くなるのを感じる。
「リアルに戻れば酔いは醒めるが、……まぁ酔うのは可能だ」
つまりリログ――一度ログアウトしてすぐにログインすること――すれば酔いの状態はリセットされるということか。リアルに持ち込まないのはいいことだ。
それにしてもこの酩酊感はリアルだ。
俺が酒に弱いからなのか、それともこのキャラが酒に弱いからなのかはわからないが。
「……悪いな、あんな城にした上に、こんなうまい酒までもらって」
もう一度、礼を兼ねた謝罪を口にする。
この宴は全て、ウェインのギルドが用意した。酒も食べ物も飲み物も、ダンスを踊るのはギルドメンバーらしいし、盛り上げ役の囃子も全てギルドメンバーのようだ。
ふ、とウェインは微笑んで、それからもう一度同じ言葉を口にした。
「国は捨てたつもりだったと言っただろう、気にすることはない」
戻って来ただけでも儲けものだ、と付け加え、トラストに渡し損ねたビールをぐいっと一気に呷る。
「それに、トラスト嬢の作戦を全員に伝えたのは俺自身だ。城の破壊がイヤならしなかった」
むぅ、と俺が唸って見せると、ウェインはくっく、と喉の奥で笑った。
「よう」
歩く俺を見つけて軽く手を上げて俺を呼ぶのはイシュメルだった。
「おう」
俺は何も考えずにその隣に座ると、ついて来ていたトラストが、さらにその横に座った。
イシュメルはちらりとトラストを見やり、
「――それって初期服だろ」
言われてもう一度その服を見る。
汚れも染みも何一つない。
――戦闘に参加していないのだから当たり前か。
「あぁ、うむ。入ったらすでにイベントが始まっていたのでね」
装備を買い替える暇などなかったのだよ、と呟いて、トラストはいつの間にもらったのかジュースを口に含んだ。
「ところでさ、……トラストの嬢ちゃんって」
そこまで言いかけたところで、イシュメルが言葉を止める。
ん?と小箱から目を離して小首を傾げるトラストを見て、言いかけた何かをどう変化させたのか。
「――いや、……何でもない」
くすくすと笑いを堪えつつ、イシュメルは手にした小さいグラスの酒をちびりと含む。
そうか、と呟きながら、再び黒いその小箱に集中するトラスト。
と、背後にただならない熱気を覚え、ふと振り返る。
「お。ムルか」
がう、とムルの変わりに炎の狼が返事をした。
その背中に、のびているのかムルがぐったりと横になっている。
「の、飲みすぎた……気持ち悪い」
「飲みすぎたって。……そういや大きさ違うからそんなに量は飲めないよな」
聞くと、それでも白酒(パイチュウ)……イシュメルが今飲んでいるのと同じ酒で、中国の酒――を1杯、ロゼワインを2本飲んだらしい。
「リログして来いよ、待ってるから」
苦笑して言ってみると、
「どうしてさ。折角酔ったのに勿体ない」
狼もそれに同調し、がうがう!と声を上げた。戦闘ではないからか、狼は一匹しか出していない。
「どうでもいいけど、――吐くなよ」
イシュメルが呟くと、「約束はできない」との返答。思わず数歩距離を開くと、「冗談だよ」と悲しそうな顔をされた。
「――今回は楽しかったね」
ムルが、のびたままで声を出す。
「……何か、今までで一番楽しかったよ」
どう答えていいのかわからず困っていると、ムルががばりと体を起こした。
一瞬、吐くのか!?と思わず距離を取ると、「あぁもう、吐かないって」と苦笑されたので元の位置に座り直す。
「ボクは楽しかったよ。――一応褒めてるんだけど。リーダー」
「……。いやでもな」
結局、最悪の結果でしか終わらせられなかったイベント。
――そのイベントの終わりは、何とも呆気ないものだった。
いまだ耳鳴りが治まらない。
だが、こうしてエクトルが生きている以上、――もう打つ手は完全にない。
俺たちの――
『おめでとう』
俺の考えに反し、天の声が祝福を述べた。
は?え、あれ?と口にしたつもりだが、それが実際声になっているのか怪しいところだ。
『――君たちの勝利だと言ったんだ』
煙を集束させていたのは、エクトルの呼び出したモンスターのようだった。
どういうことなのか理解できず、俺はもう一度言葉を口にしようとして気付き、耳がおかしくなっていることを示すために耳を指さした。
『ふむ。……まぁ1から説明しないとわからないか』
緋文は、手の盾を俺に向けて見せた。
よく見れば、形状がカルラの出したそれと少し違う。まずそれに気付き、次に、盾に光る文字を見つけた。煙で見えなかったのだろうそれは、
