38- モンハウ
ラーセリアを始める少し前、別のゲーム内で今の玉座のような光景を見たことがある。
俺が知っているそれは折ることでモンスターがランダムに出現するだけのアイテムで、まずモンスターはアイテムを折ったそのプレイヤーにターゲットして攻撃を始める、というものだった。
このアイテムを利用し、プレイヤーや露店を混乱させる目的で「テロ」を行う者たちが続発した。逃げながら次々と折っては、プレイヤーは自分のHPが尽きかけたところでアイテムまたはスキルによるマップ上ランダム・テレポートで逃亡し、他のプレイヤーを襲わせておいて再び同じ場所へ戻り、次々と折っては逃げ、戻って折って、を繰り返すことで混乱を招き、他プレイヤーにデスペナを与え……運が悪ければ、死んだプレイヤーはアイテムをドロップする場合もあった。
この「テロ」で、このゲームは一度サーバーがシャットダウンする寸前までの負荷をかけられ、イベントでもメンテナンスでもないのにゲームマスターが登場する、という騒動にまで発展した。
後にゲームの管理会社によって仕様を変えられ、一律にランダムで出現していたものが、強いモンスターほど出現しにくいという仕様になった。また、セーフティーゾーンでのMPKによるアイテムや経験値のドロップなどのデスペナを緩和――というよりセーフティーゾーンでのデスペナ自体がなくなった。その仕様変更によりアイテムの価値は暴落したが、それでもいまだに1万ゲームマネーは切っていないという。
俺がやっていた当時、この「テロ」は「首都」と呼ばれる大都市を筆頭に、プレイヤーの集まるところで規模の大小も、場所――町ですらない平原、果てはダンジョンに至るまで――をも問わずに何度も行われた。
ただしこんな狭い部屋で、しかもこれだけ大量のモンスターを召還し、しかも召還した本人には一切危害を加えない、などと理不尽極まりない仕様などではなかった。
バランスは確かに取れている。
エクトルの「サモン」の詠唱レベルがどの程度なのかはわからないが、少なくともまず、今の俺のように「覚えているだけ」の段階ではないし、俺が覚えている他の魔法のように「詠唱」するという準備をすっ飛ばせるだけの力量まで、このゲームマスターは何らかの方法で修練したか、あるいは一定の制限のもとで今の段階のゲームマスターキャラクターを作ったのかだろう。
別のゲームマスターを俺は直接知らない。いや知っているには知っているマスターもいるが、知っているのは外見だけで能力や性格などは全くと言っていいほど情報がない。そのため、エクトルについての情報も推測の域を出ることはない。
犇き続けるモンスターが玉座を満たし続ける限り、エクトルは次のモンスターを召還しようとはしないかもしれない。だが今の状況で一番邪魔なのは何か、と聞かれたら間違いなく『本』だ。
そして、雑魚だとタカをくくっていた、……俺でも一撃で倒せるようなモンスターも、いるだけで集中力を削るには十分すぎる数がいる。今まで無視していたが、今となっては何故無視していたのか疑問なくらいだ。
「一撃で倒せるモンスターをまず倒そう」
俺はウィスパーで聞こえる連中全員に向けて呟いた。
当然ながら何かの考えで動いているアズレトとトラストは除外だ。
『了解』
『わかったよ』
『心得た』
口々に囁くような声を残し、動いたのはほぼ全員が同時だったようだ。かすかな戦闘音が反響して聞こえる。
俺から見えるのはムルの行動だけだが、そのムルも例の赤い糸を操っている。
「……ムル、手伝えることはないか?」
やることが思い付かず、かと言って玉座に飛び出したら何を言われるかわかったもんじゃないのでムルに声をかけてみる。
「雑魚はあらかた倒したよ。……そうだね、瀕死の雑魚そっちに放り投げるから処理して」
言うなり、ムルは一匹の触手の生えた……いや触手そのものをこっちへ投げた。
「――っ」
いきなりだったが、慌ててレイピアを鞘から抜いて触手を弾き飛ばす。
「頼んだよ、終わったら声かけて」
言うなりぽつりと詠唱し、再び室内に赤い糸を伸ばすムル。
触手――ローパーは、……まぁ予想はしていたがしぶとく生きていた。
肩で息をしつつ、俺はようやく動きを止めた触手を念のためレイピアでつついてみた。
