一通り読み終え、ため息をついた。
2515.1.12、と書いた日が記されていたが、……これって3年も前じゃん。
3年前の1月といえば、このゲームサービスが開始されてから数ヶ月だ。
つまるところ、この本は情報が古いってことだ。
とはいえ、確かに参考になった。
色々な基本的なことが書かれている。
……WISの説明は、特に参考になる。
WISはMMOではほぼ基本機能で、1:1で会話するシステムだ。
こういう基本的な機能は最初に説明するべきなんじゃないだろうか。
『全て手探りで進めて欲しい』
最初に聞いたアナウンスを思い出す。
そうだ。
サービス当初から同じ設定で作られていたのなら、もちろんこのWISもプレイヤーが自力で探り当てたものなんだ。
いや、あるいはNPCがそういったことを教えてくれるのかもしれないが、そのNPCを探すまでWISが使えない、と言うのは困ったものだ。
この本を書いたリア=ノーサムと言う人に感謝すべきだろう。
「ただいま♪」
「あ、お帰り」
言って振り向くと、彼女はにこりと微笑んだ。
「良かった……まだ読んでたんだ?」
「あ、いや読み終えたんだけどさ、礼も言ってないし待ってなきゃって」
うんうんいい心がけ、とか言いつつ、彼女はごそごそと服のポケットを探ると、中から4つに折った紙とペンを差し出してきた。
「これ、良かったら使って?」
「お、サンキュ。……これって羊皮紙?タダじゃないんだろ、いいのか?」
受け取ると、ファンタジーの世界とは思えない、リアルな感触。
「うん。バイトで何枚でももらえるから」
「あぁなるほど。……さっきの本に高いって書いてあったからさ」
あー、と彼女は言って、くすくす笑う。
「……現実世界に換算して、大体1枚100円ってところかな?」
うわ高!
「そんなの平気でぽんぽんくれるなんて気前いいんだな」
あはは、と彼女は笑う。
「売り捌けばそれなりに儲かるよ。……バレると着服扱いでしばらく拘留所だけど」
「やったことがあるのか」
彼女は苦笑した。
「んー、前にね、同じくバイトしてた人が捕まったの見たことあるから」
なるほどな。
「せっかくだから、名前メモりたいんだけど教えてくれない?」
「……あ。自己紹介まだだっけ」
……間違いなく天然だ、この人。
「リリー=ビーヴァン。ティタニアよ、よろしくね」
言うなり、彼女と俺の中間くらいに名前が文字で浮かび上がる。
どうやら自己紹介と言うか、自分の名前を言うと浮かび上がる仕様のようだ。
あれ?
「ティタニアって翼があるんじゃなかったっけ」
「うん、あるよ。バイトする時は邪魔だから片付けてるけど」
言うと、彼女は俺に背中を向けた。
あ、ホントだ。見てみれば服が盛り上がってる。
「私はまだ2枚だからね、4枚の人もいるって話だけど」
なるほど。
「俺の名前はアキラ=フェルグランド」
言ってみるが、俺の名前は浮かび上がらなかった。
どうやら自分には見えない仕様らしい。
「アキラ……日本人?」
「うん。リリーは日本人じゃないのか?」
言うと、リリーはこくりと頷いた。
「日本人に会ったのはこれが初めてよ。……ちなみに私はカナダ」
同時通訳システムが完璧に働いている証拠ってことか。
それとも、通訳じゃなくて、相手に伝えたいイメージをそのままイメージとして相手に送るシステムなのかもしれないな。
「カナダって、開発元だろ?緋文が住んでるんだっけ?」
「あれ?ヒフミはもう日本に帰ったって聞いてるけど」
そうなのか。……その辺は興味ないから調べてないんだが。
「ところで、アキラ……今日は何時までログインしてるの?」
そういえば、今は何時だろう。
時計がないから時間がわからない上に、リアルと連動している太陽の動きも、この空間じゃわからない。
「明日は休みだから、とりあえず遊べるだけ遊ぼうかと」
「OKOK、私と同じってことね」
ちなみに今は6時43分ね、と呟く彼女。
たしか17時間の時差があったはずだから……日本時間は23時43分か。