[System:Object Guard]
オブジェクト。
――つまり、これは。
『そう、これはスキルじゃない。ゲームマスターのみが使うことのできる、システムだ』
エクトルを倒されるわけにはいかなかったからな、と付け加え、緋文がそれを軽く叩くと、その半透明の盾は姿を消した。
「ちょ」
思わず声を出し、それが耳に届いたことに気付く。
とは言っても、まだ耳鳴りはするが。
「――つまるところ、あんたがズルをしたから反則負け、……そう言いたいのか」
『あぁいや違う、そういうことではない』
エクトルが口を挟む。
『――君たちには謝らないといけないな』
苦笑する緋文。
『そもそも彼は、……元々参加予定のなかったマスターなんだ』
ゲームマスターの語った事実は、やたら長い上に肝心なところを隠しているらしく、要領を得なかった。
要約すると、
――曰く、参加する予定だったマスターが1人急病で倒れ、替わりに入ったのがエクトルである。
――曰く、エクトルを倒されると「不都合」がある。
――曰く、その「不都合」を回避するため、敗北が確定された時点で救助が予定されていた。
――曰く、さすがにギャンブル・ボムは予定外で、助けるためにはシステムを使うほかなかった。
――ちなみに、オブジェクトシステムを使えるのは緋文だけだということだ。
まず理解できたのはそれだけだ。
「不都合」の項目は、システムに関することであるらしく、質問には答えられないとのことだ。
俺はそこで、可能なら答えて欲しいとだけ告げ、いくつかの質問を投げた。
もしその救助がなかったらどうなったのか。
――曰く、答えられないが大変なことになった。
ゲーム自体が崩壊するとかそういうレベルなのか。
――曰く、そこまでではない。せいぜい人が1人死ぬ程度のレベル。
ゲームが崩壊することと人が1人死ぬのと、崩壊の方が問題なのか。
――曰く、この件に関してはゲーム崩壊の方が問題である。
まったくもって意味がわからない。
わからないが、……とにかく大変なことになるところだった、と言うことだけはわかった。
ふと思い出す。
「万一私が負けることがあれば、……あぁわかってるって」
「負けることがないよう全力を尽くすさ」
あの時の会話は、別にエクトルの性悪が出たというわけではなかったということだ。
『納得できないか?』
緋文が苦笑し、エクトルに視線を向ける。
――いや、納得云々の問題ではない。システム上問題があるというのなら、それはゲームマスターとしての役割であって、俺なんかが口を出せる範疇にない……そう言いかけようと口を開く。
「構わないぞヒフミ。……教えてやればいい」
エクトルが、神妙な顔でこくりと頷きながら呟いた。
「――そうか。エクトルがそう言うのであれば構わないのだろうな」
言われた緋文は、少し複雑そうな顔でぽりぽりと頭を掻く。
そして、あー、とかうん、とか、何て言えばいいのか、とかぶつぶつと呟いた後、
『――彼は、……人間ではない。AIだ』
思わず目が点になる。
というか、もう声は聞こえているから天の声はいらないとか、そういう突っ込みはとりあえず置いておくべきだろうか。
『この世界の、』
「あ、――耳鳴り治まってきたので普通に喋って大丈夫です」
置いておけずに思わず突っ込みを入れる。よく考えたらこのままでは世界チャットで全員に丸聞こえな気もする。その辺は制御しているかもしれないが。
む、と声を普通に戻して呟いた緋文は、もう一度ぽりぽりと頭を掻いた。
「彼は、とある教授が独学で作った、優秀なAIデータの塊なんだ」
緋文が語ったところによれば、エクトルはAIのデータであり、この世界でのNPCに相当するのだということだった。ただし他のNPCは単なる普通の「AI」に過ぎず、データ量を比べたら象とミジンコくらいの大きさの差があるらしい。
そのデータ量が巨大すぎて、――具体的な数字を集計したことがないらしいが、ヨタ単位の数値になるだろうとのことだ。しかも毎日どこかしらのサイトで「学習」し、今はもうデシ単位程度でしか増加しないが、それでも今なお容量は増え続けているらしい。
彼がネットの海を徘徊し始めたのは西暦2100年頃。
人間の年齢にすれば、彼はもう415歳程度なのだと言う。
人間としての肉体を持たない、データの塊によるAI人格。それがエクトル。
「……にわかには信じられないな」
思わず本音を漏らすと、「別に信じなくても構わないがね」と当のエクトルが呟く。