さすがに死んだフリはなかったようで、その姿が透けてきた。どうやらドロップもないようだ。
「――瀕死じゃなかったのかよ」
思わずムルに不満を呟くと、「結構時間かかったね」とムルは平然と笑った。
「半分以上ヒットポイントは削ったから、瀕死って表現に間違いはないはずだよ」
その半分未満が俺のHPを何十度も脳内警告状態まで削ってきたのは、きっと俺のレベルが低いせいなのだろう。そうだと思いたい。まぁ死にそうになってヘルプを求めるたび、軽くヒールしてくれたり補助魔法をかけてくれたりしたことには感謝するが。
「ま、ローパーなら補助があれば死ぬことはないから大丈夫だと思ってさ」
前言撤回。どうやら確信犯のようだ。思わず怨み言を口から放出しかけるのを溜め息もつかずに抑え込む。
「――で、玉座の状態は?」
『だいたい倒した。後は本と、ボス級キャラがタイラント含めて12、3体。雑魚が2、30ってところだ』
肝心の本は倒せていないらしい。
「じゃあ次は本を集中して倒すか。何匹いるんだっけ」
『17……いや8かな』
聞こえたのはフィリスの声だ。雑魚を倒すついでに何匹か倒したのかそれとも数え間違いか、はたまた覚え違いか、数が減っている気がする。
「減ってねえ?」
『1撃で難しいのを倒すのに邪魔だったからちまちま攻撃してたら何匹か死んだ』
あっさりと言うフィリス。
『――あと、――名前わかった。――ライドワード』
いつの間に調べたのか、カルラがぽつりと呟く。
『玉座から引き摺り出せば何とか倒せるっぽい。やたらHP高いけど』
中級以上のモンスターが邪魔だ、と付け加えながらフィリスが言う。
玉座から引きずり出せば、か。
――他のものはいいとして、タイラントの周囲にいるヤツをどうするかだ。
「タイラントの周りにはどのくらいいる?」
聞いてみると、フィリスが3かな、と答えた。
残りの15を先に叩くべきか、と判断してみるものの、さっき疾走してきた玉座にはタイラント以外にも中級以上、つまり俺では歯が立ちそうもないモンスターがうじゃうじゃしている。
『本を閉じても詠唱は止まらないだろうか?』
ぽつりと、微かに呟く声。トラストの声だと気付き、ふむ、と思わず唸る。
考えてみれば、詠唱のとき開いたりしていたような気がする。気がするだけで全く自信はないのだが。
「――やってみるか」
『ん?何をやってみるって?』
フィリスが俺の言葉にすかさず反応する。
「誰かさんからの提案だ。『本を閉じれば詠唱が止まるんじゃないか』ってさ」
リアがひと呼吸置いてから、『ありえる話ではあるわ』と呟く。
ここからでは見えないが、きっと玉座では激戦が繰り広げられているのだろう。ただし中堅クラス以上のモンスターしか残っていないはずだ。
「それにしたって合流しないとキツい話でしょ」
ムルがぼやくように呟く。呟きつつも糸を操る手は止めていない。
「なら、合流前に詠唱が止まるかだけでも試そう」
そのためにはまず、本を2匹だけ移動させる必要がある。
具体的には玉座から引き摺り出すのが一番望ましい。
俺は玉座が見渡せる位置……と言っても大分後ろに退いてはいるが――まで移動するが、さすがにここからフィリスたちのいるところは見え辛い。
「――二匹だけ、部屋から引き摺り出して試してくれ」
『――、了解』
俺の言葉にカルラがぽつりと短く呟くと、フィリスが飛び出したのが見えた。
そして、女性キャラにあるまじき『オラァ!』という掛け声とともにそのままライドワードを2匹素手で引っ掴み、力づくで通路に放り投げた。
『死なない程度――というよりどうせ死なないかしらね』
リアが言うなり、カルラが『ファイア』と呟く。
ここからでは見えないが、向こうでは恐らく火達磨になっているはずのライドワードはどう反応するのか。
と思った矢先、フィリスが玉座に飛び出した。
どうやらライドワードが引き摺り出された分手薄になったところを叩くようだ。
トカゲ型モンスターがフィリスに向かって威嚇すると同時、飛び掛るのが見えたが、フィリスはそれを難なく斬って捨てると、その奥にいるスケルトン型モンスターへと歩を進める。スケルトンが剣を振りかぶると同時、待っていたかのように……というか実際待っていたのだろう、フィリスがその隙を突いて骨盤の辺りを叩き割り、返す剣で剣を持った方の腕を叩き折って無力化し、後はスケルトンを無視して右から飛びかかってきた、こっちからは点にしか見えないモンスターを腰からダガーを抜き様に斬り、腰へと納刀する。――一連の動きが素早すぎて、点にしか見えないモンスターが何か――というより、斬るまでそこにモンスターがいることすら気付かなかった。
