大学か何かの講義で実験をしているのを撮った動画を見たことはあった。
実験では防護ガラスを割ることもなく、内側で爆発しただけだったが。
空気中にある一定以上の濃度で浮かぶ粉があれば実行可能だ。
その「一定以上の濃度で浮かぶ粉」は、リリーが持って行った「物資」だ。
爆弾が作成されるのであれば、その原料となる「火薬」がこの世界には存在する。
そう、リリーの持って行った「物資」とは――「火薬」。
さらに、アズレトの余計な一言で、その物資の半分は別のものに変わった。
現実世界において、最も手に入れやすいであろう「爆発の材料」とは何か。
そして、すでに作戦が漏れているのであれば意味がないが、それはゲームマスターの視界を奪う役目をも同時に果たす。
「――成功率を上げるならむしろ、小麦粉で煙幕張るってのはどうだ」
小麦粉。そんなものが存在するとは俺も知らなかったが、考えてみれば製作スキルがある以上、お菓子作りや料理に必要な小麦粉は必須アイテムだ。
ゲームマスターの視界を遮り、「爆発」の材料として機能し、さらに重量を減らすことでリリーの負担を軽減する「小麦粉」は、トラストの作戦にはぴったり当てはまった。
そしてトラストの作戦は形となった。
現象の名は「粉塵爆発」。
そんなものがゲーム内で現象として起きるのか、と言うのは甚だ疑問だったが、それはたった今、リリーの手によって「起きる」という答えが実証された。
代わりに、実行したリリーの生存確率は0に等しいが。
玉座の方から轟音が鳴り響くと同時、俺たちの先頭に立つカルラが両手を前に突き出した。
「――『ライト・クォリフィケィション・シールド』」
半透明の巨大な盾がカルラの目の前に現れ、
――瞬間、がらがらと目の前の壁が音を立てて崩れ去る!
『うっわマジで』
さすがにここまで強力な爆発をするとは思っていなかったのだろう。フィリスがヒいたような声を出す。ウィスパーが繋がっていなければ、俺にその声が届くことはなかっただろう、その程度には小声だったが。
さらに、玉座から砕けた壁はもう1枚――つまり粉塵爆発は合計で中心から2枚――壁をぶち破る。
カルラの盾に、崩れた城壁が音を立ててぶち当たり、ガンガンと音を立てた。
「――あと2秒」
カルラの呟きが、その盾の継続時間を告げる。
頭の中で一応カウントダウンするが、もはやそのカウントダウンに意味はない。
粉塵爆発は一瞬だ。すでに次の爆発が起きる可能性は、ゼロに等しい。
一応メンバーに手招きして、全員が破壊されていない壁の後ろに隠れる。
『――ッ、やって――くれる』
エクトルの声が頭の中に鳴り響く。
――コイツ、わかってはいたがやっぱりウィスパーで監視してたか、……と言うよりあの爆発で生きてるのかよ。
『ゲームマスターか』
ウェインがその声にそう返すと、エクトルは舌打ちでその返事を返した。
何も喋らずにいることがウィスパー監視の基本だ。つまり、これでもう監視は監視の役目を果たさないと察したのだろう。
「今回の作戦のリーダー全員の会話を盗聴か。……4班リーダーは相当初っ端からやられてたんだな」
思わず苦笑してしまう。
『ウィスパー、ゲームマスターエクトル。――アウト』
ウェインが即座にゲームマスターとウィスパーを繋ぎ、ウィスパー回線を遮断した。当然ながら俺たちリーダーとの会話も遮断されてしまうが、今となってはウィスパーを繋いでいる意味もない。
ドッペルの存在は、リアがその特性について語ってくれた時から危険視していたはずだ。
だというのに、俺たちはその存在はもう危険ではないものとして勝手に判断してしまっていたが、考えてみれば当たり前か。
俺たちの会話は、4班リーダーを介してだけではなく、……俺たちの会話自体が盗聴されていたわけだ。
「……4班リーダーがドッペルだった時点で気付くべきだったということね」
リアが苦笑する。
「――ウィスパー、ゲームマスターエクトル。――アウト」
ウェインに倣って回線を切りながら、盗聴をしていたのはいつからか、と考える。
推測するしかないが、……たぶん今回の作戦が開始されるにあたり、ウェインを中心にウィスパーによる情報網を展開させた時だ。
それでも疑問が残るのは、俺の耳にはウェインの声しか届いていなかったことだ。
ウェインは全員からのウィスパーが届く。全班を束ねるリーダーとして、情報管理のために。
――が、俺はどうか。
俺には、他のリーダーと回線を繋いだエクトルの声は聞こえていない。とすれば、ゲームマスターが最後にウィスパーを繋いだのは俺、ということになるのか。
ウェインは、……各リーダーとウィスパーを繋いだから、そのうち1人がゲームマスターでも気付かなかったのかもしれない。
俺が繋いでいたのはウェインだけで、別のリーダーとは繋がっていない。
ウェインの所属する5班以外の動向は全くわからないが。
――あれ?