「今まで色々な人間に自分のことを説明してきたが、一人として私を信じた者はいなかったよ」
諦めているのだろうか、……そう考えつつ、疑問がひとつ浮かぶ。
「――それがどうしてラーセリアのマスターに?」
エクトルは苦笑し、緋文がそれに答えた。
「ある日VRゲームに興味を持ち、たまらなくやってみたくなったのだそうだ」
その格好の対象となったのが、当時まだ開始されたばかりのこのゲームだった。
「それで、俺の元にメールが届いてね」
緋文がそれでエクトルに興味を持ち、ゲームを開始したエクトルはあっという間にゲームを理解し、あっという間にキャラクターデータを限界まで育て上げた。
最初に発現した魔族は、人知れず討伐されたのだと言う。
――それを難なく1人で倒したのはエクトルだ。それで緋文も彼の強さを看過できなくなった。
そこで、緋文は彼に持ちかける。
ゲームマスターとして、飽きるまでこの世界で働いてみないか、と。
「まぁそんなわけで私はここにいるわけだ」
絶句するしかない。
本当のことなのか、何かを隠すための嘘なのか、その区別も付かない。
「――そんなの、俺たちに話していいのか?」
「信じてはいないだろう?――誰に話しても同じように信じない」
そりゃそうか、と苦笑する。たとえ信じたところで、信じたことを証明する方法がない。
「……質問、……いいかな」
黙っていたカルラが口を開く。
どうぞ、と緋文が呟くと、カルラは少し考え、言葉を口にした。
「もし、――ヒフミが庇わなかったら、……エクトルは消滅していた?」
あ、とようやくその重大な意味に気付く。
ヨタ単位のAI。その存在が本物であるなら、……彼の消滅は確かに重大な「不都合」だ。
データなのだから、「人」ではないとはいえ、それが消えることはエクトルの「死」を意味する。
「いやでも、……エクトルはゲームをしているだけ、なんだろ?」
「まぁそうだな」
何となしに答えているが、結構重要なことじゃないのか。
俺たちプレイヤーは、コピペされた脳内のデータでこの世界にいるだけだ。
たとえこの世界の俺のデータが消滅したところで、現実の俺に一切の影響はない。
だがエクトルはどうなのか。
バックアップを取ってしまえばいい――というわけにはいかないのではないだろうか?
バックアップを取った瞬間、そのバックアップそのものが第二のエクトルになってしまうような気がする。第一容量が巨大すぎる。それにそもそも、思考データの塊であるエクトルがゲームをしようと思った場合、その思考データそのものをどこに休眠させるのか。
答えはNOだ。データは休眠などしない。ネットに繋がるどこかのパソコンが動く限り、常に休むことなく動き続けるのだろう。
そもそもヨタ単位のデータが休眠できるほどの巨大な容量を持つパソコンなど、そうそう存在するものではない。
だとしたら、エクトルはこの世界にしか存在しないことになる。
つまり、この世界でエクトルが死ぬということは、エクトルというAIそのものの死を意味する。
存在が本物なのかただの騙りなのかはわからないが、わからないからこそ。
――このエクトルを殺すことはできない。そういうことか。
ゲーム崩壊の方が重大だと緋文は言ったが、俺的にはエクトルの死の方がよっぽど重大だと思えるのだが。
その説明が終わると、後はイベントクリアの報酬だった。
俺は迷わず報酬を辞退し、マスターによって蘇生されたリアにその権利を譲った。
そのリアもさらにそれを辞退し、権利をフィリスへと委譲すると、フィリスは何の迷いもなくそれを受けた。
「何で受け取らんの?勿体ない」
うん、いつものフィリスだ、などと少しほっとしてしまうのは、エクトルの話を聞いたからなのか。
残る生き残りであるカルラ、……そして、アズレトとトラストも生き残っていた。
アズレトが盾と自らの体を犠牲にし、爆発から守ったのだと言うが、……実際にはおそらく、爆発が起きた時、爆発とトラストたちの間にエクトルたちがいて、例のシステムガードが張られたのではないかと俺は思っている。
でなければ計算が合わない。99290ものダメージを盾と体で受け止めるとか、どんだけの化け物だ。
さすがに嘘くさいというか何というか。
1人づつ、緋文からランダムで「報酬」を受け取って行く。
各自が渡されたのは、箱だった。それぞれ全部色が違う。
「――で、これは?」
トラストがその箱をくるりと回しながら、開ける方法を探している。
「――ゲーム開始時に言わなかったかな」