『――止まるようね』
リアが呆れたように言う。
『初見のモンスターとはいえ……迂闊だったわね。まさかこんな方法で本当に止まるなんて』
どうやら実験は成功だったようだ。
『まったくだ、こんなことに気付かなかったとはね』
フィリスも声が呆れている。
つまり、ライドワードは。
閉じている間はほぼ無抵抗、サンドバック状態で倒せるということだ。
「なら合流しよう。ゲームマスターをなるべく迂回してこっちに来れるか?」
ライドワードの位置は確か、ゲームマスター付近に2、3匹で、その他は玉座の外周沿いにいたはずだ。
『お土産いる?』
フィリスが呟くように言うので、思わず一瞬考えてから、
「本を2・3冊」
『了解』
俺の返答に、くっく、と笑いながらフィリスが答えるのとほぼ同時に、向こうの3人が走り出すのが見えた。
こっちでは、ムルが糸で敵を拘束しつつダメージを与え、かつ拘束した敵でこっちにモンスターが来ないように妨害してもいる。さらに、再召喚して数を戻した炎の狼が拘束された敵を齧り、入り口付近で他の敵を威嚇し牽制し、かつ動向を観察し――
難しいと言われたラッティアスをここまで精密に操作できるようになるまで、ムルはどれだけやりこんだのだろう。
「器用だな」
「――――あれ?ボクに言ってる?」
本気で自分に向けられた言葉だと気付いていなかったらしく、ムルが数秒の間を空けてから答える。
「こんなのはコツをつかめるかどうか次第だと思うよ」
つまりムルはその「コツ」を掴んでいるということだ。
とか言っている間にも相手をしていた敵を倒し、次の敵を糸で捕獲する。
確実に一匹づつ地道に倒すスタイルなのか、それとも俺が背後にいるから危険の少ないこの方法なのか。……おそらく後者だろう。
見える玉座の中央というか、やや手薄になったゲームマスターの付近にはもうプレイヤーはいない。
ちらりと時計を見ると、すでに8時。突入から2時間が経っていた。
日本時間で20時だが、こいつらはいつ寝るんだろう、とふと考えてから思い出した。
そもそもヘルムコネクタを起動している間は、体と脳は休眠状態……つまり眠ったのと同じような状態になる。外部から無理に取ろうとしたり、体に触れたりした場合などには、外部の人物が触れた瞬間にゲーム内で脳内警告アラームが鳴り、自動でスイッチがオフになり、どれだけ急にヘルムコネクタを外しても健康や精神には問題ない構造になっている……と先日テレビ放送で説明した技術者と医者がいた。
じゃあ眠っているのと「同じような状態」ではなく「同じ」なのかと言われると、現在は賛否両論がある。
否定側の理由は2つ。
1つ目は、ゲーム中に収集した「知識」はどうなるのかということ。
当然ゲーム内では眠っていないのだから、現実の「脳」がそれらの「知識」を整理する時間がない。その知識はゲーム終了と同時に脳に流れ込む仕組みになっているらしく、要するにスイッチがオフになったその一瞬にデータとして脳に「知識」が叩き込まれるということで……要するに、俗に言われる睡眠の目的である「記憶の再構成」が不十分であり、さらに「心身の休息」のうちの「心の休息」が出来ていないということだ。
2つ目は、そもそもヘルムコネクタを起動している間は「眠った状態」なのではなく「仮死状態」……すなわち「植物状態」であるという暴論。
仮死状態なのだから、何かの拍子でヘルムコネクタが壊れた場合、もしくは心肺機能が低下するなど、危険なのではないかと言う論理だ。
これはさすがにテレビ放送内で論破されて失笑されていた。
実際にはその心配は皆無なのだそうだ。
ヘルムコネクタが壊れた場合や故障した場合、破損した場合について、少しでも異常があった場合はそもそもゲーム内から即座に切り離され、要するに強制的にスイッチがオフになったのと同じ状態になると説明していた。つまり現実への帰還が最優先に設定されているというわけだ。