そう言えばこれだけ時間経ってるのに、1、3、6、7班とは全く会ってねぇな。
いや、会ってないという意味では5班も、そして突入前に敗れた正面班も4班も同じだが……
「ウィスパー、ウェイン=マークウッド」
とりあえずウェインとの回線を繋ぎなおす。
「なぁ、1367はどうした。まさか全滅してんのか?」
さすがにないな、と自分でも思いつつ聞いてみると、ウェインが「ん?」と声を漏らした。
『1は壁を破壊せず迷宮突破。俺たちの突入前にゲームマスターと戦闘して全滅だそうだ』
馬鹿かよ。何のために作戦を立てたのかわからん。
『3・6・7は壁破壊後にモンスターたちと戦闘して、残ったメンバーは撤退中だ。ちなみに3はリーダーが死んで別のリーダーになっている』
「1はともかく、その3・6・7とも一度も会ってないんだが」
む、とウェインが呟く。
『――おかしいな。玉座には突入していたはずなんだが』
玉座に突入したのであれば、……
「爆弾の音すらしなかった気がするんだが」
そうだ。俺たちが突入して以降、爆発するはずの音は一切聞こえていない。
5班については俺たちと同時に爆破の予定だったから、タイミング次第ではこちらに音は届かないはずだが、残りに関してはどうなのか。
トラストの最初の案は「城を破壊しつつ突き進む」。
この際、どの班から玉座に突入するかが最大の論点だった。
元のトラストの作戦は、確か4班の後、2・5、1・3、6・7じゃなかったっけか。
正面から正反対に位置する4を筆頭に、正面に近い2と4に近い5を同時に爆破。ちょっと時間差で1・3、最後に1・2・3に敵側戦力が集中したところで6・7が爆破し、真横から奇襲――確かトラストの案はそんな感じだったはずだ。
ウェインが変更したのは1が爆弾を使わず通り抜ける――これは1のリーダーが提案したらしい――ことと、6・7が3より先に爆破するということ。
6・7側に戦力が集中することで、3の戦力が背後から奇襲できる――ということだったはずだ。
それが爆発していない、と考えるなら最悪のパターンとして、
今の3・6・7のリーダー3人は全員ドッペル、……という想定ができる。
「まさかの残りリーダー3人が全員ドッペルとかないよな」
『……考えたくもないな』
考えても仕方ない可能性はとりあえず横に置く。次の可能性としては、
「爆発する前に強襲されたとか」
『そんな話は聞いてない』
ウェインがそういうのならそうだろう。リーダーとは全員ウィスパーで繋がっていた。
「まぁ何にせよ異常事態だな」
『まいったな……』
返答と一緒に空笑いが返る。
全くだ、と返答を返して少し考える。
「とりあえず、ウィスパー回線は定期的に遮断すべきだな」
『あぁ』
そう言うだけ言って、ウェインは『アウト』とウィスパーを切った。
俺も一応切りつつ、さてどうしたものかと考えてみる。
正面突破の連中が雑魚を残した理由。
恐らく、際限のないあの玉座の状況を見て、正面隊の連中は雑魚を倒すのをやめたのだろうと推測する。
考えられる理由はひとつ。
一匹でも多くの中級モンスター、もしくは、あわよくばゲームマスターを倒そうという判断をしたからだ。
そのゲームマスターがライドワードの回復によって討伐困難である以上、正面隊の連中は間違いなく、目標を中級モンスターに定め直したはずだ。
「……たたみかけよう」
