絶望的状況を打破する方法として、いくつか案が出た。
まず、回復役である未知のモンスターを先に殲滅するという案。
ちなみに形状は?と聞くと、ウェインを始め何人かがそのモンスターの形状を口々に話した。
それぞれのイメージは彼ら曰く、……本、辞書、辞典、教典、経典。……要するに分厚い本だ。
行動パターンは、「何もしない」と「回復魔法」。
要するに、味方が厳しい状況に襲われた時、回復魔法によってその状況を覆すためだけの存在だということだ。
「つまり放置しておくべきではないってことね」
「……本モンスターの回復魔法が無尽蔵だとは思いたくもないが、最悪の可能性から考慮して動くべきだな」
リアの言葉に、ウェインが苦虫でも噛み潰して舌の上で転がしたか、あるいはセンブリ茶でも口にしたかのような顔で提案する。
問題なのは、回復魔法だけではない。正体がわからないということだ。
「セオリー的には火が効くと思いたいが」
トラストが呟くと、ウェインは静かに首を振る。
「――当然試したさ。結果は本同士のヒール合戦だったがな」
無機物ゆえのHPの高さなのか、それとも火が弱点ではないのか。
「火で本を燃やすのがダメなら、本のインクを滲ませる水ってのはどうだ?」
考え付くままに案を出してみる。
「――それは思い付かなかった」
ふむ、とウェインが顎に手を当てる。
水でダメなら、とかぶつぶつ言い出してはいるがとりあえずそっちはウェインに任せよう。
「一番厄介なのはタイラントか?」
リアに問うと、リアは苦笑した。
「そうね、……ある意味ゲームマスターよりも厄介な存在かしら」
3年前に実装されたばかりのボスモンスター。
討伐連合パーティ総勢200人を壊滅させた凶悪な赤の灼熱、【タイラント・デビル】。
リアが言うにはいまだその存在はボスとしては最強の部類で、そこに本モンスターの回復が加わることにより、最悪に近い事態なのだという。
特筆すべきは遠距離物理攻撃の反射、炎攻撃の完全無効化。さらに4本の腕での剣捌きは超一流。回復力は微小ながらも自らに対するヒールもあり、さらに極めつけは「激昂の遠吠え」だ。
全くもって凶悪極まりない。
「――そういえば、イシュメルは遠吠えに巻き込まれてなかったか?」
思い出したままを言葉に出した瞬間、一瞬だけ「嫌なことを思い出させんじゃねぇよ」と言う顔をしたイシュメルは、しかしその顔を苦笑に変えた。
「そうだな、せっかくお前が倒したドッペルまでの経験値は持って行かれたわけだ」
待て、と思わず声が出た。
「イベント中なのにデスペナがあるのか?」
「イベント開始時に経験値の保護を宣言しなかった以上、あるだろうな」
ウェインがこともなさそうに言い、アズレトとフィリスが今更かと呆れたような顔を向けた。
どうやらそれがこのゲームでは普通のようだ。
俺同様、今まで俺と同じゲームを数タイトルに渡って遊んできた同僚……トラストも少し驚いた顔をした。
――しかも今のイシュメルの言い方を聞く限り、稼いだ分の何割とか何%とかと言う話ではなく、全ての経験値を没収されるらしい。
さすがにエグい。
そう考えてる俺も、実はドッペルで一度死んでいる。
つまるところ――どこから逆算するのかは定かではないが、ドッペルまでの経験値全てを一度喪失しているわけだ。
ドッペル以降で得た経験値がどの程度なのかわからないが、ボス数体だ。ここで死ぬのはかなりもったいない。
「経験値を保護する条件は?」
「――セーブポイント、もしくは修練ね」
リアがぴらりと一枚の紙、――この町の地図を広げた。
「この国の場合はこことこことここ、3つの修練所とシェルシア神殿とガルー神殿、……あとは王城かしら。NPCがいて、話しかけるか手を触れればセーブが完了するわ」
とんとんとん、と計6箇所を指さし、最後に現在地はここね、と一箇所に指を乗せる。
その指から一番近いのはシェルシア神殿。
「――まぁ、アキラの場合はセーブしといた方がいい。目減りしてるとは言えボス何体かの経験値もあるし、それに、」
「無謀だからね」
アズレトの言葉を遮ってフィリスがばっさりと言い放ち、全員が爆笑したところで、俺たちはシェルシア神殿へと向かうことになった。
途中、雑魚の群れが俺たちを襲ったが、カルラとイシュメルの2人だけであっさりとカタがついた。
ちなみにイシュメルに倒させたのは喪失した経験値を少しでも稼がせるためだ。
とは言えさすがは魔族経験者。率なく戦闘をこなし、難なく群れを撃破した。
シェルシア神殿。
シェルシアは神の名で、戒律は「嘘を吐け」。
――人は時に、嘘を言わなければいけない場面がある。そういう場面での嘘を象徴するという神らしい。
「ちなみに俺はここの神官だ。――幻覚系魔法を中心に覚えられるが、俺の素質じゃここの魔法は何一つ教えてもらえなかったがな」
ウェインが言いながら苦笑した。
ちなみにウェインの素質は10で、補助系魔法方面の素質が強いそうだ。
補助と幻覚はどうやら別のものらしい。当たり前か。
窓はステンドグラスで埋め尽くされ、そこから漏れる光にプリズムのような色を付ける。
床の素材は大理石なのか、歩くたびにコツコツと音が響き渡り、その音が周囲の静寂さを強調する。
「――ここだ」
不意にウェインが扉を手で示す。
「NPCとは言え、失礼のないようにな」
言って、ウェインが扉をノックした。
「――はい」
短く、透き通るような声で返事があった。
「ウェインです。客人を連れて来ました。入っても?」
「……どうぞ」
躊躇うように間を空け、軽く扉に隙間が開いた。
よく見れば、扉には取っ手がない。――つまり、向こうから押して開けない限りは開かない仕組みということだ。
その隙間に指を入れ、ウェインが扉を開く。
扉の向こうに1人の女性……いや、少女と言っても差し支えなさそうだ。
髪を左右対称に束ねた――いわゆるツインテールのような髪型。整った顔立ちは、トラストとはまた違った魅力を感じさせるものの、気丈さが滲んでいる。
「――ようこそシェルシア神殿第二教典室へ」
ぺこりとその頭が下げられる。
「……アキラ=フェルグランドだ。よろしく」
言いつつ手を差し出すと、少女は微笑を浮かべながら俺の手を取った。
「咲良=E=Webです。……よろしく」
緑の文字で、キャラクター名が表示される。
それにしてもE=Webとは。……何と言うか、特徴的な名前だ。
[経験値保護が完了しました]
今までのアナウンスとは声が違い、……透き通るような咲良の声だった。