そもそも、ゲーム内で「自己」だと思っているものは実は「オリジナルのコピー」にすぎない。
必要な情報を脳内から電気信号としてヘルムコネクタが受け取ることによりコピーし、ゲーム外の肉体を休眠状態に誘う。
ゲーム内での「記憶」は数十分ごとに電気信号として脳に与えられることで現実世界とリンクさせる。
そして、あまり長時間のゲーム稼動をしている場合には精神的にも「休息」を取るようにと「眠気」という形でゲーム側にもそれを知らせるのだそうだ。
要するに、たとえばまかり間違ってゲーム外の人間が休眠状態を解除されたとしても機器が壊れたとしても、現実にはまるで影響がない、……ということらしい。
まぁ厳密に言えば「ゲームをしていた記憶」を失う、ということなのだが、そもそもゲームなのだから「問題」は些少だということだろう。
まぁどっちにしろ、ゲームをやめてから必ず、数時間の休憩を取る俺には関係がない話だが。
「来たよ」
ムルのぽつりと呟く一言で我に返る。
気付けば、フィリスたちがすでにこちら側の入り口付近まで進んでいた。
「本は5冊あるけど多すぎた?」
すでに肉声で聞こえるフィリスの声にそちらを向き、そして苦笑する。どうでもいいが手に持つ本の、歯なのか触手系のものなのかわからないが蠢くその様子がちょっとグロい。それ以外はまぁ問題はないだろう。
「サンドバックが何個いようが平気だろ」
「了解」
HPが高い、とフィリスが言うくらいだから手間はかかりそうだ、と思ったのは黙っておくことにした。
ようやく最後の一匹、というか一冊が地に落ち、痙攣するように体を震わせた後動かなくなった。
「ジャッジ、ライドワード」
フィリスがライドワードに手を触れつつ呟くと、ライドーワードからページを抜き取るように取り出した。
ゲーム開始から何度も見ているこの「ジャッジ」と言うワードは、アイテムの剥ぎ取り成功率を上げるためのものらしい。
フィリスのラックの高さは異常だと前に聞いたが、この場合も例外ではないらしく、フィリスはほくほく顔でそれらを懐にしまいこむ。
「分配は後でな」
ちなみに出たのは「ヒール2レベル」の呪文書、「フレイム」の上位スペルである「フレア1レベル」の呪文書、そしてまたしても未鑑定の、スペルブックが今度は2つ。
個人的にはヒールの書が欲しいところだが、俺より欲しいヤツがいれば俺は辞退するつもりだ。他の書は欲しいものがない。
まぁ分配のときにそれは考えるとして、今は状況の判断だ。
まず、玉座の状況は芳しくない。
雑魚は皆で始末してくれたものの、俺では見たこともないようなモンスターが蟻の巣の中の蟻のごとく数がいる。
とりあえず突入時よりは数は減ったが、それでもまだ数は多いし、今度ばかりは無謀が売りの俺でも手が出ない。
唯一開いている場所と言えば、ゲームマスターの位置を含む2班突入口までの……要するに俺がさっき突っ切ったことによりできた「通路」だ。
この通路を使って、ゲームマスターまで一直線に攻撃を仕掛けるか?いや、それは無理だ。
運良くモンスターたちが無視してくれたとしても、ゲームマスターの例の「技」の格好の餌食になってしまうだろう。
だとすれば、モンスターを撹乱しながら進むか?いやそれもダメだ。
「……仕方ない、トラストの案で行くか」
あの作戦がゲームマスターに筒抜けである可能性はある。だが一つだけ、あの作戦立案時に敢えて言わなかったことがある。
「トラストの案って……まさかアレ?」
うん、と首を縦に振って見せると、全員が全員、「マジかよ」と言うような顔を見せた。
――準備までしといてそりゃないだろ、と思わなくもないがしかしまぁ、……俺も同感だ。
「地道に倒して行ったところで、新たにモンスターを呼ばれたら厄介だし際限がなさすぎる」
それに、未発見種などやボスモンスターなど、どの程度の種類がいて、などの情報はプレイヤーからの情報ソースでしかないし、ライドワードのように俺たちが知らないだけで色々なモンスターが未発見なのかもしれないことを考えると、……どう考えてもゲームマスターを直接狙うしかない。少なくとも、俺がエクトルの立場であればそう考える。
だからこそ、その裏をかくトラストの案は手っ取り早い「作戦」と言える。
「……ウェイン、それでいいか?」