玉座の方から、音がほとんどしない。
回復しているのか、それとも想定外の事態でエクトルが混乱しているたけなのかはわからないが、チャンスがあるとすれば今だ。
アズレトやトラストのいる位置に関しては予想が付くし、アズレトであればトラストを完璧にガードして余りあるだろう。
もしトラストが死んでいたとしても、もうあいつにできることは多分、何もない。
「OK、先行くよ!」
言うなり、フィリスはまだ爆煙の立ち込める玉座へ走った。慌ててフィリスとウィスパーを繋ぐと、それを尻目にイシュメルも続いて飛び込んだ。
――イシュメルは後衛として、弓で牽制に徹するだろうとわかってはいても、同じレベルの俺は頭脳しか担当できないのはちょっと情けないなと思う。
「気を付けてくれよ、これからエンカウントするだろう敵は全部ボス以上だ」
一応注意すると、『マジで』とフィリスから苦笑が返る。
さっきの爆発で生き残れるとしたら、何が想定できるのか。
城壁2枚、確か壁1枚で「破壊力300」だったはず。とすれば、破壊力600はあった今の爆発はどの程度のダメージになるのか。
「リア、城壁一枚ってどの程度のダメージになると思う?」
「確かヒットポイントに換算して3000だったはずよ」
過去のデータだけれど、と付け加えるリアの言葉に、即座に破壊力1=10という計算をする。
「私も先に行ってるわね」
リアが呟いて駆け出すと同時に、「あ、ボクも」と炎の狼に跨ったムルもそれに続く。
1枚の壁が3000。となると、単純計算で6000程度のダメージが、玉座内部で起こったことになる。
「さっき玉座にいた敵で、6000ダメージ受けて死なないようなボス以外のモンスターは?」
隣に唯一残ったカルラに聞いてみる。
「――ボス以外は、……ライドワードも含めて――多分」
ボスしか残っていない、と言うことならばまだこちらに分はあるが、……相手はサモンのエキスパートだ。
が、すでに俺たちは「小数部隊」だ。
リリーが欠けた今、俺たちの班はたったの8人。アズレトやトラストの隠れて入る場所によっては6人しかエクトルの回りには存在しない。
「ウィスパー、アズレト=バツィン」
トラストよりも生存率の高いアズレトにウィスパーを繋ぐ。
「アズレト、その位置からマスターは見えるか?」
『――見える』
単純な質問から、位置を推測する。
見える、と言うのであれば隠匿場所は限られる。
上か下か。
天井に張り付く、または登る手段があるのなら、上に隠れる手段もあるだろう。
だが恐らく、――まだ完全に爆煙は晴れていないので見えないが――天井も今の爆発で相当破壊されたはずだ。
だとしたら下か。――答えはNOだ。
下も同じだ。地下があったとしても、恐らく同じ要領で破壊されているだろう。
――だとしたら。
「――通路か」
玉座から続く通路は2・4・5班の爆弾で開いた通路と、そして元々開いていた通路だ。
――トラストの嬢ちゃんはベルゼから逃げる直前に壁にこっそり隠れて手を振ってるのを見た――
イシュメルの言葉を思い出す。
最初トラストがいた場所はどこか。
俺たちと同じところから、カルラに頭を引っ掴まれて地に伏せ、……あそこでベルゼから隠れるポイントと言えば一箇所しかない。
俺たちが破壊した壁。
爆発による破壊ではなく、カルラが破壊した方の壁だ。