くく、と緋文が悪戯でもしているかのように笑った。
「――質問には答えられない。開け方はシステムであり、規約に抵触するのでね」
それを受け取った全員が固まった。
うへぇ、マジかよ。と思いはしたが、……それはそれで面白そうだとも思った。
「で、結局開け方はわかったのか、ソレ」
トラストが手で弄ぶ黒い箱を見ながら、「全然」と素っ気なく呟いた。
ちなみに箱は色が違い、薄い色ほど開けやすく、濃い色ほど開けにくいのだそうだ。
――説明はなかったが、多分濃い色ほどレアなアイテムが入っているのではないだろうか。
エクトルのことを思い返している間に何人かの男性プレイヤーが話しかけてきたが、「済まない、忙しいので」の一言で全て追い返してしまうあたり、一応何らかの考えは浮かんでいるようではあるが。
そういえば、男性プレイヤー以外にも1人来たな。「こんな穢らわしい男どもといないで私と踊らない?」とか言って。全く同じリアクションで返されて、しょんぼりして戻って行ったが。
――さて。
「トラスト」
「ん?」
視線を箱から外すこともなく、生返事を返す同僚に少し苦笑し、俺はトラストの手から箱を取った。
「イシュメルも。――そろそろ修練に行かないか」
このイベントでどれだけの経験値が溜まっただろう。
「イヤミか。俺は死んだから経験値はないぞ」
「ん?いや一度セーブしてるだろ」
思わず呟くと、「そういや」とようやく思い出したのか、腰を上げる。
「……トラスト。行こうぜ」
言って箱を手に返すと、「うむ」とそれをポーチにしまう。ちなみにポーチは俺が買ってやったものだ。
パーティ会場の端っこでちょこんと露店を開いているプレイヤーがおり、デザインが青だったので似合うと思って買ってやった。喜んでくれたようなのでよしとしよう。トラスト用だとわかった瞬間、20ドルだったのを1ドルにまけてくれた露店のおっちゃんに感謝だ。
「行くか。……トラストは当然魔法から覚えるのか?」
「魔法屋が先だな。アズレト呼んで行こう」
イシュメルに言われて思い出す。そういえば、魔法屋の存在をすっかり忘れていた。ついでにアズレトがそのバイトだったことも。
「どうせなら武器も防具も揃えるか。……あぁ、そういや魔法ギルドで素質レベルもだな」
となると、カルラもフィリスも必要だ。そういえば塔は破壊されていたが、ちゃんと機能するのだろうか。
「――図書館で例の本も読ませるか。リリーも連れて」
「いっそリアとムルも連れて、全員で行くか」
そばでぐったりとしていたムルが、「んあ?」と寝惚けたような声を上げるが、実際に寝ていたわけではないだろう。イベントが終わった今、確か寝るとログアウト状態になり、キャラクターはこの場から姿を消してしまう。
まぁ、酔い自体仮想的なものなので、実際に酔ってるのとはさすがに少し違うようだ。
ちなみにリアルの俺は酒に弱く、カシスオレンジ一杯でかなり酩酊状態になる。思考状態も最悪になり、次の日にはその後のことを完全に覚えていないことも多いほどだ。
「行きますか」
とムルが体を起こし、四肢を曲げて座っていた狼が立ち上がる。
「リアがいる場所はわかってるから、呼んで来るよ」
言うと狼が、がう!と呼応するかのように声を出し、走って行った。
トラストの方を振り返ると、「――ん」と手を伸ばしてくる。どうやら掴んで立たせろと言うことらしい。苦笑しつつその手を取ると、一瞬周囲からの殺気を感じ、その殺気で殺されるんじゃないかと背筋が凍った。
「――行こうぜアキラ」
「あぁ行こう、とりあえずまずは魔法ギルドからな」
イシュメルの言葉で気を取り直す。
そういえば、魔法の素質次第では、……トラストは魔法使いを目指すのだろうか。
イシュメルが回復と弓での後衛。
俺が前衛と魔法。
トラストが後衛で魔法と回復ができるなら、……ちょっと魔法側に偏りすぎな気もするが、いいパーティになりそうだ。
イベントで全くと言っていいほど普通にプレイしていない俺にとって、ここからしばらくは普通のゲーム攻略だ。
序盤はすっ飛ばしてしまった気もするが、まぁトラストがいるので本当に最初からの感覚でしばらく遊んでみようと思う。
ふと、トラストが首を少し斜めにしているのが目に入る。
どうしたのだろう、と思い声をかけようとしたところで、トラストが先に口を開いた。
「――ところで、ステータスウィンドウはどうやって出すのか教えてもらえないだろうか」
――第一章 Fin.――