「じゃあ、バイトが終わったら狩り行かない?」
「え、いいのか?俺今日始めたばっかりでレベルは確実に1だけど」
ふふ、と彼女は笑うと、俺の手を指差した。
「剣はあるじゃない。私みたいに……最初に素手でやるよりは段違いよ」
リリーに教えてもらった通りに道沿いを歩く。
手には紙。……リリーがもう一枚紙を用意し、そこに簡単な地図を画いてくれた。
空から町を見渡せる彼女は、道を覚える必要がないはずなのだが、丁寧でわかりやすい地図だ。
いくつか、行くべきところを教えてくれた彼女は、一銭も持たない俺に少しだけと言いつつ1万$をくれた。
……1万$、この世界のお金は$と¥の2種類で構成されているらしい。
1$=100¥。貨幣の流通状態によってリアルと同じように変動はあるものの、この周辺を行ったり来たりしているらしい。
つまるところ、100万円もらったってことだ。
「……いいのかな」
いいのかなも何ももらってしまったものはしょうがない。
一応断ったんだが、彼女はその10倍近くもの金額を銀行に預けているらしい。
そして、リリーが教えてくれた目的地のひとつに到着する。
「いらっしゃい」
無愛想な挨拶をする女の子……ってかホビット。
この子がそうか。
「フィリス……さん、でいいのかな」
「お、アンタがアキラか。そう。アタシがフィリスだよ」
無愛想が突然愛想良く笑って見せた。
赤いショートヘアが笑いに合わせてさらりと流れると同時に、中間にフィリス、と名前が表示される。
「リリーにさっきWISもらってさ。日本人だって?」
「うん。今さっき始めたばっかりの初心者」
おおー、とフィリスが感嘆してみせる。
「ちなみにアタシはオーストラリアからだ」
「オーストラリアか。……エリマキトカゲってまだ生息してんの?」
ぶは、とフィリスは吹き出した。
「フリルドリザードは天然記念物だよ?そう簡単に絶滅しないって」
言いながら、カウンターをひらりと飛び越える。
「フィリス!カウンターを飛び越えるな!」
「……あちゃー。ゴメン店長」
見つかった、とペロリと舌を出して見せる。
「とりあえずローブでいいの?金に糸目は付けなくていいって話だけど」
レベル的に着れるのは、と言いつつひょいひょいといくつかのローブを引っ張り出すと、フィリスは俺にそれをあてがい、違うなぁ、とそれを元に戻す作業を始めた。
どうやら俺に似合うものを見繕ってくれているらしい。
「そういえば、ローブとか言う前に魔法ギルドは行った?」
「――あ」
言うと、フィリスは一瞬固まった。
「……行って来な。ローブ買ってから魔法向いてませんでした、じゃ本末転倒だから」
「――りょーかい……」
最大級の呆れ顔でフィリスが呟いた。
でっけぇ。
塔があって、それが魔法ギルドだと聞いてはいたけど。
何だこれでっけぇ。
「……あの」
でっけー!
「……もしもし?」
「あ、ごめん」
通行の邪魔になっていたんだろうと道を避けると、声をかけてきた彼女は会釈をした。
「……ひょっとして、……初心者さん、……ですか?」
あ。
「もしかして」
「はい、カルラ=クルツ、……です」
黒い髪が、さらりと揺れると同時、青い文字がそれを補足する。
「……リリーから話は聞いて、……ます。こっちへ……どうぞ」
ありがとう、と声をかけると、カルラはくすり、と笑った。
「これが……素質探知機、……です」
触れて下さい、と差し出され、俺は迷わずその水晶のようなものに触れた。
……無反応。
「――魔力がない、ってことなのか?」
「……いいえ、……いきます」
言うと、カルラは自分の手を俺の手に乗せた。
一瞬心臓が跳ね上がる。
――と、水晶が青く、鈍く光を放つ。
お、どうなんだ?
「…………」
無表情のまま、カルラが俺の手から手を離した。
「――結果は?」
「……素質、……19、ですね」
19、ってのがどんな程度なのかわからないんだが。
「……20ランク中、……2位です」
「お、それって」
結構高いってことか?