だとすれば、地図を頭に入れていたトラストであればシミュレートできるだろう。
――俺に気付かれずジェスチャーでアズレトと合流し、かつ現在ゲームマスターが見える位置。
正面通路。俺が一度ログアウトした付近の、タイラントが破壊した地面の下だ。
トラストのやろうとしていることが、俺の推測と同じものなら、今の期をおいてほかにない。
「――カルラ、魔力剤は?」
「――3回、……全回復分」
3回。
あの盾を3回出せるだけのMPが残っているなら。
いやむしろ1回でいい。
そしてそれがおそらく勝つためのラストチャンスだ。
「……全快しておいてくれ」
自然回復しないとはいえ、アイテムによる回復は受け付けるはずだと予想する。
カルラは青い魔力剤の瓶を1つ、一気にあおって飲み干した。
この作戦は多分、また皆に無謀だ馬鹿だと罵られるのだろう。しかもそれで絶対に勝てるのかと問われたら、五部だと答えるしかない。
一応、爆煙で覆われていた視界が徐々に晴れてきた玉座の状況を見回す。
まず天井。……崩れ落ちはしなかったようだが、城の2階部分に登れそうな勢いで破壊されている。
次に地面。……ヒビが入ってはいるが、崩れ落ちてはいない。
「アズレト、……MPは?」
『全快。絶好調だ』
となれば、後は運の要素以外全ての準備が整っている。
まぁ運が悪かったとしても勝てる要素は間違いなく残ってはいるが。
「ウィスパー、リア=ノーサム。ウィスパー、イシュメル=リーヴェント」
生きているとして、アズレトと一緒にいるであろうトラストは除外でいい。……あとはムルだが、
「リア、……ムルに俺にウィスするように言ってくれ」
『――ムル、アキラにウィスパーをお願い』
ひと呼吸おいてリアの声が聞こえ、そしてムルの『どしたの』と言う緊張感のない声が聞こえた。
さて。どう伝えるか。――簡単なことだ。
「アレを使う。トラストの今考えてるだろう作戦通りに」
くく、とアズレトの笑いが頭に響いた。
『気付くと思っていた、――だとさ』
あの野郎。買いかぶりすぎだ。
俺が気付かなかったら全てが無駄だったはずだ。
「――今からやることは俺の無謀じゃないぞ。一応言っとく」
全員から『はいはい』と呆れた口調が返った。
くっそ、誰も納得しちゃいねぇだと……
そして、それを懐から取り出す。
「――……っ!」
全てを悟ったのだろう。カルラが絶句したように驚愕の視線を向ける。
「……ウィスパー、トラスト=レフィル」
一応トラストにウィスパーを繋ぐ。
「トラスト、自分の立てた作戦だ。悔いはないな?」
『……うむ、――やれ』
もう一度、アズレトの笑いを押し殺す声が聞こえる。
「笑ってるけどアズレト、お前もだぞ」
『ん?あぁわかってるさ』
そうか、とだけ返答して、息を整える。
今ならわかる。
――ゲームにも関わらず、俺の無謀に怒り狂った皆の気持ちが。
確かに本人は楽しいかもしれない。
だが本人以外は楽しいとは程遠い感情だろう。
自分の目の前。手を伸ばせば届くであろう距離で、誰かが死ぬと言う光景など、ゲームであろうと見たいものではない。
「全員、――」
さぁ始めよう。救いのない戦いの結末を。
運が良ければ――あるいは悪ければ、全員無事でイベントクリアだ。
運が悪ければ、――あるいは良ければ――
「こっち側に撤退だ!」
最悪の状況ではあるが、恐らくイベントはクリアできるだろう。