『あぁ、ならばこちらも撤退を実行する。各班一旦撤退、城の外に出ろ』
きっとウェインの方には、各班リーダーの「了解」と言う声が聞こえているのだろう。
「――ところで正面突破組はどうした?」
聞くと、ウェインが乾いた笑いを返す。
あぁなるほど。とその笑いで全て察したが、敢えて返答を待つ。
『――俺たちの突入前にすでに散った。ゲームマスターのHPは削ったと言っていたが、例の本もあるし全回復してるだろうな』
言われて気付く。それにしては雑魚がほとんど残っていたのはどういうことだ。
ひょっとしたら。
――だとしたら勝ち目はある。
タイラントなど、ボス級モンスターは無理だとしてもそれ以外なら。
「行こう、撤退だ!」
いつものように不遜な態度で……と言っても、この口調で聞こえていたのは俺だけなのだろうが、ともあれ不遜な態度でそう言ったトラストはあの時、とんでもない計画を口にした。
「――こんなのはどうだろうか」
――おいおいおいおい。
無言で絶句していると、
「可能は可能だろうけれど」
リアの声がして振り返る。
あのリアの引きつった笑みなど、この時初めて見た気がする。
それほどまでに作戦は無謀で、凶悪なものだった。
「ゲーム的には可能だろうな」
アズレトはむしろ落ち着いた口調で呟くように言う。
その表情はむしろ、初心者ゆえの単純な質問に答えているかのような、穏やかとも言える顔だ。
「――成功率を上げるならむしろ、」
そう言いつつアズレトが「作戦」に余計な追加注文を加える。
ふむ、とトラストが口元に手を当てて考えた後、そんなものが売っているとは思わなかった、と言った。
ゲームにログインして数時間のトラストは、すでにこのゲームの本質のようなものを理解していた。
俺なんかよりも数段早く、そして数段深く。
「問題は、物資の量ね」
溜息をついたリアがさらに口を挟む。
「玉座の大きさを考えてざっと……そうね」
呟くように言ったその量は、作戦実行の要であるリリーの筋力を考えたらどうなのか、という量だったが、当のリリーは「そのくらいなら持てなくもない」と言った。
「とすると、実行するにはまず全員が撤退する必要があるな」
アズレトが呟きながら地図を片手に、もう片方の手で迷路でもなぞるように地図を辿る。
破壊されるのはこの壁だから、とかぶつぶつ言っているのが聞こえるが、この際無視だ。
まさかやるつもりなのかよ、と突っ込みを入れかけた瞬間、
「問題は山積みのようね」
リアの声にちょっとほっとしつつ、山積みである問題に俺の思考は無意識に向いた。
俺の意見は無視でもいいが、だとしたらこの案を実行するには条件がいくつかある。
まず一つ目。ゲーム製作側がこう言ったものに寛容であること。
――というより、むしろゲームがどれだけリアルに製作されているかということ。
現実世界でなら、トラストの案は間違いなく成功するだろう。だがそれはあくまで現実を基準に考えた場合の話だ。こう言ったことをゲーム製作側が想定しているのかどうか、疑問は残る。
そして二つ目。
「最低でも、――正面突破組に迷惑。……それから」
「司令塔であるウェインにもだね」
この作戦にウェインをはじめとした皆が寛容であること。
ウェインたちにも多大な迷惑がかかる。
特に、正面突破隊の連中に関しては、突入してからのほぼ全てが文字通り「無駄骨になる」と言う意味で超超多大な迷惑がかかる。俺が正面隊であればそんな作戦は棄却するかもしれない。
「……司令官に負荷がかかってしまうのは確かに問題ではあるのだが、」
わざわざ口にされるまでもないことを口にするトラスト。
こう口にした以上、この作戦を考えるに当たってすでにコイツはこの問題を考えた上で発言しているのだろうと推測する。
理由は、トラストが突発的な問題に弱いところにあるということ。過去に黙示録で、一度だけトラストの予想外をついたコンボが成功したことがある。と言っても結局運が悪く負けてしまったわけだが、あの時のように突発事項があると軽くパニックを起こすこいつの性格は、それに限ったことではない。仕事上でも何度かパニクって固まることがあり、そのたびにフォローに回るのは周囲の仕事のひとつだ。
「――この作戦の良い点としては、すでに作戦として決められていることと平行して行うことができるという点にある」