「私が知っている中では、……最上位です。……おめでとう」
「うん、ありがとう」
言うと、カルラはくす、と笑った。
……無表情だと冷たく見えるけど、笑うと可愛いな、などと考えていると、カルラが一枚の紙を差し出した。
「……これは?」
「素質1レベル魔法のリスト……です」
見ると、ものすごい数が羅列されている。しかも手書きだ。
「……ひょっとしてカルラが?」
「――……ごめんなさい、……汚い字で」
汚い字?……そんなことはないと思うんだが。
「いや、丁寧で読みやすいよ。ありがとう」
言うと、カルラは少しだけ照れたように笑って見せた。
「……ここ」
地図ではわかりにくいと言うカルラに先導してもらい、曲がりくねった路地を進むと、ようやく魔法屋についた。
「魔法屋って、どんなシステムなんだ?」
「それは俺が説明しよう」
突然、背後から野太い男の声がした。
心臓が跳ね上がる。っつかスゲーびっくりした。
「……アズレト。……びっくりする」
カルラが男を非難すると、
「はは、スマンスマン。カルラがいるってことはコイツに間違いねーと思ってさ」
初心者だろ?と男が確認してくる。
「……アキラ=フェルグランドだ。よろしく」
「おう。俺はアズレト=バツィン」
言うなり、金髪男は手を差し出した。
青い光がその名前を文字で示す。
「アズレトはどこの国の人?」
言いながら、手を握ると、力強くその手を握り返す。
「ロシアだ。よろしくな。ところで素質レベルいくつだった?」
「19……」
カルラが呟くように言うと、ひゅぅ、とアズレトが口笛を吹いた。
「すっげーな。俺より3つも上か」
「……ってことはアズレトは16なのか」
おう、とアズレトは言って、そこらじゅうの棚を調べ始めた。
「軽いところでいくつか呪文覚えとけ。最大習得数がわからない以上、どの系統にするかで戦闘パターンが変わるからな」
言いつつ、最下級魔法リスト、と書かれた紙を取り出した。
最下級魔法リスト
・ファイアー Lv.1 20$
・ウォーター Lv.1 20$
・ウィンド Lv.1 20$
・アース Lv.1 20$
・ヒール Lv.1 20$
・スピード Lv.1 20$
・ガード Lv.1 20$
・ライト Lv.1 20$
・エンチャント Lv.0 20$
・クリエイト Lv.0 20$
・ファーマシー Lv.0 20$
・ブレイク Lv.0 20$
・サモン Lv.0 20$
全部20$だ。
「覚えられるんなら、エンチャント以降は全部覚えておいてもいいぞ」
ふぅむ、と俺が唸ると、アズレトは軽く笑って深く考えるなとアドバイスをくれた。
「なら……その前に聞きたいことがあるんだけど」
「うん?」
このLvってのが気になる。
「Lvってのは、たとえば2にするためには新しく買わないといけないのか?」
「あぁ、そのLvは熟練度だ。その熟練度を貯めて次のステップに進める魔法がある」
なるほど、納得だ。
「なら全部」
「……いいのか?」
「うん。とりあえず最下級魔法で様子見するにも、全部使ってみないとわからないから」
なるほどな、とアズレトは呟くと、リストを手に俺の手を引いた。
「じゃあ、行くぞ」
儀式魔方陣、と説明された光る円……ただの二重丸にしか見えないが……の中央に立つと、アズレトが呪文らしきものを呟き始めた。
リストに目を一瞬落としたアズレトの呟きに呼応するかのように、赤い塊のようなものが俺の胸に吸い込まれる。色から見てファイアーの魔法だろう。多分。
リストに目を落とすたび、青、緑、茶、と塊のようなものが俺の胸に次々と吸い込まれていく。
「……サモン以外全部か。中々優秀みたいだな」
サモン魔法は覚えられなかったものの、他は覚えることができた。
「ところで、……魔法ってどうやって使えばいいんだ?」
「ん?……あぁ、後で呪文書渡すよ。口で言うより早い」
なるほど、呪文があるのか。
「詠唱は自分の口で喋ることで認識されるから」
「なるほど」
さて、と呟いて、アズレトがまた棚を漁り始める。
「ほいっと」
ばさ、と音を立てて置かれた数枚の紙に目を通す。
呪文自体はそんなに長くないようだ。
……ん?あれ……
「エンチャントと、クリエイトと……あぁ、Lv.0全部かな?呪文書はねーの?」
「ん?あぁ、ないよ。良く気付いたな」
しれっと答えるアズレト。どうやら聞かなければ答える気はなかったらしい。
「……Lv.0に関しては、ファーマシー以外は謎なんだ。どうやって使うか誰も知らない」
「何だよそれ」
はは、とアズレトが笑う。
「――ファーマシーを使えるヤツはこの世界で2人しかいないんだ。その2人は、――呪文書をドラゴンからドロップしたと言ってる」
ドラゴン!?
唖然とする。
「まぁ、使えないからと言って役に立たないわけじゃないんだ」
「と言うと?」
うん、とアズレトがリストを指さす。
「ここ、エンチャントより上の魔法はボーナスはないんだが、エンチャント以降はな――ここだけの話、ステータスにボーナスが入るようなんだ」
「ほう」
それが本当なら確かに、習得して損はない。
「ちなみにそれを発見したのはフィリスだ。……あぁもうフィリスには会ったよな?」
「武具屋の?」
うんうん、と首を縦に振るアズレト。
「あいつ、こことは別の魔法屋と喧嘩したらしくてさ、エンチャント以降を全部習得してから、ムカついたウサ晴らしに狩りに行ったそうなんだ」
「ふむ。そしたら?」
と言うか全部習得って。素質19の俺でもサモンは無理だったのに。
カルラが言うには、カルラの知り合いで俺は一番素質が高い。ってことは少なくともフィリスは同じ19かそれより下ってことになる。
それでも覚えられるってことは、サモン習得に素質レベルは関係ないのかな。
「それまでファイアー2発で倒してた敵が、1発で倒せたそうだ」
「たまたまクリティカルだったとかじゃなくてか?」
アズレトがあぁ、と頭をかく。
「……それはないと思う、……多分」
カルラが口を挟む。
「どうして?」
「んー……。まぁいいか。あいつな、」
アズレトが言いあぐねた上で、カルラの顔を確認するかのように見た。
いいんじゃない?と呟くカルラに、アズレトは再び口を開く。
「攻撃のほとんどがクリティカルなんだよ」
つまりクリティカル率が半端ないってことなんだろうか?
