「……これは、要するに上に戻れないって言わないか」
上に戻るための、ドアが閉まっていた。
試行錯誤してドアを開けようとして1時間ほどが経っているが、――どうやら開きそうにないな、と諦めて手を離した。
鍵がかかっているわけではない。
物理的に、何かが向こうを塞いでいるか、あるいは扉そのものが歪んでいるか。
ぶち壊して進むしかないと言うことだ。
――でもなぁ。
水を差したくなかったから黙っていたんだが、……実はあと2時間ほどで出勤時間だ。
腕に巻いた、日本時間に合わせた腕時計は、すでに午前6時を示していた。
「……どうするか」
このままここでログアウトすれば、とりあえず地下で眠るアキラが発見されない限りは死ぬことはないだろう。
ただし、数度の「激昂の遠吠え」で床をブチ抜いて落ちたことは間違いなく知られている。
――まぁ、かと言ってもどうしようもなかったりもするんだが。
「ウィスパー、リリー=ビーヴァン」
[該当キャラクターはログインしていません]
リリーは、まだ死んだままか。もしくは蘇生したけどログアウトしたのか。
「ウィスパー、フィリス」
上で、剣戟の音を響かせている張本人にWISを送る。
「ウィスパー、アズレト=バツィン」
続いて、常識外れの耐久男の名前を呟くと、フィリスがWISで、ん?と声を上げた。
「ウィスパー、イシュメル=リーヴェント」
このゲームで最初に出来た相方の名前を呟く。ここでようやくアズレトが、フィリスと同じように声で反応した。
「ウィスパー、リア=ノーサム」
カルラは目の前にいるため必要ない。メンバーはこれで全員だったはず。
『何だい?忙しいんだけど』
「……あー。悪い。そろそろ仕事の時間が迫っててな」
言うと、不機嫌そうな声だったフィリスは軽い口調であぁ了解、と応えた。
『……とりあえず地下ならば問題はなさそうね。――行ってらっしゃい。気をつけて』
リアはリアらしく、丁寧な口調でさらりと言う。
『――おう。次に入ってイベントが終わっているようなら徹底的に教育してやる。行って来い』
イシュメルはまだ怒っているようだ。声が据わっている。
『だが断る』
アズレトがあっさりと言い放つ。
「いや無理だから。仕事休むわけに行くか」
冗談だと判断し、軽く受け流してみる。
『仕事なんてやめちまえ』
「いやいやいや何言ってんだお前」
あまりに真面目な口調に思わずマジで焦ると、――なんてな、と声が途端にふざけた口調に変わる。
『ネタにマジレスは格好悪いぜ?仕事頑張れ』
――くそ、いつか言い負かす。
カルラの方を向くと、無言でにっこりと頷いた。
「――悪いな。リリーによろしく。――あぁ、例の長い刀の男も後で追い付いて来るらしいから」
『あ、ソイツならもう来てる。落ちるなら「ウェイン=マークウッド」って名前を覚えておけって』
ますます俺の出番はなさそうだ。安心して落ちられる。
「ウィスパー、ウェイン=マークウッド」
一応礼儀として声をかけることにする。
「――すまんな、来てもらっておいて合流もしないで」
『む、いや構わんさ。リアルを優先するのは人間として当然だ』
それに他の連中もいるしな、と呟く。
どうやらあの連中を掻き集めてから来たようだ。
――ますます俺の出番はなさそうだ。
「んじゃ、――仕事に行って来るよ」
おう、とかまたな、とか手を振るカルラとかに若干の名残惜しさを覚えながら、俺は思考スイッチを切った。
瞬間、カルラのダガーに頼らなければ見えないほどのリアルな暗闇から一転、視界がブルースクリーンの青に染まる。
――急にコレだと眩しいな、とどうでもいい不満を残しつつ、俺はヘルムコネクタを外した。
1時間ほど仮眠を取り、シロフォンの音を奏でる携帯アラームをタッチ操作で切る。――まだ眠い。
その眠気を少しでも取ろうと、洗面所で冷水を手に溜めると、目を開けたまま叩き付けるようにそこに顔を鎮めた。
軽く目に染みるが一時的に目は覚めた。
軽く朝食を取ろうと食料を漁るが、食えそうなものが明太子くらいしかない。
自炊するのを諦めて、俺は財布と携帯を手に家の鍵に指紋を認証した。
このままバイト先に直行してしまおう。
朝食は途中で、あのパサパサしたスティックでも食えば事足りるだろう。
仕事と言っても、俺のそれはバイトだ。
2種類をかけもちすることで生活費を作り、一応貯金も多少程度には貯めてある。
「Sはない?6本ほど」
「あるよ!――あ、5本しかないや」
「ん、いいや1本はMから出しとく」
本当はダメなんだが、同じ家からの商品だ。問題はない。
ちなみに2S、S、Mは商品のサイズだ。
2Sが15センチほど、Sが25センチまで、Mがそれ以上……というのが大体の目安だ。
詰め込んだ商品を手で抑えつつ、下の段に13本を2列。
さらにその上に13本を2列入れると、下から商品を巻くようにフィルムをかけ、下敷きのような板でそれを端へと押し込む。
えらく大雑把に見えなくもないが、どうせ運搬で多少動くんだ。構わない。
中途半端に残った商品を両手で抱え、秤の上に置いて重さを量る。
3キロと少しだ。
「2キロ半以上の場合は他の家のと混ぜてもハンコはこの家のでしたよね?」
伝票に半端が3.0、と書き込みつつ聞くと、俺と同じように商品を詰めていた爺さんがおう、と肯定した。
緑に細長いソレを見ていると男としての自信がなくなって来るが、さすがに職場で下ネタは言わずに黙々と仕事をこなす。
とりあえず1件の家から出た商品をすべて箱に詰め終えると、箱の数を数えて伝票に記入した。
――2Sが10、Sが5、Mが3……、と。
ジリリリリリリリリ
けたたましい音を立て、休憩時間を告げるベルが鳴り響いた。
「――眠そうだな」
「ん、あー、うん。俺今日あんまり寝てねえ」
声をかけてきた同僚に返事を返し、俺はソファーへと横になった。
ソファーの感触が、一瞬ひんやりして気持ちいい。
「どうせゲームだろう?……ったく」
図星なので返事はせず、寝たフリを決め込むうちに、俺の意識はあっさりと夢へ落ちて行った。
昼食も食わずに午後の仕事を終える。
昨日は雨で寒かったせいか、商品の生産量が少なかったため14時で業務が終わった。爺さんの話では、暑い日ほど生産量が上がるらしい。
「――ゲームと言ったな。何をしているんだ?」
同僚が不意に話を振ってきた。
「ん、最近テレビとかで話題になってたろ。ラーセリアってやつ」
「……あー。……ネットで散々クソゲ扱いされてたアレか?……物好きな」
呆れたように言う同僚が、しかしそれでも興味を引いたのかサイフの中の大型カメラ屋のポイントカードのポイント残高をレシートで確認する。
「――あれはいくらだっただろうか」
「ヘルムコネクタとか持ってるのか?バーチャルものだから必要だけど」
聞くと、ぴらりと同僚はレシートを俺に見せた。
――残高、78001ポイント。
ちなみに1ポイント1円だ。
「……おい」
ヘルムコネクタとゲームを同時購入して釣りが出るほどのポイントに、思わず俺はツッコミを入れた。