言葉を続けるトラストの声に耳を傾ける。
平行して行う、と言うのは言葉上に過ぎない。
普通に攻略するのが無理だと判断したら行う、というだけの話で、実行するのはいささか無理があるというのは自覚済みなのだろう。
「何より正面突破組がただの捨て駒にはならない」
無駄骨にはなるけどな――、とはあえて口にしない。言うだけ時間の無駄だ。
正面隊はあくまで囮。ウェインが言った通りの意味だ。
そんなことをするはずがない、むしろできるとすら思っていないゲームマスターの裏をかくのであれば、正面隊の存在がこの作戦を全否定してくれることが望ましい。
それは、正面隊の連中が優秀であればあるほど効果的だ。
正面切って戦いに挑む彼らの姿を見て、こんな無茶苦茶な作戦が裏にあるなど誰が想像するだろう。
それにしても、誰も犠牲が出る方に関して何も言わないのは何なんだ。
無駄死にではない、ないがこの作戦で死人が出るのはわかりきった決定事項なのに。
「行こう、撤退だ!」
念のため言うだけ言って少しだけ走り、途中で俺はジェスチャーで黙るように合図をしつつ全員を立ち止まらせた。
地図を取り出し、裏に『不自然じゃないように何かしゃべりながら聞いてくれ』と書き込む。
「どうでもいいけどどこまで行きゃいいんだい」
早速ブラフを呟いたのはフィリス。
「出口までだ決まってるだろ」
言いつつ、グッジョブ!とジェスチャーを送ると、さらに裏に文字を書き込む。
『玉座からモンスターはたぶん出ない。そこで作戦だ』
ずっと考えていたことだ、という前振りは省いて作戦を書いて行く。
トラストの作戦を聞いたその時からずっと思っていたことだ。
「――」
カルラが、俺の文字を見て一度俺の方を向く。
『どうだろう?無理はあるか?』
最後にそう書き込むと、全員――トラストとアズレトはこの場にいないので除外だが、それ以外の全員が首を横に振る。フィリスが俺の手からペンをもぎ取り、俺の文字の下に文字を書き込んだ。
『無謀だと何度言ったら』
日本語に変換された文字に、思わず苦笑を漏らしそうになった。
「――リリー、今どこにいる?」
「中央に向かってるけど」
呟くリリー。声が直接聞こえるような距離にいるリリーとは、玉座から少し離れたところで偶然に出会った――会った瞬間のジェスチャーに気付いて言葉は発していない――ので軽く地図の裏を見せて説明しておいた。
最後のフィリスの書き込みに一瞬吹き出し、慌てて口に手を当てて笑いを押し殺す。
――一応リーダーである俺はともかくリリーがウィスパーによる監視を受けている可能性は低いが、作戦の要として監視されている可能性がまだ残っているため、楽観はできない。
と言うか、荷物が超重そうだがその重さを無視するかのような速度で飛ぶリリーの筋力はどのくらいなのか。っつーか荷物の中に金属も入ってたよな……
「全力で飛び回れ、――ウェイン」
一応声をかけると、『わかってる』と声が帰った。
『トラストの作戦を実行する。――20分以内に用事がある者は時計から目を離すな』
そう。
この作戦はリリーの『加速』が要だ。
つまり、現実での時間は『加速』が始まると同時に、ゲームにログインしている全員の――リリー以外の感覚を無視して飛ぶように過ぎるはずだ。
「行くぞリリー、カウントダウンしてくれ」
目の前で、滅多に人に羽を晒さないリリーがその羽を大きく広げる。
「了解」
そして左手のグーとパーだけで『バイバイ』を表現し、荷物で重いはずのその姿は重さを感じさせずに角を曲がる。――あと一度角を曲がれば玉座のはずだ。
『3、2――』
カウントダウンが始まると同時、俺たちは目的の位置に向けて走り出した。
『1、――突入開始』
俺たちの目には見えていないが、ゲームマスターは今どんな顔でそれを見ているのか。
時計を見ると、すでに分針が秒針のようなスピードで動いている。
『あ』
リリーが何かに気付いたような声を上げる。
『ごめんね、トラスト』
『構わない』
途中でトラストの姿でも見付けたのだろうか。まぁ作戦立案者だしこれで死ぬ分には文句は出ないだろう。
『――準備完了、』
リリーの言葉と同時に、時計の針が普通の動きに戻る。
『じゃあ皆、後よろしく!』
リリーの言葉と同時、
ごうんッ!
玉座の方から轟音が響き渡った。