「どうやら幸運のステータスが高いらしくてね。この世界じゃフィリスはちょっとした有名人だよ」
なるほど。ってことは、
「……当然ドロップも?」
「あぁ、ちょっとしたレアなら結構出る。さすがにプレミアまでは出ないみたいだけどな」
レア、プレミア、と言う言葉を初めて聞いたが、この辺の単語は常識の範囲で理解できるのでスルーだ。
「お帰り、どうだった?……ってカルラも一緒か」
「……19、……だって」
ひゅう、とフィリスが口笛の口真似をした。
「アタシなんか3だよ3。まぁ魔法は使わないからいいんだけどさ」
じゃあ何で習得したんだよ、とは言わない。
一応さっきの話をしたのは内緒って約束させられたからな。
「じゃあ遠慮なくローブでいいね。……ついでに杖も用意したけど、どうする?」
俺の手に持った剣が気になるんだろうか。
「あぁ、コイツは一応腰にぶら下げとく。メインはどうやら魔法になりそうだしな」
「おっけ!じゃ、まずはこいつ使いなよ」
彼女が用意して来たのは、黒を基調にしたデザインのローブ。
普段着として着ていても差し支えないレベルだ。
「お。センスいいな」
「だろ?アタシのセンスがわかるとはいいね、気に入った気に入った」
あはは、と笑いながら、フィリスが次に取り出したのは、
「何だこのスゲーデザイン……」
杖の上に4枚の羽。そして杖本体に巻きついた、蛇。
その翼についた輪が、それぞれぶつかりあって綺麗な音色を響かせる。
「ケツァコアトルの杖。……ダメ?」
「いやデザインは格好いい。だけど装飾過多なんじゃないか?」
いやいや、とフィリスが勝ち誇ったような顔をする。
「……実はこれ、こないだアタシが出したプレミアなんだ」
「お前のかよ!」
あはは、と笑い、フィリスは杖を差し出す。
「アタシじゃ使えないしさ、どうせ露店に出そうと思ってたんだ。アタシとセンスが似てるアンタになら、売ってもいい。どう?」
「……性能次第かな」
一応それは聞いておかないとな。
「魔法の方の性能は、アタシの検証ではダメージの底上げだね」
魔法の方、という但し書きを付けるなら当然……
「他の性能は?」
「攻撃性能は、鉄扇並。杖にしちゃ上出来な攻撃性能だよ」
ほう、と思わず呟くと、フィリスはにやりと笑ってみせる。
「どうだい?2千$にまけとくよ」
「……高くねーかそれ」
20万円とは明らかにボッタクリだと思ったんだが、
「……、……安い」
「よし買った」
カルラの呟きで俺は即決してしまった。
「アタシは信用しなくてもカルラは信用すんの?ちぇー」
とか言いつつも、嬉しそうに杖を引き渡す。
「ちなみに相場はいくらなんだ?」
ふと気になって聞いてみる。
「ん?百万$」
一瞬絶句する。
「馬鹿じゃねぇの!?いいのかそんなのそんな値段で!」
「いいんだよ。……アンタがこの世界で楽しんでくれるんなら、さ」
うわぁ……臭いセリフ来ちゃったよ……。
だが感動した。さらに続けて、
「――ま、もし借りを返したいんなら、……アタシ達に追い付いて来い。戦力でありがたく頂戴するよ」
なんてことを言いやがった。
「……わかった。これは借りとして借りておく。必ず返しに来るからな」
「期待せずに待ってるよ」
お陰で、強くなる意思は固まった。
フィリスのところでローブをはじめとした装備を軽く揃え、途中薬屋に寄ると、ヒールローションだの何だのを持てそうなだけ買い込んだ。
途中リュックを買い、その中に買ったヒールローションなどをとりあえず入れておく。
……ヒールが実用レベルなら、買ったヒールローションは使わなくて済むんだろう。その場合は、ヒールが使えなくなったところで使えばいい。
と言うより、ヒールを最終手段に持ってきた方がいいんだろうか?
まぁ、戦ってみればわかるか。
俺は、戦う覚悟を決めて荒野へと踏み出した。